マレフィックは凶星で
ベネフィックは吉星です。
通常、ベネフィックは
太陽、月、金星、木星
マレフィックは
火星、土星、天王星、海王星、冥王星
という風に分けることが多いですが
たまに水星をベネフィック扱いとする書籍もあります。
これについての原理が分からないのですが、
ただ古い書籍(既に色々な国や地域で色々な人が訳しているもの)
では太陽と水星はともに中立で、
そのアスペクトする天体による
という記述があります。
まぁ、確かにそれはそうなんですよね。
人生そのものを示す太陽を「吉」とするのは
人間の驕りが非常によく出ている考え方だと思います。
また、太陽は古代においてはそこまで優先順位が高くなかったと考えられています。
壁画などに残してある絵や彫刻では、
真ん中に来るのは金星なんですね。
そして月と太陽が脇に控える、みたいな。
これは歴史上の背景がかなり関係しているのではないかと思います。
あくまでも私の考えでしかないですが、
太陽=王
なので、一般の人にそこまで太陽によい意味を持たせる理由がなかったのではないかと…
いつ頃から太陽が吉星扱いになっているのか、
途中でぱったりと資料が途切れている期間があるので分かりません。
しかし王政のための占星術であったことを考えれば、
いくら太陽の状態がよい市民がいたとしても、
その人が何かできるわけでもないし、
または反旗を翻す不穏因子として見られて逆に不幸、
みたいなことがあったかもしれません。
これはアスペクトにもよるでしょうし
当時は冥王星が発見されていない(とされている)ことから
太陽と冥王星のアスペクトというのは考えられないのですが
人間がその当時一番畏怖の念を抱いていたのは土星でしょうから
太陽と土星がアスペクトを取っている人などは
自立、自律どちらもあって
且つ正しいものは正しいと言い、
曲がったことや不正が嫌い…
となれば、恐怖に感じる王族もいておかしくはありません。
今はある程度、よほど不穏な地域に生まれていない限りは
ある程度は自分の自由に人生を謳歌することができるので
そういう意味では積極性を表す太陽は「ベネフィック」とされてしかるべきでしょう。
古代においては、水が潤沢でない地域では太陽の光は迷惑以外の何物でもないので、単に「吉」とも言えなかったのではないかと思います。
今だって真夏に太陽がカンカン照りだと「ちょっとでいいから曇ってくれない?」とか思いますもんね。あれ?私だけ?
そういう意味では太陽は「押しつけがましい」として、しかも四季をもたらす変動的なものとして水星と同じ扱いになっていたのかもしれません。
ま、だから何なんだって話なんですけど
学のない私は今頃になってこういう本を読んで「へぇ~!」
なんて言って驚いているわけです。