群馬県のお寺に伺った。
大光院(だいこういん)である。
開山忌(かいさんき)の手伝いをするためだ。
私の仕事は坊主である。
都心の寺に勤めている。
開山忌は、お寺を開いた和尚の追善法要である。
大光院は、徳川家康公庇護のもとに創建された。
開山和尚は、呑龍(どんりゅう)上人である。
開山忌では、御祈願法要もお勤めされる。
お子さんの無事成長を呑龍上人に願うのである。
12時半からの大法要では、20人程の僧侶で祈りを捧げる。
さらに、12人のお稚児さんも舞をお納めする。
呑龍上人は、「子育て呑龍」として名高い。
上人ご在世の頃は飢饉が多かった。
庶民の生活は苦しかった。
そのため堕胎や間引きが行われていた。
当時の人々も心が引き裂かれる思いだったであろう。
これを憂いた上人は、多くの幼児を大光院で引き取った。
大光院は、徳川家より供米を与えられていた。
三百石のお米だ。
上人は、このお米で子供たちを養ったそうだ。
11時半頃、庫裏の控室で大法要の支度が始まった。
私も雅楽演奏の為に龍笛を準備する。
「30年くらい前は、観光バスが何台も来ていたんだけれどもね」
親子連れで沢山の人が参列していたらしい。
笙を温める炭に火を入れながら、先輩が教えてくれた。
たしかに、今でも家族で参詣している方はおられる。
しかし、お堂に溢れかえる程ではない。
10組程度であろう。
ようするにお参りのお子さんが減ったようだ。
(子は授かりもの)
少し前までは耳にしていた言葉である。
(子育ては、ままにならない)
そんなことも昔の人は痛感していたはずだ。
「何か起こるかわからない」
「思い通りにならない」
それが現実だった。
だからこそ、我が子の無事を深く神仏に祈った。
近頃、人は多くのことを管理制御している。
建物の中の温度は、年中、一定である。
街は夜でも驚くほど明るい。
(ならば、その続きで……)
子育ても統制できる。
そんな考えがなかろうか。
もしそうであれば、お参りの人が少なくなるのもうなずける。
私はうがった見方をしていますでしょうか。
お釈迦さまの御教えです。
『「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は。誰が自分の生命をあてにしていてよいのだろか? 若い人々でも死んで行くのだ。―男でも女でも、次から次へと―』
【岩波文庫 ブッダの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P162】
ありがとうございました。