long island sound -50ページ目

京都を望み、京都に臨み、京都からのぞみ

「あぁー 東京はもういい。」

到着の三日後、東京に飽きた親友はつまらない顔をし、さっさと他の所に行きたかった。皇居の中も見えなかったし、東京で他の見たい所もなかったし、新幹線や京都のホテルの予約をした。翌日、ラッシュアワーの新宿駅の辺りの人ごみに囲まれた外人の二人。赤信号の下で待っていたサラリーマンは、横断歩道の向こう側に立っていた怪人を見詰めた。その中の一人は、サラリーマンやOLに挟まった真っ黒い縮れ毛の男だった。周りの人より何センチも背が高く、高層ビルのようにスカイラインから目立った。そして、そのビルの脇には、地味な背広のバックで金髪は、ガラスのビルに光った朝日みたいにあのサラリーマンの目を細くさせた。

三日の服や歯ブラシやカメラは意外と軽かった。混んでいた電車で乗り、背が高すぎる親友は張り出しや取っ手にぶつかられた。一時間早く東京駅に着き、朝ご飯を食べた。気難しい友人は、和食が口に合わなく、来日してからポテトチップスの他に食べなかった。終に新幹線に乗り、窓から見える青空の下の風景を眺めていた。あの光景を見ながらあっという間に3時間が経った。夢を見て起きるように京都に到着した。到着の14時間後家路ののぞみ線伝いの景色は、暗闇に覆われても、僕の目に鮮やかに映る。

京都。この街に行ったことがあると言われば、返事はいつも同じように響く。「きれいでしたよね。金閣寺を見ましたか」とか。しかし僕が見た京都とあのきれいな京都は全然違う。ホテルに着いてから皇宮とかを歩き回ったが、その後は何も見つからなかった。角を何度も曲がっても、団地やコンビニの他になかった。休憩する為に街並みから路地を歩き、中庭にボスの販売機からコーヒーを買い、座った。ちょっと休んでから、目の前に優しい顔のおじさんが現れた。言葉が喉元に引っ張られたのように一言も言えずに、そっと呻きを出し、身振りで「どいてくれませんか」と表していた。後ろを見、小さなお宮の前に座ったのが気付いた。あっと言わせ、僕らが中庭の出入り口に走り、そこから呆然とおじさんの後ろ姿を見ていた。彼がパチンパチンと叩き、深くお辞儀をした。神様、お許し下さい。それを見た途端、天罰から逃げようとした僕らが走り出した。

暗くなったが、まだ帰るわけにはいけなかった。ツアーガイドに述べられた所を見る為に京都に行ったんだ。あの所も見えずに帰るのは、頑固な僕らには許せない。8時にやがって辿り着いたが、家の庭や下水溝の他になかった。ガイドの地図によると、これは「philosopher’s walk」という、見事な大道だ。僕らには、京都といえばこの苦い経験を連想する。そこから当てもなく歩き、道に迷った。等々タクシーに乗り、ホテルに戻った。部屋でコンビニの熱した名前も知らない和食を食べ、友達の顔を見た。小さな部屋を止めどなくじっと見ていた彼は、終にポテトチップスを捨て、いらいらと叫んだ。「この街嫌いだ。大嫌いだ。ガイドブックの京都を見たかったのにこんなことになっちまったんだ。街だけじゃなくて、部屋も小さくて切ないんだよ。明日朝早く帰ろうよ。」

京都駅で新幹線の予約。親切な駅員が、できれば終電が12時に駅を出ると教えてくれた。駅の時計が11時を指していた。駅までの地下鉄が20分かかり、荷物をそろえることもあった。しかし、僕らはもう決定だった。一人が新幹線の切符を買い、一人が地下鉄のを。地下鉄に乗り、ホテルの駅でドアが開いた途端走り出した。トラック部に入った僕は、ジョギング好きでホテルまでハイペースで走り、宿泊の予約を切った。一泊も泊まらなかったのに、結局三日の代表を半分払わせた。部屋に戻り、帰り準備していた間に彼部屋の扉に現れ、息荒くつぶやいた。「ばあさんを他界させるほど驚かせた。」彼は、全然運動なんかしなく、ちょっと走り続けてから肺に粘液が重なり、道を歩いていた老人の前につばを吐き捨てた。びっくりしたばあさんから無理に逃げ、息切れ荷物を集めた。

