来年の経団連会長人事がもう話題にー相変わらず製造業から
経団連の米倉会長が来年で退任になる。ちょうど一年後だが、もう次期会長の話題が雑誌等を賑わしている。それを制してか、米倉さんが「次期も製造業から」と言ってしまった。他に金融や商社などにも優秀な人材もいると思われるが、なぜ「製造業」なのか。
私も経団連にいたころ、いろいろな人から「経団連はメーカーの集まりでしょう」と言われた。しかし今や経団連の会員千数百の中でメーカーの占める割合は5割いかないであろう。サービス業が多くなり、最近ではIT企業も多く入っている(三木谷氏は退会したが)。とてもメーカーの団体とは言えないが、歴代会長は確かにメーカーばかりだ。
このあたりはメーカーの人の企業イメージによるところが大きいだろう。メーカー側からいうと、金融は虚業で商社はものを右から左に移動させる出入り業者ということになる。メーカーこそものづくりを行う真の企業という意識が未だに上層部にはある。
しかし、学生が就職先を決める時には反対だ。金融や商社が人気があり、メーカーは人気がない。これはまさにイメージや給与によると思われる。私が学生だった30年前からこういう傾向はあった。しかし、経団連の役職はメーカー優位で、学生の人気とは大きなギャップがある。
このギャップの原因は、経団連会長は現職の会長が指名することにあると思われる。メーカーの会長はメーカーのトップを後任にする傾向にある。これではいつまでたっても経団連会長は古いメーカーから出ることになる。この会長選出システムは昔からマスコミなどから批判されているが、変わらないところだ。
経団連会長も「財界総理」というのなら、本家の総理にならって会員の投票で決めたらいい。それが民主的で透明性が確保される。今の時代に会長が後任の会長を決めるような非民主的な組織は、小さい団体ならいざ知らず、日本一の団体を自負する経団連には相応しくないのは当然だ。
アベノミクスを批判する人々―それなら「対案」を出すべき
最近
、書店に行くと多くのアベノミクス批判の本が出ている。だいたい内容は同じだ。危機をあおるこういう本が売れているのだろう。問題はこういう人々は批判だけして「対案」を出していないことだ。全ての経済政策に難点、欠点はある。それを指摘することは容易い。でも何の問題解決にもならない。
ここ20年間の日本経済の低迷、失われた20年に一筋の光明を見つけかかったという意味で、アベノミクス、インフレターゲットはよかったのではないか。このところ、株価の乱高下や円高であやしくなってはいるものの、これは日本経済の復活はそう容易くはない証左だ。
アベノミクス批判で百家争鳴になるよりも、アベノミクス「対案」で百家争鳴になるべきだ。昔職場でよく「批判はいいから対案を持ってこい。なければ言うな」と言われたものだが、世間の常識は違うのだろうか。いや、どこの組織でも同じはずだ。今の出版業界が「売れる」という理由でアベノミクス批判本を出しているにすぎないと思われる。
もちろん「対案」そのものが超難解なのは分かっている。ノーベル経済学賞を取った天才の面々でも経済政策は分かれているし、誰が言っているのが正しいのかはやって見なければ分からない。しかし、批判ばかりをして後ろ向きなことをしているよりは、「対案」を議論しているほうが日本経済に対しては前向きではないか。
クルーグマンやスティグリッツといったエール、ハーバード系の学者はインフレターゲット論者が多く、そういう文脈の中で浜田宏一教授も「これだけそうそうたるノーベル賞学者がそう言っている」ということもあり、自信を持って安部総理にインフレターゲットを薦めている。しかし、これも万能ではないのでいろいろな副作用が出てくるのも当然だろう。
