日本ファミリーオフィス協会 -45ページ目

囲碁と石見銀山ー本因坊道策のふるさと

囲碁の世界で、江戸時代に棋聖といわれた人が二人いる。一人は元禄の時代に活躍した本因坊道策で、もう一人が幕末に活躍した本因坊秀策だ。連休中にたまたま西日本を旅行して、石見銀山に寄ったのだが、ここは本因坊道策のふるさとだ。なぜここから囲碁の棋士が育ったのか?


本因坊道策の子孫にあたる山崎さんから、以前、道策の子供のころの話と石見銀山のかかわりについて伺った。山崎家は石見銀山と密接な関係にある家柄だ。銀の精製には高度な技術が必要なため、当時のインテリが石見銀山には多く集まっていたそうだ。その人たちは囲碁をたしなむ人が多く、道策も子供のころから囲碁を打っていたそうだ。


ところがいくら天才でも最初は囲碁のことが分からなかったようで、詰碁がなかなかできずにお母さんに怒られていたそうだ。何百年に一人の才能でも、最初は初心者であったということだろう。でもその後は急速に伸びて、銀山の技術者の中で話題になり、江戸に出て本因坊家にでも弟子入りしたらどうかということになった。


江戸に出てからはすぐに頭角を表し、同時代で相手になる人は全くいなかったようだ。当時、プロの囲碁棋士としてやっていこうと考えていた、後に大天文学者になる渋川春海は、道策に全く歯が立たなかったことによりプロ棋士の道をあきらめ、天文学に没頭することになった。


今の石見銀山は、世界遺産というにはちょっと物足りないが、その背後にはこんな話もあるのだ。

民主党副代表の石井一とは何者かー日本政治の貧困の象徴

今日は石井一氏が「ゴルフ事件」を起こしてくれた。震災対策副本部長なのに、この時期にマニラに行ってゴルフをしていたという。記者に聞かれると「目立たないのでいいと思った」とのことだ。要は分からなければ何をやってもいいという考えを露見したのだ。


この人は強面なのであまり話したことはないが、永田町の同じマンションで何度も顔を合わしている。このマンションには政治家は10人近くいるが、石井氏が一番行儀が悪い。まさに容姿そのものだ。私も一度、この人の行儀の悪さには驚いたことがある。


ある日、マンションのゴミ捨て場の方から大きな音がしたので行って見たら、石井氏が出てきた。何と、ゴミ袋を放り投げていたのだ。もちろん、ゴミ袋をおく場所はあるが、どうせ管理人が片付けるだろうと思ったのだろう。しかも誰がやったかも分からない(この時はたまたま私が見つけてしまったが)。今回の「ゴルフ事件」と発想は同じだ。


それにしても、こんな人物が民主党で副代表をしているのだから驚きだ。政治の貧困はここに極まれりという感じだ。これでは、優秀な人が政治家にならないのも分かる。こんな人に使われるからだ。こういう人はこれを機会に退場してほしい。日本をよくするために。

インターネット検索情報の危うさー芸人、いとうあさこ氏の場合

最近は情報はほとんどインターネットの検索で行えるようになったが、まだまだガセネタも多い。これには十分に気をつけなければならない。先日は、たまたま「いとうあさこの祖父が伊藤英吉(伊藤忠元会長)」という仰天する記事を見つけ、かなり悩んでしまったのだ。


伊藤英吉さんは伊藤忠の創業者一族で、私が日ごろお世話になっている伊藤公一さんの父君だ。いとうあさこ氏(40歳)がもし伊藤英吉さんの孫だとすると、年齢からいってその父親は伊藤公一さんに相違ない。しかし、公一さん本人からは20年近い付き合いの中でそんな話は聞いたことがない。


そこで先日、公一さんにお会いしたときに思い切って聞いてみた。結果は、、、案の定まったくの関係なしだった。公一さんはいとうあさこなる人を知らなかったし、一族で芸人になるような才人もいないとのことだった。


