真夏の太陽が照りつけるなか、青山墓地に行った。
額や首筋の汗をふきながらお参りの墓所へ向かう。
途中、「陸軍大佐」「海軍少佐」などと字彫りされている墓石が気にかかった。
普段も通っている道なのに不思議と目に入る。
この時期だからだろうか。
毎年八月の御盆には神奈川のお寺さんへ手伝いに伺う。
七月の東京盆では、地方のお坊さんにお手伝をお願いしている。
もちつもたれつなのだ。
私のいる寺では棚経は墓前でつとめている。
ご自宅が寺から離れていることが多いため、物理的に回れないのだ。
神奈川のお寺さんでは、棚経をお手伝いしている。
山門を出てから、軒並みお宅に伺って読経を勤める。
漁村の街で、一軒家ばかりである。
仏間には立派な仏壇が置かれている家ばかりだ。
風習と信仰を大切にている方が沢山いらっしゃる。
「おじゃまいたします」。
玄関でご挨拶をすると、早速仏間を案内していただく。
蝋燭に火を入れ、線香を焚く。
精霊棚には、本尊、位牌、お供物等が丁寧に設えてある。
写真も飾られている。
御年配の方であることが多いが、壮年の方の写真が設えてあることもある。
優しい方だったのだろうか。
それとも厳しい方だったのか。
どのようなことが好きだったのだろうか。
何によろこんだりされたのだろうか。
もちろん、つらいこともあったことであろう。
悲しいことも、苦しいことも、さまざまにあったはずである。
若い方やお子さんの写真も少なくはない。
何が起きてしまったのであろうか。
病気を患われてしまったのかもしれない。
親御さんの気持ちをおもうと、目頭が熱くなってくる。
軍服をきた若い方の写真が設えてあることもある。
軍人さんは、戦地で何を考え、どんな思いでいらしたのであろうか。
お会いしたことも、お話したこともないが、とにかく頭がさがる。
ご両親のお位牌も飾られているはずである。
息子さんが戦地に向かわれたときは、どんなに心配されたであろうか。
なによりも大切な子を局地に送るのである。
胸が張り裂けそうになる。
私のような愚僧で申し訳ないと思いつつも、精一杯仏さまに手を合わせ御回向をお勤めする。
世の中は常ならない。
普通に生活をしていても極端なことが起きてしまうこともある。
ならば、あえていさかいを起こすようなことをしてはいけない。
「まじめに、おだやかに」。
自分を戒める。
まもなく終戦の日である。
お釈迦様の御教えに、以下のお言葉があります。
『「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる』
【岩波文庫 ブッタの真理のことば・感興のことば 中村元先生訳P11】
ありがとうございました。