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2017-02-23 12:00:02

【本編】episode68 壁のしみ、男の傷

テーマ:ボクのご主人さま:本編
episode68 壁のしみ、男の傷


留美が落ち着くまではしばらくかかったが、玲央菜はただじっと待った。
正確な時間はわからなかったが、30分くらいかかったのかもしれない。

その後、留美が落ち着いた絶妙なタイミングで出された飲み物をふたりで飲み、カフェを出て駅の改札まで下りた。
ふたりは笑顔で別れたが、言葉は少なかった。

それから玲央菜は住良木家に戻り、いつものように宿題と食事、そしてメイドとしての仕事を終わらせる。

「…今日はここまででいいでしょう」

「おつかれさまでした」

終業を告げた榊に、玲央菜はぺこりと頭を下げた。
すぐに部屋に戻り、メイド服から部屋着に着替える。

そしてまた榊がいる廊下に現れた。
彼はキッチン側へ向かおうとしていたが、玲央菜がすぐ戻ってきたので足を止めた。

「む…?」

「榊さん」

彼が振り返ろうとする前に、玲央菜は声をかけてきた。
その表情は深刻だった。

「訊きたいこと…あるんですけど、いいですか」

「…私が答えられることであれば」

榊はそう言いながら、彼女に向き直る。

彼は、声の調子からすでにその深刻さを感じ取っていたが、表情を見てさらに確認すると彼もまた少しだけ厳しい表情になる。

それは、彼の主人である天馬にとりついた悪魔を倒した、彼女の体を心配してのことだった。

悪魔を倒せる唯一の武器『黒皇刃』の力を引き出せるのは玲央菜しかおらず、しかもその仕組みは祖父である義継から父親を介して悪魔の細胞を受け継いできたため、という「毒をもって毒を制す」とも言うべきものだった。

現代の医学では、悪魔の細胞などというものを取り去ることはできない。
そのようなものをずっと体の中に持ち続けている玲央菜はさらに、心身ともに不安定な思春期の少女だった。

そんな彼女が、深刻な顔で何かを尋ねてきたのである。
天馬を守るためとはいえ、彼女に『黒皇刃』を使うように仕向けていた彼としては、気にならない方がおかしかった。

「あの…」

「………」

言いよどむ玲央菜を、榊はじっと見ている。
その間に彼は、自身が眉間にしわを寄せていることに気づき、意識してそこから力を抜いた。

厳しい表情になっていることも自覚して、顔全体からどうにか力を抜こうとする。
玲央菜が彼におずおずと質問したのは、ちょうどそんなタイミングだった。

「榊さんって、奥さんと…どんな感じだったんですか?」

「……?」

力を抜こうと思っていた榊の顔が、一瞬にしてこわばる。
玲央菜が何を言ったのか、よくわからなかった。

その言葉は、あまりに予想外だったのだ。
彼は思わず彼女に訊き返す。

「…今…なんと?」

「え!? あ、あの…やっぱり訊いちゃいけませんでしたか…?」

榊に訊き返されて、玲央菜は申し訳なさそうな顔をする。
ここでふと、彼は何かに気づいた。

「その様子…私と妻のことを、天馬さまから聞いていますね?」

「え、え、えーっと…ちょっとだけ」

「はあ…そうですか。天馬さまにも困ったものですな…あなたの前だと、少し饒舌になられる」

「え? それって」

「いえ、なんでもありません…私も饒舌になってしまうところでした」

榊はそう言って、やれやれと嘆息する。
そしてあらためて、玲央菜にこう尋ねた。

「なぜ、あなたは私と妻のことを知りたいのですか?」

「え、えーっと…」

玲央菜は困惑した様子で手遊びをしている。
だがすぐに手を下ろして、榊をしっかりと見てこう言った。

「榊さんは、亡くなった奥さん以外は女性として見てない…って、天馬さまから聞きました」

「…はい。それで?」

「それってきっと、奥さんも同じだと思うんです…どんな気持ちだったのかなあって」

「それは、以前あなたが話していたお友だちの恋愛が関係しているのですか?」

「そ…そうでもあるし、そうでもない、かな…」

「ふむ…」

煮え切らない玲央菜の回答に、榊は腕を組んでしばし考える。
だが、彼女に『はっきりしろ』とは言わなかった。

ただ彼は、腕を組んだままいぶかしげにこう言った。

「私は男で、さらにあなたたちより数十年も長く生きた老人でもあります。私の気持ちが参考になるとは思えませんが」

「…えっと…なんて言ったらいいのかわかんないんですけど…」

「……」

「人を好きな気持ちって、そんなにすごいものなのかなって…何度も何度も泣いちゃうくらい、すごいものなのかなって…ボク、わからなくて…」

「…わかりました。では場所を移しましょう」

榊は腕組みを解き、玲央菜にくるりと背を向けた。

いつも通りの素早い行動に玲央菜は思わず「あっ」と声を出してしまうのだが、彼が断らなかったことに後から気づく。

「……」

彼女は、彼の背中に向かって深く頭を下げてから、その後を追うのだった。

そしてふたりは、いつも生活をしている40階部分から階段を下り、39階部分にやってきた。
ここは天馬にとりついた悪魔について分析、そして封印をやり直すためのフロアだった。

