驚くことがあった。
夕方、境内でヒグラシが鳴いていたのだ。
「どこかのビルでイベントをしているのかな」。
最初はそう思った。
様々なイベント施設が寺の周りにある。
だから、それら施設のスピーカーから音楽がきこえてくることがよくあるのだ。
もう一度鳴き始めた。
声のする方へ近づいていく。
「間違いない。本物だ」。
どしてこんなところにいるのだろうか。
みつけることはできなかった。
しかし、境内の木の中で確かに鳴いていた。
今の寺では初めてのことだった。
辺りは、一百、二百メートルのビルが軒並み建っている。
そんな地でヒグラシに出会えたのは嬉しかった。
しかし―。
数年前の夏、石見地方の海岸で笛を吹いた。
もっとも人前や儀式で吹いたのではない。
夕方、暇にまかせて、一人岩の上で吹き鳴らしたのだ。
澄んだ水色の日本海にオレンジ色の夕日が沈んでいく。
波の音がリズムよく響いている。
岩場の幅は三十メートルくらい。
そこから先は、木々が生しげる丘になっていく。
森からは、ヒグラシの声が折り重なるようにきこえてくる。
海岸の長さはどれくらいだろうか。
五百メートルだろうか、一キロだろうか。
上空には鳶が旋回している。
海からの風が緩やかに身体にあたる。
人の手が加わっているものは、街から続いている舗装路くらいしかない。
それも軽自動車がやっと通れるくらいの道だ。
下手くそな演奏でさえも海や大地と調和されてゆく感覚が味わえる。
心地よかった。
「いつかはこのようなところで穏やかな日々をすごせたらいいな」。
密かに願望を持ち見続けている。
未だ予定も先立つものもまったくないのだが……。
境内でヒグラシの声をきいた後、さっそく笛を吹いてみた。
石見地方の自然の中で吹いたことを思い出しつつ鳴らしてみる。
都心はなにかと制御され管理されている。
お陰で予定も予測もたちやすい。
しかし、手の加わっていない自然は少ない。
残念である。
制御や管理が難しいからだろうか。
お堂からは緑が多少はみえる。
休日なので普段よりは静かだった。
とは言え、窓をあければ高速道路を行き交う車だらけだ。
空にはヘリコプターや飛行機が音をたてて飛んでいる。
溶け込んでいけるような自然には程遠い。
「あたりまえだけれども、石見地方の自然に及ばないな」。
いや……。
私の笛の技量が劣っているのをごまかしてはいけない。
自然にとけ込めないのは、稽古が不足しているのです。
お釈迦さまの御教えに、以下のお言葉がございます。
『人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう。かれらは快楽を求めないのである』
【岩波文庫 ブッタの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P24】
ありがとうございました。