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2017-09-21 12:00:02

Act.6 手詰まりの先にある微笑

テーマ:蝕のエツィオーグ:本編
Act.6 手詰まりの先にある微笑


(よし…今日こそは……!)

悟は両手をしっかりと握り締める。
スーツ姿で、とあるビルの前にやってきていた。

建物は新しいものではなく、その側面には小さな看板が縦にいくつもならんでいる。
彼はその中のうち、ひとつの看板をじっと見つめた。

(アピールするんだ、おれはちゃんとここにいるんだって)

心の中で強くしっかりと言葉にしてから、彼はビルの中へ入っていった。

通路をしばらく歩くと、小さなエレベーターが見えてくる。
塗装がところどころはげており、かなりの年季を感じさせた。

「……」

ボタンを押し、エレベーターが来るのを待つ。
ビルは4階建てだが、古いせいかすぐには下りてこない。

しばらく待たされることで、悟は考える時間を得てしまう。

(…大丈夫、大丈夫……今回はいつもとはちがう。大きな受付があるような会社じゃない…小さなスペースでやってる会社なら、おれがちょっと動くだけで誰かの目には留まるはずなんだ)

得てしまうというのは、彼の精神的な緊張を高めてしまうという意味である。
決意もやる気も彼にはあるのだが、度重なる理不尽な失敗もあり、高まりすぎて空回りすることが多くなった。

ただ、彼なりに反省はし、改善点も見出した。
大きな受付のある会社に行き、何度受付に並んでも担当者が来ないのなら、逆に独立した受付がないような小さな会社に行けばいいのではないのかと。

しかしそれでも、これまでの失敗が多すぎたせいで、不安の方が大きい。
それが、彼の体をガチガチに硬直させてしまう。

(うぅ……)

胃のあたりに、軽く刺すような痛みがある。
右手をそこへ添えそうになったが、彼は動かしかけた右手から力を抜いた。

(ダメだ、具合悪そうにしてたら心配される…そしたら面接どころじゃない)

彼は意識して、顔にも力を入れた。
痛みに歪みそうになるのを、どうにか防ごうと努力した。

力が妙なかかり方をして、引きつった笑顔になる。

(笑顔だ、笑顔の練習…今からやっとけば、きっと面接では)

悟がそう思ったところで、エレベーターが下りてきた。
ドアが開かれ、中にいた4人の男女と目が合う。

「…ひっ」

(あ)

男女のうちひとりが、明らかに悟の顔を見て小さく悲鳴をあげた。
その一瞬後に、申し訳なさそうに顔をそらし、慌ててエレベーターを下りる。

ドアが開いた直後に、悟の引きつった笑顔を見て驚いてしまったのだろう。
悟自身にも、なんとなくそれはわかった。

残りの3人は、半笑いをしつつ悟の前を通り過ぎる。

「……」

悟は、誰もいなくなったエレベーターに乗り込んだ。
ドアを閉めるボタンを押し、目指す会社のある階層のボタンを押す。

やがて、ドアが閉まってエレベーターが上り始めた途端、彼はなぜか小さくガッツポーズをした。

(よし…! さっきの人には悪いけど、ちゃんとおれのことは見えてたみたいだ…!)

普通なら、引きつった笑顔を他人に驚かれて、喜ぶというようなことはない。
だが悟はこの時、心の底から喜んでいた。

(レイヴンはこう言ってた…おれは極度のストレス状態に置かれると、誰にも見えなくなる…存在を感じてもらえなくなるって。でも今、けっこう緊張してたはずなのに、あの人には見えてたぞ!)

人型の物体『ハト』との戦いで、当初彼の存在を相手が認識しなかったこと。
その理由について、彼はレイヴンから説明を受けていた。

最初聞いた時には、一体何の話なのかすらよくわからなかった。
だが、レイヴンが自分を否定しないことを知ってからあらためて話を聞き、なぜ自分が面接すらできないのかを分析していた。

レイヴンによれば、悟は極度のストレス状態に置かれることで、存在を認識されなくなるらしい。

悟自身はそんなバカなことがあるのかと思ったが、実際に殺されかけたところから逃れることができた事実がある以上、無視することはできなかった。

それに、レイヴンが自分を否定せずにいてくれるなら、彼もレイヴンが言うことを否定せずにいようと考えるようになったことも、自身に対する分析を始めるようになった大きな理由である。

(あんなことがあったし…そうだよ、あのことに比べたら、面接なんて大した話じゃない……いや大事なことだけど、断られたって命を取られるわけじゃない…)

激烈すぎて遠い記憶になってしまった、『ハト』との戦いを思い返し、これから向かおうとしている面接という戦場とどちらが恐ろしいかを比べる。

そしてどうにか自分は大丈夫だと言い聞かせ続けた。
そうしているうちにエレベーターは目的の階へ到着し、ドアが開く。

(行くぞ…行くぞ……!)

ドアが開き切ったタイミングで、彼は通路へ歩き出す。
革靴の底が通路に当たり、硬い音を出した。

面接を受ける会社の前まで行き、一度深呼吸をする。
ネクタイの締まりを確認した後で、彼はドアをノックした。

「はーい、どうぞー」

「失礼します」

応答を受けて、彼は中へ入っていく。
と、すぐに立ち止まることになった。

入ってすぐのところにカウンターがあり、悟から向かって右端に小さなダンボールの箱と封筒が集められている。
その表面には、運送業者の伝票が貼られているのが見えた。

カウンターのすぐ向こうに受付を担当する社員がおり、悟の姿を見つけて声をかけてくる。

「はい、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」

中年に差し掛かろうかという見た目の女性が、笑顔で尋ねてくる。
人懐っこそうなその表情に、悟は少しだけ気持ちが安らぐのを感じた。

だがすぐに緊張感を取り戻し、女性に用件を告げる。

「あの、面接の件で伺いました進藤と申します…」

「ああ、進藤さんね。はいはい」

女性はそう言って、すぐに後ろを向いた。
そして背後で働いている他の社員たちに向け、通る声で言う。

「斉藤さん、面接ー!」

「あいよー」

斉藤という名で呼ばれた男性が、すぐに反応して立ち上がる。
ただ、彼は電話で他の仕事をしているようで、反応はしたが席から動くことはなかった。

その様子を見た後で、女性は悟の方へ向き直る。

「ごめんなさいね、もうちょっと待っていただけます?」

「あ、はい」

「んじゃ、こっちで」

女性は、悟をカウンターから左方向へ移動させ、ソファが並べられたスペースへ案内した。
壁側に置かれたソファに座って待つように言われ、悟はそれに従う。

「………」

彼の前にはテーブルともうひとつソファがあり、その後ろにはあまり高くないパーティションが設置されている。

その向こうに社員たちの机が並び、電話での応対や社員同士での会話など、雑然とした音がそこらに飛び散っていた。

(…なんとなくだけど…イケそうな気がする)

