反面教師
今朝早く、夢を見て起きた。目は干からびて、喉も痛かった。それは、夢中で泣いていたからだ。
あの夢では、父に殴られて、昔のようにむせび泣いていた。あの頃はもう何年前の事なのに、今にそういう夢を見る事が多い。相変わらず何について喧嘩したかもう忘れてしまったが、激怒してる父の映像は起きても一日中忘れられない。昔はいつも父に虐待されて、泣き虫等と言われたんだ。僕が育ったとつれて叩かれた事が少なくなって、年が経って父の起こった顔を知らず知らず忘れかけた。あの幸福は今朝のように、夢やらふっと浮かぶ記憶やらで偶に乱されてしまう。
親になりたい僕は、自分の児童経験を元にして、全く逆のように子供達を育てたい。あの経験を夢で思い出して、そばに寝ている人を起こす程大声で泣いた事はある僕は、子供を同じように苦しめるつもりはない。僕は背が伸びても、どんなに力強くなっても、今も父が突然身振りで脅される度子供みたいに肩を縮めて、たじろぐ。その所を見ると、父が笑い出す。それは彼の誇りかも。
僕の友達と会ったりする時は、まるで別人のように気取って、必ずいい印象を付けるんだ。彼は、時々僕をごまかす程うまい。確かに、現在父のお陰でお金の事に悩む訳もないし、僕は好きなように生きさせてもらうんだ。米国に着いたばかりの時、父は着ていた服の他に何もなく、僕が生まれた頃も家族は貧乏だった。何となくウォール街で就職して、毎日夜遅くまで家族の為に働き抜いた。週末は、僕と兄を一緒にゴルフに連れて行かせて、日曜日は必ずしも家族の皆と朝ご飯をゆっくり食べることにしていた。
幸せそうだが、あの頃僕は若くて、一生一番叩かれたんだ。父に自転車を乗るのを習わせられた時も、死ぬまで忘れないだろう。生きている限り許せないだろう。それって、断じて悪い事ではないだろう。許せないからこそ、同じ事はすまい。自分の泣き声で起こされる度改めてそう思う。
あの夢では、父に殴られて、昔のようにむせび泣いていた。あの頃はもう何年前の事なのに、今にそういう夢を見る事が多い。相変わらず何について喧嘩したかもう忘れてしまったが、激怒してる父の映像は起きても一日中忘れられない。昔はいつも父に虐待されて、泣き虫等と言われたんだ。僕が育ったとつれて叩かれた事が少なくなって、年が経って父の起こった顔を知らず知らず忘れかけた。あの幸福は今朝のように、夢やらふっと浮かぶ記憶やらで偶に乱されてしまう。
親になりたい僕は、自分の児童経験を元にして、全く逆のように子供達を育てたい。あの経験を夢で思い出して、そばに寝ている人を起こす程大声で泣いた事はある僕は、子供を同じように苦しめるつもりはない。僕は背が伸びても、どんなに力強くなっても、今も父が突然身振りで脅される度子供みたいに肩を縮めて、たじろぐ。その所を見ると、父が笑い出す。それは彼の誇りかも。
僕の友達と会ったりする時は、まるで別人のように気取って、必ずいい印象を付けるんだ。彼は、時々僕をごまかす程うまい。確かに、現在父のお陰でお金の事に悩む訳もないし、僕は好きなように生きさせてもらうんだ。米国に着いたばかりの時、父は着ていた服の他に何もなく、僕が生まれた頃も家族は貧乏だった。何となくウォール街で就職して、毎日夜遅くまで家族の為に働き抜いた。週末は、僕と兄を一緒にゴルフに連れて行かせて、日曜日は必ずしも家族の皆と朝ご飯をゆっくり食べることにしていた。
幸せそうだが、あの頃僕は若くて、一生一番叩かれたんだ。父に自転車を乗るのを習わせられた時も、死ぬまで忘れないだろう。生きている限り許せないだろう。それって、断じて悪い事ではないだろう。許せないからこそ、同じ事はすまい。自分の泣き声で起こされる度改めてそう思う。
