聖書でソロモン王の時代、ふたりの遊女が一緒に共同生活していましたが、各自に赤ちゃんがいて、ある日、ひとりの母親が誤って自分の子どもの上に伏せて寝てしまい、わが子を窒息死させてしまいました。

あわてた母親は隣で寝ている母親の生きている子と死んだ自分の子を取り替えてしまいます。

翌朝、一大事です。子どもが死んでいる。しかも、よくみるとわが子ではない。隣りの遊女が我が子を代わりに抱いている!我が子を返してと言う実母に対し、奪った女も「これは私の子!」と譲らない。双方の主張が対立して「生きているのがわが子、死んだ子があなたの子!」と争いに。

明白に、どちらかが嘘をついていますが、他に証人もなく、DNA鑑定もない時代の事。

彼女たちは、ソロモン王の所にこの難事件の解決を求めて来ました。

 

ソロモン王には神様の知恵がありました。双方の主張をしっかり聞いた王は優れた判決を下しました。「ひとりは『生きているのが私の子で、死んでいるのはあなたの子だ。』と言い、また、もうひとりは『いや、死んだのがあなたの子で、生きているのが私の子だ。』と言う。」

そして、王は「剣をここに持って来なさい。」と命じました。剣が王の前に持って来られると、王は言いました。

「生きている子どもを二つに断ち切り、半分をこちらに、半分をそちらに与えなさい!」(第一列王記3:23〜25)

なんと公平で平等で頭のいい王様でしょうか!こうして実に単純でえらい王様の命令に従って平等に半分ずつ分けて、一件落着しました。うわさを聞いた都中には恐れが生じて...あ、ぜんぜん違いました。

 

聖書は言います。生きている子の実母は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立ててこう言ったのです。「わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください」

しかし、もうひとりの女は言いました。

「それを私のものにも、あなたのものにもしないで、断ち切ってください。」

その言葉で賢い王は見抜いて、最終宣告を下しました。

「生きている子どもを初めの女に与えなさい。決してその子を殺してはならない。彼女がその子の母親なのだ。」イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」(第一列王記3:26〜28)

 

本物の愛は、偽りの母親相手に自分が敗訴した偽証と誘拐未遂の重罪人となって公に裁かれても、愛する我が子だけは生き延びて欲しい、無実な自分が死刑になってもいいから生かしてあげたい、そんな純粋で美しい犠牲愛の精神に満ちています。
イエス・キリストは私達を真実に愛して永遠に天国で生き延びて欲しいからこそ、罪もないのに罪ある私達の身代わりになって十字架で命を捨てられました。感謝です。

 

 

 

 

茶道とキリスト教 千利休 せんのりきゅう(1522年 – 1591年)

 

1549年、フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えたことで、多くの武士や商人がキリスト教に興味を持ち、信者となりました。しかし、豊臣秀吉は徐々にキリスト教の影響を危険視し、1587年にキリスト教の布教を禁止する「バテレン追放令」を発布。

この時期に千利休は「茶」を日本文化へと昇華させ時期が一致。

 

豊臣秀吉お抱えの茶人ちゃじんとして有名な「千利休」。

彼の最期は、豊臣秀吉の逆鱗に触れ、切腹により幕を閉じる。 

多分、隠れキリシタンとバレたから?

千利休せんのりきゅうは英語で、セイント・ルークです。意味は聖ルカ。

キリシタン大名が多い当時、クリスチャン名がルカというキリシタンだった。 

 

一期一会 いちごいちえ、「貴方とこうして出会っているこの茶会の時間は、二度とこない一度きりのもの。この一瞬を大切に思い、おもてなしをしましょう」という意味「一生に一度の機会」という意味。

ヘブル13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。

 

利休が用いた茶室の狭い「にじり口」。キリスト教の入信は、「狭き門」より入れ。

 

イエスさまは「これは私の体だ」と言ってパンを弟子たちに与え、「この杯 単数形は罪の赦しのために流す、わたしの新しい契約の血だ」と言ってその一つの杯を与えて回し飲みをされました。

Ⅰコリ11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」

 

利休はフランシスコ・ザビエル来日で世話をした。屋敷内で見た聖餐式の杯の回し飲みが抹茶の回し飲みに導入。

 

茶道のお茶会で出されたお茶を飲むときは、作法は、まずお茶碗を回してから口をつけます。

こいちゃ濃茶は回し飲みが原則。三から五人くらいまでが同じお茶わんから飲む。

 

少しのワインとパン

少しのお茶とお茶菓子 

礼拝のように、正座で厳粛なフンイキの中で順番にいただく

 

キリストのいう野の花。

ルカ12:27 ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。12:28 しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。


茶道の茶室には花が生けられ、茶花ちゃばなと言う。
茶花の思想は、自然のありのままの美しさを尊重し、質素で控えめな美を追求するワビサビの精神に基づき一輪の花で茶室をしょうごんします。

 

マタ28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。28:2 すると大きな地震が起こった。それは主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがしてその上にすわったからである。28:3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。28:4 番兵たちは御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。28:5 すると御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを私は知っています。28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て納めてあった場所を見てごらんなさい。」

スイスの法学者であり哲学者であるヒルティは、現代人が苦難を恐れる原因についてこう言いました。「現代人の苦難恐怖症は、彼らが神様を信じないから起きるのだ。当然のことだ。神様を恐れない心は、自然と世に対する恐れで満たされるからだ。」

有名な神学者ベンゲルは言いました。「神様だけを恐れる人は、神様以外に関しては少しも恐れない。しかし神様を恐れない人は、神様以外の全てのことを恐れる。」
アウグスティヌス「何よりも神様を恐れなさい。そうすれば人は少しも恐ろしくない

アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンの母親が誕生日を迎えた時、お祝いに来た多くの客の中の一人が、大統領の母親に尋ねました。「息子さんをいったいどのように育てたのでしょうか?どうしたら、このような偉大な人物に育つのでしょうか?」ジョージ・ワシントンの母親はこう答えました。「私は息子に、神様に絶対服従するように教えました。」彼女はいつも「ただ神様によく仕えなさい。神様を礼拝する人になりなさい。神様を恐れる人になりなさい。」ということを強調して、息子を育てたと言いました。

ソロモン「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」(箴29:25)「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」(箴9:7)
ダビデ「主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される」(詩34:7)
プラトン「子供が暗闇を恐れるのは理解できるが、成人が明るみを恐れるのは全く悲劇としか言えない。」

 

 

 

旧約の聖餐式の預言 旅人のそばめ 士師記20章には驚くような現実の人間の罪悪の歴史が記録されています。始め私がこの聖書箇所を読んだときは正直気持ちが悪いと思いましたが、よく祈ってから十字架の血潮を照らし合わせて霊的に解釈してみると、ここも大切な無視できない真理を啓示する神の言葉であることが分かりました。

 一人の老人がある晩、ベニヤミン族の住むギブアの町の広場で野宿しようとしている旅人を憐れみ、特別に自分の家に泊めてあげることにしました。その理由は町の広場には堕落した民が満ち、男色の風習さえある大変危険な所だったからです。老人は旅人を喜んで迎え入れ、ロバに馬草を与え、足を洗って、食べたり飲んだりしながら共に楽しんでいました。ところが夜もふけかけたころ、突然、家じゅうを揺さぶるような破壊的なこぶしでドアを激しく叩き続ける音が鳴り響いてきました。「ダン!ダン!ダン!」実にその町の男色の風習あるよこしまな男たちが情欲に満ちて、老人の家を取り囲んで叫んでいたのです。「あなたの家に来たあの男を引き出せ、あの男が知りたい!」