これまで彼が行ってきた会社とは、明らかに違う。
建物も洗練されていないし、会社内もそれは同じだった。

だが、会社内部に漂っているその『洗練されてなさ』が、なぜか悟を少し安心させる。
面接の担当者が、悟の目にすぐ映ったというのもポイントが高い。

(今までは、受付の人に連絡をとってもらって、担当の人が来るまで顔を見たことがなかった…大体、顔を見るのは、面接の時間が終わった後…怒られる時だった)

これまでのことを思い出す。
がっかりした表情にならないように、顔に気を遣う。

(でも今回はちがう。おれも担当の人を見たし、担当の人もおれを見た。見たはずだ。そうじゃなきゃ、あの女の人に『誰かそこにいるの?』って訊くはずだ)

悟の中に、希望が見え始めている。
それはとても小さな光だが、手が届きさえすれば大きなものにできるのではないか…そんな気がしている。

(おれは、ここにいる。おれがここにいるんだって、わかってもらえたはずなんだ)

心が少しだけ強くなったような気がして、自然と両手に力が入る。
だがふと、それはそれとして、と気持ちを切り替える。

(時間を確認しておこう…)

悟は、今いる応接スペースに案内された時間を確認した。
この会社の時計では、午前9時40分を指している。

(面接は10時からだ。あと…そうだな、10分たって何もなかったら、ちょっと立ったりしてみようか)

自分が面接に来たことを、担当者はしっかり認識したはずだと悟は判断した。
次にやるべきなのは、自分がここにいるのだということをアピールすることだと考える。

ただ、そうしていくことを努力目標として掲げてここまできたのはいいが、現状を鑑みるとがむしゃらにそうするのもよくないのではないか、と思えてくる。

(あの人…斉藤さんだっけ、さっき電話してたよな……10分前からアピールしまくってたら、『こっちは仕事してるのになんだアイツ』ってならないかな…)

会社に来て待つまではできたわけだが、まだ面接は始まっていない。
これまで失敗してきた経験もあり、始まる前から心象を悪くする行動は、できればしたくない。

それは自然な感情だった。

(おれが来てるのはわかってもらえてるんだから、待ってればいいんじゃないかな…みなさん忙しそうだし、『面接面接!』っておれがわめくのも迷惑になるよな……)

悟はそう思いながら、パーティションの向こうに広がる雰囲気をあらためて感じ取る。
雑然とした音たちは、最初は彼に安心感を与えたが、今は迷いを与えていた。

(どうする……!?)

それでもアピールするべきか。
それとも遠慮して静かに待つべきか。

悟は悩んだ。
とても真剣に、そして真摯に悩んだ。

その間に5分が経過する。

「……!」

悟はふと、自分が思い詰めていたことに気づき、ハッとした表情で時計を見る。
だがまだ5分しか経過していないと知り、そのことに安心した。

と、そこへ受付の女性が、茶の入った湯呑みを持ってくる。

「お待たせしてごめんなさいね~」

「あ、いえ…ありがとうございます」

「もう少し待ってあげてくださいね」

「は、はい」

座ったまま女性に頭を下げると、女性は申し訳なさそうな笑顔を見せつつ戻っていった。
悟は、テーブルに置かれた湯呑みを眺め、やがてそれに手を伸ばした。

(…待とう)

彼の気持ちは決まった。
アピールよりも、静かに待つことを彼は選んだ。

(おれなんかのために、お茶まで出してくれたんだ…うるさくするのは申し訳ない)

それが素直な気持ちだった。
だったら待つべきだと、そう思った。

そこにはストレスなどない。
命を狙われる恐怖など、あろうはずもない。

あるのはただ、素直な気持ちと…
出してもらった茶に負けないほど、あたたかな感謝の思いだけだった。


――だからこそ、悟にはわからなくなる。

「出て行け!」

彼は追い出された。
面接に行ったはずの会社から、怒声とともに追い出されるに至った。

「面接の予定だと!? そんなものは聞いてない! 勝手に入り込んでお茶まで飲んでるとか、なんて厚かましいヤツなんだ!」

「…ちょ、ちょっとまって…おかしい、おかしい……!」

悟は、あまりに強い怒りをぶつけられて、訳も分からず混乱している。
彼に怒鳴っているのは、面接担当であるはずの斉藤だった。

斉藤は、悟の反応を見てさらに怒る。

「おかしいだと? おかしいのはお前の頭だ! 普通の神経ならこんなことするわけがない!」

「い、いや、だって…!」

(なんで? なんでだよ…!?)

悟にはわからなかった。
何がいけなかったのか、全くわからなかった。

担当者である斉藤は、悟の存在を認識していたはずなのだ。
だが今、そもそも面接の予定など聞いていないのだという。

悟が極度のストレスによって存在を感知されなくなるのだとしても、今回はそのようなストレスはなかった。
少なくとも、悟本人はそう感じてはいなかった。

(今までとはちがう…! ちがうはず…)

彼はふと、自分を最初に応対した中年の女性を見る。
だが彼と目が合った時、女性は露骨に顔をしかめた。

(…なのに……なんで…?)

悟にはわからない。
彼女の人懐っこそうな笑顔は、確かに自分に向けられたはずなのに。

そしてあたたかい茶は、自分のために出されたはずなのに。

(おれ…また、失敗……したのか…?)