復讐の折箱
今学期うちの日本学部が生徒達を日記を綴らせるんだ。記述力を上げて、単語を実践で使うのもいい勉強になれるが、最近大変になってしまった。327も497も537も取っている僕には、ブログに加えて、毎日の出来事から書く事を考え出すのはなかなか難しい。という訳で、497の日記で初めて短編小説みたいな物語を書いてみることにした。前置きを書いたのが早いか、又他のクラスで、期末発表として短編連作をしようと決めた。よくがり勉と呼ばれる僕には、毎日日記三冊、それに初めて書く短編二冊を済ませる程考えつける訳はない。他の宿題も積み重ねている一方で、ゆっくりと書きたかった物語は、徹夜で必死と書くものになっている。鞄に詰め込んだノートは、クラスのプリントやら、提出する宿題やら、または紙屑で日記で述べる考えをぐちゃぐちゃと書いた覚書やらで、はちきれんばかりに詰まっている。不器用な僕は、いつも何を何処に書いたか忘れちゃうんだ。週末そのノートを片付けることにしているが、平日の間に山のように溜まった紙を移すのは面倒臭いし、コートやラップトップと共に地下のラウンジの机の上に置いとく。先日、寮の掃除人に発見されて、隣の寮の遺失物取扱所に動かれてしまった。コートもなく朝早く肌寒い風に降られてあそこまで走り抜いた。どうして勝手に移したかと訊いて、「盗まれる恐れがあったから」と返事した。クラスに遅れさせられて、めちゃくちゃと折箱に積み込まれたノートを見て、「盗んだのはお前らだ!」と叫んだ。所員に「じゃ、もう助けはしないよ」と言われて、「ならばありがたい」って帰った。喧嘩している暇はなかったが、今地下の机の上で、散らかしたノートのそばにあの折箱も置く。
今速読迄もできないけど
最近宿題が多くて、毎日プールに泳げなくなったが、先日から泳ぎ始めたから、体が軽く感じる。今日プールに行っていた最中思わずに走り始めた。強い西日に照らされた凍り付いた道が目を細くさせて、軽快に噴く息が寒い冬の空中に蒸発する。小学校時代に、いつか分からなくなったが、或る日近頃余り話さない友達とトラックに行った。平地みたいに平たくて、目の前に広々伸びていたマッカレン公園のトラックには、健康の為にゆっくり歩いていた老人、痩せようとぶよぶよと走っていた父母達、プロ並みに息を乱さずにすらりと速く走っていた成人、皆同じ平野で走り回った。僕もあの日から走り始めた。最初は一週間一回足が動いてくれた限り走り抜いたが、気に入って、毎日の習慣になってきた。高校に入ってからはトラック部に入って、しかも毎日都心にあった高校迄ジョギングする事にしていた。年が経った僕は、「ハーハー」と走り続けた。息の連続を一定にして、コンクリートを踏んでいた足のインパクトを音楽のテンポと合わせた。いつの間にニューヨークのひどい冬が夏になってきて、ロングアイランドに行った。天文学などの事全然知らなかったが、走りながら頭を上げて、夜空を遊泳していた星の塊を見るのは楽しみだった。
そして昼過ぎの激しい太陽の光に明るくされたのは、自転車の時間だった。LI家の地下の忘れかけた自転車を引き出して、何方を決めてから道が敷設された限り言ってみた。漕ぎにくくて、坂道には大変だった。父が僕が毎日何時間もサイクリングに行く事を見て、スピードバイクを買ってくれた。初めて乗ってから、普通のように力を込めて漕いで見たが、いきなりの速度にびびって転んでしまった。慣れてから、前二時間もかかった道を新しい自転車で乗り通って、一時間もかからなかった。道伝いの景色をトップギアで見て、まるで地球の回転が逆に回っていた。
