さて、前記事から2週間ほど空いて、やっとこさ映画感想です。
今回はお話を知った上で映画を見るという感じだったんだけど、これはこれで「初めから画面の見たいところを見れる」メリットがあったし、比較的冷静に見れて気付いたこともあったので、公式がお出しした順番で見ることは悪くなかったかなと思うところ。直前にいっぱい情報流れてきちゃったしね。
で、小説時点で85点とか言ってたわけだけど、小説と映画とで2回見て、いろいろ考察がはかどったりした結果、この作品には95点はつけていい作品だと思った。ので、今回は小説と映画との違いとか、映画見てから考察した内容とかを綴っていく感じで。
◆映像化されて良かった点/悪かった点(戦闘面)
良かった点はやっぱり戦闘シーンだと思う。序盤のパロットモン戦やエオスモン初戦。映像化されることで一層、過去作のオマージュであることが鮮明になり、そしてグレイモン、メタルグレイモンの進化シーンも無印を綺麗に再現したもので、めっちゃ興奮した。オメガモンVSエオスモンは2回ともオメガモンのかっこいいシーンが続き、かつエオスモンがオメガモンを負かしてしまうシーンも、全然オメガモンが弱いように見えなかった。
あと、最後の戦闘シーンでButter-fly使わなかったの、めっちゃ偉い! 正直、アレが流れたら嫌な思い出がカムバックしてくるかもしれなかったけど、最後アレ使わずにまとめてて、本当によかった。
一方で、逆にめっちゃ気になってしまった点、イケてない点も同じ戦闘シーン。パロットモン戦では、みんな「相手が完全体だってわかっている」のにいつまでも成熟期で戦うのがめっちゃイライラする。グレイモンと戦わせたいのも分かるけど、あんだけ飛行能力で翻弄されているのにメタルグレイモンになって飛ぼうとしないのはダメ。舐めプして被害拡大した感さえある。相手を完全体にしたなら、さっさと完全体になろうよ。
同じく、最後に丈たちが戦闘に復帰してのエオスモン戦。あそこもみんな成熟期で戦うのおかしいよ。確かにあの場面の彼らの相手はエオスモン成熟期なので、それ以上の段階になる必要は1対1ではないかもしれないけど、どう考えてもあの量で攻めてこられたら、ホーリーエンジェモンになってヘブンズゲートで一掃したほうがよかったでしょ…。
オメガモンも残念なところがあって、小説読んでた時「ガルルキャノン1発でエオスモンの壁を数枚一気に吹き飛ばす」「ガルルキャノン1発でエオスモン分身体が何十匹も吹っ飛ぶ」っていうシーンを思い浮かべながら読んでたんだけど、実際はガルルキャノン1発で壁1枚、分身1体しか倒してなくて、何発も何発も連射してるだけ。なーんか、1発の威力がすさまじく弱く感じて、残念だったなぁ。エオスモンの壁も、もっと何十枚も張り巡らされたのをイメージしてたから、「あ、あんだけしか出さないんだ」みたいなしょぼさを覚えてしまった。
以上、戦闘面でのプラスもマイナスもあるけど、でも、全体的にはプラスって感じ。
◆ネバーランドに囚われた選ばれし子供たち
ちゃーんと02でビジュアルがある子たちが採用されてて、本当によかった。ここらへんは画面見ているだけで楽しかった。
◆モルフォモン
なんか、全然思ってたのと違った…。もっと、ポケモンのモルフォンと、コカブテリモンを足して2で割ったくらいの、もっと虫っぽいデジモンのビジュアルを想像してた。
うーん、なんだこのインキュベーターは…。
◆02エンドに繋がるのか問題
本作品のポイントとなる点で、前回記事では「02エンド無視したら85点」みたいなこと書いてたんだけど、今回改めて見直して「あれ?これ02に繋がるんじゃね?」って思うようになった。
まず、どうして最初に「02エンドに繋がらない」って思ったかというと、避けては通れない話「角銅さん降板問題」。どうしても角銅さんと折り合いがつかずに、彼がいなくなってしまったとされていて、大方の人が02エンドに繋がらないと考える土壌があった。
そんな中でもみんなの希望が「大人になるとデジモンと別れる」なんてのはメノアが言っているだけで、まさかそんなことはねーだろってところで、比較的最後までそう信じることもできるような作りになってたし、俺もそういう期待してた。でも、実際に最後にアグモンとガブモンが消えてしまって、「あー、やっぱりそこは折り合いつかなかったんだね」っていう【現実】を見せられて、一気に冷めて、「まぁ02無視した点以外はよかったんじゃない」くらいの、「tri.と比べるのは失礼だけど、病んだ心をいやす程度には十分だった」みたいな、謎の評価になってたんじゃないかなぁと。
