日本ファミリーオフィス協会 -63ページ目

不思議なシンクロニシティ(偶然の出会い)を大事にする-本田健さんからの教え

世の中には、不思議な縁がある人が確かに存在する。以前、本田健さんとボストンでお話したときに、自分は偶然の出会いを大事にする、という話を伺った。そのおかげで「ユダヤ人大富豪の教え」のもとになったゲリーさんと出会え、様々なことを教えてもらえたという。それで本田さんの人生は変わったようだ。


私にも今までの人生の中で何人か不思議な出会いをした人がいる。その中で、最近はNさん(仮名)との出会いが衝撃的だった。この方は私の知るいろいろな方と深い関係があった。まずは、Nさんのお兄さんに私は経団連時代に非常にお世話になったのだ。お兄さんは有名な教授だ。


そもそも、Nさんとはある方の軽井沢別荘でのパーティで3年前にお目にかかった。その後、お会いしたときにお兄さんの話を伺い、思わず「え~」と叫んでしまった。そういわれると顔立ちも似ている。


Nさんはもともと某銀行出身であるが、その銀行の私の知り合いの方と話したら、何とNさんの同期でNさんは100数十人いる同期の中でも有名で尊敬も集めた人だったそうだ。また、最近、私の経団連の先輩と話をしていたらNさんのお父さんの話が出てきた。お父さんには非常にお世話になったそうだ。


Nさんはご両親、ご兄弟とも有名人一家だが、決してそんなことは言わない。ちょうど、石坂泰章さんが石坂泰三の孫とは絶対に言わないのと同じだ。そんなことを言う人を私は信用しない。私自身の人を見る一つの基準だ。


私もサラリーマンを辞め、今は自由の身なので付き合う人も厳選している。自分が尊敬できる人でないと会うこともしない。偶然の出会いがあり、尊敬できる人は誰にとっても少ないので、本田健さんではないが、私もそういう方を大事にしたいと思っている。



楽天の社内公用語の英語化ーまずは日本語では

楽天が社内の公用語を英語にするという。三木谷氏らしい発想だが、実際はどうか。以前、仕事で楽天の社員の方とやり取りしたことがあったが、皆インターネットはすごく詳しいけど、漢字が間違っていたり電話での敬語の使い方がおかしかったりした。これは最近の若者の特徴とも言えるが、まずは英語で話す前に日本語の勉強が必要と感じた。


世の中国際化で、バイリンガルがもてはやされたりするが、両方中途半端になっている人も見かける。最近は日本の小学校でも英語を教えているが、まずは母国語をある程度学んでから外国語に行くのが順番であるように思う。スイスのように3ヶ国語を話さなければ生活に困るような国に住んでいれば、どれも中途半端で仕方がないが、日本はそういう状況にはないので、まず日本語だろう。


というのは、よく外国人から言われるが、日本語は漢字もひらがな、カタカナとあり、とても習得に時間がかかる言語であるからだ。こんな言葉は世界でも例がないであろう。だから、日本語ができていないときに全く言語体系が違う英語を教えたり、さらに簡単な漢字も間違う人に日常的に英語でしゃべることを求めるのは本末転倒のように思える。


もっとも、こういう問題は100人いれば100通りの考えがあるので、コンセンサスができる問題ではない。オーナー企業でないと決定はできないであろう。その意味で、楽天の試みは一つの興味深い事例であろう。数年後にやっぱりよかったとなるか、やめるかのどちらかだろうが、従来は掛け声だけで中途半端になった企業が多かった。


経団連でも、当協会理事の三好正也が事務総長の時に、会議は英語にするかという意見もあったが、結局はやめになった。三好を初め、皆英語ができる人なので、支障はないようにも思ったが、やはり日本人同士で英語でしゃべるというのは抵抗感があった。


まだまだ、英語とどう向き合うかは試行錯誤が必要だ。

ハーバードとエールー学部はエールの方が難関だ

先月のブログで、エールが学部レベルでは全米一、ということを書いたら何人かから「やはり学部もハーバードが一番ではないのか」というコメントを頂いた。確かに意外な事実で、私もアメリカに留学する前はこのことを知らなかった。でもなぜかは簡単だ。


アメリカは国土が広いせいか、大学にも地域性がある。ボストンの高校で上位の人はハーバードにいくし、ニューヨークでトップの高校生はエールに行く人が多い。そうなると、ニューヨークの方がボストンより人口が多いので、優秀な高校生も多い。だからエールの方が学部レベルでは難しくなるのだ。