しかし究極の視界はバイクから見えるものだ。初めてバイクに乗った時は、「転んだら必ず死ぬ」っては頭の中に繰り返していた。一ヶ月の間にマリナの曲がりくねった私立路を運転したが、大騒ぎだったし、文句も多かったし、16歳だったくせに道路に運転し始めた。初めて出て、父が「案内してあげるから俺を三秒ぐらい前に辿って」って言って、いきなり父のホースパワー何倍も高いバイクを滑り出した。僕、私立路から道路に出て、父の背中を追い掛けていた。夕焼けは左にあって、海は右だった。他の車もなかったあの浜伝い道路には、父に後れを取らないようにアクセルを引っ張る一方だった。汗を掻いて、ヘルメットのまびさしが息で潤まれてきた。心配で速度計を調べて、針が90MPHの辺りに揺れていた。父が新しく買ったバイクには大した事なかったかも知れないが、僕の1985で生産が停止されたチェコ製の二輪車には無茶だった。とはいえ、嫌いではなった。なるほどめちゃ興奮だった。暗くなってから、頭上越えていた電灯の光が父の黒いヘルメットを光らせて、バイクの赤いテールライトが、路が曲がっても僕の目に変わりなく映っていた。左の海の水準を見て、真っ黒い水面に月が映って、目を見上げてぼんやりと光っていた星をできるだけ眺めていた。
プールに走ったまま、帰ってもう一度90MPHの景色を見たいと思った。しかし、そう簡単にはいかないだろう。今学期が終わってからは留学の準備で忙しくて、LIに戻る暇はない恐れがある。でもやっぱり、唯再びあの道路で縦横無尽飛び回りたい。
そして昼過ぎの激しい太陽の光に明るくされたのは、自転車の時間だった。LI家の地下の忘れかけた自転車を引き出して、何方を決めてから道が敷設された限り言ってみた。漕ぎにくくて、坂道には大変だった。父が僕が毎日何時間もサイクリングに行く事を見て、スピードバイクを買ってくれた。初めて乗ってから、普通のように力を込めて漕いで見たが、いきなりの速度にびびって転んでしまった。慣れてから、前二時間もかかった道を新しい自転車で乗り通って、一時間もかからなかった。道伝いの景色をトップギアで見て、まるで地球の回転が逆に回っていた。
しかし究極の視界はバイクから見えるものだ。初めてバイクに乗った時は、「転んだら必ず死ぬ」っては頭の中に繰り返していた。一ヶ月の間にマリナの曲がりくねった私立路を運転したが、大騒ぎだったし、文句も多かったし、16歳だったくせに道路に運転し始めた。初めて出て、父が「案内してあげるから俺を三秒ぐらい前に辿って」って言って、いきなり父のホースパワー何倍も高いバイクを滑り出した。僕、私立路から道路に出て、父の背中を追い掛けていた。夕焼けは左にあって、海は右だった。他の車もなかったあの浜伝い道路には、父に後れを取らないようにアクセルを引っ張る一方だった。汗を掻いて、ヘルメットのまびさしが息で潤まれてきた。心配で速度計を調べて、針が90MPHの辺りに揺れていた。父が新しく買ったバイクには大した事なかったかも知れないが、僕の1985で生産が停止されたチェコ製の二輪車には無茶だった。とはいえ、嫌いではなった。なるほどめちゃ興奮だった。暗くなってから、頭上越えていた電灯の光が父の黒いヘルメットを光らせて、バイクの赤いテールライトが、路が曲がっても僕の目に変わりなく映っていた。左の海の水準を見て、真っ黒い水面に月が映って、目を見上げてぼんやりと光っていた星をできるだけ眺めていた。
プールに走ったまま、帰ってもう一度90MPHの景色を見たいと思った。しかし、そう簡単にはいかないだろう。今学期が終わってからは留学の準備で忙しくて、LIに戻る暇はない恐れがある。でもやっぱり、唯再びあの道路で縦横無尽飛び回りたい。