 執拗に迫り来る町の堕落した男たちに老人は必死に抵抗して叫びました。「いけない。兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ……」しかし、老人の説得にも男たちが一向に応じることなく、今や家のドアも力ずくで打ち破らんばかりになったため、老人は旅人を守るため残された最後の手段をとりました。

旅人の身代わりにそばめをつかんで外の男たちの所へそのまま出したのです。情欲と汚れに満ちた男たちはいっせいにそのそばめに襲いかかり、夜通し朝まで暴行を加え、夜が明ける頃やっと彼女を放しました。

 翌朝、旅人が外に出ると、そばめが家の入り口に倒れたまま死んでいるのを確認しました。そこで旅人は家に入り、当時の風習によって刀を取りだし、驚くことにそばめの死体を十二の部分に切り分けて、それぞれの部分をイスラエルの部族ごとに一つずつ輸送したのです。小包を受け取った族長たちは開いてびっくり仰天です。

開いた□が閉まらない族長たちは事の重大さに目が覚めて、大至急イスラエル中の十一部族を召集して大会議場である「ミッパの主のところ」に集合しました。イスラエルの全部族、民全体の頭たち、四十万の剣を使う戦士が神の民の集いに総動員されました。目的はただ一つ、男色の風習に身を委ね、全く悔い改めようとも恥ようともしない鉄面皮のようなギブアの町に住むベニヤミン族に対して、イスラエルの十一部族は、主の御心を求めて後、一致団結して立ち上がり、イスラエルから悪を除き去るための聖戦をついに開戦したのです。今まで眠りについていた十一部族が始めて目覚めて自発的に立ち上がったのです。まさに罪悪と戦うリバイバルの始まりです。彼らは必死に主にすがり、断食礼拝で身を清め、戦土たちは剣を手に手に聖戦を繰り広げ、最後に十一部族はこの戦争でイスラエルから堕落しきった一部族を聖絶して彼らの町ギブアを焼き払うこととなりました。

 

 人間の罪はこのように恐ろしい燃える火のようです。罪と汚れはことごとく聖絶して、焼き尽くすしかありません。

しかしながら今の時代、いまだ多くの力ある神のイスラエルは、霊的に眠っている状態です。日々、展開されるべき聖戦である罪悪や肉欲との戦いに気づかないでのんびり妥協したまま参戦できないでいます。本当は目覚めたら凄く力ある勇士たちが、あまりにもたくさん寝ています。眠れる神の民を目覚めさせ、勇士とならせる唯一の切り札があります。この国を目覚めさせ、教団教派を超越した教会の一致をもたらし、全クリスチャンを聖戦へと立ち上がらせるリバイバルの鍵がまだあります。もともと罪悪に対する戦いの認識が甘かったイスラエル十一部族でさえ本気で立ち上がらせる動機づけを与えた起爆剤とは一体なんだったでしょうか。

 それは堕落したギブアの町の罪悪とは一切関係なく、ただ犠牲となりただ身代わりとなり殺された無実なそばめ、その人でした。皮肉にも元気に生きている時のそばめではなく、死んだ後の悲惨なそばめです。そばめの死体をイスラエルの国中へ送りつけたそのことが引き金となって、十一部族の開眼となりリバイバルの原動力となったのです。死体の一部を実際に受け取って、直接見た十一部族が始めて事の重大性を悟り、本気に目覚めてミツパの町、主の所に集まり罪悪に対する聖戦を開戦し勝利したのです。

 

 今、私達もまた絶対受け取り、見つめなければならない姿がここにあります。それは十字架の上で手足を釘打たれ、血潮を流し、肉体をむちで裂かれた救い主イエス様です。このお方を直視し、このお方を語らなければ、誰でも霊の深い睡眠状態から目覚めることはできません。罪なき神様の御子が罪ある世界のために犠牲の死を遂げたのです。こんな偉人な神様の御子の血潮にまみれたその姿こそ私達を霊の眠りから目覚めさせ、罪悪の本質を悟らせ、罪を憎み、罪を敵として聖戦を始める聖なる勇士へと変化させるのです。十字架のイエス様、その血潮にまみれた姿を恐れないで真剣に見つめましょう。開かれた小包を自ら手にとってしっかり見つめる族長達のように、ふるえながら、感動的な心をもってイエス様の血潮と肉体を自分のものとして受け取ることです。その象徴が今日、聖餐式です。必ず目覚めて、奮い立つ新鮮な命の力が流れてきます。今まで隠れていた罪悪が浮き彫りにされ、これと戦い、聖絶する勇気と信仰と行動力が流れてきます。そしてイエス様の血潮は、私達を世界の罪悪を滅ぼす、大きな神の軍隊へと成長させるのです。イエス様の十字架を直視しましょう。私達の心と体が弱い時、世を歩んで疲れ倒れる時、神様の愛が見えなくなった時、ただひとり十字架を見上げることです。私達の愛するお方の傷ついた血潮にまみれた御姿を。どんなに深く大いなる犠牲愛でしょうか。罪を敵として罪に妥協することなく命をかけて戦いぬかれた勝利の主です。イエス様の十字架の血潮を見続ければ、力ある主の勇士と変えられてどんな罪の誘惑にも打ち勝てます。イエス様の血潮は私達の清めで、積極的に聖戦にかりたたせる救いの力です。今の終末の時代こそ神様の民は皆、教団、教派を越えてイエス様の十字架を仰いで立ち上がり「ミツパの主のところ」へ、神様のイスラエル軍として集合するべきその時です。一致団結して霊の戦いに奮い立つその時が今です。ミツパの町の名前の意味は「見張る場所」「物見やぐら」です。主は今、罪悪との戦いに昼も夜も本当に目覚めた霊的に戦う教会や戦う個人の所におられます。共に十字架で血潮にまみれたイエス様の御姿を私達の唯一の誇りとして信仰の目でしっかり直視して聖なる感化を受けて信仰が大きく覚醒されましょう。

「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。」(ヘブル12:4)

 十字架で血潮を流すまで私達の罪と戦われたイエス様を模範として見つめて目覚め、勇士となって罪を敵視して憎み、強く雄々しく聖戦に立ち上がり御言葉の剣を高く振りかざしましょう。イエス様の血潮が正義の原動力です。

 

ドイツ有力貴族に生まれたニコラス・ツィンツェンドルフ伯爵は、大学卒業後、貴族の慣例に倣ってヨーロッパを旅行。ドイツのデュッセルドルフ美術館で、十字架のキリストの絵の下に「我は汝のため命を捨つ。汝は我がため何をためせしや」と書かれた言葉に心奪われ、守衛が閉館時間を告げるまで、時を忘れ、その場に立ち尽くし献身を決意。過去と栄華を捨てて18世紀前半にモラビア兄弟団の監督となり、自分の財産を投じてアメリカ、西インド、グリーンランドまで宣教師を送り出し、後の伝道者ジョン・ウェスレーもここで回心しました。ニコラス・ツィンツェンドルフ伯爵は、ドイツ・ザクセン州でリバイバルを起こし、会衆は聖霊様の臨在によって倒れるほどでした。

