菅沼天虎の紙屑談義

菅沼天虎の紙屑談義

交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

ビックリマーク本ブログの画像の無断転載は固くお断りいたします。


ビックリマークコメントおよびトラックバックにつきましては、承認制を取らせて戴いております。

スパム防止の為、戴きましたコメントおよびトラックバックにつきましては管理者承認の上で公開しております。お送り戴きましても反映されるまでに少々お時間を戴きますのでご了承願います。なお、記事の内容と全く関係の無いコメントおよびトラックバックにつきましては、公開せずに発見次第削除させて戴きます。


ビックリマークリンク先の一覧について。

サイドバーのブックマークは、15サイトまでしか表示出来ない仕様となっております。
アメブロ以外のリンク先の一覧はこちら からご覧下さい。
アメブロのリンク先につきましては、サイドバーの「お気に入りブログ」からご覧下さい。


ビックリマークこのブログに対するご要望などがございましたら、コメント欄でお知らせ下さい。

ご要望に関するコメントは非公開とさせて戴きます。返信ご希望の方はメールアドレスの付記をお願いいたします。メールアドレスの付記の無い場合は返信いたしかねます。なお、お送り戴きました内容に対するご返信につきましては、誠に勝手ながら当方で必要の有無を判断させて戴きますので悪しからずご了承願います。

また仕事などの都合によりご返信が遅れる場合もございますので、気長にお待ち下されば幸いです。


宗谷本線の南美深駅です。

 

「南美深駅」は昭和31年7月1日に「南美深仮乗降場」として開業し、昭和34年11月1日に正規駅に格上げとなっています。

 

メモリアルチケットマラソンの宗谷本線セットから、「南美深駅」の普通入場券です。

 

 

「南美深駅」も開業から廃止まで終始無人駅で、普通入場券が通常に発売された事は無かったものと考えられます。

宗谷本線北星駅の2回目で、昭和56年7月に名寄駅で発行されました、「名寄から 北星ゆき」の普通乗車券です。

 

 

名寄~北星間の営業キロは13.1kmで、この区間は11km~15kmの運賃帯となりますが、1つ先の智恵文まででも名寄から15.0kmで、北星と同一運賃となるにもかかわらず、「北星 智恵文 間ゆき」と2駅着の券とせずに、「北星ゆき」の単独の口座を置いていた事になります。

去る3月13日のダイヤ改正で営業廃止となった駅をご紹介しておりますが、続きまして宗谷本線の北星駅です。

 

「北星駅」は昭和34年11月1日に開業し、同じ日に開業した「北剣淵」は仮乗降場でしたが、「北星駅」は最初から営業キロが設けられた正規駅として開業しています。

 

メモリアルチケットマラソンの宗谷本線セットから、「北星駅」の普通入場券です。

 

 

「北星駅」は開業から廃止まで終始無人駅で、普通入場券が通常に発売された事は無かったものと考えられます。

昭和54年に宗谷本線士別駅で発行されました、「士別から 下士別ゆき」の普通乗車券です。

 

 

 

士別~下士別間の営業キロは4.4kmとなりますが、士別から4km~10km帯の同一運賃となる着駅は、下士別の他にも多寄(7.8km)、剣淵(8.7km)の2駅が存在するにもかかわらず、3駅着となる矢印式乗車券や「士別から 下士別 多寄 間ゆき」の2駅着の一般式乗車券とはならずに、「下士別ゆき」の券が単独で設備されていた事になり、当時の士別駅では、同一運賃で「下士別ゆき」、「多寄ゆき」、「剣淵ゆき」の3種類の一般式乗車券を設備していたものと考えられます。

発行日の記載がありませんので、廃札券か印刷見本券の可能性もありますが、「◯委 下士別→士別」の普通乗車券です。

 

 

地紋の向きは券を正位に見て垂直方向となっています。

 

2等の表記のある古い券で、2等級制時代には「下士別駅」で簡易委託による乗車券類の発売が行なわれていたものと思われますが、後のモノクラス券や赤地紋券は見た事がありません。

宗谷本線の下士別駅です。

 

「下士別駅」は、「南比布駅」、「北比布駅」と同様に昭和30年12月2日に仮乗降場として開業し、昭和34年11月1日に正規駅に格上げとなっています。

 

メモリアルチケットマラソンの宗谷本線セットから、「下士別駅」の普通入場券です。

 

 

下士別駅でも普通入場券が通常に発売された事は無かったものと考えられます。

続きまして、宗谷本線の北剣淵駅です。

 