悪魔が消滅した今となっては、用途もまた消滅している。
機械だらけの部屋も、壁と床しかない部屋も、今はひっそりと静まり返っていた。

榊と玲央菜は、そのうち壁と床しかない部屋を訪れた。
榊が先に入って明かりをつける。

明るくなった部屋に玲央菜が後から入ると、そこには何もなかった。
だが、ふと壁を見ると何かしみのようなものが浮き上がって見えてくる気がする。

「……あれ?」

しかし次の瞬間には、そのしみは消えていた。
玲央菜が首をかしげていると、榊は少し驚きながら彼女に言った。

「ほう、あなたには見えたのですか」

「…え?」

「この場所は、悪魔になりかけた天馬さまを『おびき寄せる部屋』」

「おびき寄せ…?」

「そうです。天馬さまの体を乗っ取った悪魔は、まず最初に一番近くにいる私の命を狙います…私はここへ入り込み、悪魔をおびき寄せます」

「そ、それって…榊さんがオトリになる、ってことですか?」

「そうです。ただ、ここを使っていたのは最初の頃だけですな…ここ半年ほどは、悪魔化しても体の制御が天馬さまから悪魔へ渡ることが格段に減りました。水銀風呂のみで充分に対応できたのです」

「へ、へえ…それで、ボクに見えたっていうのは…?」

「この壁にしみついた、悪魔の体液です」

そう言って、榊も玲央菜が見た壁に目をやる。
そこに手を触れ、なつかしそうに言った。

「もうずいぶん前のことになります。こうして普通の者には見えないほどに掃除をしたはずですが…『黒皇刃』を使いこなしたあなたには、見えてしまうのでしょうな」

「は、はあ…」

玲央菜としては、悪魔に関する話はもうどうでもよかった。
大事な話だとは思ったが、それは今知りたいことではない。

そして榊も、彼女が何を言いたいかはわかっている。
そのためか、出し抜けにこう言った。

「妻は、もうずいぶん前に他界しました」

「…え」

急にその話が始まるとは思わなかったので、玲央菜は思わず声を出す。
しかしすぐに黙って、じっと榊の話を聞いた。

「悪魔が天馬さまにとりついてから、悪魔を打ち払うための方法を探しながら各地を転々とする日々…そうしている間に、彼女は旅立ってしまいました」

「……あ…!」

玲央菜は何かに気づいた。
なぜ、榊がわざわざこの部屋を選んだのか。

それは、悪魔との戦いをなつかしむためではない。
玲央菜にそれを思い出させるためでもない。

「…天馬さまは、もしかしてそれを知らないんですか?」

「気づいてはおられるかもしれませんが、言ってはおりません」

「やっぱり…!」

「ですが、あなたが知りたいことは、そういうことではないと思いますが?」

「あ、は、はい…そうです」

自分のことで家に帰れない間に榊の妻が他界した。
それを天馬が知ったら、榊に最期を看取らせてやれなかったことを申し訳なく思うかもしれない。

榊が、妻の話をわざわざするのに39階部分のこの部屋を選んだのは、天馬にそう思わせたくないからだと玲央菜は思ったし、それは正解だった。

ただそれも、いま玲央菜が知りたいこととはちがう。
榊は続きを静かに語り始めた。

「彼女には、天馬さまのことを詳しくは伝えていませんが…離れることはできないと言ってありました。彼女は文句ひとつ言わず、ずっと家を守ってくれておりました」

「……」

「しかし彼女がいなくなっては、家に戻っても天馬さまのことが気がかりになるだけ。いっそのこと家も処分してしまおうかと思いましたが、それだけはダメだと天馬さまにずいぶん怒られました」

「それは…きっとボクも怒ります」

「そうでしょうね。私もあの時の私を許せないと思います…考えてみれば、あの時はどうかしていたのでしょう。彼女を失った痛みが、思わぬところで現れてしまっていたのだと…少し経ってから理解できました」

「……!」

いつも沈着冷静で、なんでもできてしまう執事。
それが榊だと玲央菜は思っていた。

また榊自身も、天馬を守る者としてその自負はあっただろう。
その彼が、冷静な判断力を失ってしまうほど、それほどの衝撃があったのだ。

それに気づいた玲央菜は、思わず胸の前でぎゅっと両手を握る。
その仕草を見て、榊は優しく微笑んだ。

「私の痛みまで、あなたは感じ取ってくれるのですね」

「だって…! 榊さんもきっと、すっごくつらかったはず」

「そうだったのでしょうね…私には自覚がありませんでした。ただ必死に、天馬さまをお守りしようと…それしかないのだと、思うようにしていたのです」

「自覚が…なかった、んですか?」

「……」

榊は、玲央菜の質問に一度黙った。
壁にそっと手を触れ、少し下を向く。

そして、かすかに震える声でこう言った。

「私は、怖かったのです」

「……!」

「私の中には彼女がいる。私の中では生きている。私の中ではいつでも微笑んでいる…なのに私が『彼女は死んだ』と認めてしまえば、私の中の彼女も死んでしまう。そんな気がしたのかもしれません」

「榊さん…!」

「悪魔との戦いは命がけでした。いつ死んでもおかしくはなかった…でもだからこそ、私はそのことを考えずにすみました。自分が死ぬかもしれないという恐怖と戦いの衝動は、すべての思いを脇へ押しやります。私はその作用を利用して、ずっと…」