尊皇攘夷
日本語の専攻という暗闇の渦には、純情な善人が吸い込まれる。人間性を広げる為か、日本文化について習う為か、日本人の友達を作る為か、島国根性の日本人にはその理由は無意義だ。
マイケル、タイラー、コリー、ケビン、サッチャーの皆はいい人なんだ。僕、ニューヨークでは冷たくて、三年生になってから高校の後輩をいじめた事は多い。チームに入ったばかりの新米は情熱のない昔の僕を思い出させた。そういう所が嫌いだった。四年生の頃、日本語の勉強の為に部活を辞めて、授業もよくサボった。チームメートに嫌われても、自分の未来の方が大切で、構わないと思った。しかし、周りの人に憎まれて、孤独を痛い程感じさせられてしまった。入学した時は、友人という勉強の邪魔なんか要らないと思いきや、サッチャーに入ってから何かが変わった。友達を一杯作るとつれて、交際嫌い性格もどんどん治ってきた。
先日、日本人の知り合いのサプライズパーティーを行った。話したことは全然ないにもかかわらず、日本人でもアメリカ人でも本人の友達を招いた。パーティーの日は、クラスが終わった途端教室から飛び出して、酒や予約したケーキを買って、何時間準備で忙しかった。あの知り合いはドアを開けてから物凄く驚いて、成功だと思った。買った酒を何本配って、皆と一緒に乾杯した。ピザやケーキを食べている間に、日本人はドアの辺りに群れを成して、友人間日本語で話していた。僕を知らないうちに買った酒を呑みながら、あの部屋で自分の島国を作り出した。なるほど当然だと思った。プレゼントが開いてから、日本人の一人が最後の「誕生日おめでとう」を言って、出かけようとした。それを見て、日本人の皆が早く「おめでとう」を噴き出して、一斉ドアを潜り抜こうとした。無論あの狭いドアを一斉通す訳はなかったが、外人の部屋に残るのを嫌がっていた所為か、先の人を押したりして何となく潜り切れた。僕は呆然とあの群れの苦々しい動きを見て、心に潜んだ孤独を改めて感じた。群れは廊下に零れて、間髪を入れずに日本人の部屋で酒を呑みに行った。外人の部屋はそんなに苦しかったら、来る必要はなかったと思いきや、一匹はドアの間に戻ってきた。先学期橋本先生が行ってくださったカンバセーションテーブルで出会った事はあったから、名前も覚えていた。呑んでいる間に僕に一言も言ってくれなかったから、僕は挨拶をした。彼、僕の顔を正直見てから、何も言わずに誕生日の日本人に向いて話しかけた。
あの部屋に残っていたサッチャーのアメリカ人達は、深く考えなくて、楽しんでいた。僕は、気持を隠してマイケルと話してた。
パーティー三日後、日本人達はもう一度鍵を掛けたドアの後ろに呑んでいた。友人まで呼べるかどうか分からないけど、他の日本人の知り合いが僕の部屋に寄って、パーティーから残ったワインが欲しいと言ってた。僕が呑むつもりはなかったし、日本人の部屋まで届けてあげた。僕を黙殺した奴は、あの部屋にいて、ワインを持って来た僕の姿を見て、ニコニコと話してくれた。ワインをテーブルに置いて、早く出かけた。ドアを閉めたそばから、アイツが「何故『祝われた日本人』はあいつが好きか今更分かってきた」って言って、群れが笑い出した。
今、何故日本語を勉強しているか、再び考えている。言語を勉強する事は辛い事に違いない。タイラーと話して、彼はこう言った。「言語を勉強すると共には尊厳を失う。」今は英語を教えたいと言ってたが、元々コンピューター科学専門のタイラーは立派な人なんだ。何故島国のあいつらの為に自分の尊厳を見捨てるか、僕には全然分からない。マイケルみたいな親切な人の挨拶を返事さえもしないあいつらの為に教える事には意味ないだろう?