大学院になると、アメリカ人は一度社会に出て、問題意識を持ってから大学院に行く人が多い。そうなると地域性はあまり関係なくなる。それで大学院レベルではハーバードの方が上になる。まあ上下といっても日本の大学のようにピラミッド構造になっていないので、ハーバードもエールもプリンストンも大差ない。分野によってどこがいいという話だ。


最近のネット記事で、今年ハーバードとエールの学部を両方受かった高校生がエールに行ったので驚いたというものがあったが、アメリカ人には常識だろう。エールの方が奨学金も充実している。日本人がなぜハーバードが世界一と思っているかについて、エール大学教授の浜田宏一教授(学界のハマコー)に聞いたことがある。浜田教授は、ハーバードは宣伝がうまいとの見解であった。


でも今年、日本の某進学校からエールに受かった高校生は東大にも合格していて、エールの学期が始まる9月までは東大に通うようだ。それにしても、高校生で英語をほとんど支障なく話す彼らには脱帽だ。TOEFLもほとんど満点ということで、こういう人は日本に帰ってきても日本企業には就職しないだろうな、などと余計なことを考えてしまう。

サッカーワールドカップ日本戦の感想ーやはり海外組が活躍

昨日のパラグアイ戦敗退で、日本のワールドカップは終わった。決勝トーナメントまで出られるとは予想外で、パラグアイ戦も大善戦。PK負けは仕方がなかった。私が全4試合を通じて気づいたことをつれづれに述べてみる。


まず本田の活躍だ。FKでの得点はすごかった。世界レベルのシュートだ。中田とは違うタイプのニューヒーロだ。おそらく、ワールドカップ後にビッグクラブからのオファーがくるだろう。中田は最初のワールドカップ出場のときに(1998年)スカウトに自分の位置がわかるように茶髪にしたが、本田の茶髪もそれを意識しているのだろうか。


松井の運動量もすごかった。特に、初戦のカメルーン戦のアシストは素晴らしかった。あれで日本に流れができて、予想外の躍進を果たしたのだから、今大会の陰の功労者であろう。地味なところは本田と対照的だ。


その他は特に印象には残っていないが、国内勢はこういう海外での試合になると、やはり慣れがない。実力を十分に出し切れないのだ。海外組はヨーロッパや南米の一流選手と日常的に接しているので、世界の舞台では場慣れしている。実力を出しやすいと思われる。


となると、サッカー協会の会長も言っていたが、日本選手もどんどん海外のクラブに行って揉まれることによって世界に近づけるのではないか。韓国などがいい例だ。何でもそうだが、高いレベルのところに行って修行しなければ上達はなかなか望めない。野球など他のスポーツも状況は同じだ。


4年後も決勝トーナメントに進んで日本人を勇気付けてほしい。



サッカーで誤審が起きるわけー野球との違い

昨日のワールドカップサッカーは二つの単純な誤審があり、そこでラッキーした方が勝利を収めた。なんだが後味が悪いが、サッカーは誤審が特に多い。だから、その結果を神の手といったり、疑惑のゴールといったり、いろいろだ。


この原因は審判の数の少なさにある。サッカーは主審に線審二人だ。これではとてもあの広いピッチを隈なく見ることはできない。野球の審判団が多いのとは対照的である。

このことを文化の側面からみたのは、元カナダ大使の外交官、法眼健作氏だ。


法眼氏によると、イギリス起源のサッカーはもともとそんな厳密なスポーツでないという。審判に見つからなかったらハンドでも何でもしても大丈夫だ。これに対してアメリカ起源の野球は、まずルール違反はだめだ。すぐに審判に見つかってしまう。アメフトにいたっては、審判の数が圧倒的に多いのだ。


これからも疑惑のゴールは出てくると思われるが、審判の数を増やすというより、これもサッカーと割り切ったほうがいい。そのほうがサッカーらしい風情があると思う。今回も監督として人気を博しているマラドーナの神の手事件や、既に敗退しているが、フランスのアンリもヨーロッパ予選でハンド事件を起こしている。


古くは1966年のイングランドとドイツの決勝での疑惑のゴールなど、そういう事件をきっかけに今までも審判を増やすなどの改正はできたはずだが、そういう議論は出ていない。やはり、「これもサッカー」と世界の人が一応認めているので、サッカーが世界で一番広まっているような気がする。野球は審判に抗議をしても一応は大丈夫だが、サッカーは抗議をすると即イエローカードだ。