 

新約の聖餐式の預言 裂いて渡されたパン ルカ24:30によると、エマオ途上にいた弟子たち二人は、復活されたイエス様ご自身に道で出会い、共に歩み、聖書の話しを聞き、心が熱く燃やされ、夕食の席まで共にしたのに、不思議なことに彼がイエス様ご自身であることが分からなかったと書かれてあります。世界最高水準の旧約聖書講解メッセージを直接イエス様からお聞きする光栄に預かれたのに、霊的に鈍い二人はイエス様が悟れなかったのです。しかしこのような二人の閉ざされた霊の目が開かれ、そこにおられるお方がなんと主イエスご自身であることを本当に悟れたきっかけとなった出来事は、イエス様がパンを裂いて彼らに与えられたまさにその瞬間のことでした。

 今の時代も繰り返し聖書の話しを聞き、心熱くされますが、私達の霊の目が開かれ救い主イエス様を本当に知ることができる神様との劇的出会いの体験は十字架の言葉であり、イエス様の肉が十字架上パンを裂くように裂かれて、血潮を流されたという神様の御子の身代わりの犠牲愛、この真理をイエス様より直接受け取る時です。それが今日、聖餐式の意味です。十字架のイエス様の血と肉の意味を飲んで噛みしめない限り、本当の信仰は生じません。

 

 私は一度、夢でピラトの庭でムチ打たれた直後のイエス様を見たことがあります。私は彼がイエス様ご自身であることが、なぜか分からないけれど、霊のうちですぐ分かりました。イエス様はムチ打たれた後、体をひきずるようにして私のそばに来てそこで倒れました。そのイエス様の御体は驚くほど深い無数のムチ打ちの傷跡がついたまま真っ赤な血まみれ状態でした。そこで私は早く救急車を呼ばないと、このまま放っておけば出血多量のまま死んでしまうと思い、心が震えながら近づいてみました。よく近くで見ると、イエス様は当時の私のイメージとは少し違い、黒っぽい髪をしたユダヤ人の好青年という感じでした。私のイメージではもっと年配で金髪のイエス様でしたが、まだ若い三十三歳の普通の若者でした。イエス様のひとみには驚かされました。多くの人を惹きつけるような本当に清らかで聖なる美しい目でした。しかし、その表情はむち打ちと暴力により、激しい苦痛に満ちたものであり、白い歯を食いしばりながら、ひたすら耐え忍ばれているようでした。私はイエス様の苦しみもがく御姿を見つめるうちに感情を制することができなくなって、そこで大声をあげて泣き出して「イエス様!」と叫びながら彼に抱きつきました。するとその瞬間、イエス様の全身驚くほど血まみれだったその赤い大量の血潮が、私の両手にも移ってしまい、私も血まみれで真っ赤になったのです。ところがなんの不快感もなく、むしろイエス様の血潮は人を清める力がありました。不思議なことにイエス様の血潮を受けるや否や、私の唇からは次々と異言の祈りと私自身の罪の告白が何の抵抗もなくスムーズに出てきたのです。普段ならば一時間位祈らないと、すぐには心底出来ない悔い改めもイエス様の血潮を受けると速やかにしかも自発的にどんどん出てきたのです。私だけでなくイエス様の血潮に触れられた人ならば、誰でも心からすぐに悔い改めたくなるものだと思います。悔い改めが自然に楽しくなるのです。そこで私は目覚めました。目覚めた後も心は熱く、目には涙でした。イエス様が十字架につけられ血潮にまみれて激痛を受けられたのは、私達を罪の世から救って、本当に神様に仕えるご自身の聖なる民として聖別するためでした。イエス様の犠牲を思う時、ただ感謝せずにはおられません。何を持ってしてこの純粋な聖い愛に応えてお返し出来ましょうか。十字架で身体が裂かれた命のパンなるイエス様に触れれば、閉ざされた霊の目が開いて救いと清めが受けられます。

 

 

 

 

神の最後の嘆願

 

イエス様は言われました。

「世界中の人々に命じなさい。あなたがたはごう慢になってはいけません。不確かな富に頼ってはいけません。むしろ、生きている神に信頼しなさい。神は私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださいます。御霊によっで歩みなさい。そうすればあなたがたは肉の欲を満たすことはありません。」

 

「惑わされてはいけません。神が侮られることなどないのです。人は自分が蒔くものが何であれ、それをまた刈り敢ることになります。肉のために蒔くなら、あなたは滅びを刈り取ることになります。御霊のために蒔きなさい。そうすればあなたは永遠の命を刈り取ることになります。肉の行ないとは、姦淫、不品行、汚れ、偶像礼拝、魔術、怒り、ねたみ、酔態、浮かれ騒ぎ、そしてそのようなものです。これらのことを行なっている者たちが、神の国を相続することはありません。」

 

「御霊の実はこれらのものです。愛、喜び、平安、寛容、親切、善、忠信、柔和、そして自制です。キリストのものである人々は、肉をその欲と一緒に十字架に付けてしまったのです。」

 

「神のことばが成就すると、その時、終わりが来ます。神の子が地球に再来する日時は、だれも知りません。神の子でさえも知りません。それは、父なる神にだけ知られていることだからです。神のことばはすばやく成就されつつあります。小さな子どものようになって来なさい。そして私があなたを肉の行ないから清めるままにさせなさい。私にこう言いなさい。

『主イエスよ、私の心の中に入ってください。そして私の罪を赦してください。私は自分が罪人であることを知っています。私は罪を悔い改めます。あなたの血で私を洗い、私を清くしてください。私は天に対してまたあなたの前で罪を犯してきました。私は子どもと呼ばれるにふさわしくありません。私はあなたを私の救い主として、信仰によって受け入れます。』」

 

「私はあなたがたに、私の心にかなう牧師たちを与えましょう。また私があなたがたの羊飼いとなりましょう。あなたがたは私の民となり、私はあなたがたの神となりましょう。神のことばを読みなさい。そしてあなたがたは一緒に集まることをやめてはいけません。あなたの人生をすべて私にゆだねなさい。そうすれば私はあなたを守りましょう。私は決してあなたを離れず、また見捨てません。」

 

皆さん、私たちは一つの御霊によって父なる神に近づくことができるのです。あなたがた全員が主のもとに来て、心を主にゆだねるようにお祈りします 。

 

天国の幻

 

次の幻のうちのいくつかは、イエス様が私を地獄に連れて行かれる前に、私に与えられたものです。またいくつかの幻は、私が地獄を訪れる最後の頃に受けたものです。

 

神の似姿

 

私がこの天からの幻を受けたのは、私が深く祈り、黙想し、そして礼拝していた時でした。私が祈っていた場所に主の栄光が下りました。大波のような火と輝く光と崇高な力とが、私の目の前に現われました。その火と光の中央に、神の御座がありました。その御座の上に神の似姿がありました。

喜びと平安と愛とが、全能なる神から流れ出ていました。その御座の回りは、小さなケルビム神の御座にいる生き物たちが歌ったり、主の顔や手や足に口づけしていました。ケルビムたちが歌ったのは、聖「なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能の主なる神」という歌でした。ケルビムたちの頭や小さな翼の先端の上には、舌のような火 がありました。彼らの翼の動きは、主の力と栄光の動きに合わせているようでした。一人のケルブケルビムの単数形が私のところに飛んできて、私の目に触れました。