伊藤兄弟は皆、エールとケンブリッジ出身のエリートで、美男美女揃いだ。いとうあさこ氏とは容姿的に似てもいない。でも「伊藤」で思いつくのは「伊藤忠」ということで、伊藤英吉さんの名前が出てきたと思われる。こういう根拠のないネット記事を信じると大変なことになる。


情報が氾濫すると、どの情報を信じるかが重要になる。ネットの検索も気をつけたい。



原子力安全・保安院の西山英彦審議官の子弟が東電勤務ー不思議な会社

雑誌で話題になっているが、西山審議官の娘さんが東電勤務だそうだ。何か、人のよさそうな西山さんの裏を見た感じでいやな報道だ。東電は経済産業省が監督官庁なので、その人々のいうことには逆らえないのだろう。規制を受ける会社の弱いところだ。昔、平岩さんが経団連会長になろうとした時の反対意見はこれだった。東電会長では通産省にはモノが言えなくなるということだ。


その時には、どんな大企業でも多かれ少なかれ政府の規制は受けているという理屈で、平岩さんが会長になった。しかし、やはり東電は他の会社とは違うだろう。私が知る範囲でもずいぶん多くの通産省関係者や議員関係者が東電に就職している。石破・自民党政調会長のご子息も東電勤務だそうだ。


外国で生活した人だったら分かるが、日本の電気料金は高い。しかも独占なので東電の利益は大きい。給与も高い。そこにいろいろな人が群がる余地があるのだ。電気料金を適正にして、今回のことを契機にしっかりとリストラを行い、本当の公益企業になってほしい。


個人的には役員にも何人か知り合いがいるので、言いにくいが、民間の公益企業なので変なコネ採用など行わずに、社員一丸となって効率的に働いてもらい、電気料金に還元してほしいものだ。今の状態で値上げなどは誰も納得しない。絞るだけ絞って、それでも足りなければ仕方がないが、足りないことはないだろう。


東電ののんびりした社風は個人的には好きだが、日本経済全体を考えると、もう東電だけがのんびりの時代は終わっただろう。

日経「経済教室」に浜田宏一教授が登場ー主張は20年前から同じ

今日の日経「経済教室」は学界のハマコーこと、エール大教授の浜田宏一氏だった。氏には私が1990年から91年にかけてエール大経済学大学院にいたときからのお付合いだ。留学して1年目だったので、アメリカ社会のことをいろいろと伺った。浜田教授のハムデンというところの自宅によく行き、囲碁を打ったりしてお話した。


浜田教授の昔からの主張は「インフレターゲット論」だ。しかも日銀批判が好きだ。それにしても驚くには、今日の日経の記事内容は20年前から全く同じことを言っていることだ。まあ「ブレない」ことはいいことだが、経済学も日進月歩なので、新しい内容も盛り込んでほしかった。


当時エールの経済にいた仲間でも、大竹文雄さん(大阪大)は次々に新しいことを言っているし、塩路悦郎君(一橋大)も新しい経済学に挑戦している。浜田教授は大御所だからそれでいいのかもしれないが、エール教授のロバート・シラーが「ケース・シラー指数」を考え出し、それが世界の不動産価格の基準になっていることを考えると、浜田教授にも何か新しいことをやってほしい。


浜田教授は学校秀才で、湘南高校のときから有名で、東大法学部では「2番」で卒業したそうだ。一番は角谷・元国税庁長官で3番は尾崎・元大蔵事務次官だ。昔の東大法トップは皆、大蔵省に行ったものだが、浜田教授は一番になれなかったことで大蔵省には行かず、東大の経済学部に行ったというから、当時から変人ではあったわけだ。


本家本元のハマコーがいなくなった今、「学界のハマコー」として新説を持って学界で暴れまわってほしいものだ。



ブッシュジュニアがエール大に入れた理由ー昔のアメリカ入学事情

ブッシュジュニアの日経「私の履歴書」が続いているが、この人がなぜエールに入れたのか以前から不思議に思っていた。先週、伊藤公一さん(エール日本同窓会前会長)に会ってこの疑問を投げかけたところ、その理由は分かった。昔は有名なボーディングスクールに行っていれば、ハーバード、エールにも簡単に入れたそうだ。


