日本ファミリーオフィス協会 -76ページ目

なぜネット証券会社が富裕層をターゲットにしないか

先週、マネックスユニバーシティの内藤忍代表と懇談した。内藤さんには、当協会の広報関係をやってもらっているので、その相談だ。当面、私が日経系の雑誌「ファンド情報」で月1回の連載を続けるので、その内容についてもアドバイス頂いた。


その後は雑談で、外資系のファンド関係企業が、ここにきて撤退の動きを見せている理由は、日本市場の魅力のなさ(確かに、ここ1年で先進国で日本株の上昇率はワースト)にあること、さらになぜネット証券が富裕層をターゲットにしないかに及んだ。


これは結構、本質的な問題なのでちょっと解説したい。そもそも普通の証券会社には、富裕層を担当できる人がいない、アドバイスもできない、紹介する商品もないとのことだ。今の証券会社の動きは、ネットを使ってコスト削減の方向にあるので、富裕層相手のビジネスとは逆のベクトルに進んでいるわけだ。


だから、インターネットで富裕層を取り込もうとか考える人もいるが、これは無理な話だ。まずは「富裕層を相手にできる人」がいないと話にならない。


もっと本質的には、富裕層ビジネスは「超属人的なビジネス」なので、サラリーマンのように人事異動がある組織では成り立たないのだ。だから全国組織の都銀や大手証券ではできないことだ。でも地銀だったら可能性はある。同じ県内だったら転勤になっても、超富裕層の家を訪問することもできる。地銀が富裕層に興味を持っているのは合理的な理由があるのだ。


大組織で富裕層ビジネスは、極端にいうと、どこも成功していない。でも、日本でも資産の二極化で、超富裕層の数はどんどん増えている。どの金融機関も指をくわえているわけにもいかなくなるだろう。そこで、何か大きな工夫が必要だが、これはどこも模索中だろう。そこの提案を雑誌「ファンド情報」で出そうと考えている。



50年前の日比谷高校ー人材を輩出している秘密

今日、以前から知っている人がまたまた日比谷高校卒であることを知った。70歳で元官僚(過去官僚)の方だ。今、日経新聞でリレーコラムを担当している日本郵船の草道さんと同期だそうだ。同期で有名人は利根川進さん(ノーベル賞、MIT教授)などなど。官僚や東大教授はうようよいるそうだ。


おもしろいのは、利根川さんなどは高校の時から相当目だっていたと思いきや、全く目立たなかったそうだ。東大に入ったといっても、当時の日比谷は学年で130人前後入ったようなので、何のことはない。大器晩成とはこのことかと感じ入った。利根川さんはボストンで何度かお会いしたことがあるが、天才肌だ。


草道さんが日経のコラムで書いているように、本当に当時の日比谷は「受験校」という雰囲気はなかったようだ。東大130名といっても現役は40名くらいだったようで、ほとんどが「4年制」だったそうだ。その4年目は高校の先生が補習をしてくれたそうで、予備校に行く必要がなかったとはユニークな話だ。昨年、日本ボストン会会長の法眼健作さん(元カナダ大使)からも同じ話を聞いた。法眼さんは現役で受かったようだが。


その法眼さんはお兄さんも日比谷にいて、「当然のごとく」東大法に現役で受かったというから当時の日比谷は大変なものだったのだろう。それも、ガリ勉タイプはほとんどおらず、高校で受験には関係ないフランス語とかドイツ語をやっている人も多かったという。ラクビー部が全国大会に出たりと文武両道だが、こういう高校をつぶした学校群制度とはいったい何だったのだろうか。


今の東京の受験校にはとてもこのような雰囲気はないだろう。学校が終わると予備校に行って、小手先のテクニックを身につけ東大に入っていくのだ。それで、大学に入って伸びないと某東大教授が嘆いていた。やはり昔の日比谷のような雰囲気の中で利根川さんのような、大学に入ってから伸びる人材が育つのではないか。


今の東京で昔の日比谷高校がつくれないものか。あるいは筑駒とか開成が昔の日比谷のように変われるだろうか。これはなかなか考えにくいので、何とか日比谷高校を改革するしかないだろう。都立にいい人材が集まらない現状は何かおかしい。



不思議な留学経験者、鳩山総理ージョゼフ・ナイの英語が分からないとは

今日の日経朝刊の1面のコラム「政権」に興味ある話が載っている。昨年の12月19日にハーバードのジョゼフ・ナイ教授が既に政権交代を見越して、鳩山、岡田、菅、前原に会ったというのだ。その席でナイ教授は強い表現で「普天間移設の反対は日米の同盟関係を傷つける」旨の発言をしたそうだが、通訳が「同盟のためによくない」と和らげたので、ナイの真意が伝わらなかったというのだ。