 

金の山々

 

ある幻の中で、私は地球を遠くから見下ろしていました。地は何マイルにもわたって雨がなく干からびていました。地面はひびが入り、乾燥していて、不毛の地でした。どんな木や草も全く見えませんでした

 

それから私は、その乾燥した地を越えて、はるか天国まで見ることが許されました。そこには二つの大きな山が並んであり、ふもとのところでつながっていました。山の高さはわかりませんが、とても、とても高い山でした。近づくと、 それらの山は、透明なくらいに純粋で堅い金でできていることがわかりました。 それらの山の向こうに、輝く白い光が見え、その光は広がって宇宙に満ちていきました。私は心の中で、これは天国が着座している土台であると感じました。人々は小さな金の指輪を求めて争いますが、神はすべての金の所有者なのです。邸宅の建設 私が祈っている時、この幻を受けました。私たちがこの地上で行なうさまざまな事の記録を、天使たちが読んでいるのが見えました。翼のある天使たちもいれば、翼のない天使たちもいました。大きい天使もいれば、小さい天使もいました。けれどもみな、顔は違っていました。この地上にいる人々のように、天使たちも顔つきで区別できました。

 

見ると、天使たちがとてつもなく大きなダイヤモンドを忙しそうに切っていて、それらをいくつもの美しい邸宅の土台に据えていました。そのダイヤモンドは、厚さ三十センチ、長さ六十センチでとても美しいものでした。一人のたましいが神に勝ち取られるたびに、一つのダイヤモンドが、そのたましいを獲得した人の邸宅に加えられるのです。どんな労苦であっても、それが神のためになされる時、決してむだにはならないのです。

 

天国の門

 

私が祈っていた別の時に、この天国の幻が見えました。私は霊の中におり、一人の天使が私のところに来て、天に私を連れ出しました。かつて私が金の山々の後ろに見た時のように、大波のような光とまばゆいばかりの栄光の壮大な光景が見えました。神の力が示されるのを見るのは、厳かなことでした。その天使と私が、大きな城壁の二つの巨大な門に近づくと、剣を持った特に大きな天使が二人見えました。彼らの背の高さはおよそ十五メートルで、髪の毛は金糸でした。その間はとても高くて、てっぺんは見えませんでした。それらの門は、 私がかつて見た中で最も美しい芸術作品でした。それらは手で彫刻されたものであり、複雑なひだやたるみ、重ね、彫り込みがなされていて、真珠やダイヤモンド、ルビー、サファイヤなどの宝石がちりばめられていました。その門にあるものは何でも完璧にバランスが取れており、門は外に開いていました。一冊の本を手にした一人の天使が門から出て来ました。その天使はその本でチェックしてからうなづいて、私に、入ってもよいと言いました。

読者の皆さん、もしあなたの名前が小羊イエス・キリストの命の書の中になければ、あなたは天国に入ることができないのです。

 

ファイルの部屋

 

ある幻の中で、一人の天使が私を天国に連れて行き、堅い金の壁でできた、とても広い部屋を私に見せてくれました。アルファベットの文字が壁のあちこちに彫り込まれていました。その光景は大きな図書館によく似ていましたが、本は、棚に並べられてはおらず、壁の中に埋め込まれていました。長い衣を着た天使たちがその壁から本を取り出し、それらを綿密に調べていました。彼らのすることには、きちんとした秩序があるように思われました。それらの本には厚い金のカバーがついていて、いくつかのページは赤色でした。本はとても美しいものでした。私といっしょにいた天使は、これらの本は、これまで地上に生まれたすべての人の人生の記録であると言いました。他にももっと多くの記録が入った部屋がまだいくつもあるとも言いました。時々、天使長たちが神の前に記録を持って来て、是認か否認を求めていました。それらの本には、祈りのリクエスト、預言、態度、主にあっての成長、キリストに導かれたたましい、 御霊の実、さらにもっと多くのことも含まれていました。

 

私たちが地上ですることはなんでも、それらの本の中の一冊に天使たちによって記録されているのです。しばしば天使が本を置いて、柔らかい布で何ページかを洗い落としていました。洗い落とされたページは赤色になりました。

 

天のはしご

 

主の御霊は私に次のような幻を与えてくださいました。天国から地球に降りる大きな霊的なはしごが見えました。そのはしごの一方からは天使たちが地上に降りて来て、もう一方からは天使たちが上がっていきました。はしごの上の天使たちには翼がありませんでしたが、天使はひとりひとり一冊の本を持ってい て、その本のカバーの表紙には、一人の名前が書かれてありました。ある天使たちは、指示を与えたり、他の天使からされる質問に答えたりしているように見えました。指示を受け取ったり、質問の答えを受け取ったりすると、彼らは見えなくなりました。また地球の別のいくつかの場所にもはしごが見えました。天使たちは絶えず動いており、上がったり降りたりしていました。天使たちは神からの命令を携えている使者であるため、大胆に、また権威を持って動いていました。

 

イエス・キリストから 世界へのメッセージ

 

イエス様が初めて私に現われてくださった時、彼はこう言われました。

「あなたは私とともに地獄の深いところを通るように父によって選ばれました。地獄と天国について、私が世界中の人々に知ってほしい多くのことを、あなたに示していきます。この本が、これらの知られていない場所が実際にどのようなところなのかを知らせる真実の記録となるように、私はあなたに何を書くべきかを語りましょう。私の霊は、永遠、裁き、愛、死と死後の命について、奥義を啓示します。」

 

まだ救いを受け取っていない世界中の人々に対する、主のメッセージはこれです。

「私はあなたがたが地獄に行くことを望んではいません。私は、私自身の喜びのため、またいつまでも続く交わりのために、あなたがたを作りました。あなたがたは私が創造したものであり、私はあなたがたを愛しています。私が近くにいる間に私を呼び求めなさい。そうすれば、私は聞いてあなたがたに答えましょう。私はあなたがたを赦して祝福したいと願っています。」

 

すでに救われて生まれ変わっている人々に、主は言われます。

「あなたがたは一緒に集まることを忘れてはいけません。一緒に集まり、祈り、私のことばを学びなさい。聖い霊で私を礼拝しなさい。」

 

主は諸教会と国々に言われます。

 

「私の天使たちは、救いの相続者たちのために、またこれから相続者となる人々のために、いつも戦っています。私は変わることがありません。私は、きのうも、今日も、永遠に同じです。私を求めなさい。そうすれば私は私の霊をあなたがたの上に注ぎましょう。あなたがたの息子、娘たちは預言をするでしょう。私はあなたがたの間で大いなることを行ないましょう。」

 

もしあなたがまだ救われていなければ、今、時間を取って、主の前にひざまずき、罪を赦して神の子どもにしてくださいと主に求めてください。どんな犠牲を払ってでも、あなたは今、天国をあなたの永遠の住まいとするべきです。地獄は恐ろしく、地獄は現実にあるのです。

 

 

「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。」
(ヘブル12:4)