優しくしてもらった。
だから自分もできるだけ優しい人でいよう。

悟がうるさくアピールしなかったのは、そんな誰もが抱くような普通の感情からだった。
あわよくばいつも通り面接できなくなって、被害者として自分をかわいそうだと思いたかったからではない。

逃げたからではない。
彼なりに挑戦した結果だったのだが、その結果は…

「とにかく二度と来るなよ! 何も盗ってないようだから通報はしないでやるが…今度来たら覚悟しとけ!」

「……すいま…せん………でした」

悟は、謝るしかなかった。
何も悪いことなどしていないのだが、そうするしかなかった。

(なんなんだ…なんなんだ、一体……)

下げた頭のそばで、会社のドアが乱暴に閉められる。
音の衝撃にまぶたを閉じると、涙がじわりと目元を濡らした。

全身の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。
だが、このまま座り込むわけにもいかない。

(おれが…何をしたっていうんだ……)

半ば足を引きずるようにしながら、彼はエレベーターへと向かった。

とにかく帰らなければならない。
ここに留まっていては、本当に通報されてしまうかもしれない。

(なにが……いけなかったって、いうんだ…)

あれだけ、自分なりの最善を選んだというのに、面接のスタート地点にすら立てないのでは、彼にはもう為す術がない。

少なくとも、悟にはそう思えた。
そう思うしかなかった。

彼は、このビルにいるだけで通報されるという強迫観念だけでエレベーターに乗り、ビルから出た。
うつむく顔からは、涙がいくつもこぼれ落ちた。

頭の中はもう真っ白だった。
とにかく今は、家に帰るということだけを考えていた。

「…あれ?」

ビルから離れてしばらく歩いたあたりで、誰かが悟のそばで声をあげる。
だが悟には、その声を聞く余裕さえもない。

「あのー」

その誰かは、声をあげるだけではなく、悟に近づいて肩を叩いた。
そこまでされれば、さすがに彼も気づく。

だが、もはや泣き顔を隠す余裕さえもなかった。

「……」

「うわ」

振り向いた悟の顔を見て、肩を叩いた誰かは驚きの声をあげる。
だが、それで逃げ出すことはなかった。

「あの…どうか、したんですか?」

声をかけてきたのは女性だった。
悟はそれに気づき、慌てて下を向く。

彼は、驚かれてからようやく、自分が他人に見せていい顔ではないこと、泣き顔をさらしたことに気がついたのだ。

「…すいま、せん」

消え入るような声でそう言って、女性から逃げようとする。
だが、とっさにその手を女性につかまれた。

「……え」

「まってまって、憶えてませんか? 私です、私」

「………?」

突然のことに驚いた悟は、思わず女性の方を見る。
だが、彼には誰なのかがわからない。

彼の反応を見て、女性は何かを思い出した。
一度咳払いをし、彼に向かってこう言った。

「アンケート書いてもらったのぉ、憶えてませんかぁ?」

「…あ」

甘ったるい声を聞いて、悟はようやく思い出した。
女性は、缶コーヒーの試飲アンケートにいたキャンペーンガールだったのだ。

悟がすぐに思い出せなかったのは、当然ながら彼女が普通の格好をしていたのと、声がその時よりも低かったからである。

「あの時の…」

「えへへ、思い出してもらえました?」

女性は微笑み、悟の手を少しだけ強く握る。
驚きに彼が呆然としていると、女性は彼にそっと言った。

「何か、つらいこと…あったんじゃないんですか?」

「…え?」

「私でよければ、お話聞きますよ。アンケート書いてくれたお返しってことで」

「……え……!?」

涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、悟は女性を見つめた。
彼女はそんな彼に、優しい笑顔を見せるのだった。


>Act.7へ続く

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2017-09-18 12:00:02

Act.5 重なる否定は肯定の両翼

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Act.5 重なる否定は肯定の両翼


数日後。
スーツのクリーニングが終わり、悟はそれを受け取ってきた。

「…はぁ」

家に持ち帰り、部屋のタンスにしまう。
新しい建物ではないので、クローゼット専用の部屋というようなものはない。

悟のタンスは、上部がクローゼットになっており下が引き出しになっている。
木目調で茶色の、シンプルでもなければ華やかでもない古いタンスだった。

「……」

スーツをしまい終わり、クローゼット部分の戸を閉めた悟は、すぐにはそこから離れずにいる。
そこへ、背後からカラスが彼の背中に飛び乗った。

「……?」

カラスの行動は突然だったが、悟はもう驚かなかった。
数日の間、彼らはずっと同じ部屋にいる。

”なんだおい、どうかしたのか?”

カラスは、悟がタンスの前からすぐに離れないのを不思議がり、尋ねてきた。
悟はそのことに小さく笑い、ゆっくりとベッドへ移動していく。

(いや…なんというか、また面接の日々が始まるんだなあ…って思ってさ)

”ああ、スーツが帰ってきたからか?”

(うん)

”オマエ、変なヤツだよな”

(…え?)

ベッドに座ろうとしたところで、悟はその動きを止めた。
だが一瞬後に、中腰になっているのも疲れることに気づき、腰を下ろす。

そうしてからカラスにあらためて尋ねた。

(変、って…なにが?)

”あんなことがあって、オレとこうして話してて、オマエなんでそんな普通なんだ?”

(なんで、って言われても…)

”命がけで戦ったんだぜ? でもって、その気になりゃ『アナザーフェイス状態』にいつだってなれる状態だ…”

(………)

”『ハト』の格好、忘れてねーだろ? あんな感じにオマエだってなれるんだぜ。っていうか、そうなったから生き残れてるんだがな”

(…そう言われてもなぁ)

悟は頭をかく。
その顔には、困惑がある。

現実感がないわけではないのだ。
人型の物体と出会ってしまった記憶はやけに遠く感じられても、彼自身の生活があの時起こったことに影響を受けている。

人型の物体が彼のいる公園に落ちてこなければ、スーツをクリーニングに出す必要はなかった。
そして今日、クリーニングを終えたスーツを受け取る必要もなかった。

さらに、カラスとこうやって心で話もしている。
自分が普通ではない状態になっているのは、悟にももう理解できている。

(あの時のこと、今お前と話してること…それが普通じゃないのは、おれにももうわかってるよ)

”じゃあなんで、まだ面接のこととか考えてんだ? オマエ、そんなに会社勤めしてーのか?”

(したいわけじゃないよ。だけどやらなきゃいけないことだろ、仕事って)

”ことだろ、って言われてもオレは知らねーよ。オマエ、オレを誰だと思ってんだ?”

(…誰って、変なカラス……)

”変な、じゃねぇ! でもって単なるカラスでもねぇ!”