仮にそうだとしても、これは非常におかしな話だ。というのは、ジョゼフ・ナイの英語は非常に聞き取りやすく、私は半年間個人指導を受けていたが、全く分からないセンテンスはなかった。鳩山総理がスタンフォード大「卒業」ならば、通訳なしでもナイ教授の英語はわかるはずだ。通訳のミスでは済まされない問題だ。


しかも、国際政治の常識として、アメリカが「安全保障」の問題には相当センシティブであることは基礎中の基礎だ。普天間の問題を簡単に考えていたとしたら、一国の首相として資質不足と言わざるを得ない。クリントン国務長官が駐米大使を呼びつける事態を何と考えているのか。国益を考えても、非常に危ない話だ。


私も英語のヒアリングでは相当苦労したが、ナイ教授の英語が聞き取れない留学経験者(学位取得者)がいたら見てみたいものだ。やはりお金がありすぎると、アメリカに留学(遊学)してもフットボールをしているだけになってしまうのか。もったいない話だ。




外資系金融機関の日本支社の縮小、撤退ー資本主義の原理なので仕方がないが

リーマンショックから1年ちょっとたって、外資系金融機関の日本からの撤退、あるいは縮小が表面化してきた。日本株が好調だった2005年、2006年あたりに再参入した機関もあっただけに、ちょっと残念だ。要は儲かりそうだったら日本にきて、儲かる可能性が低くなれば撤退するという、簡単な理屈であるが。


確かに、資本主義の世の中では当たり前のことである。しかし、日本人には何となく違和感がある。日本人は「苦しくても耐える」という姿勢に非常に好感を持つ傾向にある。これは欧米人には理解できない。戦争中の日本人のスローガン「欲しがりません、勝つまでは」は、欧米人には理解が困難だ。


外資系の方が運用実績や技術は進んでいることはわかるが、個人的にはこういうところに自分の命の次くらいに大切なお金を預ける気はしない。以前、直接スイスのプライベートバンクに口座を開き、投信を買っている人もいたが、今聞いてみると全くハッピーではない。


まだ、日本が赤字だがお客様のために踏ん張っている、という外資系があれば好感が持てる。しかし、赤字になればもう撤退では、そこに預けていたら困ってしまう。もちろん企業の原理は「営利」が最重要で、顧客はその次なので、こういう対応は当然ではある。


それとともに、「超富裕層ビジネス」の難しさを感じる。世界的な知名度がある金融機関でも、日本のマーケットではなかなか成功できないという事実は重い。私は何とか個人でやっているが、こういう人は日本では皆無と言っていい。責任の重さを感じるとともに、何とかこういうビジネスを志す人のお役に立ちたいという思いから、今、日経系雑誌「ファンド情報」で、富裕層ビジネスの傾向と対策という連載をしている。


今の日本で超富裕層に受けるのは、経済合理性ではなく、日本人本来の武士道から出てくる「儲からなくてもお客様のために役立ちたい」という思いではないか。こういう「仮説」のもとに、日々の仕事をしている。





政治家は「議員になって何をするかが全て」-古川元久副大臣の言葉

政治のことで思い出したが、以前より古川元久国家戦略副大臣とは知り合いで、2年ほど前にたまたま新幹線の中で会って1時間ほどお話をした。この人は大蔵省出身で私のハーバード同期の桜内文城さん(今回は愛媛4区から出馬して落選)と大蔵同期だ。


新幹線での会話で印象に残っているのは、「政治家は国会議員になるのが目的ではなく、なって何をするかが全て」という言葉だ。そんなことは当たり前だ、と思われるだろうが、国会議員の中では当たり前ではないのだ。私の知る限りでも「国会議員にとにかくなりたい」という目的の人が多い。杉村太蔵はその極端な例だろう。


古川氏は私が尊敬する数少ない政治家の一人なのだが、彼はかつて「朝まで生テレビ」などによく出演していたが、最近は全くテレビでは見ない。それは、発言が各方面から制限され、くだらない発言になってしまう、からだと言う。政治家のハマコー氏でさえ、似たことを言っていた。ハマコー氏は「TVタックル」のディレクターと大喧嘩したそうだ。


ともかく、日本の政治が三流といわれる所以は、「議員になるのが目的」の国会議員が多すぎるのも一つだろう。

最近は一流のはずだった経済も三流になりかけているが、これを立て直すのは大変だが、国会議員の質を上げるのは比較的簡単だろう。


当たり前のことを考えて国会議員になる人が多くなることが、まずは最大の政治改革のような気がする。



田村耕太郎氏が自民党離党ーエール経済の同窓生

昨日は政治の世界は「田村デー」だった。自民党が下野し、当然離党者が出るとは思ったが、その第一号が「目立つ」田村氏だったとは、ある意味納得した。


この人とは、エールの同窓会で何度かお会いしている。エール経済学部の浜田宏一教授(東大名誉教授、自称、学会のハマコー)から、「おもしろい人物なので相山君も話をした方がいい」と言われていたのだ。この「おもしろい」という表現が微妙で、何せ田村氏はその「ファッション」で目立つのだ。