新幹線の隣席の親友が物凄く疲れ、僕が真っ黒の外を眺めていた間起きなかった。新幹線を降り、終電の地下鉄に乗った。駅員の「おやすみなさい」は耳に触れ、ホテルの27階のベッドに転がったそばから眠った。

MIJ

「ほら、ショーウィンドーや広告塔をよく見ろ。モデルの奴は皆外国人だ。おかしいんじゃない?まるでこの国全土自己嫌悪に陥ったようだ。外タレだけじゃないよな。日本人の音楽者や有名人も、自分の髪の毛が嫌いで、焦げるほどパームを掛けたり染めたりするんだ。」

販売機から紅茶を出し、彼が言ったことを確かめるように周囲を検討していた。向こう側のビルの広告塔に写されたブラピのクールな顔を見詰めた。目を下ろし、店のウィンドーのポスターを見た。メークされた欧州人の冷たそうな目は日本を見たことがないはずだと思った。昨夜ホテルのテレビで見たコンサートも思い出した。英語の歌詞を歌っていた縮れ毛の二人の女で笑った。どんなほど元の直毛を傷めたんだろう。どうしてそこまで自分の生まれに逆らおうとする?

SMAPというバンドのポスターの言葉から。「Japanese players are exciting the fans in the world’s top soccer leagues and making a stir in Major league baseball. One on the world’s top fashion brands recently worked with a Japanese artist. We can’t forget the Japanese who are making their mark in movies, music, and architecture. Has there ever been such a time when so many Japanese have made such a positive impact in the world at one time? Nowadays, Japan is experiencing tough times. People seem to have lost their energy. However, this is a truly amazing time for Japanese. Don’t you feel good to be living as a Japanese in such a wonderful age? We should be encouraged by their achievements and feel a little proud of ourselves.」

国自慢をもたらしたらいいと思うんだが、ポスターに述べられたインパクトって何だろう?米国に移動し、メジャーリーグという外国の組織に入ったイチロと松井の何が偉大だろうか。野球やファッション等の事は、外国の気まぐれに立脚している。それは誇りになれない。

80年代には、バブルのお陰で世界中の人々の視線は日本に向かっていた。日本の経済、そして社会や文化の英書が何冊も出版した。鎖国から飛び出した日本というモンスターは、興味深い過去も流行のポップカルチャーを持っていた。バブルが崩壊してからというもの日本に興味が無くなったと思われるが、実際今もアメリカで草の根運動の革命が発生している。

1998年、日本のポケットモンスターというアニメがゲームボーイのゲームと共にアメリカで封切った。まるで堰を切ったようにおもちゃや音楽や英訳された番組がアメリカに殺到した。現在、アメリカのコミックブック出版社はほとんど皆倒産し、テレビネットワークは日本の番組の放送権を必死に求めている。アニメ(つまり、日本のアニメーション)やマンガは世界に通用する日本語になった。そして米国人の若者の意識下に、伝承された日本の印象が潜んでいる。その若者によって、国として日本の価値はアニメに過ぎないんだろう。

日本は将軍や大名に支配され、古来の文化にあふれた孤立の島国の基本から、世界的なG8の平和国に進化した。第二次大戦で敗北し、戦後30年間が経ったうちにこんなに早く頂上に登るのは凄いんじゃないか。それより野球選手や大衆文化等の事の方が大切だと思うのは大間違いだ。

記念日

最初の記事を書いてから一ヶ月が経ったようだ。毎日様々な考えをいい加減に載せ、昔の事を覚えたり将来について考えたりすることに慣れた。時々全然通じてないが、誰も分かってくれなくても毎日記事を書き、アップするのが好きだから綴り続けるつもりだ。UMASSの春学期、春休み、夏の来日、受験生の日々、京都外大の留学、今年登録することはどのようになるだろうか。

マイジャパン

「日本って、お前のジオンだな。日本語の勉強で一年間もつぶされて、期待に応えなければどうする?」
「さあー 自殺かなぁー」って笑った。

空港に着いた朝の眩しい太陽に照らされた待合室に座り、大きい窓から見えるアメリカを眺めた。両者の両親を騙したり、数え切れない嘘をついたりし、やがって空港に辿り着いた。荷物に詰め込んだ服と共に辞書もあった。二ヶ月前から慎ましく準備していたので、飛行機はニューヨークから日本に無着陸飛行で、ホテルは京王プラザというJR新宿西口下車から徒歩5分だった。結構安かったし、素敵だった。

