22日(月)に北九州市八幡西区の黒崎祇園山笠のフィナーレを観に行きました。

こちらは小倉と違って

大きな山(地元の人はこう呼んでました)が動き回ります。



中には太鼓二つと鐘一つの合計3人が入っています。

どう見ても風通しはよくないでしょうから

叩いて行人はかなり暑いと思います。



昔は山と山とがぶつかっていたそうですが

怪我が多いため、それは止めたそうです。


けれども、この日も山に乗ってる人が落ちて怪我したため

20時半までの予定だったのが19時45分ごろ中止!

そのまま解散式になって早々と終了してしまいました。




先日、心理関係のワークショップに行きました。

ジジイが勉強したころよりもセラピー手法も進んでいるからです。



何年にも渡る心理療法学習及びトレーニングや教育分析の後も

自己改善・改革セミナーやワークショップにも時々参加してましたが


先日のワークショップ中で

それらワークショップを通して学んでいたものも多かったことに気づき

良い復習の機会となりました。


それをきっけかに、各種心理療法の勉強もやり直しています。

その中で一つ「これって日本人が伝統的にやって来たこと!」

と今更ながらに思った手法があります。



ゲシュタルト療法の一つに「エンプティ・チェア法」というものがあります。

直訳すると「空椅子」ですが

完全な「空」ではなく、クッションや人形を置いて行う場合もあります。


クッションや人形は

自分自身の場合もあれば、他人の場合もあります。



心理療法としてではなく

人間関係修復のための活用として

こんな使い方もできます。


クッションなどを

上手く付き合えない人に設定します。


職場の人でもいいし

クラスメートでもいいし

ご近所さんでもいいし

家族の誰かでもいいです。


相手に向かって

言いたい放題、言いたいことを言いまくります。


その後

相手の席に座ります。


そして、相手になり変わって

どうして、そのような振る舞いをしているか考え

回答してみます。


やってみると

自分の見方が偏っていたり

相手の状況を考慮していなかったり・・・etc.

そんなことに気づいて、関係改善・解決へと向かえるのです。



つまり、日本では伝統的に昔々から言われている

「相手の立場に立って」という事をやるのです。

それをやりやすいようにエンプティ・チェアを用いる、てな訳です。



ところで

よく「相手のことばかり考えていると、自分のやりたいことができなくなってしまう」

と聞きます。


それは自分軸というか、自分自身が「弱い」、または「無い」からなんです。

自分自身があれば調整できるのですが

無いから不安なんです。



よく書いてますが

19世紀の「環境が決める」を信じ込んでしまうと

自分自身は当然弱くなっていきます。


「自分自身なんて無いよ」

という考え方なのですから。


いつまで19世紀のカビが生えたような考えを信じ

「作用される人間」「利用される人間」「支配される人間」に留まりますか。

それとも、自分自身に目覚め、自分軸を作りますか。




それから

「相手が悪くて、自分が悪い訳じゃないのに・・・云々」

と言う人も少なからずいます。


これは完全に損得勘定をベースにした「市場規範」に支配された状態。

解決よりも損得が優先してしまっているのです。


また、

市場規範・損得勘定に支配されてしまうと

感謝も無くなってしまいます。


市場規範が世界を席巻していく状況で

人間関係も組織関係も国際関係も

解決が困難になっているのです。



「損得勘定」よりも

日本伝統の「相手の立場になって考える」や「感謝」に焦点を合わせることで

初めて、幸せな世界が作られると思っています。




今朝は月に一度のマンション掃除会。


修繕積立金や維持管理費などで毎月1万数千円取られます。

けれども、月に一度の掃除会に出ると

ひと月あたり千円が年度末に返金されます。


自分たちで掃除することで

共用部分を大切に扱うことや

共同作業をすることで近所付き合いを円滑にする目的があるようです。


ただ、住民の高齢化に伴い売り払って施設などに移る人が出る一方

リノベーションした戸に若い人も入って来るようになりましたが、

彼らの参加は皆無です(笑)。


人と人との関係が変化していることを感じます。

結果、参加者はだんだん少なくなってきています。

いつまで掃除会が続けられるのでしょう。

さて、

北九州の宗像神社のつづきです。




                   こちらは二の鳥居そばの狛犬様です。
                   
                    



