ジャスミン茶タイム -47ページ目

17歳バトン

月  今夜はとても明るい月を見ることができました。(19時前です)

 

suttamondaさん からの 20年以上前を思い出せ!!という命により 『17歳バトン』 に挑戦です。笑

 

!(^^)! 17歳の時何してた?


自転車通学の高校生でした。 

普通科の進学校だったのですが、3年生になってからバンドを始めました。

もう これ一色! しかし なんせ受験生ですから 親に内緒でした。

学校に残って勉強してるふりして 実は スタジオ借りて練習してたり・・・

バイト禁止の学校なのに スタジオ代を稼ぐために 夏休みバイトしましたね。

お昼ごはん代に何百円かもらって、空腹を我慢して 使い込みましたっけ。 あ~、楽しかった!

地元で 『高校生ROCK選手権』 てのがやってて、ヴォーカルの子が 『ベストヴォーカリスト』 を

頂いたり、自分達で合同でコンサートやったり・・・結果 親にはばれましたが いい思い出です♪

 

「普通」でなくていい、人と違っていい・・・そんな考えのベースを築けた人たちとの出会いでした。


!(^^)! 17歳の時何考えてた?


バンドのことと 好きな男の子のことかな~? 大馬鹿ですから。

バンドのメンバーのうち 3人は同じ美術の短大に行きましたから 受験に落ちないように、

短大に行ってバンドやるために デッサンばかりやってました。(笑)

他の子たちが 数式解いてるのに スケッチブックもって休日の学校に行ってました。

たぶんこのころではないでしょうか、チェルノブイリ原発事故。

バンドやってる子達って 不真面目な子が多いように思われるでしょうが、そうでもないのです。

みんながみんな ジョン&ヨーコ ではありませんが やはり LOVE&PEACE なのです。

大韓航空爆破事故もこのころではなかったでしょうか? すごくすごく怒ったのを覚えています。

無力ながらに やり場のない怒りが 私たちの中に渦巻いていました。

それでも一緒に語る仲間が居て 助かりました。 

9.11のときは 一緒に怒ってくれる人がいなくて 実は 辛かったです。


!(^^)! 17歳でやり残したことは?


お勉強ですね。(笑)

ついつい 本業に手を抜いてしまいました。

短大を卒業してから (卒業してからってのが本当に残念なのですが) むやみやたらに 美術に対して

関心が高まったので、 今思えば、ちゃんと勉強して もっともっとイイ美大に行きたかったです。


!(^^)! 17歳に戻るとしたら?


とりあえず お勉強頑張ります。

田舎の学校だったので 学校帰りに寄り道するところもなかった! どこか寄り道してみたい。

できれば 電車通学とかやってみたいです。 

私の時代は ぎりぎりまで スカートを長くしてはいてる時代でした。(笑)

かわいい短いスカートの制服を着てみたいですね。

 

あるいは、レディースバンド で デビューでも目指してみましょうか???


!(^^)! 17歳に戻っていただく人


『17歳』 で suttamondaさんは 森高千里の「17歳」 らしいのですが 

私は どう考えても 南沙織の「17歳」 なんです。 (笑)

南沙織の17歳だと思われる方、いかがですか? 高校時代を 暴露してみませんか? 


お花のギモン

毎朝の日課。 彼女の長い髪をポニーテールにしていると・・・。

 

「どんな手紙だったんだろうね?  気になるね」     「・・・・・?」  (何が?)

 

彼女の話は いつも唐突。 それは わかっているけど。

 

「だって、食べちゃうんだもんね。 しろヤギさんは どんな手紙を書いたんだろうね?」

 

それはそうだ。 確かに子供の頃から 解明されていない疑問。

 

(笑)でも 今時の小学3年生が考えるギモンなのぉ~??

