【本編】くろす+ろォド 第1幕 サカウラミ:序 | 魔人の記

【本編】くろす+ろォド 第1幕 サカウラミ:序

第1幕 サカウラミ:序


「おっきくなったら、けっこんしようね!」

幼稚園の制服を着た女児が、男児に言う。
彼女は返事を待たず、彼に抱きついて頬に唇を押し当てる。

「う、うん」

男児の方は、どこか困惑した顔でそれを受け止めていた。
その表情からして、受け止めざるを得ないというべきだったかもしれない。

幼い頃の約束。
だが、得てしてそれは、言われた側ばかりが覚えているものなのかもしれない。

「おはよっ!」

「お、おぅ…おはよ」

それから数年が経ち、ふたりは成長した。
女児は元気いっぱいな小学生になり、男児は引っ込み思案な小学生になる。

彼女は、元気に挨拶も返さない幼馴染に、頬を膨らませながらこう言った。

「もっと元気出してこーよ!」

「ほ、ほっといてくれよ…こっちはお前みたいにいつも元気、ってわけじゃないんだ」

「具合悪いの?」

「そ、そういうんじゃないよ」

「…? ふーん」

彼女はつまらなそうな表情になる。
彼がどういう状態なのか、理解することを早々に放棄した。

「んじゃ先行くねっ!」

「あ…」

彼女は元気に走っていった。
彼はそれを追いかけられないまま、さらに数年が過ぎる。

「……」

「あ、あの、おは…」

「………」

ふたりは中学生になった。
だがこの頃にはもう、昔のような会話はなかった。

彼女は、彼の姿を視界に入れたくないようだった。
挨拶もせず、小走りでその場から逃げ出してしまう。

「な、なんだよ…」

この時、彼は引っ込み思案を通り越して、周囲から「暗い」と思われる人物になっていた。

彼女はそんな彼と自分が幼馴染であることを恥じて、近づかないようになってしまっていた。

時が経つにつれ、彼女との間に溝ができていく。
それは急速に深まった。

そのことが、彼には納得いかない。
何より、彼女はこう言ったではないか。


『おっきくなったら、けっこんしようね!』


中学生になる頃には、彼女は美しく成長していた。

彼は思春期を迎えていたこともあり、彼女と幼馴染であることを誇らしく思える部分もあった。

「小さい頃は…お前からオレに、い、言い寄って来たんじゃないか」

彼は、敢えて「言い寄る」という言葉を使った。
彼女の方が強引に、自分を欲しがっているという意味の言葉を使った。

「なのに、なんで…今じゃオレの方を見向きもしない…!」

自分は彼女の幼馴染だというのに、明らかに自分を避けている。
そのことが我慢ならなかったが、面と向かって彼女に文句を言うこともできなかった。

それからしばらく月日が経ち…
彼は、最も見たくない光景を目にしてしまう。

「もー、何いってんだか。あはは」

「ホントだって! あいつらバカだからさー、マジになっちゃって」

「……!」

学校の帰り。
彼は、彼女が男と歩いているのを見た。

「な…何を…!」

彼の視線の先で、ふたりは手をつないでいる。
たまに見つめ合いながら、楽しげに話をしていた。

「何をやってるんだ、アイツ…!」

これまでは、異性の影が彼女にちらつくこともなかったので、彼はどこか安心している部分があった。

今は無視されていても、いつかは自分を見直すのではないか…
そういう淡い期待が心の中にあった。

だが、そんなものは存在しなかった。
彼女は、別の男としっかり手を握り合っている。

「そんなことが…そんなことがあっていいわけない…! アイツはオレと結婚するって約束したんだぞ」

いてもたってもいられなくなった。