でも、いろいろ考えると、これ02に繋がるんじゃないかなって思うようになった。
まず、そのヒントはエオスモンとモルフォモン。
色んな描写が、エオスモン=モルフォモンと示唆していたと思う。
エオスモンってメノアが作ってたって話だけど、わざわざ公式図鑑に「人工デジモンの限界は成長期まで」というラブラモンの公式設定を再び持ってきて、エオスモンという成熟期はイレギュラーであることを伝えている。実際メノアが作れたのはエオスモンのワイヤーフレームだけで、アレにモルフォモンの生命データが入って生まれた存在じゃないかな。エオスモンの「人間の意識をデータ化する能力」もメノアがそう設計したものじゃない。あれは、「モルフォモンがパートナーの願いを叶えるために進化して取得した能力」と考えたほうがしっくりくる。
エオスモンのカードの出現条件、ちょっと面白いことが書いてある。ざっくり書くと「デジモンボックスの昆虫型レベルⅢ(=成長期)との交換で出現し、そのまま成長期の代わりにベースとしてデジモンボックスに残る」って感じで、つまり別デジモンの出現(四聖獣みたいな)って表現じゃなく、パートナーが生まれ変わったような表現がされてる。つまり、エオスモンはちゃんとメノアのパートナーだと。
実際物語の解決時、メノアが心から救われた瞬間、エオスモン微笑んだよね。もうそれだけでも、エオスモンはメノアのパートナーなんだなって。
ここはエモいとかそういう次元の話っぽいけど、ここで本当に重要なのは、パートナー関係解消されたデジモンも「もう一度パートナーに会いに来る可能性がある」事が示唆されているってことだ。それこそエオスモンは「メノアが望む力を持って帰ってきた」。
じゃあ、何のためにパートナー関係の解消が必要なのかと言えば、大人になると可能性が消えるから…なんてものではなく、ここからは完全に妄想なんだけど「人生の岐路で、邪魔にならないように一時的に消える」んじゃないかな。
無印の8人の中で、明確にパートナーと距離を置いているのって、太一とヤマトだけなんだよね。タケルやヒカリがいるせいかもしれないけど、一緒にいることが少ない、一緒に住んでない。逆に、triとかでゴマモンと距離を置いてた丈は病院にゴマモン連れてきてた(ミミちゃんのお見舞いのシーン、アレ多分丈が勉強してる大学の病院だと思う。映画にないシーンだけど、アグモンが渡り廊下の壁壊して丈に謝るシーンあるから)。
メノアも大学入る直前は、モルフォモンを余所に勉強に打ち込んでた時期があっただろうし、空だってお花の稽古中ピヨモンを完全に遠ざけてた。
それを踏まえると、「一緒に成長していく」必要がなく、逆に「成長(レベルアップ)の邪魔になる」状態には、敢えてパートナー関係解消ってことになるんじゃないかなって。
で、メノアの場合、ある程度実績を積み、十分な未来を手に入れたタイミングでモルフォモンが帰ってきた。(ただし、メノアが気付かない形で…)
そう考えると、アグモンやガブモンは、太一が外交官、ヤマトが宇宙飛行士になったタイミングで帰ってくるんじゃないかな。というか、メノアとエオスモン見て、太一達はそれに気付いて、道を歩み始めたんじゃないかな。
丈の場合、研修医になるタイミングでお別れがやってくるかもしれないし、「デジモンも治せる医者」を目指すのであれば、お別れは来ないかもしれない。EDだと丈やミミの横にデジモン達はいなくなってたけど、別に消えたという描写と捉えなくてもいいんじゃないかと思うの。
あと、このロジックで考えると「進化・戦いをすると別れを早める」にも太一/ヤマト限定の合理性(=デジモンと離れた方がいいのに離れられない状況から強制的に切り離すため)があると思う。
そんな「人間の都合に合わせて都合よくデジモンが消されるのか」みたいなこと言う人が(俺のツイートのRT先で)いたけど、デジタルワールドだって子どもたちにデジモンを与えているのは「新しい可能性を生み出すため」であって、デジモンがいることによって「可能性が阻害される」のであれば運用上そうするのは別にデジタルワールド側から見ても合理的だと思う。(ここの主眼は「パートナーデジモンとしては」ではないけど)
また、ゲンナイさんがわざわざパートナー関係解消の話をしにきたとき「君たちに無限の可能性があれば、あるいは」と言ってて、最初はパートナーが消えるのを止めることができるって意味で読んでたんだけど、ここの真意は「一度消えても、また会えるかもしれない」くらいの意味なんだろうね。結局、デジモンと別れて自堕落な生活を送っていたら、再会なんてありえないだろうってことだ。
