フランス語史(第2章 古フランス語)
第2章 古フランス語(12-13世紀)12世紀初頭、古フランス語が形式を整え、『ローランの歌』のように美しくも壮大な文学作品が作られる頃には、学校の数も増えた。人々はとりわけ文法の研究に猛然と取り組んだ、といわれる。フランス語は、たとえ学校における教材としてはなお地位を獲得していなかったとしても、フランスの北部において話され、イギリスの王たちあるいはノルマンディー出身のシチリアの王たちの宮廷において用いられて、その威光を増し続けるのである。今日行われているような、脚韻を踏んだ行からなる詩が最初に現れたのは、12世紀初頭のことである(フィリップ・ドゥ・タンの作品『聖ブランダンの旅』)当時においては、テキストはいくつかの模写の一つにすぎなかった。その模写は作者と書写生との協力の所産であった。作者は作品を作るが、言語と語彙の領域においては書写生はある程度自由を認められている。原本と彼が仕事を奉仕する顧客との間の仲介者として、書写生は読者の理解を容易にするために原本を潤色することを怖れ慎まわない。西の方言群(ノルマン語、アングロ・ノルマン語)北東の方言群(ピカール語、ヴァロン語東の方言(ロレーヌ語、 ブルゴーニュ語)中央の方言群これらの呼称及び方言群化は、便利であるが、作為的である:それは、言語の境界と行政上あるいは地理上の境界とを一致させようとする試みに基づいているためである。今日まで伝えられている文学的テキストによって判断すると、12世紀には《フランク・ノルマン語》が、13世紀には《フランコ・ピカール語》がそれぞれ優勢を占めている。しかしフランス語になったのはノルマン語でもピカール語でもない。フランス語の祖先として《フランシアン方言》がしばしば掲げられる。用語のこうした改新は19世紀末のロマンス学者によるものであるが、これには、フランス語を特殊な一方言の拡大の結果として提示するという欠点がある。中世の書記言語は、続くいかなる時期よりも、多様な方言による多様性を容認している。それらは、書写生が顧客あるいは彼ら自身の習慣によってそれを導入した方が良いと判断するかどうかに従って、その数を増減するが、忘れてはならないことは、テキストの主要部分がオイル語領域全体の共通言語に属するということである。古フランス語の特徴として、しばしば、名詞曲用の存在が挙げられる。そしてこの名詞曲用は、12世紀以後、とりわけ西部において、弱体化する徴候を示したとする考えが強力である。名詞曲用を尊重することは、とりわけ書写生たちの事とするところであった。『オランジュの占領』(12世紀の詩であるが、今あるのは13世紀 の書写によるものである)においては、屈折の標識は、主語は動詞の前に置かれ冠詞を伴っている時には、忘れられることが最も少ない。文法辞項と意味の充実した辞項とを区別するとき、すぐに気づくことは、第1に属する多数のもの(冠詞、代名詞など)はロマン語が当初においてラテン語から引き続いて保持したものであるということである。ロマン語の古い語彙の貯えもまた、最古のテキストにおいては優位を占める:しかしながら若干の学者語が既に顕れている:これらはロマニアの細分を決定した大きな転変の後のラテン語からの借用である。この結果、これらの借用語は古い貯え中の辞項よりも起原の相貌を忠実に保存している。書かれた文書が多様化するに従って、別個の語彙の貯えが出現する。それはゲルマンの諸民族、ことに5世紀以後ゴールに定着したフランク族が導入した、ある辞項がゲルマン起原であるか、その影響を受けたものかは、2つの音声特徴によって見分けられる。両唇音wあるいは気音hが語頭にあるかどうかである。もしロマン語の貯えが文法に関わるものにほとんどもっぱら利用されたとすれば、ゲルマン語の貯えの資源は語彙についてそれを補足したものといえる。色の名称についていえば、ゲルマンのパレットの各色がラテン語の供する名称より繰り返し選ばれた(blanc,bleu,gris)