数ある職業の職務や課業更に細分化したタスク(行動)を標準化させそれを評価しようとするのが職業能力評価基準だ。

 わたしはこの課業(一般的には業務といえる)更に細分化したタスク(一つの行動)を基準化できれば、まだその職業、職務に気づいていない未来の労働者に紹介し「これなら得意やん、俺、これできるよ」といったシーンが多くなると思っている。企業側もスタッフの募集をかける際にもほしい人材の要素をフォーカスしやすくなるという利点があると思っている。ところがこれを実現させるのは決して容易ではない。例えば以前わたしが10年以上身をおいていた水道工事というカテゴリ、まずどう分類するかを考えるだけで足の竦む思いをする。規模で分類するのか用途で分類するのか、それとも工法で分類するのか果たして最初の大分類をどれから始めるのかにセンスを求められるだろう。このような場合実は大から小に分類するのだはなく小から共通項を統合させながら逆ツリー型にまとめる方法もありだろう。というか私のような頭を使うことに慣れたいないような人間では大からセンス良く分類することはめちゃくちゃ難しいと感じた。まずわたしの会社が手掛けていた工事は給水管敷設工事という。分け方によれば住宅衛生設備だけど、違う見方をすれば水道施設工事の一部といえるかもしれないさらにその一つの工事を行うにしても図面を書く者、穴を掘る者、実際配管する、申請する、ダンプで土砂を運ぶなど様々な役割、そしてその役割も工程によって求められる行動は大きく変わる。果たしてそれらを体裁よく分類標準化できるのだろうか?同じ工事をやっていても会社が違えばやり方、段取り、さらにそれらの呼称までも違うことが少なくない。わたしは講師に質問した。「実際こんな細かな作業どうやったんですか?」答えは「地道にやるしかない」だった。実は用語を共通化させるだけでも意味はある。実際我々水道工事業界でも会社が変われば資材や道具の呼び方、さらに工事の名前まで違う場合があった。この作業をやる場合、最初に100や1000の企業にアンケートや聞き取りができるわけではない最初に関わった一つの企業に丁寧に接し現場の声を聴き一つ一つの課業(業務)にまつわる行動を分類標準化させる。そして次の会社でも業種や業界が違っても一つ一つ丁寧に同じことを繰り返す。それを根気よく続ければ何れ膨大なデータが蓄積されるだろう。だからたとえ時間がかかっても一つ一つ一社一社丁寧に分類していきたい。そして同じ職務、課業、タスクに出会ったときは改善を怠らず汎用性の高いものにどんどん改善していく。もしかすればわたしの現役生活を又にかけるライフワークになるかもしれない。何れにしても一人で取り組める課題でもなさそうだ。そのためにも仲間作りが必要だし、知識不足も補わないといけない。ますますやることが増えるばかりの僕でした。

 これについてまず最初に始める作業は既存の評価基準の中の職種の中に自分の携わった職種を見つけてアレンジしてみようと思う。講師の方も完全な完成は存在しない。何故なら変化のスピードの方が速いからだそうだ。でもやれることから始めようとこの後作業に取り掛かる。

昨年6月から働いているスポーツ施設の年始休暇も今日までなんと12連休だった。時給の僕にとっては死活問題だが割り切ってゆっくりさせて貰った。

今日はマイドーム大阪にある大阪産業振興機構の運営するよろず支援拠点に資本計上についての相談に行ってきた。

この事業を始めるにあたって3度目の相談だ。今回はこの有料職業紹介事業の認可条件である500万円の資産証明に個人の所有するローン中のマンションを流用できないかの相談だった。現在もちろん居住中なので売却もできないので非常にハードルは高いと思うがローン残高よりも市場流通価格のほうが1000万ほど高いので何とかならないかと思ったが今回は明確な回答を得られなかった。やはり公的資金が入る機関のアドバイザーには無理を言い過ぎだろう。しかし行くことによって事業開始までのタイムスケジュールについて中小企業診断士ならではの重要なアドバイスを、貰うことができた。おかげさまでこの3か月でやるべきことそして1年間の中の隙間を使ってやるべきことが浮き彫りとなった。

わたしは思いは叶うとか思考は現実となる

最近では引き寄せの法則だとかそういう類の本を数多く読んできたせいか

そのような思考を強く信じている。

そこで大きな矛盾がある。じゃあその思考の力を用いてその動かない手を動かせばいいではないか?