とはいえ「批判より実行」しないと何も変わらない。今は壮大な実験過程で、とりあえずこれ以上の経済政策は世界の天才でも考え付かないとなれば、まずはやってみて結果がダメだったら他のことを考えるしかない。ダメだったときのことも考え、今は「対案」を全ての経済学者が全知全能で考えるべきだろう。批判は後でいい。
加藤良三コミッショナーにみる処世術―上に立つ人にはより高度な倫理観が必要だ
最近、加藤良三さんが批判を浴びている。加藤さんはエールの出身で外務省の10年に一人のエースであり、駐米大使が長かった。浜田宏一教授も会っていたそうだ。批判を浴びているのは、ボールの変更を開示しなかったことよりも、全てを事務局長の責任に転嫁しようとした態度だ。
しかし、これはまずかった。むしろ、本当に事務局長が独断でやったとしても(あり得ないが)自分がトップとして責任を取るのが筋だろう。
事務局長をよく知る人の話では、トップに相談せずにそんな重要なことを独断で決めるような人ではない、とのことだ。組織人であれば誰でもそうで、まして独断で決めるような変人であれば、ある程度の大きさの団体の事務局長になることはありえない。
今回の件で加藤さんがボールに自分の名前を刻印していたことも明るみに出た。役所のエースはこういうものなのかと改めて民間とのギャップを感じた人も多かったはずだ。コミッショナーの地位に拘泥する様は、立派な人だと聞いていただけに残念だ。
でもこういう案件はどこの組織でも多かれ少なかれある話だ。いわゆる、トカゲのしっぽ切りであり、上だけがそのまま残るケースだ。普通の組織ではそれで終わることが多いが、プロ野球のような全国民が見ている組織でやると、全てが明るみになってしまうので批判も浴びる。加藤さんの処世術、あるいは判断のミスだろう。
困るのはこういう天下りエリート官僚の不祥事で「役人とは皆そういうものだ」というイメージがますます広まることだ。私の知る限り、事務次官候補のエリートで、下の人に責任を転嫁するような人物はいない。一部の例外的な人物の行動で全てが「そうだ」となるのは日本の常なので、特に上に立つ人には高度な倫理観が要求されることを改めて示した事例だ。
浜田宏一教授の「部活亡国論」―当たらずとも遠からずではないか
今月号の日経アソシエで、浜田教授が日本の中高での「部活」を批判することを述べている。先日、本人とお話したところ、その後大変な反論やクレームが来ているとのことだ。しかし、ここは一先ず冷静に「学界のハマコー」の問題提起を受け止めるべきであろう。
私もアメリカに行ったときに大学の部活動について、日本とは随分違うと思った記憶がある。アメリカのスポーツの花形といえばアメフトだが、エールのアメフト部の学生に聞いたら、授業が終わった後に1~2時間練習をするだけだという。日本の大学の野球部やラクビー部だったら練習は数時間以上はする。
ただ、学界のハマコーが問題にしているのは、日本の中高での「部活」だ。確かに運動部に入ると夜遅くまで練習して、疲れてしまい家に帰ると何もできなくなる。それでも、「部活」は中高では推奨され、特に運動関係の「部活」は規律や上下関係を学ぶには絶好の場だと今でも信じられている。
私はある意味、この部活が重視されていた背景には日本の高度成長があったのではないかと仮定する。言い換えれば、日本がキャッチアップする段階では「やるべきこと」が明確だったので、上司の言うことをそのまま聞く人間が必要だったのだ。創造的人材はむしろ「困った人」だった。
しかし、日本が低成長に移った今、上司の言うことを考えもせずにそのままする、いわゆる「指示待ち人間」はむしろ困った人になってきている。今こそ、創造的でグローバルな発想ができる人材が求められているが、それを阻んでいるのが「部活」だというのが浜田教授の意見だ。
私は浜田教授に、「日本でいいと思われてきたものが、既に国際的には陳腐化しているものは多い。世界を知っている先生に今こそどんどん問題提起をお願いしたい」と頼んだ。コロンブスの卵と同じで、あまりに習慣化しすぎて、言われないと気づかないことも多いからだ。
