こんばんは^^
今日も、亡くなった父親のアレコレを整理したり
岡山県の農園さんからご依頼されていた商品調理の野菜が届いて調理を始めたり
仏壇のお花の手入れをしながら、父親に話しかけるあたり
「なんだか バーさん臭いな」と自分に突っ込みを入れたり
慌ただしい中にも、自分のペースで様々なことを進めています^^
ただ今日の夕方、ドキっとすることがあって・・・。
愛犬を連れてマンションの玄関に降りていった時に
救急隊が数名入ってきて「エレベーターはどこですか?」と聞かれ
なんだか、思い出さないようにしていた父親が亡くなった時のことが
フラッシュバックして、何とも言えない気持ちになりました。
と、同時に運ばれた方が同じようなことになっていないと良いな・・・と願うばかり。
それにしても、本当に救急隊の方は冷静だな~・・・と。
もうちょっと慌てて走って欲しいものだけど
アタシのように、パニクる人が救急隊に入っていたら大変か・・・(笑)。
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父親のマンションを引き上げるので
少しずつ父親の遺品整理をしていっています。
母親の時は、家を引き上げるわけではないので、そのような作業はなかったのだけど
ある時父親が、思い出すのが辛かったのか、亡くなって早々に
どんどん母親の衣類などを知らないうちに捨てていました(笑)。
母親が旭川に来て亡くなるまで2か月半。
肝臓がんでしたが、余命宣告もされてもおらず、
まだ、2~3年は通院治療しながら残りの生活を一緒に過ごせるであろうという感じでした。
でも、看護師をしていた母親というのは、死期を感じていたのか
いつどうなっても良いようにと思っていたのか、引っ越し後まもなく死に支度をしており、
残された父親が困らないように
新しいシャツ・パンツ・シーツなど書いた紙を衣装ケースに貼っていたり
とにかく一目でわかるように整理をしていたのは、私もわかっていました。
引っ越しして1か月ちょっと
私の誕生日に帯を買ってくれて、その5日後に突然腰の痛みを訴え
本当ならば、その日から訪問看護を受ける日だったのに、それを待てずに入院。
骨転移が発覚し、その後1か月であっという間に帰らぬ人となってしまいました。
今、父親の遺品整理をしていて
娘として、父親のことをわかってなかったな・・・と思うものが、たくさん出てきます。
その時にわからなかったことが、今になってわかるものがあったり
ずっと何年もためていた給与明細などもあって
その当時、そのようなものなど見たこともなかったのだけど
中身を見ると、ほとんど貯金をして私や弟の学費や仕送りにあてていたことが
一目でわかりました。
そして、炭鉱というのは危険と背中合わせということもあって
生命保険に入れなかったんですね。
なので、もしもの時に困らないように貯金もしていたんだな・・・とも。
うちは、ずっと両親共稼ぎで、両親ともに贅沢をしない質素な生活をする人たちでした。
定年するまでは、ずっと社宅住まいをし
やっと定年して念願のマイホームを手に入れたにも関わらず
12~13年、そのおうちに住んだ後、母親の病気が発覚して娘に無理やり旭川に連れて来られ(笑)
本当に、両親って子供のためだけに生きてきたんだな・・・と
改めて知るわけです。
そんな父親の宝物も、表彰された賞状やメダル、
電気工事道具とか、石炭とかアンモナイトとかネジとか(笑)。
父親らしいなと思いました。
本当に真面目一本で、仕事一筋
職人気質で気難しい面も多かったけれど、
やっぱり父親、最後の最後まで、娘を守ろうとしてくれていました。
そんな父親のアレコレにも触れながら、同時に今まで見えなかった
残された者への気遣いをした母親の愛情も感じています。
あの具合悪い中、どうやってこんなことしていたんだろう?と思うことも多々あって
例えば、ちょっと貧乏くさいのだけど
引き出しとか、ちょっとしたところに、中敷きがわりに
カレンダーの裏紙を切って敷いて汚れても良いようにしていたり(笑)
本当にささいなことなんだけど、どんな思いを持ちながら
こんなことをしていたんだろう?と
最後の遺品整理をしながら、今まで気づかなかった母親の愛情まで見えてきました。
今でも思うんだけど、最後まで弱音を吐かなかった母親
意識がなくなる直前って、どんな思いを持っていたんだろう?
