菅沼天虎の紙屑談義

菅沼天虎の紙屑談義

交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

ビックリマーク本ブログの画像の無断転載は固くお断りいたします。


ビックリマークコメントおよびトラックバックにつきましては、承認制を取らせて戴いております。

スパム防止の為、戴きましたコメントおよびトラックバックにつきましては管理者承認の上で公開しております。お送り戴きましても反映されるまでに少々お時間を戴きますのでご了承願います。なお、記事の内容と全く関係の無いコメントおよびトラックバックにつきましては、公開せずに発見次第削除させて戴きます。


ビックリマークリンク先の一覧について。

サイドバーのブックマークは、15サイトまでしか表示出来ない仕様となっております。
アメブロ以外のリンク先の一覧はこちら からご覧下さい。
アメブロのリンク先につきましては、サイドバーの「お気に入りブログ」からご覧下さい。


ビックリマークこのブログに対するご要望などがございましたら、コメント欄でお知らせ下さい。

ご要望に関するコメントは非公開とさせて戴きます。返信ご希望の方はメールアドレスの付記をお願いいたします。メールアドレスの付記の無い場合は返信いたしかねます。なお、お送り戴きました内容に対するご返信につきましては、誠に勝手ながら当方で必要の有無を判断させて戴きますので悪しからずご了承願います。

また仕事などの都合によりご返信が遅れる場合もございますので、気長にお待ち下されば幸いです。


福島県猪苗代町を拠点にバス事業を行っておりました「磐梯東都バス」が、2023年9月30日を持って事業を廃止いたしました。

 

 

「磐梯東都バス」のバス停です。

 

 

 

 

 

 

 

 

運行拠点であった磐梯猪苗代営業所です。

 

 

 

 

 

 

 

¥1,000の回数乗車券です。

 

 

100円券11枚綴りで、この他に¥3,000綴りの冊がありました。

 

 

 

 

 

内容の券片です。

 

 

「磐梯東都バス株式会社」の文字が連続した青地紋券となります。

 

 

 

 

 

領収証も戴いてきました。

 

 

社名と公印が印刷された領収証です。

 

 

「磐梯東都バス」は、東京都で観光バスやタクシー事業等を行っております「東都自動車」のグループ会社で、「磐梯東都バス」の事業エリアは福島県でしたが、同社の本社は領収証に記載の通り東京の「東都自動車」の本社内で、社章も「東都観光バス」などと同じでした。

 

「東都自動車」は「磐梯桧原湖畔ホテル」を経営するなど裏磐梯で観光開発を行っており、2003年4月1日に「磐梯東都バス」を設立して「会津乗合自動車」の営業エリアで路線バスの運行を開始し、2011年9月1日に「会津乗合自動車」が猪苗代地区から撤退した際には路線を引き継ぎましたが、設立から20年余りでバス事業を廃止する事となり、10月1日から「磐梯東都バス」が運行しておりました路線は、以前に猪苗代地区から撤退した「会津乗合自動車」が再び引き継ぐ事になりました。

昭和50年8月に鹿児島本線黒崎駅で発行されました、「黒崎から 博多ゆき」の往復乗車券です。

 

 

門司印刷調製の券となります。

 

黒崎~博多間の営業キロは53.3kmで、当時の規則では片道の有効日数は2日、往復の有効日数は4日となりますが、この区間は福岡近郊区間内相互発着の区間となりますので、営業キロ程にかかわらず片道の有効日数は当日、往復の有効日数は2日で、下車前途無効となりました。

 

この往復乗車券は「博多ゆき」の券となりますが、運賃は博多の先の「南福岡」までは同額でしたから、「南福岡ゆき」としても良さそうなものですが、常備券は主要駅の「博多ゆき」で設備し、発売需要の少なそうな「南福岡」への往復乗車券は補充往復乗車券による発売だったのかも知れません。

小湊鉄道の「○企 (小湊鉄道) 小湊鉄道1日フリー乗車券」の硬券バージョンです。

 

 

JPR/てつどう緑地紋のD型券となります。

 

 

 

 

 

フリー区間の地図部分の拡大画像です。

 

 

東武鉄道の記念乗車券の地図式乗車券の硬券のように、○の中は地紋の印刷が抜けており、地紋を金属製の原盤で印刷してから券面表記事項を印刷する旧来の印刷方法では○の中にも地紋が印刷されるハズですので、現在は硬券であっても旧来とは印刷方法が異なっているものと考えられます。

 

 