悟のひざに移動したカラスは、勢いよく翼を広げた。
その行動は、カラスの横幅を3倍以上に膨れ上がらせる。

”耳かっぽじってよく聴け! オレさまの名前はな、『レイヴン』ってんだ!”

(あ、ああ…確か、そんな名前だっけ)

”おい…”

カラスの両翼から力が抜ける。
満を持して名乗ったのに、悟のペースがまったく変わらないことに拍子抜けしてしまった。

”オマエ、どう見てもオレは謎のカラスだろ! それがこうやって自己紹介してんだぞ! 普通は驚くとか感嘆するとか、なんかあるだろ!”

(…そう言われてもなぁ…)

悟はもう一度頭をかいた。
ただ、その頃には顔から困惑が消えていた。

悟とレイヴンは、人型の物体との戦いの後で、家に帰る途中まで一緒にいた。
ただ、人間とカラスが仲良く一緒に歩いている姿はどうしても人目につくため、レイヴンは悟の家に到着する前に姿を消していた。

その間に、一通りの説明は受けたのだが…
もちろん、とんでもない経験をしたばかりの悟に、すべてを理解しきれるはずもなかった。

(お前の名前、聞くの初めてでもないし…なんかいろいろいっぱいいっぱいな中で聞いたのもあってさ、驚くのも忘れちゃったっていうか)

”カァーッ! なんて野郎だこの野郎! 普通なら『クソな人生終わってついにオレが世界の主人公になった!』くらいのノリになるもんじゃねーのか!?”

レイヴンの名前は、既に出会った初日から聞いていた。
彼の心になぜそれが浮かばなかったのかというと、要は『いっぱいいっぱい』だったからである。

さらに、初日に家へ帰り着くまでにレイヴンが去っていったのも、名前の記憶が薄まるのに拍車をかけた。

大変なことが起こり、常識からはずれた説明を立て続けに受け、その上新たな仕事であるスーツのクリーニングが加わり、彼がしっかり意識していられる限界を突破してしまっていた。

人型の物体との戦いが遠い記憶に感じられるのも、それが原因である。
だがレイヴンには、それが理解できない。

”オレぁよ、オマエがもっとこう…どんどこオレを使ってよ、『ハト』の野郎を探そうとし始めたりとか、なんか気に入らねぇヤツを『アナザーフェイス状態』になってボッコボコにしてやったりよ、そういう展開になると思ってたんだぜ!?”

レイヴンは早口で言いながら、またも両翼を力強く広げる。
時折それが小さく上下している姿が、両手を広げて相手を説得しているようにも見える。

だが悟はそういう気分にはならない。

(いや…『ハト』ってあのゴッツいヤツだろ? あんなのわざわざ探そうと思わないよ…怖いし)

”だーからアレは『アナザーフェイス状態』でああなってるっつったろ! 本体はあのままの姿じゃねーんだよ!”

(あ、そうだったっけ)

”オマエとオレで『アナザーフェイス状態』になった時、オマエの声が変わったろ? アレはオレが変えたんだよ! それと同じようなことが、『ハト』の野郎にも起きてたんだよ!”

(…なんで?)

”それも説明しただろ…変身してねー時に『暗殺』されねーためだよ……”

レイヴンは、だんだん疲れてきたらしく、両翼からまた力が抜け始めた。
その姿を見て、悟は思わず微笑む。

もちろん、それを見逃すレイヴンではない。
右の翼を悟の眼前に向けた。

”おいコラ! オレがグッタリきてんのに笑うんじゃねぇ!”

(ご、ごめんごめん…なんていうか、こうして話すのやっぱり楽しいなって思ってさ)

”…あァ?”

悟の言葉に、レイヴンは驚く。
右の翼を下ろし、広げていた左の翼とともに小さくたたむ。

その後で首をかしげてみせた。

”話すの楽しいって、オマエこの前飲み会行ってきたんじゃねーのかよ?”

(飲み会…ああ)

悟の表情が濁る。
片山に誘われて行った『合コン』の記憶が蘇った。

(あれは……楽しい時間じゃないからさ)

”カタヤマ、だっけか?”

(ああ。みんなに人気で、優秀なヤツさ)

”みんなに人気なようだが、オマエからの人気はねぇみてーだな”

(んー…なんていうか、おれはほら、こんな感じでどんくさいし、バカにされてる感じかな)

”なんだと?”

レイヴンの首が、真っ直ぐに戻る。
その黒い目が、ギラリと光った。

”バカにされてんのか? 殺しちまえよそんなヤツ”

(お、おいおい…いきなり怖いこと言うなよ)

”あァ? オマエなに言ってんだ? 一度ナメられたらずっとナメられるんだぞ。殺すまでいかなくても、半殺しくらいにはしてやらなきゃ、オマエがずっと損するんだぜ”

(そんなこと、できるわけないだろ…)

”…まあ、オマエにできるとはオレも思わねーが”

レイヴンはそう言って、カパッとクチバシを開いてみせた。
しばらく開けて閉じる。

悟にはそれが、あくびをしているように見えた。

(…眠いのか?)

”バカ言え、あきれてんだよ”

(ごめん)

”謝んなよ、それがオマエのやり方なんだろ。あきれはするが、否定はしねぇ”

(え…)

悟は驚く。
まさか、レイヴンからそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。

(男らしくないって、怒るもんだと思ってたけど)

”自分が理解できないことを頭ッから否定する…”

(…え?)

”それがカッコいいとは思わねぇ。オレにはオレの、オマエにはオマエの都合がある。だろ?”

(それは…そうだけど)

”それに、オマエがそういう性格じゃなかったら、オレはこうして生きてねーんだ。腹が立ったりあきれたりすることはあるが、オマエそのものを否定することはねーよ”

(……お前、いいヤツ…なんだな)

”カッコいいヤツ、な”

レイヴンはそう言って胸を張った。
その姿を見て、悟は心から微笑む。

ただふと、あることを思い出した。

(そういえば…おれが助けたってお前は言うけど、お前あれから何も食べてないんじゃないのか?)

”…はァー……”

レイヴンは大きなため息をつく。
その心底ガッカリした様子に、悟は「あっ」と気づく。

(もしかしてそのあたりも、もう説明済みだっけ?)