野球ではビデオで見て判定が覆ることがあるが(相撲も最近そうなっている)、サッカーはビデオを見て明らかな誤審でもそのままだ。デジタル時代の現在では、こういう競技はむしろ例外ではないか。このいいかげんさがサッカーのいいところかも知れない。

大相撲の調査委員長になった伊藤滋教授の名前を久々に聞くー首都機能移転の権威

昔、バブルのころの東京は大変な過密が問題になっていて、首都機能を移転しなければ日本は立ち行かなくなるという議論があった。20年後の今日では、信じられないという人が多いだろうが、政治家では金丸信が中心になって、この主張をしていた。経団連でも首都機能移転推進委員会ができ、1990年代には盛んに検討を行っていた。私はたまたまこの担当を1年間だけだがやった。


政府では、各分野の有識者を集め首都機能移転に関する審議会をつくっていた。私も傍聴していたが、首都機能を移転させるにしても、「どこにするか」が大きな論点だった。当時の議論では、第一に有力だったのが那須、阿武隈周辺、第二が名古屋、岐阜周辺だった。伊藤滋教授(当時は慶大教授)は名古屋を推す有力な学者だった。


経団連でも伊藤先生の話をよく聞いていた。首都機能移転の最大の問題は「経費」であり、これは苦しい国家予算で出さねばならない。ところが、名古屋(駅周辺)に移転すれば、現在あるいろいろなビルを利用すれば事足りるという。那須に国会議事堂や各省庁を新たにつくるのは、予算がかかり過ぎ現実的ではないと伊藤先生は主張されていた。


その後、そもそも東京の過密は解消され、今ではむしろ東京の再生をどうするかがテーマになりつつある。自然に首都機能移転の議論は消えてしまった。


伊藤先生と何度かお目にかかったときに、確かに先生は大相撲の大ファンであることは伺っていた。それでもその後、相撲協会の理事になるとは予想外だった。今は賭博事件の調査委員長になられ、厳しい裁定を主張されていると漏れ聞く。相撲ファンであるからこそ、こういう不祥事は許せないのであろう。


来週には名古屋場所開催の可否など、具体的な話が決まってくるだろうが、もはや名古屋場所をやってもテレビ放送はないし、欠場だらけで取り組みもままならないだろう。個人的には、ここでウヤムヤに終わらせるよりも、徹底的に反社会的勢力との関係を断つ「仕組み」をつくり、何ヵ月後に再出発でもいいと思うのだが。

ハーバードのホームページで卒業生か否かを調べることが可能にー学歴詐称防止か

日本では相変わらず外国の有名大学に行ってもいないのに、卒業したという人が多い。これはアメリカでも同じらしく、そう言われる可能性が一番高いハーバードでは、ホームページで卒業生か否かが誰でも調べられるようになっている。私も自分のことを確認したが、名前と1992年卒でインプットしたらMA(修士)と出てきて、安心した。やはり卒業していたのだ。サッチーではなかった。


何で実力主義と思われるアメリカでこんなことをしなければならないか。いやアメリカの方がよっぽど学歴主義だからだ。日本ではどこの大学でも、それで初任給が変わるなんてことはない。ところがアメリカでは卒業大学によって初任給が違うのだ。もっとも日本でも戦前は大学によって初任給が違っていたようだ。ただし今のアメリカのように極端ではなかった。


ハーバードにいたころ、大学院の寮で隣の男に、卒業大学によって給与が違うことについて聞いてみた。彼は一言「That is fair.」と言っただけだった。それについて文句を言っている人はいないのかと聞くと、「why?」だった。アメリカ人は大学によって給与に格差をつけることがフェアだと考えているのだ。日本がいかに平等社会で学歴社会でないかが分かる話だ。


同じように、最近、日産のゴーン社長の給与が7億弱で高すぎるという批判があるが、本人はそうは思っていないようだ。欧州でもそういう格差は認められているからだ。さらに、中国のある大企業の幹部から聞いた話だが、中国人の企業トップは日本社会を資本主義ではなく社会主義だと思っているようだ。給与の格差、貧富の差が少ないからだという。中国は資本主義化してから、考えられないほどの貧富の差ができたのは周知の話だ。


何がフェアで何がフェアでないかは国により異なるが、問題はそれにより国の成長に差ができることだ。あまりに平等主義、出る杭は打たれる日本社会では企業家スプリットは養成されず、国の勢いが出てこないだろう。