だが、彼女のそばに男がいる状態で、「ちょっと待った!」とは言えなかった。

そのため、彼は地の利を利用する。
それによって、彼女は放課後の体育館裏へとやってくることになった。

「…何の用?」

来た早々、彼女はうんざりした口調で言った。
そしてスカートのポケットから、丸めた紙切れを取り出す。

「家が隣だからって…ポストにこんなもん入れないでよね」

「うっ…」

彼は思わずうめき声を出した。
彼女に紙切れを投げつけられたのだ。

紙切れには、日時を指定してこの場所に来て欲しいということが書かれている。

彼としても彼女の親に紙切れが見つかるのはまずいと考えていたので、彼女が帰ってくるタイミングを見てポストにそれを入れていた。

だが、彼女は彼の気づかいには気付かない。

「親に見つかったらどうするつもりだったわけ?」

なじってくる彼女に向かって、彼はこう返した。

「だ、だから…お前が帰ってくるタイミングで、ポストに…」

「お前とか、気安く言ってほしくないんだけど」

「ご、ごめん」

彼は、彼女の語気に、完全に萎縮していた。
その様子に彼女はため息をつく。

この状態では、彼女から言葉をかけなければ彼はいつまでも何も言えないだろう。

もう放っておいて帰ってしまってもいいような気がしたが、幼馴染ということもあって、さすがにそれはしなかった。

また家のポストに、妙なものを入れられてはたまらないと考える部分もあった。
何か用があるのなら、今回できっちり終わらせる必要があると思ったようだ。

そして彼女は、意識して語気を弱めながら尋ねた。

「で…いったい何の用なの?」

「…え、えっと…」

彼女の語気が弱まったので、彼はようやく話ができるようになった。
縮こまっていた体を少し伸ばし、深く息を吸ってからゆっくりと口を開く。

「お、男…」

「…オトコ?」

彼女が尋ねると、彼はうなずいた。
このやり取りによって、彼の言葉の続きが促された。

「前に…男と、手をつないで歩いてるの…見たんだけど」

「……それがどうかしたの?」

「…!?」

彼は驚いた。
彼女は悪びれもしない。

それどころか、恥ずかしそうに頬を赤らめもしない。
何事もなかったかのように、ただこちらを見ている。

「…?」

一方、彼女は彼がなぜそこで言葉を切ったのかがわからなかった。
そのため、思った通りのことを尋ねる。

「あたしが誰かと手つないで歩いたら、何か悪いの?」

「えっ…! いや、だって」

「…? なに?」

「つ、付き合ってるの? あの男と…」

「つ…付き合ってる、とまでは…いかないけど」

ここで彼女は少し顔を赤らめた。
だがすぐに真顔へと戻り、彼に向かってこう言った。

「あたしがあの人と付き合ってようが付き合ってまいが、別にあんたに関係なくない?」

「そ、そんな…!」

「そんな、ってなんなの? あたし、あんたにそんなふうに言われる覚えないんだけど」

「ええっ…!」

彼の中に衝撃が走った。
なんと、彼女は憶えていないようだ。

自分に向かって言った、とても大事な言葉を忘れてしまっている。
なんということだ、これは一大事だ。

彼は、心を決めなければならないと思った。

しっかりとした口調で言わなければ、このままなかったことにされてしまうと思った。

「な、なに?」

急に真っ直ぐ自分を見るようになった彼に、彼女は少し驚いている。

そう、先ほどまで強い語気で自分に文句を言っていた彼女が、少しではあるが驚いているのだ。

それが彼に勇気を与えた。
そしてこの言葉を言う力を得ることができた。