十字架で血潮を流すまで私達の罪と戦われたイエス様を模範として見つめて目覚め、勇士となって罪を敵視して憎み、強く雄々しく聖戦に立ち上がり御言葉の剣を高く振りかざしましょう。イエス様の血潮が正義の原動力です。

ドイツ有力貴族に生まれたニコラス・ツィンツェンドルフ伯爵は、大学卒業後、貴族の慣例に倣ってヨーロッパを旅行。ドイツのデュッセルドルフ美術館で、十字架のキリストの絵の下に「我は汝のため命を捨つ。汝は我がため何をためせしや」と書かれた言葉に心奪われ、守衛が閉館時間を告げるまで、時を忘れ、その場に立ち尽くし献身を決意。過去と栄華を捨てて18世紀前半にモラビア兄弟団の監督となり、自分の財産を投じてアメリカ、西インド、グリーンランドまで宣教師を送り出し、後の伝道者ジョン・ウェスレーもここで回心しました。ニコラス・ツィンツェンドルフ伯爵は、ドイツ・ザクセン州でリバイバルを起こし、会衆は聖霊様の臨在によって倒れるほどでした。
イエス様の十字架を直視しましょう。私達の心と体が弱い時、世を歩んで疲れ倒れる時、神様の愛が見えなくなった時、ただひとり十字架を見上げることです。私達の愛するお方の傷ついた血潮にまみれた御姿を。どんなに深く大いなる犠牲愛でしょうか。罪を敵として罪に妥協することなく命をかけて戦いぬかれた勝利の主です。
イエス様の十字架の血潮を見続ければ、力ある主の勇士と変えられてどんな罪の誘惑にも打ち勝てます。イエス様の血潮は私達の清めで、積極的に聖戦にかりたたせる救いの力です。今の終末の時代こそ神様の民は皆、教団、教派を越えてイエス様の十字架を仰いで立ち上がり「ミツパの主のところ」へ、神様のイスラエル軍として集合するべきその時です。一致団結して霊の戦いに奮い立つその時が今です。
ミツパの町の名前の意味は「見張る場所」「物見やぐら」です。主は今、罪悪との戦いに昼も夜も本当に目覚めた霊的に戦う教会や戦う個人の所におられます。共に十字架で血潮にまみれたイエス様の御姿を私達の唯一の誇りとして信仰の目でしっかり直視して聖なる感化を受けて信仰が大きく覚醒されましょう。

敵地無力化電磁パルス兵器使用による大規模停電同様の現象が核兵器使用によって世界規模に起きる結果

 

カタリナ・エンメリックの預言にこのようなものがあります。

全世界が、突然の暗闇に包まれ、人工的な光が用をなさない暗黒の日がいつか訪れること。この暗黒の日には、燃え立つ紅い雲が、天をよぎり、雷鳴がそこら中に轟きわたること。(敵地無力化電磁パルス兵器使用による大規模停電同様の現象が核兵器使用によって世界規模に起きる結果だろうか?)地上には、至る所で大地震が発生し、海は、泡となり、洪水のように大地に押し寄せる現象が起きること。(大地震と大津波)その暗黒の日々には、これまで人間の目で見ることのできなかった悪魔が姿を現し、その忌むべき姿を見た人間は、あまりのおぞましさに発狂することや、フリーメイソンから教会への迫害・陰謀があることも語っていました。以下の預言ですが、おそらく聖ペテロ大聖堂を建築する際に、資金集めを目的として考案され行なわれたあの忌まわしい異端教理の免罪符を指すものと思われます。

 

「粗野で無知な人々が暴力的な抵抗をしているのを私は見ましたが、この状態は長くは続きませんでした。再び私は聖ペテロ大聖堂が秘密結社によって立案された計画に従って蝕まれる光景を見ました。同時にそれは嵐によって損傷していました。」

ここで言う「秘密結社によって立案された計画」こそ免罪符制度であり、大きな罪を犯した罪人は多額の献金で免罪符を購入し、小さな罪を犯した罪人は少額の献金で免罪符を購入し、罪の赦しを神様から頂くというとんでもない異端教理のことです。驚愕は、その立案者が彼女の預言では秘密結社フリーメイソンだったということです。この組織は歴史中、いつも教会にまとわりついて離れず、聖書の翻訳にまで積極的に介入し、多くの神学的な間違いを教会員に吹き込んで、信仰を落とすよう神様の働きを内側から破壊工作してきた団体です。

 

このような預言もあります。

 

「私は多くの殉教者を見ています。今ではなく、未来のです。私は秘密結社が、無残にも偉大な教会を傷つけるのを見ています。彼らのそばに海から昇ってきた恐ろしい獣を見ました。世界中の信心深い善良な人々、特に聖職者が圧迫され、投獄されます。私は彼らが殉教者となるのだと感じています。
教会がほとんど破壊され、至聖所と祭壇だけが残った時、私は秘密結社の人間が獣と共に教会に入ってくるのを見ました。そこで彼らは子連れの上品な婦人(マリヤ)を見て、その人に恐怖を与えようとしましたが、獣は一歩も前進できません。獣は彼女に喰いつこうとするかのように、首をつき出しますが、彼女は向きを変えて祭壇に向かってお辞儀をします。彼女の頭が地にふれると、獣が再び海に向かって突進し、敵は大混乱のうちに逃げ出すのを見ました。それから私は遠方に大部隊が近づいてくるのを見ました。前面に一人の人(イエス・キリスト)が白馬に乗っているのが見えます。捕虜が解放されてこの人と合流します。敵は全て追われ、教会は迅速に建て直され、以前のより立派となりました。」

 

このように信憑性の高い膨大な量のエンメリックの預言から重要な部分をできるだけ原文忠実にご紹介したいと思います。ドイツ語: Anna Katharina Emmerick は、カトリック教会聖アウグスチノ修道会の修道女です。病弱な為、生涯ほとんど外出せず、寝たきり生活でしたが、彼女には神様から預言の賜物という特殊能力を与えられて、聖書のイエス様の時代をまるでそこにいたかのように明確にビジョンで見、協力者クレメンス・ブレンターノが傍らで口述筆記しながら記録・編さんしました。彼女の生涯の最後の12年間は聖餐式に配る小さなパンと葡萄酒以外の食物を受けることが出来ず、水以外の飲料もとる事ができなかったと言われています。

 

以下は、イエス様の母マリヤの家をエンメリックが預言した言葉です。

 

「マリヤのお住まいはエペソの街にはなく、そこから三、四時間ほど離れた丘の上にあり、そこにはすでに他のキリスト信者が移住し、その中には母の親戚に当たる婦人もいた。この丘と街の間には一つの流れがうねうねとうねっていた。エペソよりも海に近いこの丘の頂からは、街と島の多い海とがよく見渡された。この移住地からほど遠からぬ所に城があり、その城主は退位した王様らしかった。ヨハネはたびたび彼の許に滞在し、彼を改心させた。その後その場所は教会の聖堂となった。そこに住んでいた信者の中に、わたしは二、三の男も見た。誰もが母をお訪ねしたわけではなく、二、三の婦人だけが時折お訪ねし、仕事の手伝いをしていた。彼女たちはまたキリストの母の必要な物の心配をしてあげた。その場所は非常に淋しい所で、他には誰も住んでいなかった。また街道は一本も通っていなかった。エペソの人はこの住民のことは少しも気にかけていなかったので、彼らはまったく忘れられたままになっていた。その土地は肥えていたので彼らは少しばかりの農園を開いた。私はこの地方では野生の山羊の他は何も獣は見なかった。ヨハネは母をここへお連れする前に、母のために石造りの家を作らせたが、それはナザレの家によく似ていた。それは木立の中にあり、炉で二つの部屋に仕切られていた。私は、母がそのご生涯の最後の日には、手伝いの乙女が鉢に搾って差し上げた黄色いぶどうのような果物の汁の他は何もおとりにならなかったのを見た。私はまた母が御子(イエス)の衣服を沢山持っているのを見たが、その中にはあの手編みの肩衣もあった。
他の移住者の住まいから十五分ほど離れていたこの淋しい小さな家には、母と一人の姪だけが住んでいた。その他には誰もいなかった。」