”その通りだよバカ野郎。だがまあ…いいや、もう一度説明してやる”

(よろしく、おねがいします)

悟は、少し大げさに頭を下げた。
その態度で機嫌を直したのか、レイヴンは彼に説明をしてやった。

悟とレイヴンの出会いは、公園でのベンチ前だった。
面接がどうにもうまくいかない悟は、失意の中コンビニ弁当を食べていたのだが、からあげを落としてしまう。

砂にまみれてもう食べられなくなったからあげにつられる形で、レイヴンがやってきた。
ただのカラスとしか思わなかった悟は、その場で転ぶレイヴンをかわいそうに思い、追い払うことをせず落ちたからあげをレイヴンにあげた。

このことに関して、レイヴンは恩を感じているらしい。
それから悟とレイヴンは、人型の物体と共闘することになったのだが…それ以降、悟の前でレイヴンが何かを食べている姿を見たことがなかったのだ。

(えっと…)

悟は、レイヴンから一通りの説明を受けた。
すべては理解できなかったが、とりあえずレイヴンが今のところ食事をする必要がなくなった、ということは理解した。

(お前とおれがつながってる状態だから、お前は腹が減らないってことか)

”そうだ。まあ、1日に1回はこうやって直にくっつかねーと、オレも腹が減るけどな”

(ふむふむ…)

これまで悟は、レイヴンに説明されたことを『よくわからないこと』としか思わなかった。
だが、レイヴンが自分を『否定しない』と言ったことで、その気持ちが少し変化した。

わからないことも多いが、理解できる部分は理解していこう。
そんな気持ちが、悟の中に芽生え始めていた。

と、そこへ。

「さとるー!」

階下から、ハナの声が聞こえた。
その声を聞いて、悟は反射的に部屋の時計を見る。

時刻は昼前に差し掛かろうとしていた。
悟がそれを確認したタイミングで、ハナのよく通る声が聞こえてくる。

「そろそろお昼の準備をしとくれ! アタシを殺す気かい!」

(…レイヴン、悪いけど授業はまたあとでいいかな?)

悟はそう言って、ベッドから立ち上がろうとする。
レイヴンは素早く飛び立ち、ベッドに上に乗った。

「……」

触れあっていないので、レイヴンからの声は聞こえない。
彼はただ、あきれた様子で両翼を軽く広げてみせるのだった。


その翌日。

「…申し訳ございません。面接の時間はもう終了いたしました」

「……そう、ですか…」

悟は自分が予測していた通り、そして予定していた通り、また面接の日々を開始させた。
この日は2社受けてみたのだが、どちらも面接時間が過ぎるまで担当者が来ることはなかった。

「……」

気持ちは沈むが、レイヴンと出会ったあの日ほどではない。

あの日と同じように、時間が過ぎるまで何度も受付に並び、それでも面接すらできなかったが、泣きそうなところにまでは落ち込まなかった。

大学生の頃は、3社も4社も面接を受けていた。
だがそのどれも、面接の担当者に会うことはなかった。

その繰り返しで彼は心が折れ、面接は続けていたが日に何社も行くことはできなくなっていた。
だが彼はこの日、久しぶりに複数社の面接を再開させたのである。

「……今日もまともに面接できなかった…けど、やれるだけのことはやった、はず」

あまりにも面接をすっぽかすと判断され、ハローワークですら彼への紹介を露骨に嫌がるようになった。

職員のいらついた態度を見ているのがつらく、またそう言いたくなるのもわかってしまうだけに、悟は強く出ることもできなかった。

やがてハローワークの職員に迷惑をかけることが申し訳なくなった彼は、自分だけで職探しをすることにした。
そんな日々の中で、つらい気持ちが爆発したのがあの日だった。

”オレはオマエを否定しねぇ”

あの日出会ったレイヴンは、昨日彼にそう言った。
悟がそんな言葉を聞いたのは初めてだった。

彼が今まで出会ったどの人間も、彼にそんなことは言わなかった。
ただひとり、いや1羽というべきか、レイヴンだけが彼にそう言った。

だから彼は、レイヴンの言葉をもう一度聞こうと思った。
そして昨日のうちに急遽もう1社の面接を取りつけ、今日は2社で面接する機会を作った。

「…結果は出なかったけど……また、がんばろう」

悟はそうつぶやいて、小さくうなずく。
それは、他の人間にとっては取るに足らない決意だが、彼にとっては大きな決意だった。

家路につくため、彼は駅へと向かった。
駅前では新商品のアンケートをやっているらしく、試飲用の缶コーヒーが配られている。

「あ、すいませーん」

キャンペーンガールのひとりが、悟に近づいてきた。
悟がそちらを向くと、その格好が目に入る。

「わ」

上は丈の短いノースリーブで、前はジッパーで開け閉めできる服。
下はホットパンツでハイヒールを履いていた。

甘く開かれたジッパーからのぞく胸の谷間と、隠す気すらないへそ、そして太ももが悟には眩しい。
彼が戸惑っていると、キャンペーンガールは缶コーヒーを手渡してきた。

「今アンケート取らせていただいてまして、よかったらお時間いただけますかぁ?」

「え? あ、えっと」

「すぐ終わりますのでぇ」

「あ、は、はい…」

メリハリのある肉体と甘い声のコンビネーションは、悟を簡単に陥落させる。
彼は言われるがまま、試飲用のコーヒーを飲んだ。

「あ、これうまい」

「ホントですかぁ? ありがとうございますぅ!」

キャンペーンガールは嬉しそうに言い、素早い動きでボールペンとプラスチックの板を差し出してきた。
板にはアンケートの紙が載っている。

紙は板上部の横長クリップで挟まれている。
それを見た悟は、試飲用の缶コーヒーを飲み切って、左手に持っていたカバンを足の間に置いた。

キャンペーンガールからアンケートを受け取り、あてはまる感想にチェックを入れていく。
文章は既に用意されているので、悟はボールペンでチェックボックスにレ点を入れるだけでよかった。

