こんにちは ぶつぶつ新年号です(笑)。

 

父親が亡くなって、まもなく2週間。

でも、まだ実感がわかず、受け入れられていないのでしょうけど

お昼を過ぎたころ そろそろ透析やリハビリから

帰ってくるかな?とソワソワしてご飯支度をしたり

そんな習慣が抜け切れていない毎日を過ごしています。

 

何だろう・・・?あまりのショックで記憶が少し抜け落ちているというか

思い出したくないというか

動揺した自分のとっさに起こした行動とか

スタッフへの緊急連絡とか、読み起こすと物凄く変な言動をしていて(笑)

私がかけた119への救急車の要請もパニクっていたものだから言葉足らずで

事件性を疑われてすぐに警察が来たりと、後になったら笑い話になるんだろうけど

いや、もうすでに笑ってるけれど(笑)

相変わらず、突然のハプニングには弱いなぁ~と反省しかりです。

 

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関東方面では、また緊急事態宣言が出る様子。

 

経済もそうだけど、もう 日本?世界は グチャグチャになってきていますね。

少し落ち着きを見せたかな?と思ったら大きな波がまたやってきて。

 

今度は、変異したコロナが登場したりと

ワクチンも出来て、ちょっと安心?と喜びもつかの間

どんどん追い詰めていくこのコロナって、いったいいつまで、どこまで悪さをするんだろう?

 

1年近く、ずっとコロナストレスに悩まされてきたわけですが

1度ここで、いったんけじめというか決断をしようと思います。

 

父親の死が最後、背中を押した一つの要因でもあるのですが

春の納骨まで、様々な整理をしなくてはならないこともあり

自粛期間を利用して、今後のこととあわせて考えていく新生活への準備期間としようと思います。

 

SNSにてご案内もいたしましたが

まずは3月までの間、予約営業とし

コロナによる世の中の状況を見て、4月以降は、今のまま存続させるか

移転や無期限の休業をするのか等を決めることに。

 

ただ、いずれにせよ ㈱JBM Enterprise としてコンサル事業はそのまま続けますし

「椛」という名前は、どこかに残して営業します。

 

死期を予感していたのかはわかりませんが

亡くなる1か月前くらいから、よく父親と椛を残す、残さないの話し合いをしていました。

 

そんなときに、父親がすごく面白いことを言ったんです。

 

「今から養子をとれ、孫の顔も見たいし」「おねえちゃん(私)の骨誰が拾うの?」と(爆)。

 

「お父さん、今から子供っていったって、私の同級生の子供たちなんて

もう30歳近い子もいるんだよ、孫どころかひ孫からスタートだよ!」と笑ったんだけど

「子供を育てる楽しみを知りなさい」と珍しくそんなことを言いました。

 

その時に

将来的に、飲食店も兼ねた留学生や旅行者を受け入れられるシェアハウスのような?

ペンションのような?ものを作って皆が地元の人と交流ができるようなことをしたい、

場合によっては身寄りのない子供たちを引き取ってもいいと思っていると言ったら父親は

「それはすごく良いことだ、それなら協力するよ」と大賛成してくれて、老後は日本でになるのか

海外でになるのか、とにかく学生や旅行者を受け入れることを目指したいと思っています。

そのためには、学校の多いところ、近くにあるところになってしまうのですが・・・。

 

ただ、今のこの状況下、すぐに準備にとりかかるわけにもいかず

その目標は、もう少し先に・・・と思っています。

 

まずは、父親が「椛を残せ」と頑なに話していたことから

最小限の傷でとどめて存続できる道、しばらくは無期限休業のゴースト飲食店でも良いので

何らかの方法を考える新しい年のスタートとしたいと思います。

 

小さい居抜き物件や間借り、時間借り・曜日借りなどのパーツ借りでも良いのかな?なんて思っています。

 

もちろん、一番良いのは、今のこの場所で存続できることなのですが・・・。

 

とにかく、どこかで皆さんと会える場所と

今後の食品メニュー開発やお弁当を作るための飲食店許可のとれる場所を

小さくても良いので一つ作っておきたいのです。

スタッフの雇用のためにも。

 

お店を持たずにフリーランスのギグ・ワーカーになるのも一つの方法ではあるのですが

それは最後の手段です。

 

まずは、あの手この手で行ってみよう!^^