9年間の思い
明日、12月12日は 私の両親の結婚記念日です。
先ほど電話したら 一番上の姉が出ました。 あと4年したら 『金婚式』 だと覚えておこうと話しました。
姉は 父が1泊で留守になるため 代わりに二番目の姉とバトンタッチして 泊まりに来ていました。
母が寝たきりになり 9年になります。
母は9年前の8月、脳内出血に見舞われ、大手術の結果なんとか命は取り留めました。
その後必死にリハビリに取り組み、3ヵ月後には 半身不随ではありましたが 退院にまで漕ぎ着けました。
夏には 生後3ヶ月のお花を抱いて帰省しましたが、その後は電話で病状を聞き
10月の終わりには 「退院したよ」 と電話で声を聞きました。
「すぐに帰ったら?」 と夫は言ってくれましたが、年末に帰省の予定にしていたので
「お正月には帰るよ」 と 母に伝えました。
そして 訪れた 9年前の 12月11日。
母が 早朝に二度目の脳内出血。 脳幹部分でしたから 場所が悪く 障害が治ることはありません。
慌てて帰省すると 実家のカレンダーに 右利きの母が左手で書いた文字が残っていました。
『結婚記念日』 母は 奄美大島から大分に嫁に来て 父だけが頼りでした。
父のことが 本当に大好きな母でした。
2階には 母が片手で干した 父のシャツが なんともしわくちゃに乾いていました。
私は どうして あの時 帰省しなかったのでしょう。
退院後も父に申し訳ないと気落ちしていた母と ただ一緒にいるだけでも 母を救えたかもしれません。
「リハビリは ほんとに大変。 だけど 80歳のおばあちゃんだって頑張ってるから
お母さんも頑張らんと!」 という母に どうして私は 「頑張らんといけんよ」 と言ってしまったのでしょう。
私の一生のうちの おそらく半分以上の後悔が この日に集約されています。
きっと 私だけではなく 一緒に過ごしていた父もそうでしょう。
姉達も 口にはしない後悔の念が 溢れているかもしれません。
もっと はやくに親との死別を経験された方もいるわけで 私には 両親が健在です。
だから ありがたいことだと 思わなくては。
でも もし 話せなくなった誰かと話をすることを許されるなら 母と話がしたいです。
お花が生まれた年の出来事ですから 私の子育てに文句を言ってもらいたいです。
そして あんないい人と離婚するなんて と叱ってほしいかもしれません。
ほんの一言 頑張ったねと 少しだけ 褒めてくれたりしないでしょうか?
離婚しても 実家に帰り両親の面倒を見ない私は 大変な親不孝者です。
現在まで 父が介護をしています。 いわゆる 老老介護。
胃ロウで栄養を取っていますが 嚥下の力を失わないようにと 牛乳やヨーグルトなどを
食べさせています。 とはいっても 口が開きませんから 隙間から流し込みます。
1日に何度か車椅子に移動させますが 体中から力が抜けて 首もすわっていませんから
介護者は 大変な力を要します。
もちろん 話はできませんし、自分の意思で動く箇所は どこにもありません。
父は 「おかあさーん、行ってくるよ!」 と 趣味でやり始めた碁会所に向かいます。
「おかあさーん、○○さんと呑んできたよー!」 とふらふらに酔って帰ってきたりもします。
そして 酒臭い匂いのまま 母の介護用ベッドで 一緒に寝てしまったりします。
「俺は若いとき極道したけん、なぁ、おかあさん」 という父は 母がいない家に帰るのは淋しいと言います。
父には どれだけ感謝しても 感謝しきれません。
お父さん お母さん 明日は結婚記念日ですよ。
46年目だそうですよ。 いつも仲が良いですね。おめでとうございます。
これからも 二人仲良く心健やかに暮らしてください。
私の子供は 来年には 4年生と1年生になりますよ。