わたしは左手が動かないだからラーメンや吉牛を思いっきりかき込めない。そうやって食べられれば美味しいだろうなとかこぼさずに食べられるだろうなと思っていた。イヤ、今でもたまに思う。でもわたしはある時こう思うようにした。この地球にはいろいろな生物がおり様々な特徴を持つ。そして彼らは生き抜くため子孫を残すためにあらゆる機能を発達させてきた。決して人間のように万能でない姿で自分に備わる機能を発達させながら何百年も何千年も生きてきたのだろう。

わたしが通ったA型事業所では様々な軽作業を行う。商品の検品、タグ付け封入、DM折封入等どれも手作業だ。ここには常に20人ほどの障害者手帳を持つ方が集まる。皆それぞれ持つ障害は様々であるその中、手が不自由なのは私含め2人。もうひとりの方は機械で手首以降が切断され片手は手首以降がない。 ところが腕は機能するのでものを押さえて作業することは可能だ。となれば机の上での軽作業となれば物理的にわたしが一番大きいハンデを持つ。作業が始まれば案の定わたしは遅い。ところが右手一本でやる方法を見つければ案外両手を使う方より作業が早くなる場合がある。終始片手で行うためモノの配置、掴み方、反し方全てが決まったやり方で行うので無駄がない。それが決まりだすと断然両手組より早くなる。わたしはそれから、使えない左手をあまり考えず右手でどうやって上手くやれるかに視点を変えていった。部屋では畳の地べた生活なので右足も大いに利用する。あるものを上手に使えばどんどん上手になるし出来ないと諦めていた作業も一度できるとあとは出来るモノになっていく。タイトルの通り左手が使えればいいのにと悔やんだりしないことにした。多くの人が常に翼がほしいと無理を言わないように私も左手が使えたらという考えをやめた。「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ」これはパラリンピック(身体障害者の国際スポーツ大会)の創始者、ルートヴィヒ・グットマン博士が唱えた基本理念です。

まさにそれを実践した。これと全く逆だったのが退院直後だった。一人でランチに出かけた際トイレでズボンをあげる時だった。「どうしよう」

病院ではゴムパンツだったが外に出歩くときはそうは行かない。あと上着を脱いでハンガーに掛ける時「どうする」あとはラーメン屋の高いカウンターの椅子「どうやって座る?」全て最初は無理なことばかりだった。今までのように両手でやろうとするからだ。しかしこれらを右手一本でやるようにすると出来る記憶が脳に記録され次からは出来るようになる。だから僕は出来ないことはあまり考えず出来ることをもっと上手くやることに注力することにした。今では右手一本で洗濯物も干せるし右手の爪切りだって出来る。わたしはそうして出来るを記録し続けた。

わたしはまさに失ったものを振り返らず残されたものを活用する術を覚えた。どうか人事担当の方、チャレンジドはこうして毎日全ての瞬間において工夫改善しているのです。それらチャレンジドが助成金を背負ってやってきます。戦略的障害者雇用でチームを活性化しませんか?どうか彼らの不自由や苦手にフォーカスせず、何が得意?から入っていきませんか?そうしているうちにチーム全体が周りの長所を活用する力強い姿が見えてきませんか?おすすめします。チームの活性化に”障害者雇用”