武蔵中・高が留学のためのプログラムを導入ーグローバル人材の養成のため
今日、武蔵中・高が留学のための「課外授業」を始めるという画期的なニュースが入ってきた。個人的には、どこかの進学校がこういうことを始めるだろうと予想はしていたが、武蔵だったかという感じだ。武蔵は御三家と言われていたが、最近の進学面での凋落は有名だった。そこで元文部大臣の有馬さんを学園長に迎えてこ入れをしていたようだ。
だから、武蔵では新たなことをするのに抵抗は少なかったはずだ。開成の柳沢校長が言っていたが、開成は30数年間東大合格者数日本一で、教職員も父兄も「うまくいっている」と思っているのでドラスティックな改革は難しい、ようだ。どんな組織でも同じだが、問題が表面化しないときには改革は難しい。
先日、ある麻布中・高出身者と雑談したが、35年ほど前は御三家では武蔵が一番難しかったそうだ。募集人数が少ないことが大きな理由だったようだが、今では開成、麻布、武蔵とそれぞれ大きな差がついている。偏差値的には武蔵は駒場東邦や海城、渋谷学園などといった新興勢力の後塵を拝すという信じられないようなことになっている。
だから、「何かしなくてはいけない」という圧力も大きかっただろう。今は何と言っても「グローバル人材の育成」が国を挙げての大きな課題なので、方向的にそこに行くのは当然だろう。
これを契機に、他の進学校も「バスに乗り遅れない」ように急ピッチでいろいろやってくるだろう。それで多くの若者が海外に出て国際感覚を養い、日本の政治の貧困を補って余りあるような「経済は一流」の国づくりができれば、日本もまだまだ捨てたものではなく、底力はあると思っているのだが。
橋本代表の従軍慰安婦発言ー問題になっているのは事実でなく「人権」だ
ここ数日、橋本代表の慰安婦発言で非常にレベルの低い議論になっている感じだ。これに西村などという議員がとんでもないことを言い出して維新の会からも追い出される始末。改めて政治の貧困を感じる。
橋本代表は、ほかの国も戦争の時には同じことをしているのになぜ日本だけが非難されるのか。これは不当だ、というナショナリズムに語りかけようとしたわけだが、日本国民もそこまでバカではない。国民は橋本さんほど国際感覚がないわけではない。
言うまでもなく問題の本質は、あったかどうかの「事実」ではなく、日本人の特に政治家の人権意識のなさだ。だから橋本さんがこの問題で「持論」を言えば言うほど日本の国益を害することになる。このことを橋本さんに諭す人がいないのだろうか。
コロンビア大のカーティス教授は、慰安婦問題について、日本人は慰安婦を職業だと思っているが、アメリカでは「性的奴隷」と見なしているという話をしていた。だから政治家が少しでも慰安婦について肯定的な話をすると、アメリカの女性議員が大反発してくる。だから、政治家はこの問題については「何も言わない」のが国益だという。まさに卓見だろう。言葉の誤解も起きやすい問題でもある。
ともかく、こんな国際感覚がない人が代表をしている政党は、次の選挙で壊滅的なことになるだろう。一時的にせよ国民の期待を集めた橋本さんも、ただ政治への絶望感を増幅しただけで、旧来型の自民党政権に戻す手助けをしただけだったら、罪は本当に重い。
MRI詐欺事件の全貌はいかにー繰り返されるポンジスキーム(自転車操業)
連日、MRIの破綻がマスコミで大きく取り上げられている。これに「投資」した人にとっては地獄だろう。既に金融庁や証券取引等監視委員会の調査では、お金は日本に残っていないということが報じられた。アメリカの本社にあるかというと、これも望み薄だろう。こういうポンジスキームの詐欺事件では、問題が発覚(配当が滞る)した時には何も残っていないのが常識だ。