父親が急に息を引き取る時に、何を考えたんだろう?
と、あの世で再会したときに、真っ先に聞いてみたいです。
亡くなる1か月前から色々な話をしていて
父親の死に関しては、今後の様々なメッセージを残してくれたように感じています。
四十九日は2月8日にあたるのだけど
法要は2月6日。 これは、椛の13周年の日でもあります。
今年は、残念ながら周年事業は見送ることにしましたが
2021年のこの日は特別の節目の日にしようと思っています(*^^*)。
おはようございます 朝刊ぶつぶつのお時間です(*^^*)。
今日はお天気が良く
お天気が良いと、雪に光が反射して明る~い^^
まだ、ダイヤモンドダストは見ていないけれど
今年はものすごく寒いので、見ている方多いんだろうなと思います。
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いよいよ、緊急事態宣言が出される?ようですが
今回のは、また前回と違ったスタイルになるよう。
感染者も爆発的に増えていることから、やむを得ずといったところですが
経済にも相当な影響を及ぼしそうなので、ヒヤヒヤします。
今回は、店名の公表をするとかしないとか・・・?
前回もパチンコ屋さんの公表でもめていたけれど
結局は、補償がされないからこうなってしまうんですよね。
時短要請も、もともと昼から夜7~8時まで営業しているところならまだしも
居酒屋さんであれば、早くて午後5時からのOPEN・・・仕事が終わって さぁ飲むぞという時間は
早い方で午後6時、 だいたいは6時半~7時からのスタートがほとんどです。
接待を伴うお店というのは、午後8時スタートが多く
二次会での利用になると、どんなに早くても午後8時半、 だいたいは9時~9時半スタート。
この営業スタイルを時短要請にはめて営業できるか?というと
事実上の休業要請みたいなものなんですね。
時短要請でどれだけの感染拡大を抑えられるのかわかりませんが
確率の問題で言えば、やらないよりは減るでしょうけれど
この1年見ていて思うのは、お店は感染リスクを減らす努力をしていても
利用する側のモラルの問題もあって、個人的に言えば、飲食店が悪いということではなく
一部の人たちのモラル(飲食店・利用客に限らず)だと思うので
これ以上は努力のしようがないというか、もう限界じゃないかと思っています。
あとは、それぞれの会社で禁止になっていたりするので
個人の判断で利用するかしないかではないのかなと。
今は一都三県とは言っていますが
HUBとなる東京でこのような緊急事態宣言が出れば
全国がそんな空気になってしまうので、
さらに街の中が静かになることでしょう。
ましてや、テレワークが進んできて
会社にまったく行かない、行ってもほんの少し
そうなると外出しない、お化粧しない、洋服いらない(パジャマのまんま)、
会社帰りに一杯飲んで行くか!もない
しかも、会社もテレワークで仕事が進むことに気づいちゃったから
コロナ終息しても、このまま行くぜみたいな←札幌に住む従姉妹談(笑)
になると、消費もなければ、飲食店の利用もなくなるのも当然かな・・・と。
地元あさひかわで言うと、11月から病院のクラスターが出たことから
ずっと街の中がシ~ンとしていますが、
でも、この状態は1年間通して続いているので、
個人的には、まったく変わらないというか、しばらく良くなる兆しを感じないというか・・・。
でも、今は事業をしている視点で見ているけれど
これ、自分が会社員だったらどうかな?と思うと
ワーケーションをしたり、自分時間を増やすことができたり
なんとなく人間らしい生活ができそうな気もしています。
そのかわり、ヒューマンコミュニケーション力はガクっと下がる気がしています。
近年、ネットなどでその能力が低下してきていましたが、更に下がるだろうなと。
人は、学校や会社、会合などの組織の中でコミュニケーション能力が培われていくので
それがなくなると、自由気ままになっていくので、それはそれで楽でよいのだけど
協調性がなくなってきたり、意思疎通ができなくなったり、どこかに歪みが出てくるのではないかな~・・・と。
いずれにしても、後ろ手後ろ手に回っている国の政策を待っていると餓死しそうなので
まずは、生きる道の模索をしましょ。
以前、ある方が
コロナを機会に、新しい生活をしたり、様々な選択をすることができるというメリットがあるということだよ
それって羨ましいよって言ってくれたことがあります。
その意味をず~っと数か月考えてきたのですが、
嫌でももう、新生活を余儀なくされるわけですから、それを理由に
今にしがみつかずにバサっと
今の生活に区切りをつけるのも一つの手なのかもしれません。
大きな痛みこそ伴ったけれど、その痛み以上に素敵なものを手にいれるチャンスでもあるのかも?