 

なぁんて 楽しんでいたら トイレから陽気な歌声が ・・・・・

 

「♪アワダテヨ フォッサ キミヲモット ムチュウニサセテアゲルカラネ♪・・・・」

(追記・・・ごめんなさい。これは 葉っぱです。 彼、ノリノリです・・・笑) 

 

泡立てよう・・・?         平井堅くんの 『POP STAR』 なのでした・・・ (笑)

 

そんな 一日の始まり・・・^^

ともだちがほしいの

ともだちがほしいの  「ともだちがほしいの」 柴田愛子・文 / 長野ひで子・絵

  

以前に記事に書きました 「けんかのきもち」  ・ 「ぜっこう」  と同じ作者です。

この方の本は、読んでいて母としての気持ちの中で、感じることがあふれ出てきてしまいます。

「本・書評・文学」なんてジャンルにいては申し訳ないくらい おそらくこの本の内容のご紹介も

できないでしょう。 この本の内容を 詳しくお知りになりたい方は どうぞこちらを。

私は newsongsさんの記事 で この本を知りましたから。 深く読み下げていらっしゃいます。

 

子供たちが毎日集まる 「あそび島」 の近くに引っ越してきたふうこちゃん。

毎日通うことにきめたのですが・・・。

みんな忙しそうに遊んでいるのに 今日もふうこは ひとりぼっち。

朝から ずっと 本 よんでる。 今日も ふうこは 迷子の気持ち。 仲間はずれにされてる訳じゃない。

 

母はね 1年生の時のお花ちゃんのことを 思い出したよ。

今の学校に転校してきたばかりの2年生の時のお花ちゃんのことを 思い出したよ。

入学して 知ってる子が一人もいない学校。 お友達のだーれもいない学童。 そんな1年生。

お花は よく 本を読んでた。 絵を描いてた。

母はね わかっていたんだよ。 一人でいても大丈夫なことを 無意識に選んでいたんだよね。

しっかり者のお花は どこでも いい子だねと言われる。 親から見ても 手のかからない子。 

学童の館長さんが 「お花ちゃんなら 100人いてもいいのに」 ってよく言ってたよね。

仲間はずれにされてる訳じゃない。 仲間はずれじゃない。 本を読むのが、絵を描くのが好きなんだ。

でも でも でも でも ・・・ それは きっと 迷子の気持ち。 迷子の気持ちだったんだよね。

せっかく慣れたのに 2年生で転校して知らない学校。 お友達のいない学童。

やっぱり 本を読んでたよね。 やっぱり それも 迷子の気持ち。 迷子の気持ち。

 

ふうこのお母さんは 「もうすこしすれば 大丈夫よ」 とか 「本やおもちゃもあるし、いいよね」 とか

色々言うけど  ふうこは 閉じ込められているみたいで 苦しい。

お母さんが 心配していろいろしゃべってる。 

「粘土もあるし 折り紙もあるでしょ。 ひとりで 本を読んでもいいし。 しゃぼん玉もできるし」

でもね 違うの! 違うの、お母さん!!

「お母さん、ふうこは そんなことを したいんじゃないの。 ふうこは ともだちが ほしいの!

 

ケンカをしちゃだめよ。 お友達と仲良くね。 大人の言うこと聞くのよ。 わがまま言わないの!

大人って、お母さんって、すごく自分勝手! 

きっと子供は言いたいんだよね。  お母さんは 子供だったことないの?

ケンカしたっていいの。 わがまま言ってもいいの。 そういう風にして お友達がほしいの。

お利口じゃなくてもいいから 私は お友達が欲しいの。 お花も そう言いたかったの?

 

母は、小学校のとき 6年間で6回転校しました。 

それ以外の子供時代を経験してないので、そのことを特別だと思ったことはない。

お花は それを聞いて ずいぶん安心してたよね。 そして 転校生に 少しだけあこがれて・・・。

安心したのも、憧れたのも本当のことだけど、 とても 心配で すごく 頑張ったんだね。

  

今はね 一人で本を読んでるお花を見ても 母は平気です。 だってお友達がいるから。 

 

 

お花の学童クラブは 帰る時玄関で 送りにきた先生と握手する。 「さようなら」って言いながら。

6年生の男の子も そう。 そういう決まり。 

最初は えーーっ!ちょっと幼稚!? と思った。 (これ 本音)

でもね、ケンカして仏頂面してる男の子も 靴のかかと踏みつけながら 先生に手を差し出してくる。

だって そういう決まりだから (笑)

転校早々は 先生の目をみて「さようなら」できなかったお花が 今では見つめ合って 「さようなら」

自分から相手に手を差し出す行為は 簡単そうで 難しい。

手と手のぬくもりを 感じあうって 忘れてはいけないのに 成長すると共に 薄れていくこと。

そんな積み重ねで 人の心は形成される。

温かさなくしては 心は成長しないのに そういう交わりがないがしろにされる現代。


大きな声で 言ってもいいんだよ。 「ともだちが ほしいの!!」 って。

相方募集

今朝 ふと思った。

 

『相方募集』

 

最近 彼でも 彼女でも パートナーでもなく 「相方」 と言う呼び方を よくきく。

 

(ほんとは 見る。)

 

『相方』 さっくりした感じが なんかいい感じ。

 

悩みを相談したいんじゃない。  答えは ほんとは 最初から決まっているから。

 

同じものを 見たいんだね。 違う角度からでいいから。 同じものを 同じスタンスで。

 

『相方募集』 してみる?