伊藤さんがエールの学部に入ったのが今から52年前だが、ブッシュジュニアはその5年ほど先輩だそうだ。ブッシュ家は3代にわたりエール卒で、政治家一家として当時から有名だったそうだ。ブッシュジュニアもパパブッシュと同じく、ボストンのアンダバー(フリップスアカデミー)出身だ。


しかもその当時のアメリカの大学は今ほど厳しく成績が問われなかった。ブッシュジュニアがエールの卒業式に呼ばれて「C student でも大統領になれる」と言ったのだが、当時は今のように平均B以上でないと進級できない、という決まりがなかったそうだ。だから「C student」が卒業できたのだ。こちらは平均B以上取るのに四苦八苦したのに、羨ましい話だ。


今では、ブッシュ家といえども無条件でエールに入れるとはとても思えない。それなりの成績が必要だと思われるが、それでも他の一般人よりはハードルは低いだろう。エールの大学院同期でエドワード・ケネディ・ジュニアがいたが、彼もケネディ家でなければとてもエールには入れなかっただろう。

全体からいえば、アメリカの大学も民主化は進んでいるということか。


ジョゼフ・ナイのいう「中国まだまだ論」ー中国はアメリカの脅威ではない

最近、慶応の石川忠雄ゼミの先輩である国分良成さんが「中国は、いま」という本を出された。この中で私が特に感銘を覚えたのはハーバードのジョゼフ・ナイ教授の寄稿だ。ジョゼフ・ナイは私がハーバードで個人授業を受けた方であり、アメリカ外交論の重鎮だ。国務長官には残念ながらなれなかったが、未だにオバマ政権で国務省や国防省に影響力がある。


ナイ教授は非常に客観的に各国の「パワー」を見る人だが、中国についてはその底力は認めている。また紀元500年から1500年まで、中国が世界一の経済大国だったと指摘している。だから2030年ころに中国がGNPでアメリカを抜いても全く不思議ではなく、これは中国の「台頭」ではなく「再興」だと喝破している。


ただし、中国が世界一の経済大国になっても、「一人当たり」ではまだまだアメリカには追いつかない。しかも重要なことは、中国にはハリウッドや世界に冠たる大学といった「ソフトパワー」はない。だから、まだまだ中国がアメリカにとって変わって世界の覇権を握ることはないという。


もっとも、この10年、20年の間に中国が「ソフトパワー」を身につける可能性は、個人的にはあると考える。例えば大学でも、経済が大きくなった国に世界中から優秀な学生が集まるからだ。アメリカ経済がイギリス経済を抜いた20世紀初頭に、世界一の大学がオックスフォードからハーバードに移った。だから後20年後に、世界一の大学がハーバードから北京大や清華大に移っても何の不思議もない。


2030年ころになれば、中国の政治も民主化され、経済もアメリカに追いつき、本当の意味での「アメリカの脅威」になるのではないか。但し、現時点では巷で言われているような「中国脅威論」は、確かに中国を買いかぶりすぎだろう。中国には、まだまだ世界一になるには課題が多いのではないか。

100年企業の秘訣とはー「養子」にあり

企業は最初は創立者が起こして、たいていはすぐなくなるものの、大きくなる企業ももちろんある。問題はその後に持続可能かどうかである。これが相当難しく、まさに経営学の大きなテーマになっているわけだ。特に企業が長続きしない理由は「後継者」にある。創業して会社を大きくした人は相当な能力、手腕を持つわけだが、創業者がいなくなった途端に会社が傾くことはよくある。


先週は、ファミリービジネス永続の秘訣について、伊藤公一さん(伊藤忠、丸紅の創業者一族、エールクラブ前会長)に伺ったが、ポイントの一つは「養子」だという。伊藤忠も伊藤忠兵衛という不世出の創業者のあとは、それを越える人材が一族から生まれる可能性は少ない。これはどの企業にとっても同じだ。そこで伊藤忠、丸紅ではファミリービジネス時代はよく優秀な社員を養子にしたという。


