「自分には、演技の才能がない」。
今日は、その「勘違い」について、お話しします。
そうです。
自分には「才能がない」と思うのは、そもそもが「勘違い」なんです。
▲落ち込むことはないのだよ。
なぜならそれは、君の「勘違い」だからさ。
「才能がない」。
そう勘違いしてしまう理由を探るために、ちょっと、こんなことを考えてみましょう。
例えば、ダンスを学ぶとき。
今までやったことがない動きを「身につける」。
やったことがない動きだから、それをやろうとしてもなかなか上手くできなくて。
そして、新しい武器を手に入れるかの如く、その動きやステップを一生懸命練習して、身につけます。
そんな風に。
芸や技を「身につける」というのは、文字通り「無いものを手に入れる」こと。
ヨロイをどんどん身につけて、武器をどんどん手に入れて。
そうやって、「足し算」をすることで、完成された芸へと向かっていくイメージ。
最初は、必要な能力は何も持っていない状態。
つまり、訓練とは、全くのゼロからスタートすることだと思いますよね??
ところが、演技の場合は。
あなたはすでに、『俳優』に必要な能力を持っている。
必要な武器は、最初から身についているのだ。
……それが、演技を論じる上での、とても重要な考え方であると同時に。
俳優の訓練のスタートラインになるのです!!
▲演技は、スタート地点ですでに「フル装備」!?
だって。
今、このブログを読んでいる方の中で、感情的になったことのない人はいないでしょう?
仲間と楽しく笑い合ったり。
悲しんだりしたこと、悩んだりしたこと。
怒りに震えたり、涙に暮れたこと。
お母さんに反抗したり。
そのことを後悔したり。
好きな人の隣にいて、ドキドキしたり、微笑んだり。
想いを伝えられなくて、切なくなったり。
演じるために必要な心は、すでに、みんなが持っているのです。
心の中だけの話では、ありません。
椅子から立ち上がったり、座ったり。
ご飯を食べながら、お話ししたり。
ゆっくりコーヒーを飲んだり。
電車に乗り遅れそうになって、飛び乗ったり。
そうした、日常的な振る舞いの数々。
それを、何の滞りもなく、当たり前のように、自然にやっているでしょう?
つまり、基礎的な部分では。
演技をするための、人間的な能力・才能・資質は、誰もがみな「すでに持っている」と考えるのが自然なのです。
▲普段の振る舞い。感情。
それから、個性も、才能も。
それは、本来的に皆が持っています。
ではなぜ、うまく演じられないのだろう??
なぜ、訓練が必要なのだろう??
ところが。
それが、舞台上やカメラの前になると、途端に「ぎこちなく」なる。
日常ではごく自然にやっていた動作が、うまくできなくったり。
台詞が不自然になる。
例えば。
食事をしながらセリフを言うということが、自然にできなかったり。
あるいは。
心が、ウンともスンとも、動かなくなったり。
普段、当たり前にやっているはずのことが、演じようとすると「できなくなる」。
早い話が。
運動会の行進で、人前に出て緊張してしまったあまりに、手と足が一緒になっちゃう。
アレと同じことです!!
▲普段は当たり前のようにできていること。
それが、演技になると、途端にできなくなる。
つまり、演技の才能は「誰でも持っている」のに、演じるときにそれを「使えていない」のですね。
普段は自然とやっている振る舞い。
自然と動いてる心。
それが、「演技」という特殊な状況に置かれた時に、途端に不自然になる。
身体が、心が、自由に動かなくなる。
つまり。
演技がうまくできないのは、「演技の才能がない」からではなく。
本来持っているはずの能力・才能・資質が「発揮できていない」だけなのです。
▲演技の基礎訓練とは、その不自然になってしまう原因、すなわち「ブロック」を外す作業なのです。
映画やテレビ、舞台で見かける、プロの俳優たちは。
日常的な動作や会話を、とても「自然に」やりますよね?
あたかも「誰でもカンタンにできる」かのように振る舞う。
だから。
演技は、訓練を積まずとも、「誰でもできる」と勘違いされがちなんです。
でも、そうではありません。
プロの俳優は、誰しもが「不自然になってしまう」ことを、「自然にできる」訓練を積んでいる。
まるで「誰にでもできる」かのように演じられることこそ、プロの技!
と言っても過言ではないのです。
▲「誰にでもできる」と思わせるくらい自然に振る舞えることこそ、高い技術力の証拠。
だから演技は、「誰にでもできる」と勘違いされがち。
そのせいで、どうしても「訓練がおろそかになる」、ということが起こってしまうんですね。
ちなみに。
パフォーマンスにおいて、自分を自然な状態に戻し、本来的に持っている才能や資質を引き出す、ということで言えば、実は演技に限らないことですよね。
それは、芸術にとどまらず、アスリートをはじめ、さまざまな分野で言えることだと思います。
例えば。
あるボイス・トレーナーさんが、こんなことを言っていました。
「……元々、人間は。
本来的に、あらゆる声を出せる資質を持っている。
その証拠に。
赤ちゃんや小さな子供たちは、いろんな声が出せる。
彼らは、可愛い声で甘えたり、ギャーギャー全力で泣き叫んだり、さまざまな声を出しても、声が枯れない。
そして、その才能や資質に、さほどの個人差はない。
その証拠に、赤ちゃんや子供の声は、みんなとっても似ているだろう?
だから、本来的に。
誰もがみんな、あらゆる声を出せる才能と資質を持っているのだ。
ところが、使っている言語や環境によって、徐々に発声が『偏っていく』。
喉が『不自然』な状態になっていく。
その結果、オトナになると、人それぞれ、いろんな声になっていく。
他の人が出せる声も、自分には出せなくなる。
それはただ、声に『偏り』が生まれているだけ。
特定の声が『出せない』という状態になっているだけなのだ。」
その話をしていた、ヴォイス・トレーナーは。
声は「開発する」「作る」のではなく、「喉を『元の状態』に戻してあげる」「不自由な状態から解放する」というのが正しい考え方なのだ、というようなことを言っていました。
僕らはすでに、その能力は獲得していて。
ただ、何かが偏ってしまったり、押さえ込んでしまうことで、それが自然に「出せない」状態になっている。
だから、パフォーマンスの時に、自分の本来の能力を最大限発揮できるように、「自然な状態」に戻していく。
それが基礎訓練のカナメであることは、この「発声」の話も、演技も、同じことだと思います。
▲多くの音楽家やアスリート、ハリウッド俳優たちも学んでいる「アレクサンダー・テクニーク」も、このような理論から成り立っていますね。
こうして、本来の自分自身の状態を取り戻していくと。
自分の楽器は、思いの外、大きな音で弾け出したりするものです。
(これが、大きな感情の波へと繋がってゆくのです。)
……そこまで行くと。
いよいよ演技の訓練は、さらなる「超絶技巧」の世界へと突入してゆきます。
「自分の声を、華麗に、自由にあやつる」ことができる、オペラ歌手のように。
俳優は、自分のハートを、感覚をあやつり、役の人生を追体験できる技術力を身につけてゆく。
それを繰り返せる、再現性を手に入れてゆく。
奇跡を「計画的に」起こしていくことができる、プロの俳優への道が待っているのです!!
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