「さ、榊さん、ごめんなさい! もういいですから、もう…!」

玲央菜は、もう聞いていられなかった。
榊の妻は亡くなっていると知っているので、それなりに深刻な話が出る覚悟はしていた。

だがまさか、ここまで深く彼の傷をえぐることになるとは思わなかった。
だから彼女は榊に謝ったし、もうやめてほしいと懇願した。

しかし。

「…いえ…これは、きっといい機会なのです」

榊は壁から手を放し、いつものように背をピンと伸ばして立った。
そして少しだけ濡れた目で玲央菜を見た。

「やはりあなたは、『前に進めてくれる存在』です」

「…え?」

「悪魔との戦いは、一進一退の状態が続いていました。しかしあなたがこの家に来たことで、数十年に渡る戦いを終わらせることができた」

「…そ、それは…なんというか、たまたまっていうか…」

「あなたがいう『たまたま』は、私たちが数十年待ったものなのです。そして彼女のことも…私が無理やりに止めてしまった彼女との時間も、あなたが前へ進めてくれた…そんな気がしています」

「ボク、何もしてないですよ…ただ、知りたかっただけです」

玲央菜はそう言って、自身の目元を拭った。
榊はそんな彼女を見て微笑み、そっとひざまずいてみせる。

そしてハンカチを取り出した。

「レディーが手で乱暴に涙を拭くものではありませんよ」

「は、はい…」

玲央菜は、榊からハンカチを受け取り、涙を拭く。
その後で「洗って返しますね」と言うと、榊はうなずきながら立ち上がった。

立ち上がった彼は、玲央菜にぺこりと頭を下げる。

「つらいことに付き合わせて、申し訳ありません…本当はあなたが知りたいであろう、私たちの馴れ初めなどを話すつもりだったのです」

「……」

「しかし私も、少しばかり気が緩んでしまったようです。あのようなことをあなたに聞かせてしまうとは…本当に悪いと思っています。お許し下さい」

「別に…怒ってるとかは、ないです…ただ、榊さんのつらいことを思い出させてしまったみたいで、そのことにごめんなさいって思うばかりで」

「私はもう大丈夫です。あそこまで話したことで、心の整理もつきました。もしかしたら私も、誰かに聞いてほしかったのかもしれませんね」

「…榊さん、きっとそういうとこ不器用なんですね」

玲央菜は、涙をもう一度拭きながらも、笑顔でそう言った。
榊は珍しく苦笑してみせつつ、彼女にこう返す。

「きっと、そうなのでしょう。なんでもできるつもりでいましたが、自分の足元が一番おぼつかなかったのかもしれません」

「そっか…榊さんでも、そうなんだ」

玲央菜の表情が少しだけ明るくなる。

榊を不器用だと指摘したのは彼女自身だが、それが当たっていると肯定されたことで、その胸の中に小さな気づきが生まれたようだ。

「ボクも、榊さんはなんでもできて全部カンペキ! って思ってたけど、カンペキじゃないところもあるんですね」

「その通りです。まさかあなたにそれを知られるとは思いませんでしたが」

「ボクはただ訊いただけですよ。勝手にバラしたのは榊さんです」

「それもそうですな」

「うふふ」

玲央菜は声をあげて笑った。
その笑顔を見て、榊も微笑みを取り戻す。

彼はそっと壁から離れ、部屋の出入口であるドアへ向かった。
ドアを開けつつ彼女に言う。

「さあ、それでは上へ戻りましょう。あらためて、あなたが知りたいことに答えなければなりません」

「え? さっき、あそこまで話したからもういいって…」

「ご心配なく、今度は余計なことは話しません。私と彼女の馴れ初めについて話しましょう…少々気恥ずかしいですが」

そう語る榊の表情に、もはや陰りはなかった。
それを感じ取った玲央菜は、彼に微笑みと返事を返す。

「はい! どんなお話か、楽しみです」

「そんな大したものではありませんよ」

榊は笑顔でそう言いつつ、40階部分へ向かう階段へ歩いていく。
人知れず何十年も人ならぬモノと戦い続けた男の顔は、今少しだけやわらかな表情を見せていた。


>episode69へ続く
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2017-02-20 12:00:02

【本編】episode67 おせっかいと涙

テーマ:ボクのご主人さま:本編
episode67 おせっかいと涙


天秤坂高校、グラウンド。
放課後の今は、運動系の部活に所属する生徒が使用している。

玲央菜は、体育の時間以外にここに来ることはほとんどなかった。
昇降口が校門のすぐそばにあるため、彼女を含めた帰宅部がグラウンドを訪れることは少ない。

…少ないはずだった。

「きゃー! 吉田くぅーん!」

「カッコいいー!」

「こっちむいて、きゃー!」

「あっ、見てくれた!」

「ちがうわよ、あんたなんか見るわけないじゃん! ボール見てたんだよあれ!」

「見てくれたもん! なによあんた悔しいの? そりゃ悔しいわよね~」

「キィーッ! なんなのあんた、今日という今日はやろうっての!?」

「ちょっとやめなって、練習の邪魔になるから~」

グラウンドに石灰で区切られたピッチの外。
そこには女子生徒たちが大挙して押し寄せている。

「うわぁ…」

それを見た玲央菜は、思わず声をもらした。
パッと見ただけでも20人は下らない。

女子生徒たちの目当ては、ほぼ全員『サッカー部の吉田くん』のようだ。
玲央菜は、同じ目当てを持つ親友をちらりと見る。

「…わは…今日もいっぱいだぁ」

留美は、困ったように笑いながらそう言った。
その後で、玲央菜にこの状況を説明し始める。

「前まではね、こんなに多くなかったの。わたしと、10人くらい…だけど、少し前の大会で吉田くんがハットトリックを決めて、そこに有名なチームの関係者がいたっていうのが知られてから、一気にファンが増えて…」