で、ここまでダラダラ書いたように、決して02エンドを一切否定していない作品だって思う。妄想に妄想を重ねただけにも見えるけど、ちゃんと02に登場した選ばれし子供たちを描写している作品が02軽視してるわけないだろ!!っていう掌返しができたのが、映画を見てよかったなって思うポイント。そう、これは映画を見たからこそ到達した結論なんだ。だから、映画を見て、これに95点をつけた。まぁもっとダイレクトに描写してくれた方がよかったんだろうけどな。
◆空について
正直小説読んだ時、ダイレクトに空がパートナーを失った描写はなかったと思ってたんだけど、ネバーランドに行かなかった時点でお察しってことだったのね。それには気付かなかったし、映画でやっと気付けた。
◆望月芽心について
小説時点は、「あー、ちゃんと出したかー」ってレベルだったんだけど、中々に考えられた演出でちょっとここも大きなポイント。
ネバーランドに芽心とメイクーモンがいること、実は2種類に解釈できて
① triを経て、その後メイクーモンに再度出逢えた世界線である(パートナーがいないと空のようにネバーランドに呼ばれない)
② triなんてなかったけど芽心とメイクーモンという存在はあって、色々な理由があって太一たちと知り合いになって平和な接触だけで終わっている
っていうのが考えられるのよね。
①のハッピーエンドってtriでは明確に語られてなくて、「現実世界で死んだメイクーモンがデジタマ転生するの?」とか「パートナー失った芽心の前で殺したやつらが『ずっと仲間だよ』とか言うなんてサイコパス集団か」とか言われたレベルの最悪エンドだったわけだけど、そこにちゃんと救いを持たせる解釈ができるのはポイント高い。評判悪いからってすぐにtriを黒歴史にしなかったってことだし。
一方、triを肯定したくない人にとっては②の解釈もできるわけで、実は小説版にも芽心のことは「高校生の頃知り合った」としか書かれていない。
ぶっちゃけtri嫌いな俺としては、②の解釈で、高校生の頃、どこかで、ずっとメイクーモンと一緒に過ごせた芽心がいる世界線って解釈していたいな。と思うのでした。
◆アグモンとガブモンの新しい進化について
まぁビジュアルの好みってあると思うし、受け付けない人もいるだろうなって感想。まぁ俺も「友情の絆」は「頭痛が痛い」名前だと思う。あと、もう少し色味が薄いとよかったなぁとか。
でも、「どうせ商業的な都合で無理やり作ったんでしょ」みたいな意見とか「とりあえず人型したんでしょ」みたいなのにはちょっとイラっときたので、俺なりのなんで新しい進化が必要だったかの解釈。
最後の戦いで、オメガモンやウォーグレイモン、メタルガルルモンへの再進化ではなく、新しい形態を獲得したのって「オメガモン達が目的に叶った進化系じゃないから」って話だと思う。
今まで太一達の戦いって全部「敵を倒すため」だった。敵を救うためって戦い方、実は大輔達しか経験してなくて、しかも必ず敵を救う時の形態って「マグナモン」っていう奇跡の形態なんだよね(チョコモン相手にしろ、カイザー相手にしろ)。
一方でこれまで太一達の戦いに必要なのは「勝つ」こと。だから、ウォーグレイモンは手にドラモンキラーを持ち、メタルガルルモンは全身武器庫、オメガモンなんてもう生き物としての体をなしてない両腕武器のフォルム。それは今までの戦いでは理にかなってた姿。
でも今回のメノアとエオスモンとの戦いでは、そうじゃない。彼女達に「手を伸ばさなきゃいけない」だから、あーいう人型フォルムで、普通の手(まぁアグモンは爪からレーザー出たりするけど)なんだろうなと。
で、名前も「グレイモン種/ガルルモン種への進化」だと「戦闘種族の色が濃くなる」から、敢えてアグモンガブモンなんじゃないかなーと。
まぁ、そんなこと考えてたんだけど、デジモンリアライズが「ウォーグレイモンからアグモン‐勇気の絆‐へ進化!」「メタルガルルモンからガブモン‐友情の絆‐へ進化!」みたいなことやらかして、さっそく「解釈違い!!!」って叫んでるヒットソング聞きながら。
というわけで、全体的に俺の中で考察の結果がポジティブな方向ポジティブな方向に進んでくれた結果、02ガチ勢であっても95点くらいつけていい作品だなっていう結論に達した絆さんなのでした。
なんで、バトスピはエオスモン拾ってくれなかったのか。