そろそろ、このドM生活から脱出したいものです(笑)。
こんにちは ぶつぶつ新年号です(笑)。
父親が亡くなって、まもなく2週間。
でも、まだ実感がわかず、受け入れられていないのでしょうけど
お昼を過ぎたころ そろそろ透析やリハビリから
帰ってくるかな?とソワソワしてご飯支度をしたり
そんな習慣が抜け切れていない毎日を過ごしています。
何だろう・・・?あまりのショックで記憶が少し抜け落ちているというか
思い出したくないというか
動揺した自分のとっさに起こした行動とか
スタッフへの緊急連絡とか、読み起こすと物凄く変な言動をしていて(笑)
私がかけた119への救急車の要請もパニクっていたものだから言葉足らずで
事件性を疑われてすぐに警察が来たりと、後になったら笑い話になるんだろうけど
いや、もうすでに笑ってるけれど(笑)
相変わらず、突然のハプニングには弱いなぁ~と反省しかりです。
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関東方面では、また緊急事態宣言が出る様子。
経済もそうだけど、もう 日本?世界は グチャグチャになってきていますね。
少し落ち着きを見せたかな?と思ったら大きな波がまたやってきて。
今度は、変異したコロナが登場したりと
ワクチンも出来て、ちょっと安心?と喜びもつかの間
どんどん追い詰めていくこのコロナって、いったいいつまで、どこまで悪さをするんだろう?
1年近く、ずっとコロナストレスに悩まされてきたわけですが
1度ここで、いったんけじめというか決断をしようと思います。
父親の死が最後、背中を押した一つの要因でもあるのですが
春の納骨まで、様々な整理をしなくてはならないこともあり
自粛期間を利用して、今後のこととあわせて考えていく新生活への準備期間としようと思います。
SNSにてご案内もいたしましたが
まずは3月までの間、予約営業とし
コロナによる世の中の状況を見て、4月以降は、今のまま存続させるか
移転や無期限の休業をするのか等を決めることに。
ただ、いずれにせよ ㈱JBM Enterprise としてコンサル事業はそのまま続けますし
「椛」という名前は、どこかに残して営業します。
死期を予感していたのかはわかりませんが
亡くなる1か月前くらいから、よく父親と椛を残す、残さないの話し合いをしていました。
そんなときに、父親がすごく面白いことを言ったんです。
「今から養子をとれ、孫の顔も見たいし」「おねえちゃん(私)の骨誰が拾うの?」と(爆)。
「お父さん、今から子供っていったって、私の同級生の子供たちなんて
もう30歳近い子もいるんだよ、孫どころかひ孫からスタートだよ!」と笑ったんだけど
「子供を育てる楽しみを知りなさい」と珍しくそんなことを言いました。
その時に
将来的に、飲食店も兼ねた留学生や旅行者を受け入れられるシェアハウスのような?