「へぇ…」

玲央菜は、留美の言葉にうなずいた。
だがどういうことなのか、まったくわかっていない。

留美はそれに気づいているのか、グラウンドから目を離して玲央菜に視線を移してからこう尋ねた。

「玲央菜ちゃん、ハットトリックって知ってる?」

「え? えっと…ぼ、帽子でトリックを…する? マジックみたいな」

「ううん、ちがうよ。簡単にいうと、1試合でひとりの人が3点取るってことをいうの」

「へ、へぇ…そうなんだ」

「サッカーは試合をする場所…ピッチっていうんだけど…そこがとても広くてずっと走りっぱなしになるし、守る人数も多いからなかなか点が入らないの」

「あ、それなのに3点もとれるっていうのは、すごいってことなんだね」

「うん」

留美は、玲央菜がわかってくれたことを確認して、嬉しそうに微笑んだ。
それからグラウンドに視線を戻し、サッカー部の様子を見つつ続ける。

「わたし、サッカーのことなんて全然わからなかったの」

「…そうなの?」

「うん。テレビのスポーツニュースとかで、何か大きな試合やるんだーとか、そういうのはわかるけど…今までは興味もなかったから」

「……」

「でも、吉田くんのこと考えるようになって…吉田くんの好きなこと、わたしも知りたいって思ったんだ」

「そっかぁ…」

玲央菜はそれまで留美を見ていたが、ここでうなずいた後でグラウンドを見た。
女子たちが固まっている向こう側で、サッカー部が試合形式の練習をしている。

ここでふと、玲央菜は疑問に思った。

「留美ちゃん…前に、行かないの?」

玲央菜たちがいる場所は、ファンの女子たちよりも後方だった。
サッカー部の練習は見えるのだが、見え方が遠くなるのは当然だった。

だが留美は首を横に振る。

「わたしは、ここでいいの」

「でも…」

「あ、ちがうんだよ。遠慮してるとか、そういうんじゃないの」

留美は、玲央菜が心配してくれていることに気づき、あわてて彼女の顔を見ながら否定した。
玲央菜がきょとんとしていると、留美はその理由を語る。

「ここね、吉田くんと初めて会った場所なの」

「ここが?」

玲央菜は、自身のいる場所と周囲を見渡す。
彼女たちの後ろは一段上にのぼる坂になっており、その先にはプールがある。

向かって左側へ少し移動すると、その段を壁として背中を預けることもできる。
離れてはいるが、サッカー部の練習を見やすい位置でもあった。

留美の言葉が続く。

「ずっと前に、吉田くんが蹴ったボールがコートから出ちゃって、ここまで転がってきたことがあって…そのボールをわたしが拾って、吉田くんに渡したの」

「え…!」

玲央菜の顔が、パッと明るくなる。

想い人にすぐ近くで、しかも自分が触れたものを手渡せるというのは、とても心躍る瞬間であったろう…彼女にもそれが想像できたからだ。

「それ、すごいね」

「うん。すごい瞬間だった…まるで、わたしのそばで花が一気に咲いた、みたいな…」

留美はそう言いながら、語尾がだんだん小さくなる。
自分の言葉が恥ずかしく思えたようだ。

「わ、わたしなに言ってるんだろ」

「恥ずかしがらなくてもいいよ。ボクも、なんとなくだけど…ステキな気持ちだったろうな、っていうのはわかるから」

「えへへ…」

留美は顔を赤くしている。
その様子を見て、玲央菜はあらためて留美をかわいい女の子だと思った。

だが、ふと不思議に思う。
なんとなく、順番がおかしいのだ。

「でも…吉田くんと初めて会ったのがここって、留美ちゃんは吉田くんが好きだからここに来てたんじゃないの?」

「え、えーっとね、それは…」

「あぶなーい!」

「!?」

突然聞こえた声に、ふたりは同時にそちらを見た。
すると、サッカーボールがこちらに向かって飛んできているのが見える。

速度は、速い。

「!」

玲央菜は瞬時に地面を蹴り、留美の前に立つ。
飛んできたボールを、両手でがっちりと受け止めた。

「……!」

「…す、すご…!」

その直後、周囲にどよめきが起こる。
すぐに、サッカーコートの方から誰かが走ってきた。

「ご、ごめんごめん! だいじょぶ? だいじょぶだった?」

「…わぁ…!」

走ってきた男子生徒を見て、玲央菜の背後にいた留美が声をあげた。
その声を聞いて、玲央菜は走ってきた彼こそが『サッカー部の吉田くん』であることを感じ取る。

彼は汗だくで彼女たちの前に現れ、大きく頭を下げた。

「ホントごめん! ケガ、ない?」

「うん、大丈夫だけど…」

玲央菜は、前方の吉田よりも背後の留美を気にしつつ返答した。
彼女の無事を確認した吉田は、一度大きく息を吐いてから安心した様子で言う。

「よかった…顔にでも当たったらどうしようかと思ったよ。宇都宮のヤツが無理に突っ切ろうとして…」

「…留美ちゃん」

玲央菜は吉田の話を聞き流し、さらには背を向けた。
キャッチしたボールを留美に渡すと、彼女はぎょっとする。

「え!? 玲央菜ちゃん?」

「ほら、チャンス」

「で、で、でも」

「ほら」

玲央菜は素早く体を入れ替え、留美の背後に回って彼女を前へ押し出した。
自然と、それまで玲央菜がいた場所に留美が立つ形になる。

一方吉田は、自分が話している間に目の前の人物が入れ替わってしまったことに驚いていた。

「あ、あれ?」

「………」

驚く吉田に、留美は何も説明できない。