「お前、オレに言ってくれたじゃないか…大きくなったら、結婚しようって」

彼が意を決してそう言った時。
その場の時が、少しばかり止まった。

そう感じただけかもしれない。
だが間違いなく、時が止まったような感覚がそこにあった。

彼も彼女も、共通の感覚を得ていた。

「……」

「………」

それがふたりの間に沈黙を生む。
だが、彼の方が少しだけ早く我に返った。

そして彼は、彼女にダメ押しともいえる言葉を放つ。
それは彼にとって、人生最大の勇気を振り絞った言葉だった。

「お前はオレと結婚するんだ! 他の男のことなんか忘れてくれ!」

彼にしては、大きな声だった。
その言葉は間違いなく、彼女の耳に届いただろう。

だが、しばらくの間彼女は全く動かなかった。

どう答えたものか考えている、というよりは、思考そのものを止められてしまったかのようだった。

しかし、時間はやがて彼女の時を動かし始める。

「…ふふ、ふふふっ」

我に返ると同時に、彼女は笑い始めた。
少し体を曲げて、どこか苦しそうに笑っている。

「ふふふふっ、あはは」

「…な、なんだよ…」

彼には、なぜ彼女が笑っているのかがわからない。
だがその答えは、すぐに彼女の口から彼へと告げられる。

「結婚? あんたとあたしが? ふふふっ…バッカじゃないの、あはははは」

「なっ…!?」

「なんなのそれ? あたしと幼馴染だからそういうのアリとか思っちゃった? マジで? マジでそう思ったの? ぷっ、くふふふふふっ」

彼女はどうにか笑いをこらえているようだが、完全に抑え込むことはできないようだ。
腹を押さえながら、小さく笑い続けている。

その様子を、彼は信じられないという目で見ていた。
彼女は一体何がおかしくて笑っているのか?

「なんだよ…なんで笑ってるんだ? お前が言ったんじゃないか、オレと結婚しようって」

「ちょっと、やめてよマジで。ぷふふっ、すっごいガマンしてんだから…あははははははは」

「……」

彼は呆然としていた。
自分が何か言っても、それは彼女をさらに笑わせるだけに過ぎないと理解してしまった。

そしてその通りに、彼女は笑い続けた。
どこか彼に悪いと思う部分もあるのか、どうにか抑えつけようとはしている。

しているのだが、やはり完全に抑えつけるのは無理だった。
結局、抑えつけた分だけ長く笑い続けることになった。

「…ふふふふふふっ、あはははっ」

ようやくそれが落ち着いてきたのは、2分も経った頃だろうか。
笑いすぎた彼女は、腹がよじれる痛みも感じていた。

「…はあ、ふう…」

彼女はその痛みも利用して、どうにか笑うことを止めた。
そして呆然としている彼に向かって、こう諭す。

「あのね、悪いんだけど…あんたと結婚する気は、もうないんだ」

「…!」

「子どもの頃はさ、確かにあんたのこと好きだったかもしれない。でも今はちがう…悪いけど、タイプじゃないの」

「な、なんだよそれ…! オレはずっと…待ってたのに」

彼はそう言った瞬間、彼女から目を逸らした。
だが、もう一度何かを決心して、逸らした目を彼女に再度向ける。

「…待ってたのに!」

彼の中で、何かが滑り落ちようとしていた。
いや、もしかしたらもう滑り落ちてしまったのかもしれない。

女の子の幼馴染。
昔は自分を好きだと言ってくれていた女の子が、自分を見限ろうとしている。

いや、もう見限られてずいぶん経つのかもしれない。
だから笑われたのでは…

待て、そんなはずはない。
まだきっと間に合うはず。

そうだ、女というものは強引な手に弱い。
どうにかして、自分のものにしてしまえば…!

