「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

東京の寺院に勤めている浄土宗僧侶・凉心です。
仏さまや高僧さまの御教えを、エッセイとともにご紹介しています。
有り難い法話が書けるといいのですが……。
ほとんどが与太話となっています。
それでも、微笑んでもらえたり、なっとくしてもらえたりすると嬉しいです。
どうぞ、ご笑覧くださいませ。
趣味は、山登り、海をながめること、雅楽演奏、テニスです。

群馬県のお寺に伺った。

 

大光院(だいこういん)である。

 

開山忌(かいさんき)の手伝いをするためだ。

 

私の仕事は坊主である。

 

都心の寺に勤めている。

 

開山忌は、お寺を開いた和尚の追善法要である。

 

大光院は、徳川家康公庇護のもとに創建された。

 

開山和尚は、呑龍(どんりゅう)上人である。

 

開山忌では、御祈願法要もお勤めされる。

 

お子さんの無事成長を呑龍上人に願うのである。

 

12時半からの大法要では、20人程の僧侶で祈りを捧げる。

 

さらに、12人のお稚児さんも舞をお納めする。

 

呑龍上人は、「子育て呑龍」として名高い。

 

上人ご在世の頃は飢饉が多かった。

 

庶民の生活は苦しかった。

 

そのため堕胎や間引きが行われていた。

 

当時の人々も心が引き裂かれる思いだったであろう。

 

これを憂いた上人は、多くの幼児を大光院で引き取った。

 

大光院は、徳川家より供米を与えられていた。

 

三百石のお米だ。

 

上人は、このお米で子供たちを養ったそうだ。

 

11時半頃、庫裏の控室で大法要の支度が始まった。

 

私も雅楽演奏の為に龍笛を準備する。

 

「30年くらい前は、観光バスが何台も来ていたんだけれどもね」

 

親子連れで沢山の人が参列していたらしい。

 

笙を温める炭に火を入れながら、先輩が教えてくれた。

 

たしかに、今でも家族で参詣している方はおられる。

 

しかし、お堂に溢れかえる程ではない。

 

10組程度であろう。

 

ようするにお参りのお子さんが減ったようだ。

 

(子は授かりもの)

 

少し前までは耳にしていた言葉である。

 

(子育ては、ままにならない)

 

そんなことも昔の人は痛感していたはずだ。

 

「何か起こるかわからない」

 

「思い通りにならない」

 

それが現実だった。

 

だからこそ、我が子の無事を深く神仏に祈った。

 

近頃、人は多くのことを管理制御している。

 

建物の中の温度は、年中、一定である。

 

街は夜でも驚くほど明るい。

 

(ならば、その続きで……)

 

子育ても統制できる。

 

そんな考えがなかろうか。

 

もしそうであれば、お参りの人が少なくなるのもうなずける。

 

私はうがった見方をしていますでしょうか。

 

 

 

お釈迦さまの御教えです。

 

『「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は。誰が自分の生命をあてにしていてよいのだろか? 若い人々でも死んで行くのだ。―男でも女でも、次から次へと―』

【岩波文庫 ブッダの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P162】

 

ありがとうございました。