これは近江商人の一つのノウハウらしいのだが、確かに日本的で効率的な手法だ。誰もが認める優秀な人材が後をついで、しかも創業者一族になるので、創業理念の継承も可能だ。確かに昭和の時代はそういう手法で伸びてきた会社は多かった。有名なところでは鹿島とか大正製薬とかだ。


最近は養子ということ自体が少ないが、これは日本的経営のメリットであり日本の強みの一つだっただろう。欧米にない日本の強みを日本人が理解し、そういう点は欧米化しないことが必要だろう。バブルのころにアメリカのビジネススクールでもてはやされた日本的経営は、まだまだ使えることはあるのではないか。

ユダヤ人の石角莞爾さんの五百旗頭新税への批判ー欧米では暴動が起きる

ユダヤ人になった石角莞爾さんが最近いろいろな意見メールを送って下さる。その中で五百旗頭さんが復興会議で突然提唱した復興税は大いに批判していた。私と同じである。要は、復興でお金が必要なのは当然だが、物事を決める政治家や公務員は無傷で、一般市民にだけ負担を強いるのはどういうことかという意見だ。


こんなことを欧米で提案したら暴動が起きるという。その通りだろう。日本人ほど「お上」に甘い国はない。天下りがここ数十年間も批判されてきて、未だになくならないのはその典型だ。黙っていると政官はどんどん民から搾り取ることを考える。江戸時代ならいざ知らず、今さら「泣く子と地頭には勝てぬ」でもないだろう。


新税はいろいろな案があるようだが、消費税アップが有力だ。でもその前にやることがあるはずだ。国、地方自治体の無駄を省き、議員や公務員の削減、給与のカットなどを進めれば消費税アップも最低限で済むはずだ。

議員や公務員は自分たちの待遇改悪には断固反対だ。それでますます税金は無駄使いされる。そこの是正に我々は民主党に期待をした。しかし裏切られた。


官僚は、自分たちに都合のいい意見をそのまま言ってくれる学者を審議会の会長や委員に選ぶ。それで専門家によるお墨付きを得たと利用する。五百旗頭さんも自分が利用されていることに気づかないのか、あるいは気づいているが勲章がほしいのか。悲しい御用学者だ。


ともかく必要な増税は仕方がないが、増税の前には最大限に絞ったが足りなかったというデータが必要だ。我々も簡単に増税を許してはいけないのだ。

ボストンマラソンー20年前に参加しようとして断念

昨日のボストンマラソンで2時間3分台の驚異的な記録が出たそうだ。でもこれは公式記録にはならない。ボストンマラソンのコースが国際陸連の基準に合っていないからだそうだ。それを分かっていながら敢えてコースを変えないのが、伝統を重んじるボストニアンらしい話だ。


私も20年前にボストンにいたときに参加を考えたことがある。しかしこの時期はちょうど大学の試験と重なっており、しぶしぶ断念した。もっとも参加したとしても完走は無理で、どこかでタイムオーバーになっただろう。作家の村上春樹さんは当時毎年ボストンマラソンに参加されていたそうだ。村上さんはボストン郊外の歴史の街、レキシントンに住み、そこで短編小説「レキシントンの幽霊」を書いたのだ。


そもそも、ボストンマラソンのコースを変えないのには意味があると想像する。このマラソンは独立戦争の時に、アメリカの英雄ポール・リビアが当時レキシントンで指揮をとっていたジョージ・ワシントンにイギリス軍の襲来を知らせるため、ボストンからレキシントンまで馬を走らせたことに由来する。歴史的な意味があるマラソンなのだ。


当日は、参加できなかったので、しぶしぶゴール地点で観戦したが、完走した人は相当走りこんでいる感じだった。このコースには有名な心臓破りの丘があり、やはり参加しなくてよかったと胸をなでおろし、翌日の試験準備にハーバードの図書館に戻った苦い思い出がある。