菅沼天虎の紙屑談義

菅沼天虎の紙屑談義

交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

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昭和52年2月に大糸線信濃森上駅で発行されました、「糸魚川→201km以上」の普通急行券です。

 

 

新潟印刷調製の券となります。

 

大糸線で糸魚川へ出て、北陸本線の普通急行列車に乗車する券で、当時の北陸本線糸魚川駅には大阪~新潟間の急行「越後号」、金沢~青森間の急行「しらゆき号」、大阪~青森間の急行「きたぐに号」などの長距離の普通急行列車が運転されておりましたが、「きたぐに号」は糸魚川の着発時刻が深夜帯であったため、大糸線からの乗り継ぎを考えますと、この急行券で利用した旅客は少なかったかも知れません。

 

 

 

 

 

この普通急行券は、発行箇所の窓口番号が「〇28」となっています。

 

 

当時の大糸線信濃森上駅に20を超える窓口が設置されていたとは到底思えませんので、この券はスキーシーズンの発行ですから、当時はスキーの多客対応で臨時窓口が設置されていたのでしょうか??

令和6年8月に発行されました、鹿島臨海鉄道の「株主優待乗車券」です。

 

 

 

 

KRT/かしまりんかいてつどう青地紋のA型硬券となります。

 

拙ブログの2021年8月21日のエントリ「鹿島臨海鉄道 株主優待乗車券~3(終) 令和券」でご紹介いたしました券と有効期限の日付以外は全く同じ券で、現在も株主優待乗車券を硬券で発行している会社は少ないものと思われますが、鹿島臨海鉄道水戸駅の出改札業務はJRに委託していて自動改札機が設置されておりますので、裏面に注記はあるものの、硬券の株主優待乗車券の水戸駅自動改札機への誤投入などの観点から、JR側から硬券での発行を止めるような要請は無いのでしょうか?

 

 

JRバス東北が2025年9月15日から発売しております、「下北線国鉄復刻バス記念きっぷ」です。

 

 

 

2つ折りの台紙に硬券の乗車券が4枚セットされており、台紙には記念スタンプの押印欄が設けられています。

 

 

 

 

 

セット内容の硬券の乗車券で、いずれもJRB赤地紋券となります。

 

◆山田→170円区間

 

 

 

「山田」は青森支店大湊支所の目の前のバス停で、大湊線の下北~大湊間の車窓から良く見えますが、どちらの駅からも少々離れています。

 

「山田」と申しますと、現在の参宮線「伊勢市駅」が昭和34年7月14日まで「山田駅」で、当時から下北線に「山田」バス停が設置されていたのかどうかは不明ですが、もし設置されていたとしたら、旧国名を冠して「陸奥山田」とかにはならなかったんですかねぇ?

 

 

 

 

 

◆田名部から 脇野沢庁舎前ゆき

 

 

 

一般式の券は、最初にご紹介いたしました金額式の券のように裏面に区間の印刷は無く、運賃が大きく印刷されています。

 

この券は下北線全区間の乗車券で運賃は1880円となり、この券1枚でセットの発売額の2400円の殆どを占めてしまっています。

 

 

 

 

 

◆大湊駅前から 下北駅通りゆき

 

 

 

バス停名の表記は「下北駅通り」では無くて、「り」の入らない「下北駅通」だったと記憶しており、表記が変わったのか?と思って調べてみますと、現在のJRバス東北のサイトでも「下北駅通」となっておりますので、この表記はエラー表記なのかも知れません。

 

下北線の田名部方面ゆきのバスは、大湊駅を発車すると大湊支所前の「山田」を通って、「下北駅通」の交差点から田名部へ向かってしまうので「下北駅」には立ち寄らず、大湊支所訪問時には毎回大湊線を下北で下車し、徒歩で「下北駅通」の交差点を左折して向かっており、帰路は来た道を戻らずに大湊線沿いに大湊駅まで歩いておりました。

 

 

 

 

 

◆脇野沢庁舎前→150円区間

 

 

 

「脇野沢庁舎前」は、かつて窓口が設置されておりました「陸奥脇野沢」から少し山側に入った場所で、「陸奥脇野沢」は現在は「脇野沢本町」にバス停名が改称されています。

 

「脇野沢庁舎前」は下北線の終点ですから、「150円区間」のバス停も大湊側にしか存在しませんが、「150円区間」の最遠のバス停は「フェリー前」なので、金額式とせずに「脇野沢庁舎前から フェリー前ゆき」の一般式にして欲しかったなぁ・・・

 

この「下北線国鉄復刻バス記念きっぷ」の発売期間は、2025 年9月15日~2026年10月31日となりますが、発売箇所はJRバス東北の青森支店大湊支所、青森支店、二戸支店、盛岡支店、福島支店、仙台駅東口バス案内所となっていて通信販売は取り扱わず、仙台駅東口バス案内所と二戸駅前の二戸支店以外は、駅から離れた支店での発売となりますので、ちょっと購入しにくい券となっています。