もちろん以前はそう思っていた。しかし以前のブログにも投稿したようにそこはあまり考えないようにした。

私の信念は二十歳の頃と同じようにお金持ちになりたいなのだ。お金があれば不自由さも半減され視界も広がり人としてもゆとりを持つことにより成長もできるし多くを子供たちや私を必要としてくれる人たちに与えられるからである。それにおいしいものもたくさん食べられるし行ったことのない国に旅行もできる。わたしにはなんの資産もないが脳をやられた割には考える能力は残っているそう万物の源泉である思考が残っているのだ。実はこの考え方は退院後間もない時期にも持ち合わせていた。ところが当時は自分のできないを知らな過ぎて毎日毎瞬が否定で埋められ積極志向が侵食されたのだろう。わかりやすく言えば皆さん健常者の方がおっしゃる”現実を受け入れる”という行為ができていなかったのでしょう。でも5年も経つと不安を感じる事は減り、できることも増え、あらたにできないことを発見することもなくなったので自然と積極志向が私を再び支配するようになりました。そこで敢えて何を望むか?はいお金です。わたしはお金を儲けて、「ほらできたでしょうだから君もやろう」

これを実現させたい。子供たちにも他のチャレンジドの方たちにも。

とても誤解を招くようなお題になってしまったが、敢えて扱い方とさせていただく。

わたしが最初に障害者施策に興味を持ったのは正直使える補助や助成はないかという甘えの視点だった。

“”障害者なんだから”という発想だ。しかし障害者だから特別扱いする必要があるのだろうか?ある論文を引用する

できない・と・はたらけない

―障害者の労働と雇用の基本問題―

立岩 真也 2001/12/25
『季刊社会保障研究』37-3:208-217(国立社会保障・人口問題研究所)より引用

"ここでは考えなくてはならないと思う基本的なことのいくつかについて初歩的な確認をするだけのことを行なう。障害があることの意味の少なくとも一つ、大きな一つに、できないということがある★03。そして労働とは何かができてそしてそれをすることである。とすると障害者の労働・雇用とはどういうことなのか。労働の場での障害者の排除、格差の設定は――すべきでないこととしての――差別なのか。たしかに就職に困難があるのだが、それが不当であるかどうか自体が問題になる。

障害者と雇用という問題を問うことは、労働市場をどう評価するか、その介入はどのような場合になぜ認められるのかを問うことに等しい。このことについて学の側も社会運動の方もはっきり言えていない部分があると思う。それは基本的な問題であるとともに、やっかいな問題ではある。しかしそれを考えないと、議論は建前に終わり、空疎なものになるだろう。"

 

私なりの言葉で表現すると、仕事は何かをやるところなのにやれない人間やできない人間を支援してまでやらすべきかどうかという話が一つと

できないの本質に問題があると思うのだ。例えば努力や意欲が不足してできない場合と、どうしてもどうやってもやれないできないといった努力以前の問題の違いを本人以外が評価できるのかという問題である。本人としても一生懸命やってもできない度合いを可視化することは難しいだろうし、障害者手帳の有無だけで測れるとは言えない。あまり障害者を特別扱いせず自立させる施策が必要ではないだろうか。

障害者として一括りにするから扱いが困るので一人一人が全力で生きるような仕組みを作りたいものだ。僕のできないが誰かのあたりまえだったり誰かのできないが僕の得意分野だったりするものだ。いえることはすべて本人の問題だということだ。何故なら自分には嘘がつけないからだ。やりたいことがやれるようどこまで努力するのかもういいやと限界を決めるのかは本人の自由だからだ。もう少し意欲のあるものを積極的に活用できる仕組みが欲しい。
障害を持つ者はできない場面が多いため食事や通勤、着替えや入浴、そんな日常生活でもPDCAを回し続け自分なりの上手くやれる方法にチャレンジし続けているのだ。

こういった人材を上手く活用しない手はないではないか。障がい者への見方を変えてできない事への配慮を見つけるのではなく得意なところを引き出す目を養って頂きたいと思う。

 新年あけましておめでとうございます。

 