コーポレートガバナンスの新たな視点ーファミリービジネスネットワークの勉強会

今日は、月1回のファミリービジネスネットワークジャパンの勉強会があった。講師は一橋大学の田中一弘教授だ。この方は日本型コーポレートガバナンスのあり方を研究しており、それは「水平型統治」だという。これに対して、アメリカ型は「垂直型統治」だ。


そもそもアメリカの企業経営者に対する考え方は「性悪説」だ。企業経営者は法律による規制などなければ、自己の利益だけを考え、悪いことをするという考えが基本だ。確かにアメリカでは実態もそうかもしれない。しかし、日本の経営者は、もちろんそういう人もいるが、主流は自分のことだけでなく、顧客や従業員、株主などのことも考えて経営に取り組んでいると思われる。


こういう経営者の質の違いがありながら、アメリカ型の企業統治をそのまま日本に持ってきていいはずがない。アメリカ型は法律などの規制を「上から」かけて企業経営者を律するというものだ。それを「垂直型」企業統治というが、日本型はどういうものがいいのだろうか。田中教授は日本の経営者は自ら律することができるので、「自律」を信じて自主的な企業統治でいいのではという考えだ。それが「水平型」企業統治だ。


今、世界中がアメリカンスタンダードになりつつあるが、各国で事情が違うのでそれだけでいいはずがない。我が「ファミリーオフィス」の世界も同じで、「日本型ファミリーオフィス」のあり方をずっと検討してきている。経営も日本には日本のよさがあり、アメリカ型に従うよりは、自らの経営のあり方、企業統治のあり方を逆に世界に発信すべきだというのが田中教授の考えだ。私もその考えに大いに同意した研究会だった。

石坂泰章さん関係の報道に疑問ー当人同士でないと分からないこと

週間新潮が突然、小谷真生子さんと石坂さんのことを報道した。しかし、これは2年も前の話だ。なぜ今突然、、、という疑問がわく。単に今気づいただけかも知れない。それにしても石坂さんは私人なので、いろいろなマスコミが私生活のことまでを想像でおもしろおかしく書くのは大いに疑問だ。


当人同士でないと何も分からないことなのに、やれ年収の差がどうだとか、金銭感覚が合わなかったとか、無責任なことを書き立てている。私自身、石坂さんにはいろいろな場面でお世話になっているし、お人柄も知っている。決して、ここ2日くらい様々なメディアで報道されているような方ではない。


石坂さんは石坂泰三氏(経団連2代目会長)の孫であることは事実だが、「それは言わないでくれ」と常に言われる。そういうことを「売り」にして本を書いているような人が多い中で、自分の力で何とかするという意識の強い稀有な方だ。


日本にオークション文化を広めることを夢に日夜サザビーズで活動している。その分野で、まさに「一隅を照らしている」わけだ。このような人の活動をマスコミ報道により阻害することは、これは日本の損失と言っていい。「売れればいい」だけではなく、マスコミは日本のために、石坂さんの活動を支援する方向に動くべきだろう。






大相撲の賭博騒動に思うー賭けないでゴルフ、麻雀をする人がいる?

最近の大相撲騒動は、一部魔女狩り的な性格が出てきた。もともと、こういう話がリークされること自体、内紛が起こった証拠だ。それは言うまでもなく、貴乃花の理事立候補に始まる。当選してしまったものだから、本当に貴乃花に改革を進められると困る勢力もいるはずだ。いわゆる既得権益を得ている人々だ。この人々がマスコミにリークして貴乃花グループを追い落とそうとしたのだろうが、意外な広がりを見せている。


その中で、協会広報の陸奥親方は、麻雀と花札で1000円程度賭けてプレーしたと告白。これが問題になっているのだ。でもおかしな話だ。実際に麻雀で賭けないでやっている人は見たことないし、素人のゴルフでも数千円かそれ以上の金が動くのはごく普通だ。


それどころか、以前、私はゴルフに知り合いと行ったときに、握り云々といわれ、「違法なことはしない」といったら

一同が凍りついたような冷たい顔になった。こいつは何者かと。。。

同様に麻雀についても、賭けないでやっている人を見たことがない。それが今回問題になるのだったら、これはもう魔女狩りの世界だ。


そもそも、「横綱の品格」に代表されるように、基準があいまいなところが大相撲の世界だ。だから今回の事件を機に、ルールを明確にしてほしいものだ。