 

『相方募集』 なんかして どうなる??   (おもしろいことできなきゃ!!?って気分)

からすのパンやさん

からすのパンやさん  「からすのパンやさん」 加古 里子 ・ 作

  

葉っぱ君が生まれたときに 買っていただいた本。 

だるまちゃんの楽しい絵本で有名な 加古里子さんの絵本。 登場するのはからすばかり・・・

加古さんのお話は ころころ移り変わる展開が ほんとに楽しい。

 

いずみがもりの くろもじ3丁目に からすのパンやさんがあります。

その夫婦に 4羽の赤ちゃんが生まれました。

黒い赤ちゃんではなく 白(おもちちゃん)・黄色(レモンちゃん)・赤(りんごちゃん)・茶色(チョコちゃん)。

からすのパン屋さんは 子供を育てることが大変で お店がうまくいかず だんだん貧乏に・・・。

でも 子供たちが食べていた おやつパンや 半焼きパンが あっという間に有名になる。

 

美味しいパンを買うために 殺到したカラスたち。  

パンが焼けた が パンやが焼けた に。 消防自動車が出動すると けが人がでたことに・・・。

そこで 救急車が出動し、 さらには 武装警官が駆けつけて 「ピストル 鉄砲 撃ち合いだぁ!」

どんどん 大きくなる騒ぎ。 でも お店に行ってみると・・・。


この本の魅力は、 なんと言っても 描かれた焼きたての美味しそうなパン!!

ページいっぱいに広がる 様々なアイディアの面白いパンに 子供たちはウキウキします。

  

          パン②    パン①

   

どのパンを食べるかで 競争になり、 なかなかページをめくれません。 (笑)

素敵な出会い

昨夜の記事で 「奄美大島」 のことを記してから。不思議なくらい気になりまして・・・。

 

調べているうちに 素敵な方の声を聞くことになりました。

 

ネットでの検索にも 私の知恵では限界があり 『突撃!奄美取材!』 を敢行しました。

お仕事中の 奄美のみなさん ご親切に次の電話先をお教えくださってありがとうございます。

結果、行き着いたのは 「名瀬市立奄美博物館」

 

只者ではない知識。 文献がすっかり頭に入っている受け答えに感銘を受け 

失礼を省みずお尋ねすると、 奄美の研究者の方でした。

しかも 東京から13年前に移り住まわれたとのこと。

一文節、耳にすればわかります。 島の方じゃないってことは・・・。

  

素人に解りやすい雑誌を教えていただきましたので 無駄にしないように 学習してみたいと思います。

  

東京の方が 奄美の研究のために あんな辺鄙なところに移り住まわれてて・・・

奄美よ、お前は愛されていてよかったね とおかしな気持ちになり 嬉しくなりました。

 

一言で言うなら 謎! 解明されていないことが多いそうです。

まだ先になりますが 必ず記事にしますので、関心のおありになる方は どうぞしばらくお待ち下さい。

 

 

こんな無知なおばさんの素人質問に 丁寧かつご親切にお答え頂き Tさん、ありがとうございます。

教えて頂いた事柄も興味深いものでしたが Tさんの存在自体が 感激に値しました。

私のルーツですから 知っていてもよいはずです・・・。

奄美大島

どうして 奄美大島 というのですか?

      

母の郷です。 私の血の半分は 奄美の血なんだけど・・・

 

あそこは 住所では 鹿児島県大島郡・・・。  どこにも 『奄美』 とは付きません。

 

『庵』 と言う言葉には ひっそり とか 隠れて などの意味があって 

 

「芭蕉庵」なども その使われ方のひとつ

 

そう思うと 『奄美』 って とてもきれいな言葉だから それだけで感激したのですが。

 

なぜ 『奄美』 ・ 『奄美諸島』 というの?

