リブログ記事世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ(中央アジア・ロシア)
第5章 中央アジアの炎熱列車カザフスタンのアルマトイ駅内の宿に泊まる。駅内の宿はシベリアのワニノで経験していた。カザフスタンはかつてはソ連領だった。その伝統を引き継いでいるのかもしれなかった。ウラジオストクから乗った列車が中国の綏芬河の町に停車した。あの時も世界は劇的に変わったが、それはロシアから中国へという変化だった。今回、中国からカザフスタンは1日でアジアからヨーロッパに入ってしまったような違いだった。それにしても、ロシアと中国、中国とカザフスタンという国境は、どうしてこれほどまでに人や文化が劇的に変わってしまうのだろう。これまでいくつもの国境を陸地で越えてきた。その多くが、グラデーションのように変わる道筋だった。肌の色や目の色が少しずつ変わり、料理も混じりあいながら気がつくと別の味わいになっているような国境が多かった。しかしウイグルとカザフスタンの土地は、中国とロシアという大国に組み込まれてしまう。辺境の民族の文化は、大国のそれに塗り変えられてしまった。9月1日はウズベキスタンの独立記念日。中央アジアの国々の独立記念日は、このあたりに決められている。それは旧ソ連から突きつけられた最後通牒の日付でもある。いや、満足な交渉すらなかったと聞くから、押しつけられた独立のようなものだった。ウズベキスタンは、ロシアのキリル文字に頼る中央アジア諸国の中で、ローマ字表記、つまりラテン文字への切り替えを目指している。人口の40%が16歳以下という若い国の小学校ではラテン文字を教えているのだ。中央アジアはイスラム圏だが、とことん酒好きのロシア人に洗脳されてしまったのか、昼間から平気でビールを飲む。この時期はラマダンにあたっていたのに、ウズベキスタンでは、昼ビールなのである。ウズベキスタンは、トルクメニスタン領に入ったり出たりするルートを嫌い、人も住まない砂漠の中に新しい線路を敷いたのだった。この線路が開通してから、そう年月も経っていないのだろう。沿線にまだ街はできず、トーマスクックにも、この路線の時刻表は掲載されていなかった。第6章 アストラハンの特別ビザダゲスタン共和国では、その年、すでに2回、列車を狙ったテロが起きていた。3回目のテロに、僕らは居合わせてしまった。かつて、モスクワとアゼルバイジャンのバクーを結ぶ列車は、チェチェン共和国を通っていた。しかし、列車がチェチェン共和国に入ると、武装したチェチェン独立派の兵士が乗り込んできた。彼らは乗客ひとり、ひとりから50ドルを徴収していった。一方的であるにせよ、独立を宣言したチェチェン独立派は、それは正当な通行料だと主張した。しかし独立を認めないロシアにしたら強奪である。そこでロシアは、チェチェン共和国を通らない別の路線の整備をはじめた。その線路を走る列車が、僕らが乗り込んだものだった。アストラハンからカルムイク共和国を通り、ダゲスタン共和国に入り、そこからアゼルバイジャンに抜けてしまう路線である。カスピ海に沿って南下していくルートである。チェチェン独立派にしたら面白くないルート変更だった。乗客1人50ドルという収入もなくなる。爆薬を線路上に仕掛け、列車がその上を通過する時に爆破させるテロは、当然の成り行きだった。賄賂のやりとりがある時は、必ず相手からサインが出る。意味のないバインダーを渡されることもある。それを返すとき、裏に金を挟めという合図である。物陰に呼ばれる時も、賄賂の要求である。僕はそんな国ばかり歩いてるので、その種のサインには敏感な方かもしれない。このシチュエーションならドアだろうか。ドアを閉めろといったら決まりだった。しかし責任者の態度は何も変わらなかった。彼のそぶりから賄賂の臭いが漂ってこないのだ。イスラム系ゲリラが起こした爆破テロで、僕らはアストラハンに戻されたのかもしれない 。しかし僕らを助けてくれたのも、またイスラム系のロシア人だった。ロシアのホテルは、宿泊した時に登録を行う。その控えは、宿泊客に渡される。ホテル側はその登録を警察に提出するようだった。社会主義が徹底していた時代、コルホーズという集団農場から都市への逃亡を防ぎ、スパイを摘発するためにつくられた制度だといわれる。結局、アストラハンの空港から飛行機でバクーへ。