 

という訳ですが、この預言を情報源に詮索したフランスの司祭ジュリアン・ゴヤット神父がマリヤの家の遺跡を実際に発見しています。

 

古代都市エペソの街から少し離れた丘の南側に、指摘どおりに遺跡が発見され、そこが紀元1世紀ごろに建造された遺跡の残骸である事実も確認されました。
報告を受けた当時のトルコ政府は、事を重視し、数人の透視能力を持つと言われるサイキックに過去の様子を視させ、それに基づいてキリストの時代にあったと推測される建物そっくりに、建物を復元しました。

これが今、母の聖なる神殿と呼ばれているマリヤの家で現在は礼拝堂になっています。

 

 

エンメリックの失われたアーク、契約の箱のありかについての預言は驚愕です。

 

「私は、ゴルゴダの丘深く、イエス様が、はりつけにされた地点の真下、水の層にほど近いほら穴に眠るアダムの骨を見ました。私は、中を覗きアダムの骨が、右の腕と足、右のあばらの一部以外は、完全に保たれているのを見ました。右のあばらから覗いたとき、左のあばら骨がはっきり見えました。右脇には、主が取り出されたときと正確に同じ位置に、エバのどくろが横たわっていました。アダムとエバの眠る場所については色々と議論されていますが、私は、二人が私の見たその場所に常にいたことを示されました。大洪水以前、この地点に丘はありませんでした。その出来事とともに、初めてこの地点に一つの丘が現われました。墓は水から守られたのです。ノアは、箱船の中に彼らの遺骨の一部を持ち込み、最初の礼拝を行なったとき、祭壇の上に並べました。アブラハムも後の時代に同じことを行ないました。彼は、アダムの骨をセムから受け継いだのです。アダムの骨の真上、ゴルゴダの丘で行なわれたイエス様の血の犠牲は、遺骨を下に納めた契約の箱の上で行なわれる礼拝を予示したものでした。父祖たちの行なったいけにえは、そのための準備にすぎませんでした。彼らもまた、聖遺物を所有し、それによって神様の約束を思い起こしたのです。」

 

 なんと、十字架真下のほら穴にある契約の箱のさらに真下にはアダムとエバの骨があることまで細かに預言されていたのです。まさに、ここゴルゴダの場所(訳すと、「どくろ」の場所)とは、伝説どおり文字通り本当にアダムとエバの骨であるどくろがある場所だったようです。昔の人々の言い伝えは、時に、馬鹿にできません。前の書で、本当にノアの大洪水以前の時代は、堕天使200人によって種付けされた動物や昆虫たちがキメラ生物たちを多数生んだ結果、見ているだけで気が狂わされるほどのバラエティな生き物がいて、当時の世界は人間だけでなく、恐竜や巨人ネフィリムがふらふら道を歩き、人間っぽい角を持つ生き物の鬼たち、河童(堕天使とカエルミックス)、宇宙人エイリアンっぽい怪物、羽のある小人の妖精たちなど、現実に存在したことを化石写真付きで解説しましたが、都市伝説ではなかった現実、どくろの地と呼ばれていたユダヤのゴルゴダにおいても、都市伝説でなくて本当にアダムとエバの葬られたどくろが地中深くにある埋葬地であり、岩棚は、自然の浸食でどくろの顔のように見える不気味な処刑場が文字通り、どくろある地だったとは衝撃です。

 

イエス・キリストの十字架が立てられた本当のカルバリ山の現場は、聖霊様によるパワースポット、本物の聖地です。なぜなら、歴史的にいつもそのポイントで聖書記録に残る重大な命を懸けた礼拝が捧げられていて、そこには世界の中心地点であり、今もイエス様の血潮があるからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

獣の刻印

私は主が言われるのを聞きました。「私の霊は人間といつまでも争ってはいません。来て、あの獣を見なさい。」

 

「終わりの時代に、一匹の邪悪な獣が地から起こり、地上のあらゆる国々の多くの人々をだまします。彼はだれにでも、その手か額に彼の刻印である666という数宇を受けるよう要求します。だれでもその刻印を受ける者は、その獣に属するものとなり、火と硫黄の燃える火の池の中に、彼と共に投げ込まれることになります。」

 

「あの獣が登場すると、世界はかっさいして彼を受け入れます。それは彼が、だれも経験したことのない平和と繁栄をもたらすからです。彼が世界の支配権を手に入れると、額か手に彼の刻印のない人は、食物や、衣類、自動車、住宅、あるいは他のどんな物も買うことができなくなります。またその刻印を持っていなければ、自分の持ち物をだれか他の人に売ることもできなくなります。」

 

「主であられる神は、はっきりと宣告しておられます。その刻印を受けている者たちは、獣に忠誠を誓った者たちであり、主なる神から永遠に絶ち切られることになります。彼らは、不信者や不正を行なう者たちと同じ立場にいることになります。その刻印がはっきりと示すことは、その刻印の所有者は神を拒んだ者であり、生活の支えを求めて獣のほうに転向した者である、ということなのです。」

 

「獣と彼に従う者たちは、その刻印を拒む人々を迫害し、そのうちの多くの者を殺します。彼らは本当の神を信じる者たちに、可能な限りの圧迫をかけ、刻印を受けるように強制します。子どもや幼子も、その刻印を受けるのを拒む親たちの目の前で殺されるでしょう。大いなる悲しみの時が来ます。」

 

「その刻印を持っている者たちは、あの獣が彼に従う者たちのすべての必要を満たす、という約束と引き換えに、自分の所有物を獣に明け渡すことを強いられるでしょう。」

 

「あなたがたの中にも、弱くなってあの獣に身を委ね、手か額に彼の刻印を受ける者たちがいます。あなたがたは『神様は赦してくださる。神様は理解してくださる。』と言うでしょう。しかし、私は私のことばを思い直すことはありません。私は、私の預言者や福音の奉仕者たちの□を通して、繰り返しあなたがたに警告してきました。まだ昼間である今のうちに侮い改めなさい。

裁きが永遠に決定されてしまう夜が来るからです。」

 

「もしあなたがたがあの獣に従わず、彼の刻印を受けることを拒むなら、私があなたがたの面倒を見てあげましょう。この時代に自分の信仰のゆえに死ぬ人はあまりいない、と言っているのではありません。主であられる神に信頼するゆえに首をはねられる人々は、多いのです。しかし主にあって死ぬ人々は幸いです。彼らの報いは大きいからです。」

 

