バス図鑑 No.01 大手私鉄が生産したバスボディ 西日本車体工業製車両(96MC)
NISHINIPPONN SHATAI KOUGYOU NSK
2010年8月,ひとつのバスボディ製造メーカーが看板を下ろしました。1946年に戦後復興のために西鉄が設立したバス車体専業メーカー・西日本車体工業。その名の通り,西鉄のみならず西日本エリアのバス事業者を中心に採用されていました。長い年月を経て1988年には関東地区へも進出,1992年の京王帝都電鉄の中型ロング車の導入で一挙に全国区へと成長しました。今回はこの西工が終末期に製造した路線バス・96MCについてご紹介いたします。
96MCは1996年にモデルチェンジされた一般路線タイプのボディであり,幾度かのモデルチェンジを経て2010年の生産中止まで製造されました。
初期モデルは58MCに引き続き,全シャーシメーカーの車両に架装されました。この頃の大型車はまだツーステップで,外観こそモデルチェンジされていますが,内装は58MCの面影を残すものでした。
2000年代に入るとノンステップバス普及も本格化してきます。当時いすゞ系のアイ・ケイ・コーチはフルフラットノンステップバス(AT限定)を製造していましたが,西工では安価に購入できるようにするため,ワンステップバスをベースに前中扉間をフルフラットとしたタイプNと呼ばれるノンステップバスを開発しました。これにより,MTでの設定も可能になり,その後他社もこのタイプへと集約されました。
この時期に西工では一風変わった車両も開発しています。「B高」とも呼ばれる路線車ベースの短距離高速路線車です。短距離の路線であればハイデッカー車両を投入する必要もなく,設備も最小限のもので済みます。そこで西鉄が西工とともに開発したB型高速路線車は,西鉄を中心にその近隣のバス会社にも採用されました。元はふそうMPで架装され,その後の再編で日デUA⇒RAになっています。
西工では,かねてからシャーシメーカーとボディーメーカーの共同開発化への流れによっていすゞや日野を中心に受注台数が減っていました。様々な生き残るための道を探索しているさなか大きな転機が訪れます。これまで日産ディーゼル工業製車両を一手に担ってきた富士重工業が2002年度末でのボディー製造の中止を決定しました。このため日デは西工を標準メーカーに選定,安定した受注が見込まれることになったのです。一気に西工が全国区へと進出していきました。
一方で,他社ボディへの架装は一気に減り,特にいすゞや日野は2005年の路線車統合モデルからは原則として他社ボディへの架装はしない方針となりました。しかし,一部西工での架装を希望する事業者へは引き続き西工でも製造されています。
①PJ-LV/KV234 ②PA-LR234 ③PDG-LV/KV234 ④PDG-LR234
三菱ふそうでは,継続して西工での架装も並行して行われていましたが,新長期排ガス規制施行を目前に控えた2006年製以降の型式(PJ-MP)では西工での架装がなくなりました。
2005年10月,96MC史で最も大きモデルチェンジを実施します。これは新長期排ガス規制施行と同時に灯火器類規制も施行されました。これによって特にリアスタイルが大きく変更され,テールランプの形状が縦長のシビリアンテールになりました。フロント周りでもフォグランプ回りが黒く塗装され,側窓の窓割りも変更されました。
ちなみにこの際日デでは路線バスに「スペースランナー」の愛称を設定,それぞれ末尾にRA・JP・RMをつけて再販売しました。特に大型路線車「スペースランナーRA」は今となっては標準的なシステムである尿素SCRを他社に先駆けて搭載し,これまた他社よりも大幅に早く新長期規制にも適合させました。スペースランナーは全国で大量採用され,西工もこのモデルの成功で一気に知名度が上がりました。
①ADG-RA273改 ②PB-JP360 ③PB-RM360
新長期規制後の2007年には日デと三菱ふそうの業務提携が開始されました。この時,路線車では大型ノンステップバスと中型車全車は日デからふそうへも供給することとなり,ふそうブランドのノンステップバスはすべてが西工製となります。これにより,西工の採用例がなかった事業者にも西工が納入されることになり,観光系への架装は減少するものの,路線バスへの架装は大幅増となり,結果的には製造ラインがパンクするほどの盛況となりました。
①PKG-RA273/274 ②PDG-RA273 ③PKG-AA273/274 ④PDG-AA273
⑤PDG-JP820 ⑥PDG-RM820 ⑦PDG-AJ820 ⑧PDG-AR820
2008年には再度マイナーチェンジが実施され,再びリア周りに変化が起きます。シビリアンテールだったテールライトがエアロスターと同様の玉替えが容易なゴールドキング社製の汎用ランプへと変更されました。また,この変更ではJP/RMがかつてのエアロミディMKを彷彿とされる形状になりました。このモデルチェンジが西工路線車最後のモデルとなりました。
順調に操業しているようにも思えましたが,日デとふそうの協業はOEM供給のみにとどまらず,車体製造の合弁会社設立の話にまで発展します。これによって日デは西工でのバス生産を大型車は2010年夏で,中型車は2011年夏で生産を打ち切ると発表し,西工へ通達しました。西工では新たな道を探りましたが,継続操業を断念。西鉄ではほとんどの納入車両が大型車両ですので,大型車両の生産が打ち切られる2010年夏で稼働終了,西工廃業が決定しました。
この決定を受けて,西工製車両を好んで採用していた事業者では駆け込み発注で大量に新車が投入された事業者も存在します。
そして2010年8月,加越能鉄道へ納入されたUDトラックスPDG-RM820GANが西鉄以外への,西日本鉄道へ納入されたPKG-RA274MANがそれぞれ最後の出荷車両となり,半世紀にもわたるバスシャーシメーカーとしての歴史に幕を閉じました。
その後,三菱ふそうとUDトラックスの合弁会社設立の話はおろか,業務提携まで決裂してしまい,結果的にUDトラックスはバス製造事業を失うハメになってしまいました。もし西工への架装中止を発表していなければ今も西工×UDでバス製造を続けていたのでしょうか…?