こちらの狛犬様には角があります。

本来は、角のあるのが狛犬様で、無いのはお獅子だったものの

平安時代から角のない狛犬様が増えて来たとか。


それから頭が平べったいです。

最初「頭が吹っ飛ばされた!?」と思ってしまいました(失礼)。


あまり見たことのないお姿なので

調べたところ・・・

宮崎県内には頭の平べったい狛犬様が時々見かけられるようです。

でも、多少似てはいるものの、やっぱり違うんです。


狛犬様と話せる人だったら

直接いろいろ聞いて分かるんでしょうけど

ジジイには、そんなレベルの霊感はないもので・・・。




     こちらは手水。
 
     見えにくいですが、龍様から水が出ています。

    



社殿へ。





今年の干支は、やはり

「カッコいい」と思ってしまいます。

残念ながらジジイは辰年ではありません。





それなりに大きな注連縄です。

見ていて力を感じます。





境内社。




四柱の神々が祀られています。




境内社から少し離れて行くと

とっても心地よい風に包まれました。


この日は好天で暑かったため

しばらく風に吹かれていました。

ありがたかったです。



こちらの神社

とっても波長が合うようで

最初から最後まで心地よい時を過ごさせてくださいました。

感謝感謝の参拝でした。


今日は小倉祇園太鼓を聴きに行きました。
※自分では撮らなかったので、YouTube動画から。


明日21日が最終日です。


数mしか離れていない所で聴くと

空気の振動が身体全体に感じられて

細胞のひとつひとつが踊り、若返りそうです(笑)。



昔、南太平洋某国に住んでたとき、独立記念日に日本からやってきた太鼓が披露され

その舞うような打ち方が現地の人にとってもウケ

そのあとズーット、現地の人たちが真似してた事を思い出しました。


地域によって異なりますが

舞うように打つ姿は確かに美しいと感じます。


中にはバチをバトントワリングのように

めっちゃグルグル回しながら叩いている人もいて

見入ってしましました。




以前住んでた中東某国だと、人の集まる所ではテロされやすいので

決してお祭りのような時・所には行かなかったものです。

平和は良いものです。





そして、

帰宅したら、ほぼ満月のお月様が昇ってたので

望遠ズームの利く15年少々前のコンパクトカメラで撮りました。





昨日は仕事の後に

博多で開催されてた心理系のワークショップに参加しました。


終わったのが遅めの時間だったので

家に戻ったのは深夜近く。


「明日は一般ゴミ(生ごみ含む)の日だけど、仕事休みだし、朝起きれそうにないからパスしよう」

と思って横になったにもかかわらず

年寄の悲しい身体・・・

ゴミ出しに十分間に合う時刻に目覚めてしまいました(笑)。






さて、

梅雨の中休み中、北九州市小倉南区の宗像神社に参拝しました。
※暑かったー。




名前のとおり宗像市にある宗像大社から勧請された神社です。




なので御祭神は



宗像三女神さま。


だからなのか?

棺桶に片足突っ込んでるにもかかわらず

こちらの雰囲気に一目ぼれしてしまいました!




一の鳥居をじっくり。





一の鳥居をくぐってすぐの神橋あたりもエエ雰囲気です。





二の鳥居あたりも

何かに包まれるような感じ。



ここだけで満足してしまいそう。



二の鳥居を仰ぎ見ます。



「ズットここに居たい!」

と思ってしまいます。




頭が回らないので今日はここまで。

つづきます。


それなりに大きな病院に勤めるカミサンによると
※医療従事者ではなく事務関係です。

某ウイルス感染患者はかなり増えていて、専用病室は満員とのこと。


発症している人の症状は、やはり苦しいようで

「メディアは、なんで急増している現状を報道しないんだろう?」と言ってます。

5類に変更したのは、低迷してしまう経済活動のほか、お金の問題もあった模様。
※検査料も薬代もメッチャ高いですし、隔離のためのホテル確保や食料配給に伴う様々な手続き費用や実費なども、かなりの経費が掛かってましたから。





