そうめん | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

このあいだ、お昼にそうめんを食べた。

 

そうめんには、ちょっとした思い出がある。

 

十五年前の夏、妻と自家用車で旅をしたときのことだ。

 

東京を朝七時に出発し、ゆっくり十二時間かけて鳥取県・米子まで行く。

 

そこで一泊した後、三時間かけて島根県・温泉津(ゆのつ)に到着する。

 

そんな予定だった。

 

滋賀県・大津サービスエリアまでの七時間は、私が運転した。

 

そこで妻に交代する。

 

助手席に座った私は、ゆっくりと寝かせてもらう。

 

さて、一時間半位で目を覚ますと、周りの様子がおかしい。

 

信号があり、歩行者がおり、建ちならぶ店もある。

 

青色の道路標識があり、「加古川」の文字が見える。

 

名神高速からそのまま中国自動車道に入ればよいのに、なぜか一般道、しかも瀬戸内海側にいるではないか。

 

「どうしてこうなるんだよ」。

 

「しょうがないでしょ」。

 

不穏な空気が流れる中、急いで運転を代わった。

 

「そうだった、彼女は方向感覚が……」。

 

地図をみながら、一般道を北上し、ようやく中国自動車道に乗ることが出来た。

 

しかし、米子に着いたのは夜の十二時だった。

 

それにしても、私も懲りない奴である。

 

帰り道、さすがに一本道なら間違えないだろうと、温泉津から米子までを運転してもらうことにした。

 

ところが、またもうっかり寝てしまった。

 

気がつくと高速入口のある米子を三十キロも通り過ぎていた。

 

もちろん、未だ一般道である。

 

再び不穏な空気が漂い始めた。

 

一方で、こうなったら「どうにてもなれ」とやけにもなってくる。

 

取り敢えず、明後日の仕事に間に合えばよい。

 

開き直った私は、イライラしながらもさらに東へ五十キロ程進み、初めて鳥取砂丘を見た。

 

その後も、あえて一般道を通り、中国山地を南下する。

 

十四時頃、鳥取県と兵庫県の県境で「流しそうめん」のお店を横切った。

 

すると、妻は、山奥にたたずむひなびた雰囲気に誘われてしまったようだ。

 

「どうしても行きたい」と言い張る。

 

私は空腹ではないし、気持ちのモヤモヤも引きずっている。

 

気が乗らない。

 

が、どうしても譲らない妻に負け、嫌々ながらも入る。

 

平日、しかもお昼もとっくに過ぎている。

 

だからであろうか、とても空いていた。

 

席に案内されると、谷を挟んで三十メートル位離れた小屋から樋が掛けられていた。

 

そうめんが流れてくる樋だ。

 

初めての流しそうめん体験に年甲斐もなくワクワクしてしまう。

 

早速、そうめんが流れてくる。

 

テーブルや椅子、食器はごくごく普通のものだ。

 

全く飾り気がない。

 

しかし、それがいい。

 

素朴さに心あたたまり、一層そうめんが美味しく感じられてくる。

 

辺りを覆う木々や、渓流の音、ひんやりとした山の空気も、さらに味をひきたててくれる。

 

終わりの合図には、サクランボが一つ流れてきた。

 

明らかに缶詰なのが素朴でいい。

 

食事を終えて一息つくと、思わず「楽しかったね」とつぶやいてしまった。

 

いつのまにか不穏な空気も流されていたようだ。

 

 

「無量寿経」に、以下の御記がございます。

 

『〔そもそも〕世間の人々は、親子・兄弟・夫婦・諸々の親類縁者であれば、互いに敬って親愛しあい、〔また〕互いに憎んだり妬んだりすることなく、〔物が〕ある時もない時もともに分かち合い、意地汚く独り占めするようなこともなく、言葉遣いも表情もいつも穏やかで、お互いに誤解し仲違いするようなことがあってはならない』

 

【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編p131】

 

ありがとうございました。