「……」

彼がアンケートに記入するその姿を、キャンペーンガールはじっと見ている。
彼女はあの日、『人型の物体』が落ちてきた音を聞きつけてきた男女の中にいたのだが…

悟はそれを知らない。
必死になって茂みの中に隠れていた彼は、男女の顔を見ている余裕もなかった。

キャンペーンガールは、彼の様子をじっと見つめている。
その瞳の中に鋭い光が宿ったことに、悟が気づくことはなかった。


>Act.6へ続く

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2017-09-14 12:00:02

Act.4 非日常を識る日常

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Act.4 非日常を識る日常


「こちら一点でよろしいですか?」

「あ、はい」

「ありがとうございます、消費税入りまして734円になります」

「はい…」

店員に返答しながら、悟は財布を取り出した。
革製の二つ折り財布から千円札を出し、支払いをすませる。

「266円のお返しです。ありがとうございました~」

釣りを受け取った悟は、店員の前から離れた。
小さくため息をつきながら、ショッピングモールの中を歩いていく。

彼が立ち寄っていたのは、モール内にあるクリーニング店だった。
店舗として独立した建物があるわけではなく、通路沿いにカウンターがあるタイプの店である。

(…ホントに…あったことなんだな、あれ……)

悟は、公園での戦いを思い出している。
戦いといっても、彼自身は恐怖で震えているだけだった。

本人も、それをよくわかっている。
それはとてつもない非日常で、過ぎ去ったあとはどこかぼんやりと遠くのことに思えるほど、激烈な記憶だった。

ただ、彼は今そのことを現実として思い返している。
そのきっかけが、支払いをすませたばかりのクリーニング店でのやりとりだった。

(ホントにあったことじゃなきゃ、スーツをクリーニングに出すことなんかなかったもんな…)

悟を殺そうとした『人型の物体』。
その直前に現れたカラスは、それを『ハト』だと言った。

人型の物体が落ちてきた衝撃で、彼はそれまで座っていたベンチから転げ落ちた。
その時にスーツが砂ぼこりで汚れてしまっていた。

面接に行くだけなら、スーツ全体が砂ぼこりで汚れるはずはない。
だが、彼のスーツはクリーニングに出さなければいけないほど、汚れてしまっていた。

「……」

そのことが、彼に非日常を現実だと思い知らせている。
あれから、1日がたっていた。

「…ん」

ふと、ポケットの中でスマートフォンが震える。
取り出して画面を見ると、そこには『片山』という名前があった。

「うわ…」

悟は瞬時に、うんざりした表情になる。
だが出ないわけにはいかないのか、画面をタッチしてスマートフォンを耳に当てた。

「もしもし…」

”おー! 元気か進藤!”

スマートフォンからは、やけに元気な声が聞こえてくる。
周囲のざわつきも聞こえることから、相手は外にいるようだ。

”お前、もう就職決まったのか? まだだよな?”

「…あ、ああ…」

”だったら時間あいてるよな! 今夜ちょっと付き合えよ、合コンやっからよ!”

「え、今夜? ちょっといきなりすぎ…」

”じゃーまたあとで連絡するからな!”

そう言って、電話の相手は通話を一方的に終了させた。
悟は耳からスマートフォンを離し、少し大きめにため息をついた。

「…相変わらず勝手だな、アイツ…」

怒りよりはゲンナリとした感情を顔に出しつつ、彼は家に帰った。


家に帰ると、祖母のハナがドスドスと足を鳴らしながら、彼のいる玄関へとやってきた。

「おかえり悟。ちゃんとクリーニングには出したのかい」

「ああ、出したよ。ただいま、ばあちゃん」

「そうかい…まったく、すっ転んでスーツ汚して、それで今日の面接すっぽかすなんて、お前は本当にマヌケだよ」

「……あ…あのさ、今夜…」

悟は、話を変えるべくハナに今夜のことを切り出した。
彼女にとっても思わぬ展開だったのか、その顔から怒りが消える。

「へぇ…? 片山くんって、あの子かい?」

「ああ、あの片山だよ。大学の時、友だちだった…」

「そうかい、そりゃよかったじゃないか!」

ハナは、安心したような表情になる。
だがすぐに、思い出したようにしかめっつらになった。

「せっかく誘ってくれたんだ、しっかり盛り上げてくるんだよ! あの子はきっと何かをやり遂げる…そんな感じがするんだよねぇ」

「…そ、そう…」

「お前と仲良くしてくれてるのを、ありがたいと思わなきゃ。人脈ってのは、しっかりしてればしてるほどいいもんなんだからね!」

「人脈…あ、ああ、うん……」

「なんだい、その気のない返事は。まあいいよ、早くお昼の支度をしとくれ。アタシを殺す気かい!」

「…わかったよ、ちょっとまってて」

「急ぐんだよ!」

ハナはそう言い放って、またドスドスと足を鳴らしつつ去っていった。
悟は大きくため息をついて、靴を脱いで玄関に上がった。

その後、手際が悪いとハナに怒られつつ、彼は昼食を用意した。
それを食べて片付けをしてから、彼は2階にある自分の部屋へ向かう。

「…はあ……」

昼食をとったばかりだというのに、満腹感や満足感よりも先にため息が出た。
部屋のドアを開け、中に入る。

すると、中で音がした。

「……」

悟は、音がした方向を見る。
そこにはカラスがいた。

カラスは、右の翼を挙げている。
音というのは、カラスが翼を挙げた時に出た音だった。

「お前…」

悟はそう言いながら、部屋の窓を見る。
窓は閉まっている。

「…あれ?」

窓が閉まっていることを不思議に思っていると、カラスは悟に飛びかかってきた。

「うわ」

”…静かにしろ、静かに”

カラスの声が心に流れ込んでくる。
声が流れ込んでくる直前に、カラスは悟の頭に乗っていた。

(おい…)

”オマエなんで窓閉めてんだよ。開けるのすげぇ大変だったんだからな”

(え…! お前まさか、自分で窓開けたのか?)

悟は驚いた。
当然ながらカラスには翼と足しかなく、手らしきものはない。

その体で一体どうやって窓を開けたのか。
彼にはわからなかった。

(どうやって開けたんだよ…?)

”そんなもんオマエ、この足で踏ん張ってこの翼で開けたに決まってんだろ”

(…えぇ…?)

”カギがかかってなくてよかったぜ。っていうかオマエ、ちょっと不用心じゃねーのか? 窓のカギくらいちゃんとしとけ”

(い、いや…なんだよお前、カギかけてないから入ってこれたんだろ…)

”それとこれとは別の話だろ。入ってきたのがオレだからよかったようなものの、あの野郎だったらどうするつもりだったんだ?”