だが、このままでいるわけにもいかないと思ったのか、意を決して彼女は彼にこう言った。

「れ、練習…がんばって、ね」

そう言いながらボールを差し出す。
吉田はとまどいながらも、留美からボールを受け取った。

「お、おぅ…ありがと」

「………」

留美はそれ以上はもう何も言えず、顔を真っ赤にしたまま笑顔で吉田を見つめていた。
それが、彼女にできる精一杯だった。

「えーっと…」

吉田は困惑した様子で頭をかく。

ボールをキャッチしたのは玲央菜なのに留美から返してもらったり、吉田としては玲央菜に礼を言いたいのだが彼女は留美の背後に回ったまま出てこない。

不思議に思う部分がたくさんあったが、やがて彼は彼女たちにこう言って背を向けた。

「ホントごめんな、ボールありがとう!」

彼は、難しい現状を分析しないことに決めたようだ。
その決断はさっぱりとしていた。

留美の前から離れた吉田は、女子生徒たちの声に応えて手を振りつつ、部活の練習に戻った。
そしてまた先ほどと同じ状況になるはずだったのだが、そうはいかなかった。

彼が戻った後、それまで玲央菜たちのことをあまり気にしなかった女子生徒たちから、にわかにピリピリしたオーラのようなものが放たれ始めたのだ。

それを敏感に感じ取ったのは留美だった。
彼女は、背後にいる玲央菜の方を向く。

「…いこ」

「え」

「あの子たち、怒らせちゃったかも」

「あ…!」

玲央菜はしまったと思った。
自分はよかれと思って留美にボールを返させたが、まさかそれが女子生徒たちの怒りを買うとは思わなかったのだ。

そのため、留美に手を引かれると断れなかった。
教室から逃げた時とは対照的に、気まずい気持ちで玲央菜はその場を後にした。

その後、ふたりは天秤坂駅の駅ビル、通称『ライブラ』の中にあるカフェに入った。
席について最初に玲央菜がしたことは、留美への謝罪だった。

「ごめん…留美ちゃん。ボク、あとさき考えてなかった…」

「えっ?」

だが留美には意味がわからない。
彼女は、あらためて玲央菜に尋ねた。

「どうして謝るの?」

「だってさ、ボクが余計なことしたから、あの子たち怒らせちゃったって…」

「ああ…うん、確かに怒らせたかも」

「やっぱり! ああ…ホントごめん」

「うふふ」

留美はなぜかここで笑った。

女子が集団の女子生徒を怒らせる…それがどれほど恐ろしいか、なんとなく知っている玲央菜は不思議に思う。

「…留美ちゃん?」

「怒らせとけばいいのよ」

「へ!?」

「わたしだって怒ってたもん。みんなまじめに練習してるのに、あの子たちうるさくしてるから」

「あ、あの…え?」

「ふふふ」

留美はいたずらっぽく笑う。
そこで店員がやってきて、ふたりは飲み物を注文した。

その後で、玲央菜はおずおずと留美に尋ねる。

「あの子たち怒らせたら、マズいんじゃ…ないの?」

「良くはないけど、たぶんだいじょうぶ」

「でもそれなら、どうしてここに?」

「あの子たちのイライラが伝わっちゃったら、吉田くんが気にしちゃうかもしれないでしょ…男の子って鈍感だから、たぶん気にはしないと思うけど」

「え? それってどういう…」

「それにね」

留美は、玲央菜に手をそっと見せた。
彼女の両手は、小刻みに震えている。

「…!」

玲央菜は驚いて、留美の顔を見た。
そこにはそれほどの変化はない。

表情にさほど変化はないのに、手だけが小刻みに震えていた。
留美はやがてそれをひざの上へ戻し、苦笑しながら小さく言う。

「恥ずかしくてうれしくてびっくりして、わたし死んじゃうかと思ったの」

「留美ちゃん…」

「だって、玲央菜ちゃんに吉田くんとのこと話してる時に、本人が来るなんて思わないよ…!」

手の次は声だった。
それを自分の耳で聞いた留美は、あわてて両手を顔に当てる。

「わたし、わたし…頭まっしろになって、もう…なんかパニックになって」

「……」

「玲央菜ちゃんが守ってくれたのも嬉しかったけど、まさかあの時みたいにボールを吉田くんに渡せるなんて…ホント思わなくて」

「留美ちゃん…」

「えへへ、ごめんね? わたし、ここで泣いてばっかだね…お店の人にも悪いね」

「そんなこと」

「でもね、うれしかったの。玲央菜ちゃんがいてくれたから、吉田くんに『がんばって』って言えたの。ひとりだったらきっと何も言えなかっ……」

留美の言葉は、彼女自身の感情の奔流に飲み込まれた。
肩を震わせながら、留美はただ必死に嗚咽しないように自身を押さえ込んでいた。

だが、それにも限界がある。
彼女は時おり、小さく声をもらしていた。

「……」

玲央菜はその姿を見て、声をかけられずにいる。

手をつなごうにも留美の手はまだ彼女自身の顔を覆っているし、抱きしめようにもテーブル席で向かい合っていてはそれもできない。

自分が余計な手出しをしたせいとも思うが、留美にとっては嬉しいことでもあったらしい。
ただ、今はどうすればいいのか、それがわからない。

”とにかくまずは、話を聞いてあげることさ”

ふと、天馬の言葉が思い出された。
留美の恋愛について、彼に相談した時に言ってもらった言葉である。

ただ、彼はこの言葉の前後に『他人は余計なことをしない方がいい』という旨の言葉も口にしていた。
玲央菜はそれも思い出して、自分はとても余計なことをした気がしている。