特定求職困難者雇用開発助成金このブログでも確か紹介した助成金だと思うが改めてどのような要件で幾らもらえるのか整理してみますので是非参考にしてください。

特定求職困難者を大きく分けると高齢者、母子家庭の母親、そして障害者となる。そして障害者の中でも重度障害者とそうでないものに区別される。給付される金額については要件により様々だが、ここでは私を雇用した例をとって金額を算定してみる。わたしの身体障害者手帳の等級は2級なので重度障害者に区分される。雇用主が中小企業の場合40万円を半年に1回計6期、3年間にわたり240万円が支給される。何度もいうがとても小さな金額とは言えない。私はよく障害者求人を見てきたが、給料は概ね最低賃金を月収ベースに計算されたものと言っていい。大阪府の場合時給936円なので日給約7500円21日計算で15万7千円、年収188万円(ボーナスなし)ところがこの助成金を利用すると年間80万円支給されるので実質108万円月給なんと9万円である。これが3年間支給される事を考えた場合「どこか、働ける障害者はいないのか?」というのが経営者の考えではないだろうか?もし障害者を雇い入れるために何か新たに設備や通勤手段の確保が必要なら別途受けられる助成金がある。

さらに法定雇用未達成の企業なら分担金の負担額年間60万円も減る。しかも私のような重度障害者ならWカウントで2人分削れる。法定雇用を達成している企業なら報奨金がもらえる。Wカウントならそれは年間50万円を超える。その時の実際の人件費負担額は各々計算してみて頂きたい

 実はチャレンジドの方は年金や福祉サービスからの報酬を合わせるとそこそこ自立できる経済力を持ち合わせる。それでもチャレンジド精神が一般就労に挑戦させる。意欲ある働ける障害者は確かに存在している。人手不足だ、賃上げだと泣きごとの前にどうか賢く障害者雇用を考えて頂きたい。

 今日は特開金についてのおさらいでした。

 

さて、今日はPCが原因不明のお休み中なのでスマホにて投稿 正直かなりキツイものがある。
 
2018/12/1時点で日本の全人口約1億2640万人
内就労可能16歳から64歳生産年齢人口7557万人
実際働いている就労人口6700万人生産年齢人口の89%
働く世代はやはり殆ど働いている事になりますね
ここには自営業者や会社経営者なども含まれますので働き手全てと捉えて間違い無いと思う。
そこで
障害者人口936万人国内総人口の7.4%
この中には身体障害者、精神障害者、知的障害者全てを含む
内就労可能生産年齢人口16-64歳約320万人
企業での就労人口約43万人生産年齢人口の13%
やはり一般の方と比べてチャレンジドの方は中々働けていないのが現状のようです。
そこで
就労系福祉サービス利用者25万人働く世代の7.8%
この就労系福祉サービスを利用する方は働きたくても働けていない人と言える人達だ。この意欲あるチャレンジドに就労機会を与えよういうのが私の事業だ。
勿論在宅でPCの前で悶々と時間を消費しているチャレンジドもいるだろう。
とにかく彼等のできることを本人に気付いてもらう。
そしてその得意を活かしてお金に換金するそして施される立場から納税者となりこの社会の担い手となってもらいたい。それこそが目的ではないができるを他の人の為に提供する事でその人の人生が豊かになると思うのだ。人は一人で生きられないとよく耳にする。ならば人の役に立つことが大事なのではないか、それが自分に出来る社会の役割であり、その人の生まれてきた価値なんじゃないかなと思うのだ。
今日は統計的にお話しするはずがまた、勝手な持論を並べてしまった。
 
 

1. そもそも就労とは企業の産業活動に参加寄与することで対価を得る契約行為である

そのため企業の活動に対して利益をもたらす事が契約上求められる労働者の義務だろう。

 

 企業の目的はそれぞれである。営利目的のもの、社会活動的なもの、企業はそうした目的を達成するため組織を構築する。その組織の一員となり組織の目的達成のため直接的、間接的に貢献することが労働者の責任であるのではないか。

 

 一方で企業は社会を構成する一員としての立場がある。所属する地域、国、業界それぞれで支えられ、或いは支えている。こうした社会的責任者として障害者雇用の法定雇用率が存在するのだろう。しかし、その雇用が企業の一方的負担であってはならない。そこは我々現場を知ったものが工夫研究しチャレンジド、企業双方に好機をもたらす就労のあり方を構築したい。