なぜなら、ポンジスキームをする方は、配当をしっかり払うという「信用」が全てだからだ。できるだけ長く配当を払い、「新規加入者」を増やさないと営業は続けられない。だから、無理をしても配当は続ける。配当が止まることは金がなくなったことを意味する。報道によると、昨年夏から配当が遅れ始めたということなので、そのころ「大騒ぎ」した人には残りのお金を使って配当を払い、今では本当にお金はないのだろう。
そもそも、ポンジスキームとは、100年も前にイタリア系のチャールズ・ポンジがボストンで起こした事件だ。高配当をうたいお金を集め、実際には何もせずに新規顧客から入ってきたお金を既存顧客の配当に回す。まさに今回の事件と同じだ。数年前のエビの養殖詐欺も対象は違えど、構図は同じだ。
日本人は未だにこんなのに引っかかる人が多い。それも高学歴者の富裕層が多いのには驚く。いかに日本の教育や社会が「お金の教育」をしていないかだ。未だに「お金は汚いもの」という観念が染みついているからだろう。だから詐欺師にとっては日本ほどいい市場はないだろう。今回も本社はアメリカだ。
私も2000年ころから、10人を下らない人からMRIの問い合わせを受けた。有名経済誌がこの広告を調べもせずに載せているのにも驚いた。六本木ヒルズでも説明会をしていた。「信用」させるのが詐欺師の手口だが、これは初歩的なポンジスキームなので、ちょっと注意すれば防げただろう。そもそも、アメリカの会社が日本円で高額な「確定利回り」を出せるはずがない。為替のリスクはどうなるのか理解不能だ。
問題は、日本でこの他にも似たケースがあることだ。私はこういう問題に詳しい専門家、あるいは経済ジャーナリストから最新の情報を得ている。「ファミリーオフィス」の重要な業務が顧客を詐欺師から守ることだからだ。
第2弾、第3弾がいつ問題になるかは分からないが、最近ではネットの発達で2チャンネル等で危ないものはある程度分かるようになってきている。問題が表面化した時には回収はほぼ不可能なので、その点には細心の注意を払いたい。「お金の使い方」として、詐欺師に騙されることほど空しいものはない。
就職協定はどこまで有効かーあくまで紳士協定だ
経団連と大学側、あるいは行政も巻きこんで大学生の就職活動時期の繰り下げが決まった。大学3年生の3月から就職活動解禁というわけだが、これは強制ではないし、外資系など経団連会員以外は関係がない。そもそも、そんな協定がどこまで実効性があるか、はなはだ疑わしい。
私も若い頃、リクルーターもどきをしたことがある。大学生の第一次面接だ。当時も就職協定があり、8月から面接解禁になっていたが、実際にこれを守った学生や企業が馬鹿を見る実態だった。「紳士協定」だから守らなくても罰則はなく、そもそも世の中、紳士がどれだけいるだろうか。企業は紳士ぶっていたのではすぐに潰れてしまう厳しい競争にさらされている。
それどころか、中央省庁だって、昔は10月1日から訪問開始に表向きはなっていた。これを信じて10月1日に行った友人がいたが、その時には、既に内定は出ていて笑われたという。「建前と本音」の話だが、日本の組織全てがそういう傾向はある。
企業にとって(役所にとっても)人を採るというのは一番大きい投資だ。いい人材を確保しなければ、どんな組織であれ将来はない。組織には人事部があり、いい人材を採れなければ担当者にもバッテンが付く。サラリーマンである以上、周囲の動きには細心の注意を払い、他の企業が何をやっているか最新の情報を得ている。
このような中で、どこかの企業が動いたならば自社も動かないと遅れを取る。学生側も事情は同じで、スタートで差が付けばその後は苦戦となる。ましてや、今人気のある外資系や新興企業は就職協定の外にいるので、かなり早くから青田刈りをしてくるだろう。これでは大企業に「協定を守りなさい」といっても空しいだけだ。