 

奄美諸島 っていうのは 正式名称でしたか? 明日は地図で調べよう。。。

  

<追記・・・できますように> 

関心を寄せてくださった皆さん、ありがとうございます。

勤務中故、それぞれの方へのレスは時間を(様子を?笑)見ながらってことで、お許し下さいませ。

奄美諸島のなかの大島だから 奄美大島と呼ばれるのですよね。 それはOK。

うーーん。 歴史から紐解いてみなければ・・・?  <勤務中にやることかいっ!!笑>

奄美とは 奄美大島及び奄美諸島全域をさす。 (しかし ここでも何故奄美大島というの・・・?)

古くは 「海見」 「阿麻弥」 「奄美」 と表記されていた。

奄美地区は 1609年(慶長14年)の 島津氏による琉球侵攻以来、琉球国(沖縄)に属しており、

その名の由来は始祖 「阿麻弥久(アマミク)」 がこの地に降臨したことによるといわれる。

  

午後12時20分現在、私の調査(とも呼べないが・・・)はここまでです。

奄美って 綺麗な言葉です。 「あまみ」 の由来はこんな感じ。 しかし 「奄美」 は??

実は 復帰直後の沖縄にも住んだことがありまして、 

どうも南の島々には 高い興味と深い親しみを持っております。

高校野球では ここ(埼玉)の高校より 地元大分より 沖縄の選手たちの勝敗が気になります(笑)。

最近の音楽シーンで活躍する 沖縄訛りの若者たちも 「頑張れ~!!」 と応援にリキが入ります。

だって、人間が 日本にひとくくりにしてはいけない人たちだと 常々思ってますから。

沖縄も 奄美も あの音楽感性(特に爺・婆の)は 日本人じゃないんですもん!!

新情報!! (ってことでもありませんが・・・私的にビックリ!!)

なんと 来年3月から 市町村合併により 「奄美市」発足!!  なんてこった☆

母の地元の町名が なくなってしまうとは・・・  すごい気に入ってた町名だったのに・・・

きかんしゃやえもん

きかんしゃやえもん  「きかんしゃ やえもん」 阿川弘之・文  岡部冬彦・絵

     

懐かしいお話です。 小学校の頃、国語の教科書に載っていたような・・・。

葉っぱが産まれた時に 姉の義母に頂いた1冊。

   

     姉の義母に頂いた・・・って良く出てくるのですが、 この義母さんは保育園の園長先生。

     葉っぱは地元で産んだのですが 私は姉宅にご厄介になっていて お花はその保育園で

     遊ばせてもらっていました。

     葉っぱ出産のお祝いに 選びなさいと 絵本のカタログを渡され、姉と遠慮なく選びました。

     いい本を たくさん頂いた所以です。

     

お話もレトロだけど、絵も新聞の4コマ漫画に出て来そうで 懐かしさがたまらない。

石炭で走る機関車から どんどん電車に変わってきて 機関車が消えてなくなる時代の話。

 

ながいながい間働いて 歳をとって くたびれたやえもんは 昔のようには走れない。

「おれだって しゃあ、若い頃には しゃあ、たくさんの人を乗せて しゃあ、すごいスピードで しゃあ、

大きな都会から都会へ しゃあ、走ったものだが しゃあ」  ←  やえもん、怒っているんです。

電気機関車って とっても意地悪なんです。

「やあい やあい 石炭くいの やえもんやい。石炭食って おいしいか!」 って笑うんです。

やえもんも 負けてはいません。

「ぷっすん ふん。 おいしいわい。 こんなおいしいものが 他にあるかい、 ぷっすん。」

すると

「やあい、 お腹の中まで 真っ黒けの 貧乏汽車やあい・・・」

ひっどい 意地悪です。

やえもんは 火の粉を撒き散らして走ったばかりに 非難され くず鉄にされてしまうことに・・・

(どこかで きいたような・・・・「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」 ですね?)

最後には 交通博物館で展示され 楽しい日々を過ごすことになります。

  

時代が時代なら、 電気機関車だって 危ういものなのに。 なのに すごい意地悪!!