ペンションのような?ものを作って皆が地元の人と交流ができるようなことをしたい、
場合によっては身寄りのない子供たちを引き取ってもいいと思っていると言ったら父親は
「それはすごく良いことだ、それなら協力するよ」と大賛成してくれて、老後は日本でになるのか
海外でになるのか、とにかく学生や旅行者を受け入れることを目指したいと思っています。
そのためには、学校の多いところ、近くにあるところになってしまうのですが・・・。
ただ、今のこの状況下、すぐに準備にとりかかるわけにもいかず
その目標は、もう少し先に・・・と思っています。
まずは、父親が「椛を残せ」と頑なに話していたことから
最小限の傷でとどめて存続できる道、しばらくは無期限休業のゴースト飲食店でも良いので
何らかの方法を考える新しい年のスタートとしたいと思います。
小さい居抜き物件や間借り、時間借り・曜日借りなどのパーツ借りでも良いのかな?なんて思っています。
もちろん、一番良いのは、今のこの場所で存続できることなのですが・・・。
とにかく、どこかで皆さんと会える場所と
今後の食品メニュー開発やお弁当を作るための飲食店許可のとれる場所を
小さくても良いので一つ作っておきたいのです。
スタッフの雇用のためにも。
お店を持たずにフリーランスのギグ・ワーカーになるのも一つの方法ではあるのですが
それは最後の手段です。
まずは、あの手この手で行ってみよう!^^
2021年のスタートですね。
今年は、実家帰省できない方が多く
ひとりで過ごされている方が多いようで、今までに経験のない年末年始を過ごされているかと思います。
とかくいう私は
暮れの父親の突然死があったので、何かと心配してお友達が
年越しそばやおせち料理を持ってきてくれたりと
例年のお正月以上に賑やかな食卓になっております(笑)。
喪中だけど、父親もきっと喜んでくれていると思います。
お友達が作って持ってきてくれたおせちと
冷蔵庫整理に追われて作るオカズの数々😊
しかも、葬儀等でしばらく家をあけている間の天然冷蔵庫の中身(発砲スチロール)が
冷凍庫化していて、オードブルなどに使おうと思っていた野菜君たちがオブジェのようになっていて
貧乏性の私なので、これはもう「冷凍野菜の使い道メニュー開発」をするしかない?と
悲しむ間もなく、台所に立つなど、
でも、料理している時間や、お客様とバカ話でもりあがっている時は
気が紛れているので、現実逃避じゃないけれど、忙しくしている方が今はいいのかなと
そんなことを思う数日です。
どの段階で落ち着いたというのかはわからないけれど
3月、千葉のお墓に両親を連れていくまでは、
自分一人でやらなくてはならないことがテンコモリあって
それらが終わってから落ち着くのかな・・・?
父親が亡くなるまでは、母親と引き離すのが気の毒で
お寺に母親のお骨を預かってもらって、節目節目でお参りに行っていました。
なので、父親が亡くなった時に、一緒に連れていくことにしていました。
納骨までは、私のもとで その後は喪主である弟にお願いすることになっています。
お墓が千葉になるので、これから関東出没が増えるかな~(笑)。
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両親を看取り、見送った後に思うことを綴ろうと思います。
やっぱり、親の面倒というのは直接的な面倒を見るというのは
娘じゃないとできないんじゃないかなということ。
いや、オトコがまったく役に立たないということではなくてですよ?(笑)
例えば、極論でいうと、入れ歯を洗ったり
汚れた下着を洗ったり、トイレやお風呂に連れて行ってお世話をできるのは
男性には、ちょっと難しいかなって。
父親は、亡くなる直前までは、ある程度のことは自分でできたので
そんなに手を煩わせることはなかったし
なるべく子供たちには迷惑をかけずにと思っている人だったけれど
やっぱり、年老いた人がひとりで生きていくって大変で、私の手は必要でした。
私の親類などで、突然死をした人がいなかっただけに
亡くなるというのは、段階を追って徐々にというシミュレーションしかしていなくて
在宅介護をしながらなのか、
病院になるのか、
自分で介護ができるレベルではなくなって施設に入ってもらうしかないのだろうか?等
最期ってどういう形になるんだろう?と
事業との両立が可能だろうなんだろうか?とイメージはしていたんだけど
母親と同様に、最後の最後まで一緒にいてあげようと心には決めていたものの
まさかの突然死をするとは思わなかったので、頭は真っ白でした。
透析の合併症によるもので、心臓突然死じゃないかとのことですが