 

2.障害者雇用は先天性、中途障害どちらにおいても新規一括採用の流れには含まれないことが多いだろう。そうなると多くの転職組が抱える転職初期の困惑を経験することになる。

 

 「頼まれた仕事、できるけどこのやり方でいいのかなぁ」「この案件の場合、誰に報告するのが正解なのか?」「こんな些細なこと確認するべきか否か」など戸惑いは少なくない。

 

 それが障害者ともなればそうした問題は更に増える。「これは、できない」と伝えるべきかそれとも時間をかけてでもチャレンジすべきか戸惑いの回数は決して少なくない。

 最初にジョブコーチなどキーパーソンの存在があれば話は別だが企業側もどこまで準備するべきか難しい。

 

翻って障害者雇用は特殊ではない。出来ないことではなくその人の出来ること(能力、スキル)をチョイスして業務に生かしてもらえばいい。敢えて難しいことにチャレンジさせず、得意なことを任せ大いに活躍して貰えばいい。出来ないことを助け合う。合理的配慮というより当たり前の行為ではないか。

 

わたしは当事者としてそして現場を知ったものとしてもっと当たり前に障害者雇用を実現させたい。

本来こうして障害者雇用というカテゴリがある事自体が事を複雑にしているのかもわからない。

 それはチャレンジドの中にも身体障害、精神障害、知的障害と大別されるしその中でも肢体不自由、内部障害、視覚、聴覚障害など様々。精神障害でも統合失調、両極性障害、発達障害、睡眠障害など多岐にわたる。それに加え最も大切なことは同じ障害を持ちながらもその人の個性の違いにより職務や生き方に対する行動、反応が違うということだ。これも当たり前のことだけど、障害者と初めて接する方はどうしても身構えてしまう。

 ところが、一つのオフィスに100人居たとする。その際、その100人をいちいちカテゴリで分けるか?あの人は東北、関東、或いはあの人は一人っ子、高卒、◯大卒ある程度知っている情報の中で決めつけをしてしまう場合があるが概ねそういった予測に反し痛い目に会うことは少なくない。結局その人と接し、その人と関係性を繋ぎ、信頼を創りだしやがて協力するだろう。チャレンジドも同じだ。目が見えずすっかり消極的になってしまった人、見えないことに悲観せず好奇心の強い人。人それぞれだ。だからあの人障害あるからではなく〇〇さんは気持ちよく引き受けてくれるから等その人の個性に合わせ上手に付き合う当たり前の職場での行為がここでも続く

 

 人手不足と言われ外国人雇用が推進され女性活躍、定年延長等様々な対策が求められている昨今、”意欲あるチャレンジドの雇用"大いに活用しようではないか。と私は考える

 

わたしは左手が動かないだからラーメンや吉牛を思いっきりかき込めない。そうやって食べられれば美味しいだろうなとかこぼさずに食べられるだろうなと思っていた。イヤ、今でもたまに思う。でもわたしはある時こう思うようにした。この地球にはいろいろな生物がおり様々な特徴を持つ。そして彼らは生き抜くため子孫を残すためにあらゆる機能を発達させてきた。決して人間のように万能でない姿で自分に備わる機能を発達させながら何百年も何千年も生きてきたのだろう。

わたしが通ったA型事業所では様々な軽作業を行う。商品の検品、タグ付け封入、DM折封入等どれも手作業だ。ここには常に20人ほどの障害者手帳を持つ方が集まる。皆それぞれ持つ障害は様々であるその中、手が不自由なのは私含め2人。もうひとりの方は機械で手首以降が切断され片手は手首以降がない。 ところが腕は機能するのでものを押さえて作業することは可能だ。となれば机の上での軽作業となれば物理的にわたしが一番大きいハンデを持つ。作業が始まれば案の定わたしは遅い。ところが右手一本でやる方法を見つければ案外両手を使う方より作業が早くなる場合がある。終始片手で行うためモノの配置、掴み方、反し方全てが決まったやり方で行うので無駄がない。それが決まりだすと断然両手組より早くなる。わたしはそれから、使えない左手をあまり考えず右手でどうやって上手くやれるかに視点を変えていった。部屋では畳の地べた生活なので右足も大いに利用する。あるものを上手に使えばどんどん上手になるし出来ないと諦めていた作業も一度できるとあとは出来るモノになっていく。タイトルの通り左手が使えればいいのにと悔やんだりしないことにした。多くの人が常に翼がほしいと無理を言わないように私も左手が使えたらという考えをやめた。「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ」これはパラリンピック(身体障害者の国際スポーツ大会)の創始者、ルートヴィヒ・グットマン博士が唱えた基本理念です。