  

母は、電気機関車の意地悪な物言いが すごく上手で、 葉っぱが時々、顔を見上げてくるんです・・・

「おかあさん、 意地悪な気持ち わかり過ぎっ!」 って 思っていそうです(笑)

葉っぱのひと言で・・・

ガラス  今朝、車に乗ると・・・  フロントガラスが・・・

                      あせる私。  喜ぶ葉っぱ 『雪の結晶だぁ!!』

////本当は 霜ですよ////

 

  





お花ちゃんを 絵画教室まで迎えに行く車中。

6時ともなれば もう真っ暗。

狭い道で 偶然にも立て続けに 3台の車に道を譲って頂いた。

        

「あの車の人、ここで待っててくれたんだねぇ~」 という母に 葉っぱが。

    

「お母さん、良かったねぇ。 シアワセだねぇ。 今度はシアワセを 次の人に分けてあげようね。」

     

君は 『しあわせ』 って言葉を 知っているのね。

9年間の思い

明日、12月12日は 私の両親の結婚記念日です。

先ほど電話したら 一番上の姉が出ました。 あと4年したら 『金婚式』 だと覚えておこうと話しました。

姉は 父が1泊で留守になるため 代わりに二番目の姉とバトンタッチして 泊まりに来ていました。

    

 

母が寝たきりになり 9年になります。

母は9年前の8月、脳内出血に見舞われ、大手術の結果なんとか命は取り留めました。

その後必死にリハビリに取り組み、3ヵ月後には 半身不随ではありましたが 退院にまで漕ぎ着けました。

夏には 生後3ヶ月のお花を抱いて帰省しましたが、その後は電話で病状を聞き

10月の終わりには 「退院したよ」 と電話で声を聞きました。

「すぐに帰ったら?」 と夫は言ってくれましたが、年末に帰省の予定にしていたので

「お正月には帰るよ」 と 母に伝えました。

そして 訪れた 9年前の 12月11日。

母が 早朝に二度目の脳内出血。 脳幹部分でしたから 場所が悪く 障害が治ることはありません。

 

慌てて帰省すると 実家のカレンダーに 右利きの母が左手で書いた文字が残っていました。

『結婚記念日』  母は 奄美大島から大分に嫁に来て 父だけが頼りでした。

父のことが 本当に大好きな母でした。

2階には 母が片手で干した 父のシャツが なんともしわくちゃに乾いていました。

           

私は どうして あの時 帰省しなかったのでしょう。

退院後も父に申し訳ないと気落ちしていた母と ただ一緒にいるだけでも 母を救えたかもしれません。

「リハビリは ほんとに大変。 だけど 80歳のおばあちゃんだって頑張ってるから 

お母さんも頑張らんと!」 という母に どうして私は 「頑張らんといけんよ」 と言ってしまったのでしょう。

私の一生のうちの おそらく半分以上の後悔が この日に集約されています。

きっと 私だけではなく 一緒に過ごしていた父もそうでしょう。

姉達も 口にはしない後悔の念が 溢れているかもしれません。

もっと はやくに親との死別を経験された方もいるわけで 私には 両親が健在です。

だから ありがたいことだと 思わなくては。

でも もし 話せなくなった誰かと話をすることを許されるなら 母と話がしたいです。

お花が生まれた年の出来事ですから 私の子育てに文句を言ってもらいたいです。

そして あんないい人と離婚するなんて と叱ってほしいかもしれません。

ほんの一言 頑張ったねと 少しだけ 褒めてくれたりしないでしょうか?

離婚しても 実家に帰り両親の面倒を見ない私は 大変な親不孝者です。

 

現在まで 父が介護をしています。 いわゆる 老老介護。

胃ロウで栄養を取っていますが 嚥下の力を失わないようにと 牛乳やヨーグルトなどを

食べさせています。 とはいっても 口が開きませんから 隙間から流し込みます。

1日に何度か車椅子に移動させますが 体中から力が抜けて 首もすわっていませんから

介護者は 大変な力を要します。

もちろん 話はできませんし、自分の意思で動く箇所は どこにもありません。

父は 「おかあさーん、行ってくるよ!」 と 趣味でやり始めた碁会所に向かいます。

「おかあさーん、○○さんと呑んできたよー!」 とふらふらに酔って帰ってきたりもします。

そして 酒臭い匂いのまま 母の介護用ベッドで 一緒に寝てしまったりします。

「俺は若いとき極道したけん、なぁ、おかあさん」 という父は 母がいない家に帰るのは淋しいと言います。

父には どれだけ感謝しても 感謝しきれません。

 

お父さん お母さん 明日は結婚記念日ですよ。

46年目だそうですよ。 いつも仲が良いですね。おめでとうございます。

これからも 二人仲良く心健やかに暮らしてください。

私の子供は 来年には 4年生と1年生になりますよ。