そこまで考えた時、彼女の声が聞こえてきた。

「昔の約束を破った、って…あたしのこと悪者にしてくれてかまわない」

「え…」

「だけど、きっともう…あんたのことは男性として見れないと思う。だから、ごめんなさい」

彼女はそう言って、彼に向かって頭を下げた。
その姿を見た時、彼の中で燃え上がっていた何かが、急に静かになった。

「それじゃ」

彼女は短く言って、その場から去っていった。
残された彼はただ、彼女の背中を見送ることしかできなかった。

その日の夜。
彼は、自分の部屋で横たわっていた。

照明はつけていない。
つけるような気分ではなかった。

「……」

窓の方を見ると、隣の家の部屋に照明がついているのが見える。
そこは彼女の部屋だった。

「…うぅ…」

彼女の部屋からの明かりが、じんわりとにじむ。
向こうは明るく、こちらは暗い。

そのことが、彼の気分を果てしなく落ち込ませた。
まぶたから涙がこぼれ、全身から力が抜けてしまった。

「なんで…なんでだよ…」

幼い頃の思い出ばかりが、鮮明に蘇ってくる。

彼女が好きだ好きだと言うものだから、キスしてくるのに任せていた。
あの頃は間違いなく、彼女の方が自分のことを好きだったのだ。

何度となく手をつないだし、たくさん遊んだ。
誰よりも彼女の笑顔を、そして泣き顔も知っているのが彼だった。

「なんで…」

だが、成長するにつれてふたりの立場は変化していった。
そして彼と彼女の間に、立場も何もなくなってしまった。

それまでには何年という時間があったはずなのだが、彼にとってそれは突然のことのように思えてしまう。

そして何より重要なことは、美しく成長した「年頃の彼女」が存在しているということだった。

「オレの方が付き合いが長い…! いっしょに風呂入ったりもしたんだ…!」

だが、子どもの頃と今とでは、彼女の体つきはまったく違う。
女性らしく変化していく体が、男にとってどれほどの価値があるか彼にもわかっている。

いわば、「一番おいしい時」を彼女は迎えようとしているのだ。

みずみずしい果実のような彼女(の体)を、彼はまったく知らない男にかっさらわれようとしている。

「やっぱり納得できない…! アイツはオレのものだ、オレと結婚すべきなんだ…!」

一度静かになったはずのものが、彼の中で再度燃え上がった。
数時間後、彼女の部屋から明かりが消えた時、彼の理性は完全に消え失せた。

彼は窓から外へ出た。
そして建物を伝い、彼女の家へと向かう。

それは驚くほど簡単にできてしまった。
彼女の部屋の窓をゆっくりと開け、彼は部屋への侵入を成功させる。

「……」

闇に慣れた彼の目は、ベッドの上で眠る彼女の姿をしっかりと見つめることができた。

無防備な女体を前に、彼の心臓は高鳴る。
ゆっくりと右手を伸ばし、パジャマの上から彼女の胸に触れようとした。

「…!」

だがこの時、彼女が目を覚ました。
彼もそれに気づき、とっさに手を胸から上へ移動させる。

その場所は首だった。
口をふさぐつもりが、首に右手を当ててしまった。

そしてなぜか左手がそれに追従し、彼は両手で彼女の首を絞めるという状態になる。

「ちがう…ちがうんだ」

彼はうわ言のように「ちがう」という言葉を繰り返しながら、彼女の首を絞め続けた。
この時ばかりは、どうしたら手の力を緩めることができるのかわからなかった。

彼女は目を見開き、苦しさに暴れながらただただ彼の顔を見ていた。
全力で抵抗していたが、彼の力にはかなわなかった。

やがて、彼女の体は動かなくなる。
彼はその両手で、幼馴染を絞殺した。


「…よし、このあたりか」

誰かの声が聞こえる。
そちらを見ると、黒く長い髪の男が彼を見ていた。

右手に何かを持っている。

「オマエの『ケガレ』、いただくぞ」

男はそう言って、右手に持った何かを振り下ろした。

それは血の色をした釘抜きだった。
カーブした先端と鋭い切っ先が、半開きだった彼の口の中に入り込み舌を貫く。

「うがっ!?」

男はそのまま釘抜きを少し上に動かし、先端をしっかりの彼の口内へえぐり込ませる。
その後、下あごごと釘抜きを引き抜いた。

「あがっ…!? がっ、は…!」

これにより、彼は口の下半分を失ってしまう。
その様子を見て、男は満足気にうなずいてみせた。

直後、男は彼女の部屋から出ていった。
釘抜きに彼の下あごをぶらさげたまま、小さな銀色の何かとともに夜の闇へと消えていった。


>破へ続く

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