商店街のはずれに、小さな洋菓子店があった。
古びたショーケースの隅に、いつも一匹だけ並んでいる。
チョコレート色の顔、ビスケットの耳、白いクリームのお腹。
たぬきケーキ。
今ではほとんど見かけない。
昔は全国どこの町にもいたらしいが、流行の菓子に押され、静かに姿を消していった。
「これ、なんで“たぬき”なんですか?」
若い手伝いの子が聞くと、店主の老人は少し困ったように笑った。
「約束だからだよ」
「約束?」
「狸とのな」
冗談だと思った。
だが老人は真顔だった。
閉店後、手伝いを終えた頃、老人が店の裏口を開けた。
「見てみるか」
夜の路地には、丸い月明かりが落ちていた。
その光の中に、何匹もの狸がいた。
いや、“いた”というより、並んでいた。
静かに。
まるで店を見守るように。
「戦後すぐ、この辺りは焼け野原だった。食べるものもなかった。だが山から狸たちが芋や木の実を運んできたんだ。人間が飢え死にしないようにな」
老人はぽつりぽつりと話した。
「助けてもらった人間は約束した。“お前たちを忘れない。甘い姿にして、子どもたちに笑顔を渡し続ける”って」
若い手伝いの子は息を呑んだ。
「それが、たぬきケーキ……」
「そうだ。作る店が減るたび、狸も減った」
その時だった。
一匹の狸が、ショーケースをじっと見つめた。
空っぽだった。
今日は売り切れていたのだ。
狸は少しだけ寂しそうに目を伏せた。
老人は小さく舌打ちした。
「しまった。最後の一個、残しておくべきだったな」
すると狸たちは、ふっと輪郭を薄くした。
月の光に溶けるように、静かに消えていく。
「待って!」
若い手伝いの子は思わず叫んだ。
翌日。
その子は友人たちを何人も連れて店に来た。
「これ、“たぬきケーキ”っていうの」
みんな最初は笑った。
古臭い、昭和っぽい、と。
けれど一口食べると、誰もが顔をほころばせた。
「なにこれ、懐かしい味する」
「初めて食べたのに?」
「うん。不思議」
その夜。
店の裏には、久しぶりにたくさんの狸が集まっていた。
老人は目を細めた。
「約束は、まだ続けられそうだな」
月明かりの下、一匹の小さな狸が、嬉しそうにクリームの匂いを吸い込んでいた。
絶滅危惧種。
けれど、本当に消えてしまうのは、ケーキではないのかもしれない。
誰かを忘れない、という人間の気持ちそのものが。



