昨年12月に、私が副議長をしたマーカス・エバンス社主催の「オルタナティブ投資サミット」で、田村さんにも講師をして頂いた。その時にも自民党の将来についてはあまり楽観していなかった。ブログを毎日何回か更新しており、何とも勢力的な人だ。


国会議員の中には「議員になること自体が目的」な人が多いような感じがするが、田村さんは「政府系ファンドの創設」を掲げているので、「議員になって何をするか」を考えている人だと信じている。すでに、小沢一郎の切りくずし云々とおもしろおかしく言われているが、それなりに信念を持って行動する人だとは思う。


ともかく、田村さんのこれからの「行動」を注意して見守りたい。永田町の路上でも時々見かけるし。。。

日比谷高校の人脈の厚みー某中央省庁OBから伺う

先日の日経夕刊、草道さんのコラムで紹介したが、昔の日比谷高校は自由闊達の中で進学実績もあり、大物が育った。たまたま、昨日、私が関わっている港区の再開発事業で、いつもご一緒させて頂いている役所OBの方と雑談したところ、この方も日比谷高校出身だった。


同期で有名人は加藤鉱一さんはじめ、何人もいるという。そういえば、昨年、ある大使とお話したときに、この方も日比谷出身で、私が日比谷高校の隣のマンションに住んでいるというと、思わず昔話を始められた。何と2時間以上も話されていたが、おかげで昔の永田町界隈のことがいろいろわかった。


日比谷の結束は固いようで、特に同期でなくても、前後数年の方だったらだいたい分かるものだ。私の知っている別の元大使や元宮内庁の重鎮や元経団連会長やら、皆面識があるという。「昔の日比谷はよかった」というのがこの方々の合言葉だ。


今井敬・元経団連会長も日比谷出身で、以前、日比谷高校の話をされたときに、遅刻坂がきつくて、毎日本当に遅刻していた、と冗談混じりに言われていた。都立全盛時代は今のような変な受験戦争もなく、そこで学んだ人は学科の勉強も、その他の勉強もしていたように思う。そう考えると、日本の教育制度はかなり改悪されているように思われる。


これも学校群という悪平等制度のためだ。これは都立だけでなく、私の出身校の甲府一高(旧甲府中学)でも導入された。その結果、進学も悪くなり、特徴のある人物も少なくなったように思う。昔は石橋湛山のように、甲府中学に行かずに、看護婦にうつつを抜かして成績も悪かったようだが、それでも一念発起、首相にまでなった。こういう人物を生む土壌が昔の公立高校にはあったように感じる。


時代の変化なのか、今ではこういう公立は望むべくもないが、本当のエリートを養成しないと日本はますます国際競争力を落とすことだけは確かだ。そのための取り組みを誰がするのかという問題はあるが、草の根ではいろいろな動きがある。


例えば、ハーバードクラブ前会長の加藤祐一さんは、日本の英語教育のあり方を変える研究会をやっているし、

日本に欧米型のボーディングスクールをつくる動きもある。なかなか成功まではいかないが、日本の教育が現状でいいはずもないので、まずはいろいろやってみることが肝要だろう。



サムエルソン教授の本質ー並外れた創造力と記憶力

通常、創造力と記憶力は別物で、日本人の受験秀才は記憶力はあるが創造力がない、とかよく言われる。しかし、その双方を兼ね備えた人は世界にはいるのだ。サムエルソン教授はその典型だろう。


サムエルソン教授の創造力とは、よく知られているように「ケインズ派」と「新古典派」の長所を統合して「新古典派総合」という新たな分野を切り開いたことだ。これにより、経済学を実態経済に役立つ学問にしてみせた。これはレーガノミックスやサッチャリズムの理論的根拠にもなった。


記憶力の点では、多分あまり知られてはいないだろう。これは私が秘書から聞いた話だが、教授は電話番号を1000件以上記憶していて、自分で電話をかけてしまうそうだ。私のような凡人にとっては電話番号など10件覚えていればいいほうだ。いったいどういう頭をしているのだろうか。ちなみに私の慶応での指導教授である石川忠雄元塾長には「2回あったことがある」という話をされた。


帰国後、私は早速、石川忠雄先生に会い、サムエルソンから先生に二度あったという話を聞いたが、いつ会ったのかを伺った。すると、石川先生は驚くべきことを言った。「私は全く覚えていないが、サムエルソンならおそらくその二度の日にちを正確に言うだろう」。石川先生はサムエルソンのことを見抜いていたのだ。


