フランス人の幕末維新
M・ド・モージュ、ウジューヌ・コラッシュ、アルフレッド・ウエット 著
市川慎一・榊原直文 編訳
有隣新書 発行
平成8年6月8日 第1刷発行
本書の3本の旅行記は、幕末から明治初年にかけて来日したフランス人が当時の日本を活写した貴重な記録です。
Ⅰ 日仏修好通商条約 全権団随行員の日本観 M・ド・モージュ
日本の絶対君主でもある宗教上の皇帝[=天皇]の代理補佐官、つまり、大君は帝を煩雑な職務から免ずるために制定されたのだが、自らは宰相に任せて職務からお役御免になっているのだ。今日では大君は次第に第ニのミカドになっているのだ。
江戸は2つの異なった区域に分けられる
・将軍をぐるりと囲む武家屋敷で、陰気で静寂で、厳粛な区域
・地方は騒々しく、庶民的で、人の動きや喧騒でみちみちた区域
日本人たちは根っからの善人だ。日常の必需品をあてがってくれた上に、我々が快適な生活をおくれるようにとできる限りのことをしてくれるし、その頭の良さはいろんな形で発揮される。フランス語で「おはよう」と「こんばんは」ともう言えるものも多いし、数字を百まで数えられる者もいるのだ。
藩主の一人、薩摩藩主[島津斉彬]は、ある日のこと、一つの質問でオランダ人の士官を立ち往生させた。気圧計による気象観測に写真術を応用するとはどのようなことかと藩主は尋ねたのだ。オランダ人の水夫はグリニッジ天文台では、気圧や温度や湿度の変動を一層正確に確定するのに写真機が用いられることを忘れていたのだ。それにしても、どのようにして最新の科学上のこの事実がテムズ川の河岸から七千里も離れた薩摩藩主の知るところとなったのであろうか。
西洋人と同じくらいの日本人の色の白さは、中国人と起源を共通であるとするいかなる説をもくつがえしてしまう。
中国は平等の国である。蛋民、つまり、水上生活者の子弟を除けば、科挙のおかげで誰でも文官になりうるし、顕職を目指すこともできる。これとは反対で、日本は士分という特権階級により支配される封建的帝国である。
日本人は大変な寛容の持ち主であり、あるいはむしろ宗教問題では大変に無関心なのだ。この列島では何世紀も前からいくつもの宗教が平和に共存している。外国からの渡来宗教である仏教と孔子の宗教[=儒教]は神道、つまりこの国の原始宗教で群衆の崇拝の的である神々の宗教と共存している。このような寛容のおかげで、スペインとポルトガルの宣教師たちは日本に渡来して数年を経ただけで、身分の高い20万人もの日本人がもう洗礼を受け、キリスト教徒となった。宗教運動のうちでこのような前例は前代未聞であり、聖フランシスコ・ザビエルは「日本人について語り出すと、とめどもなくなってしまう。本当に日本人は私の心の喜びの源なのだ」といいえたのだった。
今日では時代は激変して、200年も前から日本にはたった一人のキリスト教徒も存在しないのだ。
日本には常備軍は存在しない。平和時に藩主と奉行の従者を勤める大小の刀を帯びた武士の全員が有事の時には兵士となる。個人的には非常に勇敢だが、彼らの刀剣では、ヨーロッパ人の戦術に対して戦ったとしても苦戦することであろう。とはいえ、分が悪いことを知っているので、このところ、戦術書を大変な関心を持って呼んでいるようだ。
シャム王国と同様に、日本政府は双方ともに正規の憲法の名において2人の君主が君臨するという際立った変則を呈している。シャムでは第一国王と第二国王がおり、2人が同時に最高権力を行使する。日本には俗界的皇帝と宗教的皇帝、つまり、大君とミカドが存在する。
大君は最初は宰相、つまり、失墜したので生来の力を剥奪された王朝の一等役人にすぎなかった。日本のメロヴィング朝(クロービス 1世によって開かれたフランク王国の最初の最初の王朝。王権が弱まると、宮宰と呼ばれる高位官職が実権を握るようになった)ともいえる。
大隅海峡は薩摩地方の南に位置している。薩摩藩主は江戸幕府のうちで最強の家来であり、ある種の影響力を持ち続ける唯一の藩主で、歴代の大君が今なお幾分かの尊敬をしめす藩主でもある。
