発進準備 | long island sound

発進準備

「お父様、日本に行かせて。」
「ダメだ。」

2003年の秋。家の前の木は毎年と同じように落葉し、毎日高校に通ったり机の上に開きっぱなしの日本語の教科書を無視したりしてた。先日送られた日本語SATII(米国大学入学共通試験)結果の手紙は、先週の高校の忘れかけた宿題のそばに床に落ちていた。携帯は、数週間前切れたのに充電する気もなかった。週末LIに行ってきたが、その凍結した世界を何度も回ったのに戯れなかった。来る冬休みに計画はなかったが、両親は若いまま海外旅行に行くべきだと言われた。チャンス。

両親と一緒に行く予定だったから、日本は不可能だと思った。日本は下らないアジアの島国と思ったから、両親に一度も僕の日本語の勉強の事を教えなかった。部屋に積み重ねた教科書が、かぎを掛けた引き出しに隠れておいた。

LIから帰っていた日曜日の車。大抵イヤホンで発信されたTMRevolutionが父に聞かれないように静かにし、窓から見える風景を黙って見たが、今度用事があったので耳を澄まし、待っていた。助手席から見えた父の顔を見詰め、16年の経験から学んだことを込め、表情を検討した。そして要請を、取り戻せない爆弾のように下ろした。

BDAが報じられ、予想通りの断りで撤退させられた。「戦争は勝て終わらねば意味がない。」将軍と政治家の違いが消えてゆくこの時代に、直接の攻撃が失敗すれば、銃を持っていた軍人は間髪を入れず外交官になれる。何よりも、冷静に自分の勝ちを信じなければいけない。全景を窺って、現状を確認した。この敗北から父に馬鹿と思われた。そして、漏れた情報は「日本に興味がありそうだ」という事だ。それを静めるようにし、母と父の交流を成り上げる。期限は二ヶ月とあって、旅行会社と接触し始めた。

一週間が経って、都合がよくなってきた。それで、交渉決裂。「外国に行きたかったら、誰かと一緒に行かなければならない。」母の条件から問題が現れてしまった。無論家族は駄目だった。仲がいい兄であれ、人見知りで、毎日4,5時まで寝がちものだから連れて行くのは面倒臭そうだった。知り合いの中から僕が一週間まで我慢できる奴はいない。高校の独立心の親友も駄目だと思った。放課後5分も相手を待ってくれない僕らの関係は無理に決まったと思いきや、クラス中招いた。今も彼の返事が聞こえる。

「Ok. I have nothing better to do.」