日本に行ってからどうなるか分からないが、サッチャーの友達の事を心配してるんだ。確かに皆は、通り一遍のアメリカ人と違うかも知れない。けどその所為で日本人に排斥されるのは、僕の心には違和の響きを鳴らす。マイケル達は話しやすくて、優しくて、いい人なんだ。マイケルは、たとえ呂律が全然回らなくても、たとえ言葉が通じなくても、できるだけ日本語で話し抜くんだ。もし彼の優しい心が日本人に踏み倒されたら、僕はあの島国が絶対に許せない。
今僕は、何故日本語を勉強し始めたかすっかり分からなくなってしまった。他のことを勉強すればよかったのに、今更止めるつもりはない。固執の他に理由もなくても、覚悟はできたから、続くしかない。先学期も言ってた筈だな。「僕の夢や希望は全て、日本にあるんだから。」
マイケル、タイラー、コリー、ケビン、サッチャーの皆はいい人なんだ。僕、ニューヨークでは冷たくて、三年生になってから高校の後輩をいじめた事は多い。チームに入ったばかりの新米は情熱のない昔の僕を思い出させた。そういう所が嫌いだった。四年生の頃、日本語の勉強の為に部活を辞めて、授業もよくサボった。チームメートに嫌われても、自分の未来の方が大切で、構わないと思った。しかし、周りの人に憎まれて、孤独を痛い程感じさせられてしまった。入学した時は、友人という勉強の邪魔なんか要らないと思いきや、サッチャーに入ってから何かが変わった。友達を一杯作るとつれて、交際嫌い性格もどんどん治ってきた。
先日、日本人の知り合いのサプライズパーティーを行った。話したことは全然ないにもかかわらず、日本人でもアメリカ人でも本人の友達を招いた。パーティーの日は、クラスが終わった途端教室から飛び出して、酒や予約したケーキを買って、何時間準備で忙しかった。あの知り合いはドアを開けてから物凄く驚いて、成功だと思った。買った酒を何本配って、皆と一緒に乾杯した。ピザやケーキを食べている間に、日本人はドアの辺りに群れを成して、友人間日本語で話していた。僕を知らないうちに買った酒を呑みながら、あの部屋で自分の島国を作り出した。なるほど当然だと思った。プレゼントが開いてから、日本人の一人が最後の「誕生日おめでとう」を言って、出かけようとした。それを見て、日本人の皆が早く「おめでとう」を噴き出して、一斉ドアを潜り抜こうとした。無論あの狭いドアを一斉通す訳はなかったが、外人の部屋に残るのを嫌がっていた所為か、先の人を押したりして何となく潜り切れた。僕は呆然とあの群れの苦々しい動きを見て、心に潜んだ孤独を改めて感じた。群れは廊下に零れて、間髪を入れずに日本人の部屋で酒を呑みに行った。外人の部屋はそんなに苦しかったら、来る必要はなかったと思いきや、一匹はドアの間に戻ってきた。先学期橋本先生が行ってくださったカンバセーションテーブルで出会った事はあったから、名前も覚えていた。呑んでいる間に僕に一言も言ってくれなかったから、僕は挨拶をした。彼、僕の顔を正直見てから、何も言わずに誕生日の日本人に向いて話しかけた。
あの部屋に残っていたサッチャーのアメリカ人達は、深く考えなくて、楽しんでいた。僕は、気持を隠してマイケルと話してた。
パーティー三日後、日本人達はもう一度鍵を掛けたドアの後ろに呑んでいた。友人まで呼べるかどうか分からないけど、他の日本人の知り合いが僕の部屋に寄って、パーティーから残ったワインが欲しいと言ってた。僕が呑むつもりはなかったし、日本人の部屋まで届けてあげた。僕を黙殺した奴は、あの部屋にいて、ワインを持って来た僕の姿を見て、ニコニコと話してくれた。ワインをテーブルに置いて、早く出かけた。ドアを閉めたそばから、アイツが「何故『祝われた日本人』はあいつが好きか今更分かってきた」って言って、群れが笑い出した。
今、何故日本語を勉強しているか、再び考えている。言語を勉強する事は辛い事に違いない。タイラーと話して、彼はこう言った。「言語を勉強すると共には尊厳を失う。」今は英語を教えたいと言ってたが、元々コンピューター科学専門のタイラーは立派な人なんだ。何故島国のあいつらの為に自分の尊厳を見捨てるか、僕には全然分からない。マイケルみたいな親切な人の挨拶を返事さえもしないあいつらの為に教える事には意味ないだろう?