まさにそれを実践した。これと全く逆だったのが退院直後だった。一人でランチに出かけた際トイレでズボンをあげる時だった。「どうしよう」

病院ではゴムパンツだったが外に出歩くときはそうは行かない。あと上着を脱いでハンガーに掛ける時「どうする」あとはラーメン屋の高いカウンターの椅子「どうやって座る?」全て最初は無理なことばかりだった。今までのように両手でやろうとするからだ。しかしこれらを右手一本でやるようにすると出来る記憶が脳に記録され次からは出来るようになる。だから僕は出来ないことはあまり考えず出来ることをもっと上手くやることに注力することにした。今では右手一本で洗濯物も干せるし右手の爪切りだって出来る。わたしはそうして出来るを記録し続けた。

わたしはまさに失ったものを振り返らず残されたものを活用する術を覚えた。どうか人事担当の方、チャレンジドはこうして毎日全ての瞬間において工夫改善しているのです。それらチャレンジドが助成金を背負ってやってきます。戦略的障害者雇用でチームを活性化しませんか?どうか彼らの不自由や苦手にフォーカスせず、何が得意?から入っていきませんか?そうしているうちにチーム全体が周りの長所を活用する力強い姿が見えてきませんか?おすすめします。チームの活性化に”障害者雇用”

昨日は起業のきっかけについて書いてみた。でも本質は今から伝える。

それは自分で自分を売り込むのは難しいということだ。

今回も相手のニーズをより理解した上でそれに応えられる事を伝える事ができればもう少し結果は違ったのではないだろうか?と素直に感じたからだ。ここは本人の仕事というよりエージェントの仕事だと思う。就ポツのNさんの報酬が何で決まるのか?翻って報酬ではない別に目的を持って仕事に取り組んでいるのかは私の知るところではない。誤解や批判を恐れずに言えば、「なんとか売り込んでよ」というのがその時の正気な気持ちだった。もし、わたしがエージェントで企業と個人を仲介するなら、しかも業界の相場である年収の30%をフィーとして頂くならなんとしても成約させたいという気持ちが働いて当然だろう。企業側にも利点を期待して貰った上で手数料の支払いをして頂きたいし個人にも定着出来るよう支援するだろう。僕はその時障害者雇用の利点(企業側の動機)を喚起させ期待値も上げその期待に適切な人材を紹介し、成約まで纏めるのは民間の営利企業により行われるのが適切だと感じた。

ストーリーとしてはこうだ。

なんとしても一般企業で働きたいチャレンジドがいる。努力も惜しまず。ある程度の職業能力はある。

そこに障害者雇用に取り組む企業が相談にやってきた。「今回はどういった業務でどのような職務に就きますか?}「なるほど」じゃあこの方が適しているなあ「この方なら、こういう経験もあるしこんな実績もお持ちで現在A型ではこういう作業にも取り組んでいますよ」「なるほど」

ここで見学を申し入れる。ここからは互いの相性だ。

障害者雇用を希望する場合、法定雇用未達の補足、過去の成功例、新しい取組など理由は様々だろうが何か目的があると考えるておかしくないだろう。しかも就ポツに来ている以上チャレンジドを求めているのだ。これを民間がやればまとまらない方が難しいと考えるのは私だけだろうか?収益事業として取組むエージェント、チャレンジドを希望する企業、就労を目指すチャレンジドが揃って良い就労移行が実現すると考えたのだ行政のサービスはどれもよく考えられ、民間の先を行く(特に福祉、労働系)。ところが何か最後のガツガツしたところがなく決まるものも決まらないと考えるのは間違いだろうか?利益目的の行動はゴールが明確で互いの利害も図りやすい。民間で出来るところは民間でやったほうがいいのではないか?そしてチャレンジドの可能性と能力に気づいた私がやらなければ行けないと感じた。これが本当のきっかけである。だって一昔前なら働き手や働き口を探すといえば職安(ハローワーク)だったでし。ところが今はテレビをつければ松本人志、乃木坂、千鳥、斎藤工〇〇リーチ!など転職サイト、バイトアプリのCMの流れない時間帯がないくらい民間が台頭している。仕事を探そうと思った時真っ先にスマホに手が届き、ハローワークには行かないでしょう。しかもうちなら助成金がついてくる。