しかしどんなに素敵でも、あの12時間以上の飛揚はまるで地獄だ。終に降りてからこの外人の片言で税関を通過し、ホテルバスを探した。自動販売機からジュースを買い、ヨーグルトみたいなものが入っていてびっくりした。

バスの窓から同じ眩しい太陽を見た。東京までの風景は満目グラスや鉄のビルだった。

「ハハ、何だよこれ。これって日本か?古来の寺とか、歴史に磨かれた大和魂はこういうもんか?」

ちょっと失礼だったかも知れないが、彼の言っている事は完全に間違ってはいないだろう。確かに、日本でもその見方があるそうだ。その歴史から迷ったり民族の誇りを失ったりする日本は、これからどうなるか。日本文化に興味はない僕には関係じゃあるまいし、何も返事しなかった。僕は、国自慢等の事を考えるよりも、自分の幸せを追い求めたい。それに、国や名所だけではなくて、生まれ、価値観、信ずるもの、言葉、その様々に違うものから国籍という事が生まれてくるのであろう。ポーランド人の僕はそう思う。ポーランドという国は、時々正式な国として存在しなかったり、戦争に破ったりしても国語や習慣を守ってからというもの何度も再生した。そして、あの国語や習慣を見捨てた僕は、まるで外国人になってしまった。近所の店の人とか隣の人とか、親戚までも話し合えなくなってから、余計者と思われる気がする。あの店の人達と交流できなくなり、英語が分かる店に行き始めた。そのようにだんだん離れ、ビルや人が若い頃と同じでも全然違うと感じる。言葉って、意外と大切な事であろう。

ホテルに着き、荷物を床に残し、周囲を窺いに行ってきた。あの夜空の下に公園、駆け回った人達、本屋、自動販売機、どんなに平凡でも僕の目に鮮やかに映られた。あの夜、東京のスカイラインを見下ろす27階の部屋で眠れなかった。

発進準備

「お父様、日本に行かせて。」
「ダメだ。」

2003年の秋。家の前の木は毎年と同じように落葉し、毎日高校に通ったり机の上に開きっぱなしの日本語の教科書を無視したりしてた。先日送られた日本語SATII(米国大学入学共通試験)結果の手紙は、先週の高校の忘れかけた宿題のそばに床に落ちていた。携帯は、数週間前切れたのに充電する気もなかった。週末LIに行ってきたが、その凍結した世界を何度も回ったのに戯れなかった。来る冬休みに計画はなかったが、両親は若いまま海外旅行に行くべきだと言われた。チャンス。

両親と一緒に行く予定だったから、日本は不可能だと思った。日本は下らないアジアの島国と思ったから、両親に一度も僕の日本語の勉強の事を教えなかった。部屋に積み重ねた教科書が、かぎを掛けた引き出しに隠れておいた。

LIから帰っていた日曜日の車。大抵イヤホンで発信されたTMRevolutionが父に聞かれないように静かにし、窓から見える風景を黙って見たが、今度用事があったので耳を澄まし、待っていた。助手席から見えた父の顔を見詰め、16年の経験から学んだことを込め、表情を検討した。そして要請を、取り戻せない爆弾のように下ろした。

BDAが報じられ、予想通りの断りで撤退させられた。「戦争は勝て終わらねば意味がない。」将軍と政治家の違いが消えてゆくこの時代に、直接の攻撃が失敗すれば、銃を持っていた軍人は間髪を入れず外交官になれる。何よりも、冷静に自分の勝ちを信じなければいけない。全景を窺って、現状を確認した。この敗北から父に馬鹿と思われた。そして、漏れた情報は「日本に興味がありそうだ」という事だ。それを静めるようにし、母と父の交流を成り上げる。期限は二ヶ月とあって、旅行会社と接触し始めた。

一週間が経って、都合がよくなってきた。それで、交渉決裂。「外国に行きたかったら、誰かと一緒に行かなければならない。」母の条件から問題が現れてしまった。無論家族は駄目だった。仲がいい兄であれ、人見知りで、毎日4,5時まで寝がちものだから連れて行くのは面倒臭そうだった。知り合いの中から僕が一週間まで我慢できる奴はいない。高校の独立心の親友も駄目だと思った。放課後5分も相手を待ってくれない僕らの関係は無理に決まったと思いきや、クラス中招いた。今も彼の返事が聞こえる。

「Ok. I have nothing better to do.」