「あの獣が人気を博し、評価を得ている間は、確かに平和と繁栄の時代となります。彼は世界の諸問題をあたかも無に等しいものにしてしまいます。しかし最後にはその平和は流血となり、その繁栄は全地にわたる大飢饉となります。」

 

「人間があなたがたに対してすることを恐れてはいけません、あなたがたのたましいとからだを、地獄の中に投げ込むことのできる方を恐れなさい。大きな迫害があり、艱難は大きくなっていきますが、私はそれらすべての中からあなたがたを助け出します。」

  

「しかし、その悪の時代が来る前に、私は私を霊と真理によって礼拝するカ強い軍団を起こします。主のその軍団は、私のために偉大なわざとすばらしいことを行ないます。だから、ともに集まり、義と真理によって私を礼拝していなさい。義の実を結ばせなさい、そして当然私のものであるものを、私に献げなさい。そうすれば私はその悪の時代からあなたがたを守りましょう。

今悔い改めなさい。そして背く者や救われていない者に降りかかろうとしている、あの恐るべきことから救われなさい。」

 

「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は永遠の命です。できるうちに私を呼び求めなさい。そうすれば私はあなたがたを受け入れ、あなたがたを赦してあげましょう。私はあなたがたを愛しており、あなたがたが滅びることを願ってはいません。この報告を信じて生きなさい。あなたがたはだれに仕えるかを、今日選びなさい。」

 

 

キリストの再来

 

私は主が来られるのを見ました。彼がラッパの音のように呼ぶ声と、天使長の声とが聞こえました。そして全地が揺れ動き、死んでいた義人たちが墓から出て来て、空中で彼らの主とお会いしました。それから何時間もたったように思われました。角笛が鳴り響くのが聞こえ、地と海はその中の死者を出しました。主イエス・キリストは火の衣を着て雲のてっぺんに立っておられ、その輝かしい光景を見ておられました。

 

 私はふたたびラッパの音を聞きました。見ると、生きていて地上に残っていた者たちが彼らと会うために上っていきました。

その贖われた人々が空中で集まっている場所は、何百万もの光の点が一点に集合しているように見えました。天使たちがそこで彼らに真白な衣を与えると、大いなる喜びが沸き起こりました。

天使たちには秩序を保つ仕事が割り当てられていました。天使たちはいたるところにいて、生き返った人々には特別に心を配っているようでした。その贖われた人々には新しいからだが与えられ、空中を通り過ぎているあいだに彼らは変えられていました。

 

 天は大いなる喜びと幸せで満ちあふれ、天使たちは「王の王であられる方に栄光あれ!」と歌っていました。

 天の高いところに、大きな霊的なからだが見えました。それはキリストのからだでした。そしてそのからだは、ベッドの上にあおむけに横たわっていました。そして血が地にしたたり落ちていました。私は、これは私たちの主の殺されたからだであるとわかりました。それからそのからだはどんどん大きくなっていき、天を満たすまでになりました。そして何百万もの贖われた人々が、そこに入ったりそこから出たりしていました。

 

 驚いて見ていると、何百万もの人々がそのからだへの階段を上っていき、そのからだを満たしました。それはつま先から始まり、足を通り、腕、腹、胸、そして頭へと満たしていきました。

 

それがいっぱいになった時、地上のあらゆる国々、人種、あらゆる言語の男女で満ちているのが見えました。そして彼らは力強い声で主をほめたたえました。

 

 一つの王座の前に、何百万もの人々がすわっていました。見ると、天使たちが何冊かの書物を持って来て、そこから裁きが読み上げられました。あわれみの座があり、おおぜいの人々に報いが与えられました。

 

 それから私が見ると、暗やみが地球の表面を披っていて、悪魔の軍勢がいたるところにいました。数えきれないほどの悪霊たちが彼らの牢獄から解き放されていて、地上に流れ込んでいました。私は主が言われるのを聞きました。

「地に住む人々はわざわいです。サタンがあなたがたの間に住むために来たからです。」

一人の怒っている獣が見えました。彼は地球全体に毒を注ぎ込みました。地獄は激怒して揺れ動き、底なしの穴から悪霊たちが群れをなして出て来て、そのおびただしい数のために、地は黒くなりました。人々は泣きながら丘や洞穴や山に逃げ込みました。そして地上には、戦争とききんと死がありました。

 

 最後に、火の馬と戦車が天に見えました。地は震え、太陽は血のように赤くなりました。そして一人の天使が言いました。

「聞きなさい、地よ。王が来られる!」

すると空に、王の王であられ、主の主であられる方が現われました。また彼とともにあらゆる時代の聖徒たちが、真白な服を着ていました。そして私は『すべての目は彼を見る』、『すべての膝は彼の前にかがむ』ということを思い出しました。それから天使たちがかまを入れ、熟した穀物を刈り取りました。それは世界の終わりでした。

イエス様は言われました。「悔い改めて救われなさい。神の国が近いからです。私の願ってきたことと私のことばとが成就されるからです。主の道の備えをしなさい。」

 

そして私は、『私たちは互いに愛し合わねばならない、キリストがまもなく来られることを思って、私たちは真理の中で堅固な者となり、子どもたちには正しく教えていかねばならない』と思いました。なぜなら王であられる方が確かに来ようとしておられるからです!

 

 

医療の限界 死後の世界 子供が死んだらどうなるのだろう 

 

イエス様は言われました。「私はあなたに、神の愛とすばらしさ、また天国の一部を見せようと思います。主の驚くべきわざをあなたに見てほしいのです。それは非常に麗しいものです。」

 私たちの前に二つの巨大な惑星が見えました。その輝きに満ちた中で、美しく栄光にあふれていました。そこを照らしている光は神ご自身でした。

 一人の天使が私たちに出会って私に言いました。「あなたの神であられる主のすばらしさといつくしみとを見なさい。彼のあわれみは、とこしえまでもあるのです。」その天使の周囲には、あまりにも強い愛と優しさがあったので、彼がふたたび話したとき、私は今にも泣き出しそうでした。「神の力と権勢と威厳とを見なさい。神がその子どもたちのために創造した場所を見せてあげましょう。」

 突然、地球の大きさほどの大きな惑星が、私たちの前にぼんやりと現われてきました。するとその時、父なる神が言われる声が聞こえました。「父と、子と、聖霊は、全く一つなのです。父と子は一つであり、父と聖霊も一つです。私が私の子を送って十字架の上で死なせたのは、だれひとりとして滅びた者となる必要がなくなるためでした。」

 

「しかし」と彼は微笑んで言われました。「私が私の子どもたちのために作った場所をあなたに見せましょう。私はすべての子どもたちのことを、とても心にかけています。私が心にかけるのは、我が子よ、あなたの胎の実が時期が来る前に命を落としてしまうように、母親がその子どもを失ってしまう時です。あなたにはわかっているように、私はすべてのことを知っており、すべてのことを心に留めています。」

「胎の中に生命がある時から、私は知っているのです。まだ母親のからだの中にいる間に殺されてしまう赤ん坊たちについて、私は知っています。

見捨てられ、不必要とされて堕胎された生命です。死産の子どもたちや、肢体が不自由で生まれてくる子どもたちについて、私は知っています。妊娠した時から、それは一人のたましいなのです。

