御盆と言えば、八月十三日から十五日を思い浮かべる人が多いであろう。
会社でもその期間を「御盆休み」としているのが普通である。
しかし、東京では、七月十三日から十五日までが御盆となる。
地方の若い方だと、「えっ?」と混乱されることもある。
仏教行事の御盆は、「仏説盂蘭盆経」に由来している。
「七月十五日に夏の修行を終えたお坊さん達を供養しなさい。お盆に果物などをのせて差し上げるのです。そうすれば、餓鬼道に産まれてしまったあなたの母上さまを救うことができます」。
お釈迦さまのお弟子である目連尊者が、新たに得た神通力をつかって亡き両親の後生を確認した。
すると、母親が餓鬼道で苦しんでいるではないか。
驚いた尊者は、お釈迦さまに相談した。
先の「七月十五日云々」はお釈迦さまのお答えである。
「未来の人たちも七月十五日に修行後のお坊さんを供養しなさい。そして、現在と過去七代の父母が福楽を得るように祈ってもらいなさい」。
お釈迦さまは、続けてこう述べられた。
明治六年、日本は暦を西洋のそれと合わせることにした。
新暦である。
ここで、地方と東京で御盆供養を勤める日が分かれた。
東京では暦変更後も、「七月十五日」を大切にした。
これが新暦七月十五日に御盆を勤める理由である。
一方、地方では新暦の七月十五日は農繁期にあたってしまう。
御盆供養を行う暇がない。
そこで今まで通りの季節に勤めることにした。
「急に時期を変えると言われても、作物は人間の都合にはあわせてくんねぇよ」。
そんな声がきこえてきそうである。
ほぼ全国的に統一されている行事なのに東京だけ時期が違う。
地方の若者が混乱するのも無理はない。
ただ、東京の時期だけが違うことは、東京の坊主からすると利点がある。
地方のお坊さんに棚経のお手伝いをお願いできるのだ。
棚経とは、御盆の時期に一軒ずつ檀家さんの自宅に伺って読経を勤めることである。
もっとも最近ではお寺の近所に自宅があることは希である。
したがって棚経を勤めている都心の寺院は少ない。
物理的に回れないのである。
そこで、かわりに大法要を勤めたり、墓地の前で個々に読経したりしている。
かたちを変えてご供養を行っているのだ。
これらの供養でも、地方のお坊さんにお手伝いをお願いできることは助かる。
もちろん、八月になれば東京の坊さんが地方へ助力に行く。
私も、十四・十五日は平塚に向かう。
文字通りの棚経なので、一軒ずつお参りをする。
坊主を始めた頃の私はこれが大変勉強になった。
私の寺では墓前読経を一日最大十五軒ほどである。
しかし、平塚では二日間で百軒程まわる。
さすがにこれだけ読経を行えば、初心者でも一気に度胸がつく。
仏教について質問をされることもある。
だから、きちんと教学の復習をする。
どうしても解らないときは……。
「申し訳ございません。ご住職に伺って後程お答えいたします」
冷や汗をかくこともそれなりにありました。
道案内をして下さる世話人さんのお話もためになった。
「今年も来たな。夕方、時間があったら海で泳いでこいよ」。
毎年お会いするので、うちとけた雰囲気で気さくに声をかけて下さる。
「お経が雑なのは困るけれども、あんまり長く唱えられるのも疲れるんだよ」
ずばり、本音を語ってくれることもあるほどだ。
「街を歩いていると、戦闘機が機銃を打ってくるんだよ」。
「平塚は船や飛行機をつくる施設があったから、空襲がひどかったね。もう何にもないんだよ街に」。
水飲み休憩の際に、貴重な戦争体験の話をして下さったのである。
身体が熱くなり、怖ろしくなった。
人生を学ばせてもらった。
夜は、同じく手伝いに来ている先輩からの問答がある。
「法然上人は今どこにいらっしゃると思う」。
教科書に書かれていないことを、愚鈍の頭で必死に考えた。
梅雨に入ると東京盆だ。
梅雨が明けると地方盆の時期が近くなる。
「そろそろ御盆だな」。
私は毎年二回心の準備を行う。
お釈迦さまの御教えに、以下のお葉がございます。
『すでに虚妄な論議をのりこえ、憂いと苦しみをわたり、何ものをも恐れず、安らぎに帰した、拝むにふさわしいそのような人々、もろもろのブッダまたはその弟子たちを供養するならば、この功徳はいかなる人でもそれを計ることができない』
【岩波文庫 ブッダ‐真理のことば・感興のことば 中村元先生訳p37】
ありがとうございました。