 

詳しくはhttps://ameblo.jp/jobcastfujita/entry-12426274397.html

わたしが今度チャレンジドのための職業紹介事業を始めるきっかけになったのはズバリ自分の体験だった。

A型に二年間通った私は小予算で暮らす術を得た。そうなるともう少しと欲が出るのが人だ。8万円ベースで生きる私にとって1万円は大金、あと2万円あれば交通費も使えるし食費にもゆとりが出来る。一般就労を渇望した。障害者就業・生活支援センターのNさんも並行して私の就業先を探してくれているようだ。そんなある日2社ほど面接受け入れの企業があるとの知らせを頂いた。就ポツ(障害者就業・生活支援センターの呼称)へ問い合わせる企業ならかなり前向きだろうと2つの内比較的通勤の楽な一社を選び見学の申し入れをした。そこでの見学も無事終了し、互いの意思も確認した上で研修期間に入った。わたしは当然フルタイムの勤務だと疑わなかった。4日間の研修が終わった

あと再度意思確認、面接という流れだった。ところが研修最終日実施されるふりかえりが店長の都合で行われなかった。不安だ。その後研修を実施した配置先では業務が見当たらず手持ち無沙汰となることが予想されるため別の配置先での再研修をとN氏に連絡があった。店長もなんとか私に仕事を与えようとしてくれていたのだ。ちょうどゴールデンウイークを挟むように2度めの研修が始まった。2度めの研修も卒なくこなしたかに思えた。ところが今回も最終日の振り返りはなく改めて席を設けるとのことで私の通うA型I社でふりかえりが行われた。その際、わたしは「こんな不安定な気持ちは受け入れがたい、採用、不採用をはっきり伝えてほしい」との旨を伝えた。店長は前向きに考え採用前提で行動している」と語ってくれたが私からすれば煮え切らない。そんな中初出勤日が決まり、その日に面接が行われた。そこで初めて事業所がシフト制であること、フルタイム勤務は難しい事を知った。わたしは転職の理由がフルタイムで働きたいからだったことを伝えた。N氏とのやり取りの中にもそのような話はあったと思っていたしそこは疑っていなかった。しかし事業所のスタッフの8割はアルバイト。店長側にフルタイムで契約することがほとんど視野になかった事も頷ける。しかしここで引き下がるわけには行かないので話が違うと食い下がった。そこで店長がある提案をくださった。まず2週間、5時間更に2週後6時間、7時間、8時間と伸ばしていこう。これなら2月かからず8時間勤務である。

お願いしますと受け入れた。しかしこのはなしは私と店長との口約束。シフトを決める方には伝わっていなかったようで2週間後に与えられたシフトは5時間のままだった。まーいろいろあったが、一番受け入れ難いのは私の身体に適した配置先ではなかったことだろう。わたしはいつの間にか業務が負担となっていた。あれだけ渇望した一般就労、何でも出来ると思っていた強い気持ち。どこに行ったのだろう。弱気な気持ちが私を支配し始めた。

1月くらい経った

そんな時、昔良く読んでいた本を読み返す機会があった。そこから少し前向きな気持を取り戻しつつあったわたしは、

この経験は大きい

実際、わたしはチャレンジドの方の就労継続が簡単でないことを聞いていたのでその一端を見た気がした。これを生かし他のチャレンジドの就労に活かせないかと強く感じた。その時わたしが持ち始めた強い気持ちが後推しし、起業を強く意識し始めた。

簡単にまとめるはずがカットすることがむすがしい場面が多く長文になってしまい申し訳ございません。m(_ _)m

 実は続きもあるのでまたの機会によろしくデス。

 

まだあるんかい!