「北剣淵駅」は、これまでのエントリでご紹介いたしました「南比布駅」、「北比布駅」、「東六線駅」が仮乗降場から正規駅へ格上げとなった昭和34年11月1日に、「北剣淵仮乗降場」として開業し、国鉄からJR北海道となった昭和62年4月1日に正規駅へ格上げされますが営業キロは設定されず、平成2年3月10日に営業キロが設定されています。

 

このような経緯ですので、「北剣淵駅」は開業以来無人駅で、通常に普通入場券が発売された事は無かったと思われますので、 メモリアルチケットマラソンの宗谷本線セットから、「北剣淵駅」の普通入場券です。

 

 

昨日のエントリでご紹介いたしました剣渕駅発行の乗車券は、剣渕との活字が用いられておりましたが、この券は「北剣淵」と正しいの活字が用いられています。

宗谷本線東六線駅の3回目で、昭和45年12月に剣渕駅で発行されました「剣渕から 東六線ゆき」の普通乗車券です。

 

 

昨日のエントリで申しましたように、昭和44年5月10日から昭和49年9月30日までは、初乗り運賃の30円の適用区間は1km~5kmまでで、3.8kmのこの区間も初乗り運賃の30円で乗車できましたが、昭和49年10月1日に初乗り運賃の30円の適用区間は1km~3kmまでとなり、この区間は4km~5km帯の運賃の適用となって、30円から40円に10円値上げされています。

 

剣淵駅の表記はの文字を用いるのが正当と考えられますが、この券にはの活字が用いられており、剣淵駅の国鉄時代の乗車券や入場券は、殆どがの活字が用いられているように見受けられます。

 

 

 

 

 

券番は2455となります。

 

 

当時は剣淵駅からの上り普通列車8本のうち、「東六線駅」に停車するのは5本だけで、発行日は昭和44年5月10日の運賃改訂から1年7ヶ月余りが経過しており、単純計算では1日あたり4枚~5枚は売れている事になり、運賃改訂直後に暫くは旧運賃券に運賃変更印を押印して継続発売した期間があったとすれば、1日あたりの発売枚数はもっと多かった事になります。

 

当時のダイヤを見ますと、畑の中の「東六線駅」周辺に居住する人が、町役場、郵便局、銀行、商店のある剣淵駅に所用や買い物などで出かける場合、東六線9:13→剣淵9:18/剣淵9:58→東六線10:03、剣淵12:03→東六線12:08や、東六線15:41→剣淵15:46/剣淵16:51→東六線16:56など、剣淵で所用を済まして東六線に戻るのに都合が良いダイヤとなっており、現在のように自家用車の普及が進んでいない時代でしたから、この乗車券は剣淵駅周辺に居住する人が東六線に向かうよりも、「東六線駅」周辺に居住する人が剣淵駅周辺で所用を済ませて、東六線に戻る際に購入した枚数の方が多かったのではないか?と思われます。

宗谷本線東六線駅の2回目で、発行日の記載がありませんが、「◯委 東六線→剣淵」の普通乗車券です。

 

 

簡易委託駅様式の連綴式の軟券で、区間表記はゴム印による押印、運賃はペン書きとなっています。

 

かつては東六線駅でも、簡易委託による乗車券類の発売が行なわれていたものと推察され、東六線~剣淵間の営業キロは3.8kmで、現在では1km~3kmの初乗り運賃区間から外れますが、2等級制からモノクラス制となった昭和44年5月10日から昭和49年9月30日までは、初乗り運賃30円の適用区間は1km~5kmまでであったため、この乗車券は昭和44年5月10日~昭和49年9月30日の間に用いられていた券と考えられます。

 

東六線駅での乗車券類の簡易委託発売が、いつ頃まで行なわれていたのかは不明ですが、後の様式の赤地紋券は見た事がありませんので、恐らくは早い時期に簡易委託発売は終了したものと思われます。

昨日の列車代行バスの運転を持って、日高本線の鵡川~様似間が廃止となりましたが、3月13日のダイヤ改正での廃止駅のエントリの途中ですので、日高本線廃止区間関連の券は、いずれご紹介する予定です。

 

 

宗谷本線の東六線駅です。

 

「東六線駅」も当初は仮乗降場として開業しておりますが、先のエントリでご紹介いたしました「南比布」、「北比布」よりも少し遅れて昭和31年に開業し、正規駅への格上げは「南比布」、「北比布」と同じく、昭和34年11月1日でした。

 

メモリアルチケットマラソンの宗谷本線セットから、「東六線駅」の普通入場券です。

 

 

東六線駅でも普通入場券が通常に発売された事は無かったものと考えられます。