お堂と庫裏の窓ガラスと網戸を掃除した。
小さい寺である。
しかし、一人で綺麗にするとなるとかなりの時間が必要となる。
網戸を外し空き地に持っていく。
水道にロール式のホーズをつなぐ。
水をかけながらブラシで汚れを落とす。
約二十枚だ。
一日目は、ここまででおしまい。
次の日は、まず窓ガラスにとりかかる。
網戸のないガラス戸もあるので、約三十ペアになる。
手の届くところは雑巾で拭く。
届かないところは棒の先にクッションがついたもので擦る。
バケツに汲んでおいた水で雑巾やクッションの汚れを落としながら掃除をする。
すぐに黒くなるので、何回も水を取り替える。
綺麗にしている窓のところまで、その都度往復しながらバケツを運ぶ。
結構な重さなので、それなりにしんどい。
窓が終われば、網戸を戻す。
これで一応終わりとなる。
年を取ってきたからか、かなり疲れる。
ただ、暑い時期なのでビシャビシャになりながら掃除をするのは、悪くはない。
おそらく冬までにもう一度行う。
そして、冬にはしない。
「大掃除をしないのはよくないぞ」。
そんな声もきこえてきそうであるが……、寒い時期の水仕事は勘弁だ。
要するに、気持ちが弱いんです。
だから、その分、寒くなる前に念入りに掃除をする。
二日目の掃除を終えた夕方、暑さの影響もあったのだろうか。
身体が大分きつかった。
「休みたい」。
座布団をまるめ、畳の部屋でよこになる。
綺麗にしたばかりの窓を開け、網戸を閉める。
緩やかに吹きこんでくる風が気持ちいい。
網戸越しには柿の木がみえる。
そういえば父親が昼寝をするときは、きまって柿の木みえる部屋だった。
実家にも柿の木が植わっていたのだ。
「クーラーの涼しさよりも、自然の風の方がいいんだよ」。
網戸を閉めてそう言っていた。
「クーラーのある部屋の方が涼しいのに」。
子供だった私には父親の感覚が理解が出来なかった。
が、今ではよくわかる。
家族が居間で冷房をかけていると、思わず設定温度を上げてしまう。
ここでも年をとったことを実感する。
最近父親の声をきいていない。
明日にでも電話をしてみようなか。
お釈迦さまのお弟子さまの御教えに、以下の言葉がございます。
『命は消耗していくのに、身体はでっぷりと肥って重く、身体の快楽のみ貪る修行者に、〈道の人〉たる善き徳性がどうしてあり得ようか』
【岩波文庫 仏弟子の告白 中村元先生訳41】
ありがとうございました。