未だにあの短時間に何が起こったんだろう?と、どこか納得できない部分もあって
答えの出ないことを考えてしまうわけですが
このコロナ禍で、入院して面会できないとか
お骨になるまで会えない方々が多い中、家族に無念を残さずに逝ってくれたのは
せめてもの救いなのかもしれず、そこに納得させているそんな感じです。
ただ、ある長年の友達からのメッセージで
「何らかの感染症を併発した疑いはあるけれども
自分だったら子供に見届けられて、最善尽くしてくれたならすごく幸せだな」と言ってくれて
その言葉に救われた気がしました。
どんなに手を尽くしても、少しの心残りはきっとあるのだなとも・・・。
よく、誰もが 明日どうなるかわからないから・・・というのは、頭では理解しているんだけど
でも、自分の中にしっかりダウンロードされていないと思うんですね。
私が、この両親の死をもって、お伝えしたいのは
とりたてて「親孝行です!」という大げさなことはしなくても良いから
マメに顔を見せる、声をきかせてあげるといった、何てことない日常のひとこまの時間を持つことを
していただきたいなということ。
今は、無料のビデオ通話や電話もあるんだし、時間なんて作ろうと思えば1分だって作れるはず。
どうしても、自分に言い訳を作って後回しにしてしまいがちだけど
死んでしまったら、そこでお終いなんです。
親も子供に何かしてほしいなんて思ってもいないと思うんですよね。
そりゃ、何かしてくれたら嬉しいけれど
親はいつまでたっても親であって、いつまでも子供の心配をし「与え続ける人」なのだと。
私はよく親孝行ですねと言われるけれど、まったくそうじゃなく。
今は、仲良しなパパと娘さんの姿って多いけれど
厳格な両親に育てられた私には、そんな仲良し♥は、あり得ませんでした(笑)。
学生のころテストで100点をとらないと褒められなかったし、90点以下はもう認めてもらえず(笑)、
干渉されるのも嫌で
そんな親から、とにかく遠く離れたくて、夕張から近い札幌を避けて、旭川に逃げてきたみたいな(爆)。
でも、ある時に、親が弱くなってくる時ってあって
それが、母親のがん闘病がきっかけでした。
しかも、子供って「親だけは強くて、絶対に死なない」って思っているところないです・・・?(笑)
子供のころ、手を引かれて歩いていたのに
ある時から、両親の手を自分が引いて歩く瞬間が訪れます。
その時から、残り少ない時間を大事にするようになった気がします。 だから
私なんて、ここ12~13年の間の話で、それまでは好き勝手やっていましたから
そんな素晴らしい親孝行なんてしていないんですよ。
だから、親孝行?というか、そんな大げさなものじゃなくても良いから
「今からでも、まだまだ間に合うよ」ということをお伝えしたいのです。
それは、親に限らず、友達でも恋人でもどんな関係でも
未練や後悔を残したまま、あの世に逝かれるのって辛いと思うのです。
年末からのSNS投稿やブログで綴った内容を見て
家族の在り方を考え直したいというメッセージを実は多く受け取っています。
私自身も、まさか自分の身にこんなことが起こるなんて、微塵も思っていませんでしたから
でも、だからこそ皆さんにお伝えできるのかもしれません。
特に、男性で父親との関係が良くない方って、結構多いんですよね。
プライドとか、意地とかそういうものもあるのだと思いますが
今の自分があるのは、親がいたからなんだと。
昨年から引き続き、今年は更に
入院したら面会はできない、会えないまま亡くなってしまったという方
物凄く増えると思っています。
そんな切ないお別れにならないよう、一日一日のあたりまえに感謝しながら
過ごす1年にしていただけたら・・・と思います。
2020年 残すところあと2日となりました。
いつものことながら、バタバタとした年末ですが
今年も例にもれず、バタバタとしまして
皆様には大変ご迷惑をおかけいたしましたことお詫び申し上げますと共に
厚く御礼申し上げます。
ご存じの方も多いと思いますが、
12月22日に父親が急逝いたしました。
何があったのかわからない方は
こちらを見ていただけるとわかるかな?と思います。
時系列を追って掲載しますね。
と、このような年末のしめくくりでした。
知っているようで知らなかった父親のルーツも
亡くなってから知ることもたくさん。
その中に科学技術庁長官賞の賞状やメダルもありました。
そういえば、昔・・・言ってたな~という記憶しかなく
でも、小学生?のころに、そんなこと言われてもわからないし~な感じで
今になって、大きな賞をもらったのだと、
理解できなかったことに反省デス。
造幣局というところで作るらしい?