(…今は、そっと…そばにいればいいのかな)

余計なことをしてしまった分、今はただ留美のそばにいるべきなのではないか。
玲央菜はそう思った。

それで『余計なこと』をつぐなえるわけでもないとはわかっているが、もうそれしか思いつかない。

ざわめく気持ちをどうしたらいいものかわからなかったが、ふと。
その『ざわめく気持ち』を、『どうにもしないこと』に思い至った。

(そうだ…ボクが勝手に思ってる、『どうしたらいいんだろう』ってざわざわした気持ちを、じっと持っていよう。それはとても落ち着かないけど、今はボクが落ち着くかどうかなんてどうでもいい)

自分が落ち着くことよりも、留美の心が平穏を取り戻すまで待とう。
玲央菜はそう思った。

「うっ…うぅ……」

留美は、初めて吉田について話した時よりも長く泣いていた。
玲央菜は自身が決めた通り、ただじっと黙って、できるだけいつも通りの雰囲気を出せるように努める。

具体的には、どうしたらいいのかわからない。
だが『そうしていよう』と彼女は思ったし、そう決めていた。

賑やかなカフェの中で、玲央菜たちの席だけが静かだった。
そんな彼女たちをカウンターの向こうから見つめていた店員は、そっと微笑んで飲み物を作り直すのだった。


>episode68へ続く
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2017-02-16 12:00:02

【本編】episode66 ミ・カ・サ襲来

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episode66 ミ・カ・サ襲来


玲央菜と留美は、初めて名前で呼びあった後、まるで初々しい恋人同士のように顔を赤くしながら教室へと戻った。

やがて午後の授業が始まり、授業が終わった後は掃除が始まる。
玲央菜は、いつものように留美と女子トイレに向かい、彼女をタイムキーパーにして掃除に勤しむ。

その後、帰りのホームルームを経て1日の授業がすべて終わった。

「れ、玲央菜ちゃん」

「あ…る、留美ちゃん」

たどたどしくふたりは名前を呼び合い、放課後の予定を確認しあう。

「わたし、サッカー部の練習見に行くけど…れ、玲央菜ちゃんはどうする?」

「あ」

玲央菜はここで思い出した。
留美に名前で呼ばれたことがあまりに衝撃的で吹っ飛んでいたのだが、留美にはサッカー部に想い人がいる。

結局今の今まで、その進捗を訊くことができずにいた。
玲央菜はいい機会だと思い、留美に尋ねてみる。

「ちょ、調子っていうか…ど、どんな、感じ?」

「…相変わらず」

玲央菜の問いに、留美は苦笑しながら答えた。
続けて、現状を説明する。

「クリスマス前だからかわかんないけど、練習見に来る女の子たちどんどん増えちゃって…」

「え、そうなの?」

「あの人だかりに突撃していく自信、正直…ない。あはは」

「…ボクも行こうか?」

「ううん、いい。ひいら…玲央菜ちゃん、お仕事の準備とかもあるんじゃない?」

「おうちの仕事は宿題してごはん食べた後だから、今はまだだいじょ…」

「柊さん、ちょっといい?」

留美と話している玲央菜に、誰かが声をかけてきた。
聞いたことがある声だと彼女が振り返ると、そこにはクラスメイトである3人の女子が立っている。

「…ボク? なに?」

玲央菜が不思議そうに尋ねると、中央に立っている女子が腰に手を当ててこう言った。

「どういうことなのか、教えてほしいんだけど」

「…どういう、こと…って?」

玲央菜には意味がわからない。
首をかしげていると、向かって左側にいた女子が、中央の女子に何やら耳打ちする。

耳打ちしたのは、玲央菜と留美が名前を呼び合って真っ赤になっているのを見ていた女子だった。
だが、玲央菜と留美が気づく前に去っていったので、ふたりは見られていることを知らない。