「○企 (小湊鉄道) 小湊鉄道1日フリー乗車券」の硬券バージョンは1000枚限定で、現時点では通信販売のみの取り扱いで駅などでの発売はありません。

昭和57年2月に姫新線津山駅で発行されました、「津山から 大阪・新大阪ゆき/急行券 津山→200kmまで」の連綴券です。

 

 

広島印刷調製の券となります。

 

当時、姫新線から大阪へ直通運転されておりました急行「みまさか」、「みささ」用の券で、左側の乗車券は「新大阪または大阪の両駅と姫路以遠の駅との区間の運賃は、大阪駅から(または大阪駅まで)のキロメートル数で計算」の特例により「大阪・新大阪ゆきとなり、右側の急行券は既に三角矢印式の時代ですが、広島印刷の連綴券では三角矢印式となる以前の旧様式に準じた様式となっており、注記事項も三角矢印式の「1回限り」、「2日間有効」では無く、旧様式に準じた「ご乗車される普通急行列車に1回限り有効です。」と「発売日共2日間有効」の記載となっています。

平成21年9月に青い森鉄道線の諏訪ノ平駅の自動券売機で発行されました、「[諏訪ノ平]→青い森鉄道会社線 北高岩」の乗車券です。

 

 

青い森鉄道旧地紋の青地紋券となります。

 

JRから青い森鉄道への転換当初に導入された自動券売機で発行された券で、当時は発駅がJRの自動券売機の金額式乗車券のように縦書きの枠囲みとなっており、地紋も「青い森鉄道」の文字が連続した旧地紋でした。

 

諏訪ノ平駅の自動券売機も、拙ブログの2015年8月15日のエントリ「青い森鉄道 目時駅」でご紹介いたしました券のように、平成22年頃に新しい自動券売機に更新されたようですが、平成29年2月末を持って目時駅共々自動券売機での乗車券の発売を終了しています。

昭和62年7月に羽越本線羽後本荘駅で発行されました、「羽後本荘から 大阪市内ゆき」の常備片道乗車券です。

 

 

東京印刷調製の券で、「JNR/こくてつ」の暫定地紋券となります。

 

 

 

 

 

券番は0026となります。

 

 

この券はJR西日本への他社関連の券となりますので、恐らくは国鉄が分割民営化された昭和62年4月1日から発売が開始されたものと推察されますが、発行日は3ヶ月余りが経過しており、1ヶ月平均の発売枚数は10枚に満たなかったものと思われます。

東野鉄道の黒羽駅発行の通学定期乗車券で、小児用の券となります。

 

 

「学」の下に「小」の赤文字の印刷があります。

 

昨日のエントリでご紹介いたしました通学定期乗車券と同様に、通用期間は1箇月に固定され、発売額によって断線を切断する券で、こちらも「通用3箇月」用と「通用6箇月」用が設備されていたものと考えられますが、「通用1箇月」用のこの券は廃札券ながら券番は0100番に達しておらず、発売枚数は少ない券であったのかも知れません。

昨日のエントリに引き続き、廃札券となりますが東野鉄道の黒羽駅発行の通学定期乗車券です。

 

 

通学定期乗車券が赤地紋となる以前の券で、通勤定期乗車券と同様に青地紋券となり、上部に「学」が赤色で印刷されています。

 

こちらの券は昨日のエントリでご紹介いたしました通勤定期乗車券とは異なって、通用期間は1箇月に固定された券で、発売額によって断線を切断する券となっており、補充通学定期乗車券はこの券の他に「通用3箇月」用と「通用6箇月」用が設備されていたものと考えられます。

廃札券となりますが、(東野鉄道)黒羽駅発行の通勤定期乗車券です。

 

 

JPR/てつどう青地紋券となります。

 

通用期間によって断線を切断する補充通勤定期乗車券で、「東野鉄道」は昭和43年12月16日の西那須野~黒羽間の鉄道線全廃後も、「東野鉄道自動車線」の黒羽線として、昭和44年6月に社名を「東野交通」に変更後も暫くは国鉄線との連絡運輸を行っておりましたので、この通勤定期乗車券も鉄道線全廃後に自動車線から国鉄線への連絡定期として発売されたのかも知れません。

昭和56年8月に篠ノ井線松本駅で発行されました、「しなの8号」の特急券で、乗継割引用の常備券となります。

 

 

新潟印刷調製の券で、列車名、乗車駅、下車駅は印刷となっています。

 

当時の松本駅には既にマルス端末が設置されておりましたが、この特急券は9番窓口の発行で、恐らく9番窓口は橋上化以前の松本駅の松本電鉄上高地線側に設置されていた裏口で、当時はマルス端末は本屋口の出札口のみに設置され、9番窓口の設置されていた裏口では硬券による発売が行われていたものと思われます。