また、先日

カミサンはテレビで見たことを話してくれました。

何でも、環境が人間の行動を決定している

という19世紀的見方の話だったようです。



以前も書きましたが

人間には様々な段階で「選択」する力があり

ABC理論もその一つ。



「負け組」という言葉はあまり好きではありませんが

今日は使います。


「負け組」になる人、なっている人は

必ず周りのせいにしています。


メディアは、そのような情報を流すと視聴率を取りやすいそうで

盛んに、その手の情報を流します。


因みに「負け組」がTVなど(特に報道番組)を見る割合が高い一方で

「勝ち組」は、そのようなものをほとんど見ず

見るのは、せいぜいお笑い番組のようです。



ABCのBである「Belief(信じ込んでいる事)」を

「負け組」は他者のせいにするよう強化し続けることで

自己責任から逃れるという麻薬に陥ってしまっています。


その結果

ますます「負け組」から脱却できなくなっています。


ところで、

共産主義思想の教祖であるマルクスが

「ヘーゲル法哲学批判」の中で「宗教は民衆のアヘン(麻薬)」

と書いたことは、よく知られていますが

現代では「TV番組は負け組のアヘン(麻薬)」

と言っても良いでしょう。



自分の中にある「Belief(信じ込んでいる事)」

をどのように扱うか。


「負け組」の「Belief(信じ込んでいる事)」のままにし

さらに、それを強化するような麻薬情報を吸収していくか


「負け組」の「Belief(信じ込んでいる事)」に気づき

それから離れる情報を取り入れようとするか。


幸いなことに

「負け組」になる「Belief(信じ込んでいる事)」情報と同じように

「負け組」の「Belief(信じ込んでいる事)」から「勝ち組」に変更する情報は

幾らでも、簡単に得られる環境に現代はあり

私たちには、どちらも選択することが出来るのです。



追伸:もちろん「負け組・勝ち組」という世界からサヨナラする「Belief(信じ込んでいる事)」を作ることも可能です。












甲宗八幡神社のつづき。

拝殿など。



博学ならぬ薄学ゆえ、書かれている事がどういう意味か不明です。

異なる字体が混ざっているのが不思議で惹かれます。

                 





すぐ近くで壇ノ浦の戦いが行われた所ゆえ

 平知盛さまのお墓も。
※お墓は敢て撮影していません。









社殿横の筆立山稲荷神社

昔は神社後方の筆立山に祀られていた為この名だそうで

衣食住の神様。




たくさんの碑が並びます。




小倉歩兵第114連隊第7中隊慰霊碑(左)と火野葦平詩碑(右)





こちらは調べたものの、どのような方か分かりませんでした。
※地元の方ごめんなさい。
 
  


     大神貴文翁像

     調べたところ、20歳で第43代宮司に成られた方とか。

        



           


       日露戦争忠魂碑
   
    


こちらは本居宣長翁歌碑です。





社殿の造りや多くの碑からも

地域の中心的な神社であることがよく分かります。


境内を回っても

地元の方々から信頼され、大切にされていることが感じられます。


威厳を感じる神社ですが

やはり神功皇后の甲にまつわる点が一番。

歴史上の人物で、特にまみえたい方の一人です。



先日、ある神社でお御籤をひいたところ結構エエ内容でした。

その中で特に印象に残ったのが「感謝」


どれだけ前に進めるかを大きく左右するポイントだと

お御籤から感じた次第です。



そんなことがあった後、読ませて頂いたこちらのブログ。

自分がいかに守られていたかを痛感!


なので、

甲宗神社のつづきを載せる前に

神様から守られて来たことを抜粋!



子どもの頃は病弱でした。

頻繁に風邪や流感(昔はこんな呼称でした)に罹っていたほか

食べた物を戻してしまうことも珍しくなく

校庭で行われていた全体朝礼や始業式・終業式などで倒れることは当たり前。


さらに、大きな病気で数か月間休んだこともありましたし

休まないものの、何か月も通院していたこともあります。

ホンマ「虚弱体質」を絵に描いたようなガキでした。
※親にも先生にも迷惑かけてばっかり。感謝せんと。



けれども、

いつからか

病気になることも怪我をすることもなくなっていました。


最初の海外に出る前に受けさされた健康診断には

「Excellent」の文字!


また、少なくともここ15年以上は

熱も出さず、家族がインフルに罹ってもジジイだけ無敵!
※頑張り過ぎによるストレス性の喘息はちょっとありました。



そんな健康状態のお陰でたくさんたくさんの事も出来ました。

出版社や大規模開発コンサル、そして海外での仕事など

どれもハードで仕事時間も長かったにもかかわらず・・・


長期にわたる心理カウンセラーの勉強及びトレーニング

ジャズダンスやモダンダンス

バイクで長距離ツーリングしたり山ん中を走ったり


仕事以外での海外旅行で、友達をつくったり、

オーロラを観たり、フィヨルドを観たり、南天の星空を観たり、コアラを抱いたり、日本では食べられないものを食べたり、泥水飲んだり(笑)・・・etc.