「そのような子どもたちが死ぬと、私の天使たちが下って行って彼らを私のもとに連れてきます。彼らが成長し、学び、そして愛を受けることができる場所を、私は用意しています。私は彼らに完全なからだを与え、彼らに失われているからだのどの部分でも回復させます。私は彼らに栄光を受けたからだを与えます。」

 その惑星全体にわたって、愛されているという感覚、完璧な幸福感がありました。何もかも完璧でした。みずみずしい緑の草や、水晶のように澄んだ水の池などの中のあちこちに、遊び場があり、すわるために大理石の椅子や、綺麗に磨かれた木のベンチがありました。

 また、子どもたちもいました。どこを見ても子どもたちがあらゆる活動をしていました。子どもは一人一人、しみのない白い服を着て、サンダルをはいていました。その白い服はとても明るく、その惑星上の華麗な光の中できらきら輝いていました。種類の豊富な色がどこにもあり、子どもたちの服の白さが引き立っていました。天使たちが門を守っており、子どもたちの名前はすべて、一冊の本に書かれてありました。

 

子どもたちが神のことばを学んでおり、金色の本から音楽を教わっているのが見えました。子どもたちがこの天使の学校にいる間、あらゆる種類の動物が子どもたちのところに来たり、彼らのわきにすわったりしているのを見て、私は驚きました。涙も悲しみも全くありませんでした。何もかもこの上なく美しく、喜びと幸せがどこにでもありました。

 

それからその天使は私に、もう一つ別の惑星を見せてくれました。それは大きな光のように、私の前で輝いていました。その光は百万もの星の輝きのように輝き、その惑星にある物はみな、美しくて生き生きとしていました。

遠方に純金でできた二つの山が見えました。私の近くには、ダイヤモンドや宝石が埋め込まれた、二つの金の門がありました。そこは新しい地球で、私の前に華麗に輝いている町は、新しいエルサレムで、地上に下ってきた神の都であることがわかりました。

そしてそれから、私はあの古い地球に戻って来ました。神の輝かしい目的のために地球を一掃して清める、あの最後の火が下る前の地球でした。そしてここにもまた一つの新しいエルサレムがあり、それはあの一千年期の首都でした。そして人々が洞穴や山々から出て来て、この都に向かって進んでいるのが見えました。ここではイエス様が王であり、地上のすべての国々は彼のもとに贈り物を携えて来て、彼に敬意を表わしました。

 

 イエス様は私に、私が見た幻の解き明かしを与えてくださいました。彼は言われました。

「まもなく私は再来し、最初に義人として死んだ人々を私と一緒に天国へ連れ帰ります。それから彼らの後で、地上に生き残っている義人たちは引き上げられて空中で私と一緒になるのです。それに続いて、あの反キリストが定められた期間、地上で王として支配し、いまだかつてなかったような、またこれからも二度とないような艱難があります。」

「そしてそれから、私は私の聖徒たちと共に再来し、サタンはあの底なしの穴の中に投げ込まれます。そこに彼は千年間留まります。その千年の間、私はエルサレムから王として地上を支配します。その一千年期が過ぎると、サタンはしばらくの間解き放たれますが、私が来て、彼を打ち負かします。古い地球は過ぎ去ります」

「見なさい。新しい地球と、その上に下ってくる新しいエルサレムとが存在するようになるのです。そして私が永遠に王として支配するようになるのです。

 

 

イエス様の時代の献金箱は、献金袋より、秦氏が作った神社のさい銭箱が近いイメージであったようです。

 

Ⅱ列王12:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴をあけ、それを祭壇のわき、主の宮の入口の右側に置いた。入口を守る祭司たちは、主の宮に納められる金をみな、そこに置いた。12:10 箱の中に金が多くなるのを見て、王の書記と大祭司は、上って来て、それを袋に入れ、主の宮に納められている金を計算した。12:11 こうして、勘定された金は、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らはそれを主の宮で働く木工や建築師たち、12:12 石工や石切り工たちに支払い、また、主の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、宮の修理のための出費全部のために支払った。

 

イエス様の時代の献金箱は、

献金袋より、神社のさい銭箱が近いイメージであったようです。

 

 教会の献金袋

 

幕屋をモデルに神社の創設者、ユダヤ人の秦氏が作ったから、彼らは知っていたようです。

 

マル12:41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。12:42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。12:43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」

 

多くの金持ちが大金を投げ入れていた。

投げ入れたと書かれています。

イスラエルの献金箱の上は 祭司エホヤダによって穴が開けられていたようで、イエス様の時代に投げ入れても入るくらい大きな開きだったようです。やはり神社のさい銭箱が近いイメージであったようです。

 

 教会の献金箱

 

私達の教会にも献金箱なる箱が置いていますが。献金を入れる間口は二つ開いていても小さいです。

 

投げ入れようとしても、よほどコントロールが良くないと入らないです。

しかし、神社のそれは、後ろから投げ入れても入りやすい広い間口です。

 

神社のさい銭箱

 

神社のさい銭箱の場所には、長い垂れ下がったひもと、上には大きな鈴が付いています。 

ひもを振り回すと、下品で不快な「ガラン、ガラン」と鈴の音がします。

 

 

その意味は、聖書の記述の雷の音を真似たものでしょう。 

 

サムエルやダビデが祈ると、応えられ、主から雷が鳴ったことが原点でしょう。  

 

サムエル Ⅰサム12:18 それからサムエルは主に呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨とを下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。

 

ダビデ Ⅱサム22:14 主は、天から雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。

 

ミス・アメリカになったタラ・ホーランド。

 

彼女は幼い頃からミス・アメリカになることを夢見ていました。
1994年、彼女はミス・フロリダの選考会に出場しましたが、惜しくも準ミスにとどまりました。翌年再び挑戦するも、結果は同じ準ミスでした。彼女は落胆し、半ば諦めかけました。しかし、夢を描き、できると信じ続けたのです。

彼女は環境を変えようと思い立ち、カンザス州に引越し97年、ミス・カンザスの選考会に出場し、優勝を果たします。その後、全国大会に進んだ彼女は、見事ミス・アメリカの栄冠に輝きました。

 

全国大会の記者会見で、タラは勝利の秘訣を尋ねられました。

彼女は、州大会で二回優勝を逃したときに諦めかけたことを告白しました。

しかし、彼女はできると信じてレンタルビデオ店に出かけて、ミス・ティーン、ミス・ユニバース、ミス・ワールドなど、様々なミス・コンのビデオを片っ端から借りて、それらを何度も何度も見たのです。

彼女は優勝者一人ひとりの姿に自分を重ね合わせました。
冠をかぶる自分、花道を歩く自分など、優勝する自分の姿を心に描いたのです。
それこそが勝利の秘訣だとタラは語りました。
別の記者が、「何百万人もの人がテレビを通じて見守る中、音楽に合わせて勝利の花道を歩くのは緊張しなかったか」と尋ねました。タラの答えは興味深いものでした。
「ええ。まったく。だって、もう何千回もあそこを歩いていますから!」
タラは優勝した自分の姿をイメージし、優勝できたと信じました。
彼女は頭の中から過去の敗北の記憶を消去し、代わりに花道を歩く自分の姿をインプットしました。

「私ならできる」という前向きな姿勢で、勝利を信じたのでした。

前向きの、肯定的なイメージを、夢が実現できた状態、環境を心に思い描き続けることです。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)