そして耳打ちされた女子は、玲央菜の目を真っ直ぐ見ながらこう言った。

「昼休み、ふたりで何か相談しあってたらしいじゃない」

「ひるやすみ?」

「もしかして、高崎くんのこと狙ってるんじゃないでしょうね」

「…高崎くん?」

何のことを言われているのか、玲央菜にはさっぱりわからない。
その反応を見て、中央の女子は何かを感じて左の女子に小声で尋ねる。

「ちょっと! なにあの反応、なんか全然わかってないっぽいんだけど?」

「あれ、おかしいなー? 絶対、ふたりで恋バナしてると思ってたんだけど」

あくまで小声なのだが、玲央菜たちとの距離が近すぎて全部聞こえている。
玲央菜はなんとなく、話の輪郭が見えてきた気がした。

彼女は、中央の女子に声をかけてみる。

「あの…ちょっと教えてほしいんだけど」

「なに?」

中央の女子は、すぐに玲央菜を見る。
その眼差しには芯が通っていて、意志の強さを感じさせる。

悪い言い方をすれば、キツい。
だが玲央菜もひるまず、女子にこう尋ねた。

「高崎くんって、そもそもだれ?」

「はァ?」

玲央菜の質問に、中央の女子は目をむいた。
そしてすぐさま、怒りの言葉を吐き出す。

「なに言ってんの? 高崎くんは高崎くんでしょ! あんたまさか、クラスメイトの名前も知らないとか言うんじゃないでしょうね!?」

「いや、その…ボク今までいろいろと余裕なくて、あんまりいろんなこと憶えてない、っていうか…」

「…え? なにそれ」

玲央菜の言葉に、中央の女子はいきなり語気を落とす。
明らかにいぶかしげな目で玲央菜を見た後、左の女子にまた小声で言った。

「なんか…ホントに知らないっぽいんだけど?」

「あれー? おっかしいな~」

「おっかしいな~、じゃないわよあんた。ホントにこの子、高崎くんのこと好きなの? 月島と恋バナしてたって、ホントに高崎くんのことなの?」

「そう言われると、ちょっとわかんないかも~」

左の女子はそう言って、ケラケラ笑いながら両手を頭の後ろで組んだ。
玲央菜はなんとなく、この状況の原因が見えた気がした。

一度留美と顔を合わせると、留美も同じことを考えていたらしくふたりはほぼ同時に苦笑いをした。
その後で、玲央菜は中央の女子に再度声をかける。

「…あの」

「ちょっとまってよ、今会議中だから」

「昼休みのことなら、たぶん勘違いだと思うよ」

「え!?」

中央の女子は、勢いよく玲央菜の方を向いた。
その顔は驚きに満ちあふれており、驚愕すらしているふうである。

「あ、あなた…なんでそれを」

「いや、思いっきり聞こえてるし…」

「そんなわけないでしょ、あたしたちヒミツの会議してたんだから! …で、なにが勘違いなの?」

「あ、えっと…」

玲央菜は、とりあえず『勘違い』の内容が知りたいらしい女子に、気恥ずかしいながらも説明をしていった。

「ボク、あの…さっきも言ったけど、いろいろ余裕なくて…それでクラスのみんなとも打ち解けられないってずっと思ってたんだけど、ちょっと考え方を変えようと思って」

「……」

「だから小テストの時に、テストの紙を持ってってくれた男子に『ありがとう』って言って…そういう小さいことから、まず始めてみようって話をしてたんだよ」

「その男子が高崎くんなんだけど」

「…あ、そうなんだ?」

「なにその反応…えっ?」

「えっ?」

「………」

玲央菜たちの間に、奇妙な沈黙が訪れる。

それはとても長く感じられ、実際『沈黙』の時間としてはそこそこ長かった。

その時間が10秒を超えようとした時、中央の女子はくるりと玲央菜に背を向け、行動を起こした。
なんと左の女子の頭に、固く握った拳を放ったのである。

「え!?」

玲央菜と留美は思わず声を出して驚いた。
だが中央の女子はそれに構わず、頭を押さえてうめく左の女子にがなり立てる。

「あんたまたやってくれたわね! 大恥かいちゃったじゃない!」

「カナミ~、いーたーい~」

「何が恋のライバル出現よ! 高崎くんに色目使ってるとか全然ないじゃないこの子!」

「だって~、そう思ったんだもーん」

「今日という今日は覚悟しなさい、ミーコ!」

そう言って、中央の女子はまたも拳を振り上げる。
その時だった。

それまで、まったく会話に参加していなかった右の女子が、素早く動いてその拳を止める。
彼女は無表情のまま、中央の女子にこう言った。

「…それ以上やったら、ミーコの頭えぐれる」

「えぐれやしないわよ! あたしどんだけ怪力なの!?」

「だって、カナミ怪力…あ」

「え?」

右の女子の視線が、ふと中央の女子の腕に向かう。
それに気づいた中央の女子も、自分の腕を見た。

拳を止めたのは右の女子だったが、彼女だけが止めたわけではなかった。
中央の女子の腕には、別の手が添えられている。

それは、玲央菜の手だった。

「ぐ、グーで殴るのは…ちょっと、やめてあげようよ」

「あ、あなた…!?」

苦笑しながら言う玲央菜に、中央の女子は驚きの表情になる。
右の女子も、まさかという顔をした。

「まさか、サヤカと同じスピードで、あたしの拳を止めるなんて…!」

「…初めて、見た」

「い、いや…そんなに速いわけでもなかったけど…」

玲央菜はそう言いつつ、中央の女子の腕から手を放す。
もう勢いは殺しているので、そこからわざわざ左の女子を殴ろうとはしないだろうと思っての解放だった。

やがて右の女子も手を放し、玲央菜にぺこりと頭を下げた。
それにならうように、中央の女子、左の女子も頭を下げる。

「…ごめんなさい。私たち、すごい勘違いをしてたみたい」

「ごめん、なさい…」

「ごめぇ~ん」

「あ、いや…」

3人に謝られて、玲央菜はあらためて苦笑した。
ようやく話が落ち着きそうだと思うと、自然と吐く息も深くなる。

要するに、3人の勘違いとはこういうことだった。

中央の女子『カナミ』は、『高崎』という男子生徒に想いを寄せている。
その『高崎』は、玲央菜が小テストの時に礼を言った男子生徒だった。

それまで、玲央菜はそういうことをまったくしなかったため、『カナミ』は玲央菜をライバルかもしれないと考えるようになる。
ただし、この時点ではまだ確信が持てなかった。

しかし昼休み、左の女子『ミーコ』が玲央菜と留美が顔を赤くしつつ話しているのを目撃し、それを『カナミ』に報告することで事態は急展開。

距離があったので話の内容はよくわからなかったが、恐らく恋の話略して恋バナをしていて、玲央菜が留美に『高崎』への想いをどうにか伝えたいと相談している…に決まっている、と『ミーコ』は報告した。

なぜなら、これまで留美以外のクラスメイトと会話らしい会話をほとんどしなかった玲央菜が、今日に限って『高崎』にアプローチしたのである。
それは間違いなく、告白への準備段階にちがいない…とも付け加えた。