「……!」

カラスの言葉に、悟の背筋が寒くなる。
そんな彼の心情に構わず、カラスはこう続けた。

”まあ、あの野郎が来てたら、こうしてのんびりしてらんねーけどな”

(…の、のんびりしてられないどころじゃない…変なこと言わないでくれ)

”変なことじゃねーだろ”

カラスの言葉に、真剣なものが混ざる。
それを感じた悟は、クリーニングに行ったことを思い出した。

そう、今彼がいる状況は『変なこと』ではない。

「………」

悟は、視線を落として部屋の床を見る。
そこには、カラスが飛びかかってきた時に落ちたであろう、羽根が1枚だけ落ちていた。

”…どうした、急に黙りやがってよ”

(…いや……)

悟は生返事をしつつ、羽根を拾うためにかがむ。
彼の頭に乗っていたカラスは、バランスをとるために翼を一瞬だけバタつかせた。

その羽ばたきを頭上で感じながら、悟は羽根を拾う。
だが拾い上げた瞬間、それは霧のようにかき消えてしまった。

「あ…」

思わず口から声が出る。
そこへ、カラスが声を流し込んできた。

”ああ、わりィな。羽根を落としちまってたようだ”

(なんで…消えたんだこれ?)

”消えたんじゃねぇ、消したんだよ。オレがな”

(…そういう…力を持ってる、ってことか?)

”……オマエなァ…”

カラスは呆れた様子で首を左右に振る。
だが悟の頭上にいるので、その動作は彼には見えない。

そのことに構わず、カラスはこう続けた。

”昨日言っただろーが。羽根を消したのは、『オマエの力だ』ってよ”

(いや…昨日言ったって言われても、意味がわからないし…それに、お前が消したのに『おれの力だ』って、ますます意味がわかんないし…)

”はァー、オマエほど自分の能力がわかってねぇヤツも珍しいなァおい”

カラスは、どうしようもないといった口調で言う。
そうしながら、悟にとりあえず座るように告げた。

悟は素直に、ベッドの端に座る。
カラスは彼の頭に乗ったまま、こう切り出した。

”もう一度、昨日の解説をしてやる…オマエ、なんであの野郎から逃げられたと思う?”

(…なんで、って言われても…)

”オレはなんて言った? まさかもう忘れたとか言うなよ”

(えっと…『極限のストレスを与えられたせいでおれの姿が消えた』……だっけ)

”そうだ”

カラスはそう言ってうなずいてみせる。
だがやはり、悟には見えない。

”オマエはあの野郎に殺されると思った。とても強くそう思った…それに加えて、オレが『もうオマエは死ぬかも』って突き放した”

(…うん……)

”そこでオマエのストレスが、限界を超えに超えたんだ。『それがオマエの姿を消した』”

(……いや、意味わかんないし…)

”最初もそうだぜ。あの野郎が空から降ってきてすぐ、オマエはあの野郎にまったく見つかってなかった”

(………)

ここで、悟の反論が止まった。
そのあたりについては、彼もしっかりと憶えているのだ。

ベンチから落ちた彼の腕にとまっていたカラス。
人型の物体は、カラスを見つけて指を差した。

カラスは、悟のひじから手の間を、ぴょんぴょんと跳ねて移動していた。
人型の物体は、移動を続けるカラスに合わせて、突き出した人差し指の向きを移動させていた。

それはつまり、人型の物体が『カラスだけを見ていた』ということに他ならない。

”あの野郎がオレだけを指差して、指の向きまでオレの動きに合わせる…それ自体も奇妙なことだが、そこらへんはあの野郎自身の性質だ。いま重要なのはそこじゃねぇ”

(………)

”重要なのは、あの野郎が『オマエだけを認識してなかった』ってことだ”

(にん、しき…)

”あの時、オマエはいろんなことが一気に起こってビビリまくってた。つまりストレスが高まってたんだ。それがオマエの姿を、あの野郎に『認識させなかった』”

(……)

”さすがにオマエだって、あの状況がヤバいってのはわかるだろ? お遊びでそんなことやってるって…そんなことは思わねーよな?”

(…ま、まあ…それは、たしかに……)

”だったら、オレがデタラメ言ってるわけじゃねーのも、わかるんじゃねーのか?”

(いや、デタラメとは…思わないよ。クリーニングだって行ってきたし…)

”あ? クリーニング?”

悟の言葉に、カラスは首をかしげた。
彼の頭からひざへ軽やかに移動し、顔を見上げながら言う。

”なんだよ、クリーニングって。今の話と関係あんのか?”

(公園でさ…ベンチから落ちた時に、スーツが汚れちゃったんだよ。それを洗ってもらうために、さっきクリーニングに出してきたんだ)

”ああ…なるほどな。いきなり言うから何事かと思ったぜ”

(ごめん)

”謝るんじゃねーよ。なんつーか、それがオマエの中で『昨日のことが現実だって思えること』なんだろ?”

(…うん)

”だったら今の話に関係あるじゃねーか。謝る必要なんかねーよ”

(うん……)

”……?”

悟の様子を見て、カラスは何かに気づく。
それまでの話を一旦止め、こう尋ねた。

”なんだよオマエ、オレの話がどーとかより…なんか違うことでグッタリきてねーか?”

(ああ…わかる? 今夜ね…ちょっと、憂鬱なことがあってさ)

”ユーウツなこと、だァ?”

カラスは不思議そうに首をかしげる。
悟はその仕草を見て、小さく苦笑する。

そして心でこう言った。

(あの敵みたいに見えなくなってくれたらなー、って…ちょっと思ってさ)


「あはははー! カンパーイ!」

乾杯の音頭とともに、グラスとジョッキが合わせられる。
夜の居酒屋には、8人の男女が集まっていた。

その中に悟もいる。
ビールが入ったジョッキを持っていた。

音頭を取ったのは男性で、その声は悟がスマートフォンで応対した声と同じである。

「さあさあ飲んで飲んで! 今日は楽しくいこう!」

「片山くーん、そんなに飲ませてどうするつもりー?」

「イヤだなー、そんなこと今から言えないよ」

「キャー! 片山くんのえっちぃー!」

乾杯したばかりだというのに、すでに場の勢いはかなり高まっている。
そんな中で、悟は笑顔を浮かべていた。

(…やっぱり、こういう感じなんだな……)