意外と重たい。
こんな石炭もあったりして(笑)。
しばらくの間は、諸手続きやお片付けがあったりで忙しくなりそうですが
世間もコロナで自粛期間にもなっておりますし
この期間にできることをしてしまって、そして10年間の介護おつかれさんの
骨休めの時期にして、また新たなスタートをきれるような春を迎えたいと思っております。
実は年始の営業開始日が決まっておりません。
コロナの自粛期間もあり
年末より、ご予約のみの営業に切り替えておりますので
都度、臨機応変に対応したいと思っており
年始も世間の状況を見ながらの営業になりそうです。
今日飲みに出るんだよね~と予定がお決まりの方は、営業いたしますので
ご一報くださいね^^
そして、誠に残念ですが2月6日の開店13周年記念キャンペーン等は
見送りとさせていただきますことご理解いただけると幸いです。
2020年、誰もが予想のしない1年になってしまいましたが
来年こそは明るい1年となりますように(*^^*)。
今日、最後の営業日で午後7時開店いたします。
私も出勤いたしますので、もしお時間のある方 ご来店をお待ちしております。
本年のブログはこの記事で終了いたします。
2020年も皆様に大変お世話になりましたこと感謝申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
こんばんは(*^^*)。
ぶつぶつフライデーです(笑)。
読んでおられる皆様ご存じの通り
いま、旭川は病院への自衛隊派遣などザワついておりまして
全国で、報道されているのだと思いますが
普段連絡をしてこない方や、親戚の方など
まるでもう、旭川全体がコロナウィルスに汚染されたかのように
心配のご連絡が入ってきます(笑)。
厳密にいうと、ウィルスが拡大しているのは基幹病院であって
市中感染はしていないであろう(でも、見えないからわからないよね)という状況。
そして、ありがちな悲惨な繁華街のインタビューも
誰も歩いていないサンロク街がクローズアップ。
これも、詳しく説明すると、街の中に人が歩いていないのは今に始まったことではなく
もうここ数年はゴーストタウン化しており、外の光景はそんなに変わった感じはしていません。
ただ、何が違うのかというと、外に歩いている人の数はそう変わらないのだけど
ビルなり店舗に入っている人すらも、消えちゃったということなのです。
以前は、外に人が歩いていなくても
店内には人がいましたが、
今は、外にもお店の中にもいなくなっちゃった・・・というわけです。
だから、コロナが収束したとしても、たぶん外の光景はそう変わらないと思っていますし
あとは、店舗の中にどれだけの人が戻ってくるのか、そこなんだと個人的には思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自粛要請諸々
休業要請も時短要請も出ず、
市民には1か月間、不要不急の外出は控えてねの自粛のお願いメッセージ。
でも、飲食店等には、新北海道スタイルに基づいた営業をそのまま継続していただいて
かまいませんよとのこと。
GOTOは旭川はまだ除外になっておらず、受け入れOK?
市民は外出しないでね、でも旭川以外の人は来ていいよ
こちらも、国や道・市の連携が上手くいっていないのか
市民である私たちが、どうして自粛要請を受けて、市外の人はOKなんだ?と
この矛盾に皆「??」な今日この頃。
本当ならば、休業要請や時短要請などをして、協力金とセットにしたなら
少しは、何とかなりそうなものの
12月の勝負月に、この中途半端な対応はこれは結構キツイわけです。
とはいえ、
ままま、最終的には、誰が悪いわけでもないので
「この業界を選んだアンタが悪い」と、この事業を選択した自分に
オトシマエをつけることになるのでしょうけれどね。
拭きますよ、拭きますよ~ 自分の おちり♪(笑)
ちょっと余談だけど
ビジネスパートナーがいる
アメリカ・ロサンゼルスでは 期間を聞くのを忘れちゃったけど
今回のロックダウンで小規模レストランに給付金は3万ドル支給されているらしく、
おっと・・・300万円↑?おぉー拍手(ひとり感動 笑)。
そしてアルアルの
ロックダウン前にトイレットペーパーを買い占め、スーパーから消える現象もあったそうな・・・(笑)。
トイレの話も出て、世界のあちこちにウォシュレットがあるといいのになって話をしたら
なんと、その方、amazonで35ドルで物凄く良いものをGETしたそうな^^
今までは、電源の問題があって、ウォシュレットの取り付けが難しかったそうなんだけど
でも、それは電源がいらないタイプで簡単につけられるそう。
そして カリフォルニアは寒くないので、電源で便座を温める必要もないようデス。
そんなこんなで、ロックダウンの話から便座の話まで
アメリカとやりとりをしていた今週でしたが
補償の手厚いアメリカにですら渡れない昨今、
自粛期間でお休みがたっぷりできるのに、お出かけできない2020年でした。
この自粛期間は、おばんざいメニュー開発や自分に時間をあてようと思ってイマス(*^^*)。
来年早々に、接客研修のご依頼が入りました。
ひょっとすると年内に前倒しになる可能性もありますが
新規オープンする店舗での実践を兼ねた接客研修になりそうです。
コロナの暗い雰囲気も吹き飛ばすような
スペシャル笑顔の接客ができる飲食店作りを目指したいと思います(*^^*)。