それが今回の、『カナミ』の声かけ事案を生んだようである。
右の女子『サヤカ』は、とりあえずついてきたようだ。

「…ほぇー…」

話の全容を聞いて、玲央菜は思わず声を漏らした。
まさかそのようなことになっているとは、露ほども思わなかった。

「ホントごめん…あたし、マジで恥ずかしい」

カナミはそう言って、あらためて頭を下げた。
玲央菜はあわてて彼女に言う。

「も、もういいから、事情はわかったし…なんか、勘違いさせてゴメンってボクも思うし」

「いやほんとに、自分でもイヤな女だって思う…もし全部ホントだったとしても、だからってどういうつもりだとか言うのもおかしいしさ…」

「しょうがないよ、それだけ好きってことなら」

「…!」

玲央菜の言葉を聞いて、カナミは突然がばっと顔を上げた。
その勢いに玲央菜が驚いていると、彼女は真剣な目でこうつぶやく。

「柊さんって、いい人だね」

「え?」

「…うん、いい人」

「いい人だよね~」

サヤカとミーコもカナミに同調する。
すかさずカナミがその理由を語った。

「だってさ、こんな言いがかりつけられて、ホントなら殴り合いのケンカになったっておかしくないのにさ」

「い、いや、そこまでいくかなこれ?」

「いくに決まってんじゃん! あ、そうだ」

カナミはふと背筋をただし、玲央菜の前でまぶたを閉じた。
そしてなぜか歯を食いしばる。

「…?」

玲央菜には、カナミが何をやっているのかわからない。
首をかしげていると、サヤカが『通訳』した。

「…カナミは、殴ってくれって言ってる」

「え!?」

「…このままじゃ気がすまないから、せめて殴ってくれって」

「で、できないよそんなの…」

玲央菜は当然ながらためらった。
なぜなら、こんなことで人を殴ったりしたくはないし…

カナミは歯を食いしばっている。
つまりこれは顔面を殴れということだろう。

「いや無理だよ…」

そもそも殴りたくない上に、それに輪をかけて女性の顔面を殴る気にはならない。
玲央菜は完全に引いてしまって、少しカナミから離れた。

すると、謝ってから元気をなくしていたミーコが、意気揚々と腕を回す。

「柊ちゃん殴れないって! じゃーあたしが殴るね~」

ミーコは間髪入れずにカナミを殴ろうとする。
だがその拳はサヤカに止められ、さらにカナミからは反撃を食らった。

「…ミーコは殴っちゃダメ」

「そうよ! あんたが殴ったらあたし完全に顔ゆがむから!」

「うぐぐ~、カナミの顔面ボッコボコにするチャンスだったのにぃ~」

床に倒されたミーコは、悔しげにそう言った。
かなり物騒な言葉なのだが、言い方が極限まで軽いために深刻さは生まない。

そんな3人のドタバタ劇を見て、玲央菜は困惑するばかりだったが…やがて小さく微笑んだ。

「…え」

サヤカが驚きの声をあげる。
玲央菜がミーコのそばにしゃがみ、サヤカとカナミの手をそっとどけた。

そしてミーコを立たせ、制服についたほこりを払ってやる。
この行動にミーコも驚いていたが、すぐにニコニコと笑って玲央菜にこう言った。

「ヤバ~い、柊ちゃん超いい子ぉ~」

「いい子だ」

「…いい子ね」

カナミとサヤカもそれに続く。
玲央菜はミーコから離れ、そそくさと留美に近づいていく。

「じゃ、じゃあボクたち帰るから…また明日、ね」

「え? 玲央菜ちゃ…」

「おねがいたすけて」

とまどう留美の手を引いて、玲央菜はすぐさま教室を出た。
3人はそろって「あっ」と声をあげたが、その頃にはもうその視界にふたりはいなかった。

玲央菜はしばらく廊下を走り、角を曲がったところでその陰に身を隠した。
いきなり引っ張られた留美は、息を荒くしながら口をとがらせる。

「もぉ、玲央菜ちゃんってば…いきなり走り出すんだから」

「ゴメン、だってもうつきあいきれないよ…ついてきてない、よね」

陰から少しだけ顔を出して後ろをうかがう。
3人は教室から出てきていないようだった。

壁に背をつけ、玲央菜は胸をなでおろす。

「はぁ…どうにかふりきったぁ」

「ふふ、びっくりしたね」

「びっくりしたよ…まさかこんなことになるなんて思わなかった」

とりあえずの誤解は解けたようだが、また明日もあの3人に会うかと思うと、玲央菜の気持ちは晴れない。
ただ、嫌悪感だとかそういう深刻なものはなかった。

「大変だったけど…なんか『学校にいる』って感じは…したかも」

3人のドタバタした感じは、嫌いではなかった。
自分に被害が及ばない範囲では、ずっと見ていたいとも思った。

息が整ってきた留美は、玲央菜の横顔を見てそっと微笑む。
かと思うと、少しだけ意地悪な表情でこう言った。

「じゃあ、せっかくわたしをさらってきたんだし」

「…え?」

「サッカー部の練習、見に行こ!」

「えっ?」

玲央菜の返答を待たずに、留美は歩き出した。
いつの間にか手をしっかり握られているので、玲央菜は従うしかない。

「…えへへ」

だが、悪い気分ではなかった。
玲央菜はあえて隣には並ばず、留美に手を引かれながらグラウンドへと向かっていくのだった。


>episode67へ続く
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