ガリラヤ 絶望の地域に希望の光
マタ4:12 ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。4:13 そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。4:14 これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。4:16 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」4:17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
創世記の時代に 救い主はガリラヤから宣教開始すると預言されていました。
創49:21 「ナフタリは放たれた雌鹿で、美しい子鹿を産む。」
その預言成就が、自由な雌鹿や美しい小鹿のうぶ声のように、この地からイエス様が宣教開始して、美しい福音のうぶ声を上げたのです。
イザヤ書 イエス生誕の700年前、救い主はガリラヤから宣教開始すると預言。
イザ9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。9:2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
預言には、ゼブルンの地とナフタリの地は、過去にはずかしめを受けたとあります。ゼブルンの地とナフタリの地は、ガリラヤ地方の一部ですが、はずかしめの理由があります。
はずかしめ1
Ⅰ列王9:10 ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かかって建て終わったとき、9:11 ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および、金をソロモンに用立てたので、ソロモン王はガリラヤの地方の二十の町をヒラムに与えた。9:12 しかし、ヒラムがツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、それは彼の気に入らなかった。9:13 それで彼は、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか」と言った。そのため、これらの町々はカブルの地と呼ばれた。今日もそうである。
ソロモンが主の宮と王宮の建築材料として、 ツロの王ヒラムから杉の木材、もみの木材、および、金を調達してもらったお礼として与えたのが、ガリラヤの地方の二十の町でした。ところがツロの王ヒラムにはこれが気に入らず、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか」と言い、それ以降、ガリラヤは、カブルの地(値打ちのない地) と呼ばれるようになりました。
はずかしめ2
ゼブルン、ナフタリは北王国イスラエルにあってアッシリヤの最初の侵略を受け首都サマリヤも陥落し北王国は滅ぼされました。そして混血化して生粋のユダヤ人12部族でなくなり、異邦人のガリラヤ、死の地と死の陰と呼ばれるようになりました。
ガリラヤの住民がこのようにはずかしめを繰り返し受けた理由は、彼らは先住のカナン人を追い出す戦争に全力で対応せず、妥協したのが衰退原因でした。
士1:33 ナフタリはベテ・シェメシュの住民やベテ・アナテの住民を追い払わなかった。そして、その土地に住むカナン人の中に住みついた。
このことから教訓として、私たちも罪や肉欲や悪魔との戦いに対して、妥協して放置しておくなら後には、大きな敗北が待っているということです。
ガリラヤ地方が苦難多い、呪いが強い地域であったように、現代も厳しい環境はあります。
申11:26 見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。11:27 もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、11:28 もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。11:29 あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れたなら、あなたはゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを置かなければならない。
聖書では、霊的に暗い土地にエリコが挙げられます。そこは、神様から聖絶対象の町でした。
ヨシ6:1 エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。6:2 主はヨシュアに仰せられた。「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。6:3 あなたがた戦士はすべて、町のまわりを回れ。町の周囲を一度回り、六日、そのようにせよ。6:4 七人の祭司たちが、七つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、七日目には、七度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らさなければならない。6:5 祭司たちが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、あなたがたがその角笛の音を聞いたなら、民はみな、大声でときの声をあげなければならない。町の城壁がくずれ落ちたなら、民はおのおのまっすぐ上って行かなければならない。」
罪悪を重ねて偶像崇拝を行なうエリコの町は神様の審判としてイスラエルの民の行進により、人手によらず奇蹟的に崩壊して、倒されました。
ヨシュアが呪った再建してはいけなかった町エリコ。
ヨシ6:26 ヨシュアは、そのとき、誓って言った。「この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」6:27 主がヨシュアとともにおられたので、そのうわさは地にあまねく広まった。
エリコは崩壊と同時にヨシュア将軍によって呪いをかけられました。
再建されたエリコ 呪いが500年の時を超えて実現
Ⅰ列王16:34 彼(アハブ王)の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。
こうしてエリコは再建されましたが、そこには呪いが働きました。
エリコ地域は水が悪く死と流産多かったのです。
Ⅱ列王2:19 この町の人々がエリシャに言った。「あなたさまもご覧のとおり、この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産が多いのです。」2:20 すると、エリシャは言った。「新しい皿に塩を盛って、私のところに持って来なさい。」人々は彼のところにそれを持って来た。2:21 エリシャは水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』」2:22 こうして、水は良くなり、今日に至っている。エリシャが言ったことばのとおりである。
また、エリシャは、地域の君(悪霊)と戦い呪った事件も起きました。
Ⅱ列王2:23 エリシャはそこ(エリコ)からベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、2:24 彼は振り向いて、彼らをにらみ、主の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。
新約時代においてもエリコには問題が多いです。盲人バルテマイは物ごい、道ばたにすわっていました。
マル10:46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。
エリコは、さらに治安悪い強盗出没地帯として例話にあがるほど荒廃していました。
ルカ10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
エリコでは、税務署員幹部からして職権乱用で不正の富蓄財をしていました。
ルカ19:1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
Ⅱ歴代7:14 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
ガラ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
デレク・プリンス
彼は、アメリカの長老派教会で集会を開きましたが、その際、知り合いの夫婦が十代の娘さんと一緒に集っていました。聖霊がその時、「その家族の上にのろいがある」と言っているように感じたので、その父親にこう尋ねました。「失礼ですが、神があなたの家族にのろいがあると示してくださったように感じます。イエスの御名によって、そののろいを破棄し、解き放たれるように祈ってもいいでしょうか。」
彼は即座に、「お願いします」と言いました。 そこで、彼らに触れることなく、短く簡単な祈りをしました。のろいを打ち砕いたとき、その家族の一人ひとりに、目に見える身体的反応がありました。その娘さんの太ももから足先までがギプスで覆われていることに気付き、その父親に、
「あなたのお嬢さんの癒やしのために祈ってもいいでしょうか」と尋ねました。
彼は、「いいですが、娘はこの一年半の間に三度も足を骨折し、医者から治ることはないだろうと言われています」と答えました。 そこで、簡単に祈り、彼らは帰って行きました。ほどなくして、その母親がお礼の手紙を送ってきました。 手紙には、あのあと病院に行き、レントゲンを撮ると、骨折は癒やされており、すぐにギプスが外されたと書かれていました。その体験を振り返った時、神が、その家族にのろいがあったことを示し、娘さんの足の異変に気付いて癒やしを祈る前に、そののろいを打ち砕くように導いてくださったのだとわかりました。彼女はのろいが打ち砕かれるまで、癒やされなかったということです。つまり、そののろいは、神が彼女に受け取ってほしいと願っておられる祝福を、見えない障壁でさえぎっていたのです。
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