世界には並外れた天才がいる。アインシュタインなどもそうだろうが、サムエルソンもその一人だろう。生きているうちに話ができてよかったとつくづく思う。



サムエルソン教授に対する誤解ー本日の日経コラム

本日の日経コラムはサムエルソン教授に関するものだった。ここにはいくつかの誤解がある。まず、この筆者がサムエルソン教授の著書を持ってサインを頼んだら拒否されたというくだりだ。


まあ実際にそういうことがあったのだろうが、私にはちょっと考えられない。私が最初に教授に面会したときに、著書を3冊持っていったところ、全く問題なくサインを頂いた。しかもそれぞれ、数行の英文とともにだ。さらに「色紙」を出したところ、それにも喜んで自分の好きな数式を書いて頂いた。状況は分からないが、普通の状況でサインを拒むとは考えられない。


もう一つが、サムエルソンは数学に強いので「MIT」という工学者の牙城とは相性がよかったというくだりだ。教授は決して好きでMITに行ったわけではない。やはりハーバードに残りたかったのだ。天才サムエルソンをなぜハーバードは教授にしなかったのか、様々な説があるが、ともかく教授の部屋の椅子は全て「ハーバード」の校章の入った椅子だった。MITの教授室なのに、である。


教授はよく私に甥であるローレンス・サマーズの自慢話をした。財務長官としてのサマーズでなく、「ハーバード学長としてのサマーズ」をである。アメリカでもサムエルソンの名前はまさに「ビッグネーム」であり、サマーズが20代でハーバードの教授になり、その後財務長官やハーバードの学長になれたのは、やはり「サムエルソンの甥」ということが大きな力になっていただろう。もちろん、サマーズ本人の能力は万人が認めるところではあるが。


アメリカの大学の学長が来日すると、かならず日本同窓会でパーティを開く。サマーズが学長時代に2回ほどハーバードクラブが開催されたので、私もサマーズとは話をしたことがある。でも何か冷たいそっけない感じで(これは多くの人がそう言う)、サムエルソン教授の方が数段心に響く人だ。


この20世紀の知の巨人と何度か個人的にお話(ご指導)を頂いたのは、私にとっては大きな宝物だ。エズラ・ボーゲルやジョゼフ・ナイに個人指導を受けていたのとは、やはり重みが違う。また「天才」とは何かを教えられた事件もあった。それは次回で。





サムエルソン教授逝くーついにこの日が来てしまった

サムエルソン教授が昨日亡くなられた。すでに90代半ばでいつそうなってもおかしくはなかったが、本当に亡くなるとは思わなかった。このスーパーマンだったらずっと生きているような気がしたのだ。


私は2002年秋にハーバードの研究員をしていたが、この時に初めてサムエルソン教授にお会いした。最初は、本当に会ってくれるだろうか、と懐疑的だった。日本の経済学者でサムエルソンに面会を求めたが、断られたと言っている教授を知っていたからだ。


しかし、普通に会ってくれた。それどころか、毎週水曜日の午後は空いているよ、と言われたのだ。ちょうど水曜日の午後に、エール時代に知り合ったステファン・ロス教授(CAPMに対抗した APT理論)がMITで金融論を教えていたので、その授業に出て、その帰りに寄った。サムエルソン教授はロバート・マートン教授(ハーバード)を高く評価していることは知っていたが、本当に、マートン教授に会うことを薦めてきた。


アメリカの学者の世界も日本と同じで、マートンの秘書に「サムエルソンから会うことを薦められた」と言ったら、翌日すぐに電話があり、「明日マートン教授が来てくれと言っている」ということであった。ノーベル経済学賞の受賞者で、オプションの価格を数式で解明した天才マートンに、すぐにでも個人的に会えるとは驚いた。師匠サムエルソンの名前が効いたのだ。


アメリカの経済学者の大半がサムエルソンの教えを受けた人で、2002年にMITで知り合ったロバート・シラー教授(エール大教授、不動産のインデックス「ケース・シラー指数」の創設者)もサムエルソン信奉者だ。サムエルソンの信奉者が多い理由は(私もそうだが)、その面倒見のよさだと思われる。


私などは単なるハーバード卒業生で(その意味ではサムエルソンの後輩だが)、エールの経済学修士とはいっても、経済学でサムエルソンと議論するレベルでも当然ない。そんな男にも「アメリカにいる間に会っておいた方がいい」といって、何人かの有名教授に会えるようにして頂いた。これはなかなかできることではない。


アメリカで知り合った経済学の巨匠のトービン教授(エール)やサムエルソン教授が次々にいなくなってしまうのは、本当に寂しい気持ちになる。