タフじゃないとできない数々を経験できてました。




さらに不思議な事があるんです。

最初の南太平洋生活数年間。

毎年雨期になるとサイクロン(台風みたいなモン)が必ずやってくるようでした。


けれども、いたときには一度も来ず!!!

さらに、去った後にはサイクロンがしっかり?やって来て

首都の電気・水道も止まって大変だったようです。



二度目の南太平洋生活は別の国でした。

そこでも何故か?毎年来るサイクロンが一度も来ず。

「来るぞ来るぞ」と言われながら避けるように左右にコースが変わってました。

「近隣国の方ゴメン」です。
※近隣国では、家も壊れるほどで大変だったようです。


そして、

やっぱり去ったあとには

「お久しぶりー」とサイクロンさんがやって来てました。


さらに、その国は地震も多く

行く前に、鉄筋コンクリートのビルも壊れるほどの大きな地震があったものの

いた数年間は全く無!

そして、やっぱりジジイの去った後には「待ってましたー」とばかりに毎年の地震・津波。


マラリアやデング熱やアメーバ赤痢に罹る人が周りにいても

ジジイは大丈夫!




また、中東某国では

行く前に大きなテロがありました。

ところが、いた数年間の中東は比較的?平和で、シリアにも入れました。

そして、いなくなったら結構いろいろ(国が特定できちゃうのでボカシてます)



リブロさせて頂いた記事を読むと

へんなのにつき纏われちゃうと「ここまであるんだー!?」


改めて

自分がいかに守られ助けられてきたかを実感しました。


また、近年は変化しているものの、ここ数十年の日本を振り返ると

ジジイにかぎらず、私たちは「感謝できることがいっぱい」と思います。


その「感謝」は

日本を本来の力あるより良い状態へ
と変化させると思います、























暑さに体が慣れる前に、いきなり梅雨前線が北上して酷暑になったものの

前線が下がってくれたおかげで一息ついています。

有難や、梅雨前線。



ところで暑くなるとフランス系のサッパリした音楽を聴くことも増えます。

たとえばこちら。

むかしむかし、クラシックを聴かない人でさえでレコード(SP盤)を買った

というほどのクラシック・ヒット曲。


同じリズムを刻みながらオーケストレーションによって人の心を操るような・・・

と言ってた音楽評論家もいましたが

やっぱりラベルはんはオーケストレーションの達人やわー。





さて、

北九州市門司区にある甲宗八幡神社




  一の鳥居と二の鳥居

  


           二つの鳥居の間にいらっしゃる狛犬さま。

          



貫禄あります。





出光興産創業者である「海賊」とも呼ばれた出光佐三氏が寄進された二の鳥居。




      こちらが手水舎

     


        手水舎の中です。 

        



ご祭神は

応神天皇さま

神功皇后さま

市寸島比売命さま、多紀理比売命さま、多紀津比売命さま。




神功皇后さま御着用の甲を奉って創建されたのが始まり

と言われているそうで、神社の名にも「甲」の文字。

それにしても、神功皇后さまの足跡は非常に大きなものがあります。
※個人的には、同様の女性が今こそ現れる時、と思ってます。



両翼に隅樓のある特徴的な造りです。




       こちらが南隅楼

      


こちらが北隅楼



風水については全く知らないのですが

風水に基づいて守護のために建てられたものとか。



今回はここまで。

つづきます。


寒冷前線が南下してくれたおかげで

雨のあと涼しくなりました。


深夜に「退避勧告」の

けたたましいスマフォからの音で起こされましたが(笑)。

あー、今日は仕事だけど眠い。




ところで、

フィジーは南太平洋の中では、それなりに都市化してる所です。

なので、この地域の会議などはフィジーに集まって行われることも多く

ときどき行ってました。


こちらは夏になると毎年?引用してるグループ。

南太平洋では都市化している国のグループですけど

ワイルドさがあって刺激されます。




自分の中には「自然とのつながり」への憧れのようなものがあります。

子どもの頃、ビルの3階で暮らし

家の周りは勿論

小学校までの通学路もコンクリートやアスファルトの環境だったから?


途上国への親しみや

今の神社参拝も「自然とのつながり」線上にあるようです。



また、

欧米から入ってくる動物保護やSDGsやLGBT・・・etc.

に「自然から分離してしまった人間の勝手な都合を押し通し過ぎで、不自然感アリアリ」


と感じているのも

そんなモンがベースにあります。



てな訳で

一度は裸族の住まう未開の地に住まわれてはいかがでしょう

とお勧めしたいところです。


人間にもどりまっせ!