2025年2月に泉北高速鉄道線栂・美木多駅で発行されました、特殊乗車券です。

 

 

せんぼくこうそく黄地紋券となります。

 

出札端末のプリンター出力の券となりますが、手書きの特別補充券に準じた様式の表記となっています。

 

「泉北高速鉄道」は2025年4月1日に南海電気鉄道に吸収合併され、現在は「南海電気鉄道泉北線」となっています。

廃札券となりますが、常磐線の(常)川尻駅発行の「ひたち上越銀嶺号」の指定席券です。

 

 

東京印刷調製の券となります。

 

「ひたち上越銀嶺号」は昭和47年1月~2月にかけて、勝田電車区所属の急行用451系電車で、常磐線~水戸線~両毛線~上越線経由で運転されたスキー臨時列車で、上りは土曜日の日立発21:27分で石打着は翌朝の5:49、下りは日曜日に石打発15:30で日立着は21:37、下りは上りの始発駅の日立まででは無く、その先の川尻まで運転され、川尻着は21:47でした。

 

いわゆる「夜行日帰り」のスキー列車で、当時はこのような旅行形態は当たり前だったのですが、週休2日制が定着する前の時代ですから、土曜日に夕方まで仕事をして夜行列車に乗り、翌日は朝から午後までスキーを楽しんで、再び6時間近くも列車に乗って夜遅くに帰宅、翌日の月曜日は朝から仕事に行ったのですから、利用者は当時の若者が殆どであったとは思いますが、現代の若者から見たら信じられないかも知れませんね。

 

昭和55年2月に「〇北」北千住駅で発行されました、帝都高速度交通営団の「(千代田線)北千住⇔綾瀬」の通勤定期です。

 

 

JPR/てつどう緑地紋券となります。

 

発行箇所の左側の「〇北」は「東京北鉄道管理局」を表す記号で、この通勤定期は北千住駅の国鉄窓口で発行された券となります。

 

拙ブログの2007年5月16日のエントリ「国鉄北千住駅発行の営団地下鉄乗車券」でご紹介いたしましたように、常磐線の北千住~綾瀬間は営団地下鉄(当時)千代田線との重複区間となっており、国鉄では旅客営業規則 第16条の5(常磐線北千住・綾瀬間相互発着となる旅客の取扱い)に「常磐線北千住・綾瀬間相互発着となる旅客に対しては、乗車券類の発売を行わないものとする。」と定め、この区間は国鉄の乗車券は発売できず営団地下鉄の乗車券となり、当時の北千住駅の国鉄窓口では営団様式の北千住~綾瀬間の乗車券を硬券で設備しており、同様の事由で通勤定期の発売もありました。

 

 

北千住駅の国鉄窓口での営団線乗車券の発売は、普通乗車券は北千住~綾瀬間の発売のみに限られておりましたので、定期乗車券についても同様の発売であったものと考えられます。

昭和54年2月に根室本線帯広駅で発行されました、「帯広から 石橋」の準常備式片道乗車券です。

 

 

札幌印刷調製の券となります。

 

着駅は東北本線の貝田~石橋間で、同一運賃の最遠の着駅を記載しているため、そこそこ規模の大きい着駅は「須賀川」ぐらいで、他は小規模な着駅となっており、この準常備式片道乗車券の最下段の着駅は不明ですが、東北本線を南下したとしますと、「石橋」以南で同一運賃の最遠の着駅となるのは「久喜」と「浦和」で、最下段の着駅は東京都区内と同一運賃となる「川口」かも知れません。

 

 

 

 

 

この乗車券、最上段の着駅が「田」と表記すべきところ、「」田と誤植されています。

 

 

」と「」の文字は似ているため、組版の際に活字を取り違えたのか?と思いましたが、小児断片の着駅の略記も「」となっておりますので、この誤植は活字の取り違えでは無く、駅から印刷場に提出された請求書の誤記が原因である可能性が高いと考えられます。

昭和32年2月に日本硫黄沼尻鉄道部の木地小屋駅で発行されました、「木地小屋から 内野ゆき」の乗車券です。

 

 

 

JPR/してつ赤地紋券で、地紋から「中澤印刷」で調製された券と推察されます。

 

当時の社名は「日本硫黄沼尻鉄道部」が正式ですが、乗車券は(沼尻鉄道)と略記され、着駅の「内野」は国鉄越後線にも同名の駅があり、この他に沼尻鉄道には国鉄中央本線と同名の「荻窪」も存在しましたが、いずれも国鉄線との連絡運輸は行っていなかったため、特に地域名の「会津」を冠して区別しなかったものと考えられ、同線で国鉄線との連絡運輸を行っていた「会津下館」と「会津樋ノ口」については、地域名の「会津」を冠して国鉄水戸線の「下館」と羽後交通横荘線の「樋ノ口」と区別しています。