以前、何かで読んだが、日本人が紳士協定を破った会社を批判しないのは、日本が「商人国家」であるからだという。資本主義では、規則を守ることよりは儲けることが正義であったりする。また、「紳士協定」というファジーなところがいかにも日本的だ。外国人には非常に分かりにくいのではないか。全ての企業を対象に、破ったら大きなペナルティーを科すようにしないと、大学生が落ち着いて勉学に励む環境はできないだろう。そもそも企業側が日本の大学教育に期待していないので、ユニクロのように大学1年生に内定を出すようなことが起こるのだろう。
ようやくMRIが行政処分ー10年以上前から話題に
昨日、まさに「ようやく」という感じでMRⅠの詐欺行為が表面化した。1300億円集めていたというから相当な額だ。もちろん私の所にも案内はあったが、言うまでもなく誰にも薦めていないし、「危ない」と言い続けてきた。この会社の高金利商品については10年以上前から「ポンジスキーム」ではないかと言われてきたが、行政当局も相当前から分かったいたようだ。しかし、実際に行政が動くのは大きな問題が起きてからだ。
だから日本は「詐欺大国」と言われている。実際に大きな被害届が出ない限り、金融庁も警察も動かない。そもそも、投資するようなお金持ちを保護することはない、という潜在意識が日本人の中にあるのかもしれない。
「騙される方が悪い」と言われればそれまでだが、実際に詐欺師に接してみると彼らは「プロ」なので、普通の人はコロリとやられるだろうと思われる部分が多い。とにかく相手を持ち上げ、「あなただけ、今だけ」と言ってくるのだ。最近では、投資するなら「今でしょう」と言っているかもしれない。いや当然言っているだろう。
これほど大規模な詐欺案件にあると、意外に身近な人が被害に合っていることも多い。現実に、MRIに関しては、私も数名から聞かれたことがある。「代表的な詐欺手法じゃないか」といっても相手は「自分だけが買える」と思って買ってしまったかもしれない。しかし、騙された人は自分が騙されたとは言わないので、詐欺師はまた次の会社をつくって同じことをするのが日本の現状だ。
こういう会社はマスコミや芸能人を使って大々的に宣伝するのが特徴だ。まだ表面化していないが、近々同じ運命をたどる「投資」会社も何社か知っている。詐欺にかかったら全て失うので、お金持ちに限らず気をつけたい。
ボストンマラソンー出られなかった思い出
昨日のボストンマラソンゴール時点でのテロには驚いた。犯人はなぜニューヨークではなくボストンを狙ったのか。おそらく、このマラソンがアメリカ最古でアメリカを象徴するマラソン大会だからではなかったか。私もこれに憧れ、留学中に出ようとした。1992年4月20日だ。
しかし、翌日に期末テストがあったため断念した。結構残念な思い出だ。だが、この前日にはハーバードの有志でボストンマラソンに参加する村上春樹氏を激励する会に参加した。村上さんは当時ボストン郊外のレキシントンに住み、毎年この大会に参加していたようだ。
レキシントンに住むとは、いかにも作家らしい。そもそもボストンマラソンもこのレキシントンというアメリカ独立戦争の古戦場に由来している。世界史でも習うレキシントンの戦いは1775年。アメリカ人なら誰でも知っている愛国者ポール・リビアがレキシントンにいたジョージ・ワシントンにイギリス軍の襲来を知らせに馬を走らせたという故事に基づく。
だから、アメリカ人にとってボストンマラソンは特別な意味を持つに違いない。逆に、テロリストにとっては特別な意味を持つ。「日本ボストン会」の一員としては、これでボストンに悪いイメージを持たれるのが気がかりではある。安全が売りの都市だからだ。
村上春樹さんは、その後1993年に「レキシントンの幽霊」という本を出された。私がすぐにそれを読んだのは言うまでもない。あまりに短編で味わう暇がなかったが、レキシントンの雰囲気を知っている者にとっては本当にありそうな話でもある。