日本に行ってからどうなるか分からないが、サッチャーの友達の事を心配してるんだ。確かに皆は、通り一遍のアメリカ人と違うかも知れない。けどその所為で日本人に排斥されるのは、僕の心には違和の響きを鳴らす。マイケル達は話しやすくて、優しくて、いい人なんだ。マイケルは、たとえ呂律が全然回らなくても、たとえ言葉が通じなくても、できるだけ日本語で話し抜くんだ。もし彼の優しい心が日本人に踏み倒されたら、僕はあの島国が絶対に許せない。
今僕は、何故日本語を勉強し始めたかすっかり分からなくなってしまった。他のことを勉強すればよかったのに、今更止めるつもりはない。固執の他に理由もなくても、覚悟はできたから、続くしかない。先学期も言ってた筈だな。「僕の夢や希望は全て、日本にあるんだから。」
覚悟
芥川龍之介、1892-1927。同時代の著名な作家に絶賛されても、東大卒の天才執筆者が自殺する程自分の欠点が許せなかった。在学中「新思潮」の同人となり、短編「鼻」を創作してから、短編作品を何冊も作り出した。小説家として優れられない事やら自分の芸術絵の自信喪失やらで、薬物自殺。昔々35年の瞬く間しか生きていなかったのに、現代日本全土流行筆者とほめられている。
一年前、総合日本語と教えようとした教科書シリーズを仕上げてから、ようやく教科書に載った例文の代わりに日本文章を読もうとした。その為、「Breaking into Japanese Literature」という本を買った。米国で出版されたけど、あの本では夏目漱石や芥川龍之介等の人気作家の短編が編集された。あの時初めて芥川龍之介の「鼻」、そして「藪の中」を拝見した。読むのは辛かったが、単語を何度も書き写し、短い物語でも数時間もかかってしまった。
あの頃略一年間後、497の現代文クラスにも537にも再び芥川龍之介の執筆を読むことになっている。今「藪の中」や「鼻」と並行には、「蜘蛛の糸」等の文章は鮮やかに目に写る。しかも537には、読書に加え解析することもある。学期最中入られたのに、僕は昔々読んだのに「藪の中」の抽象的な会話で答えすぎ、先輩達を答えさせるように先生に言われた。今晩は徹夜で、「藪の中」より芥川龍之介の女性観を800字の作文を書く。
この一年の間に、どんな程上達してきたのは明らかに感じる。しかし僕にはまだやりたいことが沢山ある。あの譲れない夢を叶えるのはまだ何年後であるが、もし叶えなくなってしまったら、どうすればいいか全く分からない。そう思って、芥川龍之介の気持が少し解るかも知れない。この儚い命を全てある旅先の為にしたければ、失敗に応じて自殺するしかないことは多い。僕の命も、蝋燭のゆらゆらと輝いている光のように、入学次第に刹那的ではないだろうか。
一年前、総合日本語と教えようとした教科書シリーズを仕上げてから、ようやく教科書に載った例文の代わりに日本文章を読もうとした。その為、「Breaking into Japanese Literature」という本を買った。米国で出版されたけど、あの本では夏目漱石や芥川龍之介等の人気作家の短編が編集された。あの時初めて芥川龍之介の「鼻」、そして「藪の中」を拝見した。読むのは辛かったが、単語を何度も書き写し、短い物語でも数時間もかかってしまった。
あの頃略一年間後、497の現代文クラスにも537にも再び芥川龍之介の執筆を読むことになっている。今「藪の中」や「鼻」と並行には、「蜘蛛の糸」等の文章は鮮やかに目に写る。しかも537には、読書に加え解析することもある。学期最中入られたのに、僕は昔々読んだのに「藪の中」の抽象的な会話で答えすぎ、先輩達を答えさせるように先生に言われた。今晩は徹夜で、「藪の中」より芥川龍之介の女性観を800字の作文を書く。
この一年の間に、どんな程上達してきたのは明らかに感じる。しかし僕にはまだやりたいことが沢山ある。あの譲れない夢を叶えるのはまだ何年後であるが、もし叶えなくなってしまったら、どうすればいいか全く分からない。そう思って、芥川龍之介の気持が少し解るかも知れない。この儚い命を全てある旅先の為にしたければ、失敗に応じて自殺するしかないことは多い。僕の命も、蝋燭のゆらゆらと輝いている光のように、入学次第に刹那的ではないだろうか。