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「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

春日部のお寺へ向けて家を出た。

 

儀式のお手伝いをするためだ。

 

仕事は坊主をしている。

 

時間に余裕をもって出発した。

 

見学したいところがあったのだ。

 

岩槻インターを降り、北東方面へ進む。

 

(ここだ)

 

インターから20分程で目的地についた。

 

意外だった。

 

交通量の多い通りに面していた。

 

周りには大企業の大きな施設も建っていた。

 

閑静なところを想像していた。

 

とても珍しい墓所があるのである。

 

両墓制の「埋(う)め墓」である。

 

「ご遺体を埋める墓所」と「墓石を建てる墓所」が別の場所にある。

 

故人のお墓が「埋め墓」と「詣(まい)り墓」とに分かれているのである。

 

「埋め墓」には墓石がない。

 

「詣り墓」には遺骸がない。

 

両墓を大雑把に述べると、そうなる。

 

こちらの「埋め墓」も、昔は閑静なところだったのかもしれない。

 

100メートルも離れれば、今でも林や畑があった。

 

墓所は、江戸時代から守られているようだ。

 

「埋め墓」には近頃も埋葬者がいらしたようである。

 

新しい卒塔婆が建っていた。

 

おそらく火葬後に、ご遺骨を埋葬なさったのであろう。

 

現在の火葬率は九分九厘と発表されている。

 

したがって、ひと昔前のような、御遺骸(おんなきがら)の埋葬ではないであろう。

 

いわゆる土葬ではないと考える。

 

「埋め墓」は、お手入れされていた。

 

草は刈られ、落ち葉なども少ない。

 

「詣り墓」は「埋め墓」から200メートル程歩いたところにあった。

 

入り口には複数のお地蔵さまが祀られていた。

 

墓所中央には、墓石が多数ならんでいた。

 

舟形(ふながた)や板碑形(いたびがた)の古い墓石には尊像(そんぞう)が彫られてあった。

 

おもむきのある駒形の墓石正面には、大きく戒名が刻まれている。

 

最近建てられたであろう墓石もあった。

 

こちらは家の名前が正面に記されている。

 

時代によって墓石の意匠がことなっている。

 

現代は単墓制のお墓が多い。

 

石塔の中や下にご遺骨が安置されているお墓である。

 

(お墓が2つあるなんて……)

 

現代人ならばそう思うであろう。

 

2か所のお手入れは大変である。

 

しかし、現在も両墓制のお墓を守っておられる方々がいらっしゃる。

 

変わらずに、ご先祖さまを代々ご供養なさっていらっしゃる。

 

感慨深いことである。

 

 

法然上人のお言葉です。

 

『現在毎日称えているお念仏を、あわせて亡き人のために振り向けなさるのがよいでしょう。亡き人のために念仏の功徳を振り向けますと、阿弥陀仏が光明を放って、地獄、餓鬼、畜生の世界をお照らしになるので、この三悪道に沈んで苦しみを受ける者が、その苦しみがやんで、そこでの命を終えて後、その境界を逃れることが出来るのです』

【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編P247】

 

ありがとうございました。