顔の筋肉を使っている感覚がある。
心から笑う時には、意識しない感覚である。

その感覚を忘れないようにしながら、悟は自分以外の7人が繰り広げる会話を聞いていた。

「片山くん、部長からすごい仕事を任されたって聞いたけど?」

「そうなんだよ、これがビッグプロジェクトでねぇ…成功させれば30億の利益になるんだ」

「すっごーい! ねえ片山くん、それどんなプロジェクト?」

「いやいや、さすがにここでは言えないよー。誰が聞き耳立ててるかわかんないし」

「うわ、ホントにすごいんだ!? なんかすごいミッションって感じ!」

「そうだねぇ、ミッションといえばそうなるかな。なにしろ失敗は許されないから」

「でも片山くんならきっとだいじょうぶだよね! 楽勝なんじゃない?」

「いやーそうでもないさ。でも優秀な先輩方も手伝ってくれるし、心強いよ」

「そんなこと言って、実は片山くんひとりで全部やっちゃう感じなんでしょ?」

「そうよー、片山くんホントすごいもんね!」

「あっはは、ほめてくれるのは嬉しいけど、僕ひとりじゃなにもできないさ」

「きゃー! 片山くんカッコいい! ここでケンソンできるなんて、やっぱりすごい人!」

(…合コン……なのか、これは)

悟は、顔の筋肉を使いながらそう思った。
とはいっても、合コンと聞いたからここに来た、というわけでもない。

(いやまあ、予想はついてた…だいたいいつもこんな感じだもんな、片山のまわりって)

彼はビールを少しだけ飲み、場の雰囲気を壊さないように笑顔を作っている。

6人の男女が片山をほめ、片山はそれに笑顔で応対する。
ただひとり、悟だけが特に何も言わずに、その様子を笑顔で眺めている。

悟は笑顔だが、楽しいわけではない。
顔の筋肉を使わなければ、笑顔を作っていられないからそうしている。

(でも、すごいな…)

意識しなければ笑顔でいられないのだが、それとは別に、悟は片山のすごさを感じている。

(なんだか高そうな服だし、時計もキラキラしてるし…髪もオシャレで顔もそこそこイケメンで。それで頭もいいから、男も女もみんな片山が好きだもんな。大学のころからそうだった)

片山はそこにいるだけで、輝いているように悟には見えた。
それは恐らく、彼をほめ続ける6人の男女も同じなのだろう。

そんなことを考えていると、片山から声をかけられた。

「おい進藤、なんか元気ないな?」

「え?」

急に声をかけられた悟は、驚いて片山を見る。
その瞬間、6人の男女が一斉に彼を見た。

「…え……」

視線が一気に集まったせいで、悟は戸惑う。
そこへ片山の言葉が飛んだ。

「そーいやお前、まだ就職できてないんだっけ?」

「…え? あ、ああ…」

まさか自分の話になるとは思わない彼は、戸惑いながらうなずく。
彼はこの時、6人の誰かが舌打ちをした音を聞いた。

それに悟が気づくとほぼ同時に、片山はこう続けた。

「お前さ、よかったらうちの会社来ないか? 僕が受け持ってるプロジェクト、手伝ってくれたら嬉しいな」

「…え、あ、いや、その……あはは」

「あはは、じゃなくてさ。マジメに言ってるんだぜ、僕は」

「お、おれは…その、遠慮……しとくよ。優秀とか、そんなんじゃないし……」

「そうか、残念だな」

「………」

悟が断ったことで、場が妙な雰囲気になる。
6人の男女が、ひそひそと話をしているのが聞こえてくる。

「…なにあれ、片山くんが言ってくれてるのに断るとか」

「普通、こういう時は冗談でも嬉しがるもんだろ」

「っていうかなに笑ってんの、きもちわる」

6人全員が、刺すような視線を悟に向ける。
悟はいたたまれなくなって、顔をうつむけた。

そこへ片山が再度声をかける。

「なあ、進藤」

「…え」

悟が顔を上げると、片山は笑顔を浮かべている。
にこやかにこう言った。

「いきなりゴメンな、お前にもいろいろ都合があるよな」

「あ、いや、その…」

「でもよかったらでいいから、気が向いたら連絡くれよ。な?」

「…あ、ああ……」

悟が返答したその時。
一瞬だけだったのだが…

片山の口の端。
そこが、いびつに釣り上がるのを悟は見た。

(…あ)

そこで彼は理解した。
だが理解した瞬間、それを心に思い浮かべる前に、男女の声が聞こえてくる。

「片山くん、すごい優しい!」

「すごい友だち思いだよねー! そういうところがステキ!」

「人格者って、片山くんみたいな人を言うんだろうなあ!」

「こんな麗しい友情、見たことないよ!」

「片山くんすごい!」

「片山くんすごい!」

6人の男女は、片山をほめ称えた。
その言葉を受けて、片山本人は困惑したような表情を見せる。

「おいおいやめてくれよ、僕はただ…困ってる友だちを放っておけないだけさ」

そう言って、悟をチラリと見る。
その眼差しは、悟の心に深く突き刺さった。

(…ああ……やっぱり、そういうことか)

合コンというのは建前だった。
悟も、最初からそれは理解していた。

ただ、それでも断らなかったのは、声をかけてもらった嬉しさが心のどこかにあったからだ。
しかし彼は、この場にやってきたことを後悔することになった。

悟はエサだった。
片山という、人々に人気のある者に食われるためのエサだった。

今日この場に呼ばれたのは、友だちとして女の子たちとわいわい楽しく飲みたいからだとか、そういう理由ではない。

(慣れたつもりだったけど……やっぱり慣れないな)

片山の人気を見せつけられ、輝かしいものを何も生み出せない自分を踏みつけにされる。
そしてそのことに、怒りを爆発させることもできない。

それが悟だった。
もちろんそれでいいとは思わなかったが、だからといって何かができるわけではない。

(…あんな怖い敵から逃げられたのに…)

悟は、じっとビールを見る。
泡がなくなってきたその液体は、何度も口をつけているせいか、ぬるくなってきていた。

(片山からは逃げられないなぁ…)

そう思う頃には、顔の筋肉が突っ張る感覚を忘れつつあった。
彼はひたすら、この時間が早く終わることを願い続けるのだった。


>Act.5へ続く

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