八月十五日 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

真夏の太陽が照りつけるなか、青山墓地に行った。

 

額や首筋の汗をふきながらお参りの墓所へ向かう。

 

途中、「陸軍大佐」「海軍少佐」などと字彫りされている墓石が気にかかった。

 

普段も通っている道なのに不思議と目に入る。

 

この時期だからだろうか。

 

毎年八月の御盆には神奈川のお寺さんへ手伝いに伺う。

 

七月の東京盆では、地方のお坊さんにお手伝をお願いしている。

 

もちつもたれつなのだ。

 

私のいる寺では棚経は墓前でつとめている。

 

ご自宅が寺から離れていることが多いため、物理的に回れないのだ。

 

神奈川のお寺さんでは、棚経をお手伝いしている。

 

山門を出てから、軒並みお宅に伺って読経を勤める。

 

漁村の街で、一軒家ばかりである。

 

仏間には立派な仏壇が置かれている家ばかりだ。

 

風習と信仰を大切にている方が沢山いらっしゃる。

 

「おじゃまいたします」。

 

玄関でご挨拶をすると、早速仏間を案内していただく。

 

蝋燭に火を入れ、線香を焚く。

 

精霊棚には、本尊、位牌、お供物等が丁寧に設えてある。

 

写真も飾られている。

 

御年配の方であることが多いが、壮年の方の写真が設えてあることもある。

 

優しい方だったのだろうか。

 

それとも厳しい方だったのか。

 

どのようなことが好きだったのだろうか。

 

何によろこんだりされたのだろうか。

 

もちろん、つらいこともあったことであろう。

 

悲しいことも、苦しいことも、さまざまにあったはずである。

 

若い方やお子さんの写真も少なくはない。

 

何が起きてしまったのであろうか。

 

病気を患われてしまったのかもしれない。

 

親御さんの気持ちをおもうと、目頭が熱くなってくる。

 

軍服をきた若い方の写真が設えてあることもある。

 

軍人さんは、戦地で何を考え、どんな思いでいらしたのであろうか。

 

お会いしたことも、お話したこともないが、とにかく頭がさがる。

 

ご両親のお位牌も飾られているはずである。

 

息子さんが戦地に向かわれたときは、どんなに心配されたであろうか。

 

なによりも大切な子を局地に送るのである。

 

胸が張り裂けそうになる。

 

私のような愚僧で申し訳ないと思いつつも、精一杯仏さまに手を合わせ御回向をお勤めする。

 

世の中は常ならない。

 

普通に生活をしていても極端なことが起きてしまうこともある。

 

ならば、あえていさかいを起こすようなことをしてはいけない。

 

「まじめに、おだやかに」。

 

自分を戒める。

 

まもなく終戦の日である。

 

 

お釈迦様の御教えに、以下のお言葉があります。

 

 『「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる』

 

【岩波文庫 ブッタの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P11】

ありがとうございました。