 

「日本硫黄沼尻鉄道部」は後の昭和39年6月1日 に「日本硫黄観光鉄道」となり、 昭和42年8月1日に「磐梯急行電鉄」 と社名が変更されますが、昭和43年10月14日に会社倒産により営業休止、昭和44年3月27日に全線が廃止となっています。

昨日のエントリの続きです。

 

予讃本線鬼無駅の記念様式の普通入場券は、その後普通入場料金の改訂ごとに、110円券、120円券と日付の印刷された記念発売用、日付の印刷されていない鬼無駅窓口の通年発売用ともに発行されています。

 

昭和59年の節分時の記念発売券です。

 

 

 

 

表面は料金が120円となった以外は、昭和55年の発売初年の券と大きな違いはありませんが、裏面の発行箇所の左側の発売初日の日付と推察される数字の印刷は無くなって、鬼無駅窓口の通年発売用の券と変わりなくなっています。

 

 

 

 

 

昭和59年4月20日に普通入場料金が130円に改訂され、料金改訂後の新料金券は民間外注印刷と見受けられる券に変わっています。

 

料金改訂後の鬼無駅窓口の通年発売用の券です。

 

 

 

 

表面の料金130円の数字のフォントが、高松印刷調製の券とは微妙に異なっています。

 

 

 

 

 

昭和60年の節分時の記念発売券です。

 

 

 

印刷された発行日付のフォントが、冒頭でご紹介いたしました昭和59年の記念発売の券とは全く異なり、「鬼無駅」の表記も「駅」の文字のみ下にズレて印刷されています。

 

 

 

 

 

裏面です。

 

 

注記事項の文字のフォントも、昭和59年の記念発売の券とは微妙に異なっています。

 

昭和60年2月3日の節分から約1ヶ月余り後、昭和60年3月14日に鬼無駅は無人化され、この時に鬼無駅窓口の通年発売用の券は無くなったものと思われ、翌年の昭和61年2月3日の節分の際の記念発売券は未見で、発売のキッカケだったと思われます、徳島本線学駅の地紋入りA型の普通入場券は、学駅無人化後も徳島駅などで発売され、国鉄からJR四国に引き継がれて、現在も「合格祈願きっぷ」として主要駅などで発売が継続されておりますが、鬼無駅の記念様式の普通入場券は、鬼無駅の無人化以降は発売されなくなってしまったのでしょうか?

昭和55年2月4日の日付が印刷されました、予讃本線鬼無駅の普通入場券です。

 

 

 

高松印刷調製の券となります。

 

JNR/こくてつ赤地紋と青地紋が印刷されたA型券で、この券は昭和55年の節分(昭和55年の節分は2月4日だった)から、高松駅などの主要駅で記念発売された券で、赤地紋券は「赤鬼」、青地紋券は「青鬼」を表しており、2枚をセットにして発売されました。

 

 

 

 

 

裏面です。

 

 

発行箇所は「鬼無駅発行」で、その左の「55.-1.31」の記載は記念発売された初日の日付と推察されます。

 

 

 

 

 

こちらは日付が印刷されていない券です。

 

 

 

この記念様式の普通入場券は、鬼無駅では節分時期に限らず通年で発売されたため、鬼無駅の窓口で発行された券には日付の印刷がありません。

 

 

 

 

 

裏面です。

 

 

こちらは通年で発売された券ですので、当然ながら「鬼無駅発行」の左側に発売初日の日付の印刷は無く、横向きに印刷された(1)は循環番号となります。

 

昭和54年1月1日から、当時は80円だった徳島本線学駅の普通入場券をJNR/こくてつ緑地紋のA型券として、受験生のお守りとして発売したのが大好評を博したため、これにあやかって企画されたものと推察されますが、学駅の券の発行箇所は通常発売のB型無地紋の普通入場券と同様に、表面最下段に「学駅発行」と印刷されておりましたが、鬼無駅の券は裏面となっています。

 

 

 

 

 

鬼無駅では、赤地紋券と青地紋券を2枚セットにして、専用の袋に入れて発売しておりました。

 

 

 

 

2つ折りの袋の内側には「地名の由来」、裏側は四国の国鉄路線図となっています。

 

徳島本線学駅では、昭和54年1月1日から普通入場券が緑地紋のA型券となった際に、それまでのB型無地紋の普通入場券の発売は無くなりましたが、学駅では1枚から発売していたのに対し、鬼無駅の地紋入りA型券は2枚セットでの発売であったため、1枚からのバラ売り用にB型無地紋の普通入場券も継続して発売されました。