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まとまりのない朝の記事


umass morning


5時半ごろ目が覚めた。重ね着した服が汗まみれで、青白い肌にくっついていた。先日引いた風邪が昨夜ついひどくなって、徹夜の最中にたえずに咳が出てたまらなくて、早く寝た。手術で弱くなった体がふらふらして、勉強しようにもできなくて、日程上また後れをとってしまった。


今朝起きて、どきっとした。沈黙だった。キーボードの叩きも咳も、勉強の傍らに聴く音楽も自分の考えもなかった。そのまましばらくベッドで外を眺めた。


テスト時間は5月13日、1時。今から5日。その日は冬休みから戻ってきてからというもの、今学期の勉強の結果が明らかになる。ライバルの人たちは皆卒業準備や期末試験で忙しくて、僕の他には誰も参加しない。仕方がない。それに僕も、全く知らない人と競争するのは馬鹿みたいと思い始めた。何といっても僕は自分自身の為に勉強する。


後5日だ。正確に言うと、5日6時間57分、つまり127時間ぐらい残っている。


心配だ。やっぱり心配だ。遅れている。文法の問題対策なら試験まで遣り遂げられるけど、漢字の勉強はとても間に合いそうもない。やっぱりテストの日までに漢字の勉強を終えることができなくて、日本でも少し勉強しなければ常用漢字を全て覚えきれないようだ。受験参考書に目を通して、分からないのは後200字だと分かった。もしその字を5日で覚えようとしたら、各日40字となる。それはまあできるかもしれないけど、実はそんなに簡単にはいかない。何故かというと、僕はその本を使い始めたからずうっと本の工夫に従わずに、音読みも訓読みも同時に習った。でもその本は音読みと訓読みを別にして同じ漢字を二度と繰り返す。昨日その本の第17課を勉強した。そしてその本には僕はまだ習っていない漢字を、残っている13課に通じて教える工夫だ。何といっても5日で13課も勉強するのは無理だ。最後まで本のレッスンを遣り遂げたいけど、これからどう勉強するかはまだ分からない。


少しずつ外で夜が明けた。

めんそーれー


okinawa

あてぃねらん願いや
夜に渡海星ないさ
かぬしゃまぬ笛ぬ音
満天ぬ星よ


さんざめく天河
星晴りてぃ流り船
かぬしゃまぬ笛む音
満天ぬ星よ


天響む星々や島照らし
かながなとぅ美ら節や里照らし
我ん心ぬ底や満天ぬ星よ


島横なてぃ天河
はいはてぃてぃ流り船
ぬくぬくとぅ思いや
満天ぬ星よ


天響む星々や島照らし
かながなとぅ美ら節や里照らし
我ん心ぬ底や満天ぬ星よ 満天ぬ星よ


沖縄に一度行ってみたい。夏川りみという沖縄出身の歌手の素敵な歌を聴く度はいつもそう思う。夏川りみの朗らか声をきっかけとして沖縄、そして沖縄の言葉に興味深く考え始めた。そこで大自然に飛び込んで、体と心を鍛えたい。武道は苦手な僕がいつももっと強くなりたいと思っても、時間も指導もなくて機会もない。しかし沖縄に行って、広々と軽快な波、潮風に揺らいでいるヤシを見晴らす道場で、汗まみれのままで体を健やかにする。特にこの頃見たいに運動は全然できなくて、高校時代のように元気はなくなった。


そして武道を巡る空想はともかく、一番沖縄が気になる理由とは琉球語はすごくきれいに響くから、習えるものなら聴いて理解できるようになりたい。何となく僕の耳には中国語のように聞こえる―中国語を勉強したことはないけど。でもそう思って、習おうと思った中国語に改めて興味が深まった。中国語での曲は、もし歌詞が少しでも分かるとすれば、すごく好きになる筈だ。確かに琉球語は中国語のように通用されている言語であるわけじゃあるまいし、習う機会もあまりなければ価値もないんだけど、習う気は随分ある。


しかし沖縄ときたら、米軍の基地もあるし、外国人が多すぎるあまり、僕が好きな自然な風景はどんどん滅びているそうだ。琉球語も少しずつなくなっているし、このままじゃ僕の空想上の沖縄はもうすぐこの世から消えてしまう。日本とアメリカの観光者の催し物になっているとあって、その地方の文化は消えてしまう。僕の若い頃、こんなことにはまあ別に問題がないと思って、どうせ様々な言語がなくなるに伴って国際的にコミュニケーションも少しずつ簡単になるので、何も違和感もない筈だったが、いつの間にか言語学者の心を持ち始めた今の僕はその言語が廃れてしまうのをいかにも嫌がる。


琉球語ばかりか、この頃彦根での留学の準備として関西弁を勉強しているし、つい面倒臭いと思った日本の様々な方言をつい面白く思い始めた。関西弁、東北弁、その他は幾つかもあって、時間さえあれば日本全土の言葉を習いたい。方言ばかりでなく、世界中の言葉を知りたい。勿論世界中、数え切れないほどもある言語を全て習えるわけはないんだが、習えるだけマスターしたい。しかしそれは、その言語の存在次第だ。若者として思ったこととの一変をして、突然言語は沢山存在すればするほどよく思うようになった。


琉球語の入門はこちらです。

僕たちの行方


destiny


そろそろ学期末だ。日本語能力試験の模擬試験を受けるまでは9日しか残ってない。そして期末プロジェクト等を仕上げてから、一週間ぐらいNYに帰って、その後は日本に行く。僕がこの国に居る最後の三週間になる。そしてそれ以降再びアメリカ帰るかどうかさえも僕ながらも分からない。積極的な性格で、その上は未来について考えるのが結構好きだから、いつも10年間後の計画に没頭した。しかし最近、子どもの頃以来初めて、僕の人生は一体どこに向かっているか分からない。


日本語を勉強し始めた時から、最初から英語を教えるつもりだった。しかしそれは日本語メジャーの通り一遍の就職で、それに日本語も必要としていない。同僚の志望を聴くに伴って、少しずつ英語を教える気が薄まった。何と言っても教えるということ、そしてそれより英語という言語があまり好きじゃない。嫌いでもないけど、一生その分野に勤める気にはとてもならない。そう思って、上智大学でやりがいのある学科を勉強しようと決心した。その決心と共に、何故日本語を勉強しているかと、改めて反省した。


殊に何で日本に決めて、そして僕の一生をその一国の国境に限ることにしたかと、この頃分からなくなってしまった。最近中国、朝鮮、タイにも興味を持ち始めた。そして高校で習ったフランス語を鍛えたいと強く感じる。確かに日本に住みたい気持はまだ山々だが、早婚と退屈な日々を志していた高校時代の僕とは違って、職場に励んで、立派な立場まで上昇したい。人生の基本の希望はまだ幸せな結婚と子どもと、尊敬に値する職と、その2つを平行に追い求めたい。


そう思って、日本に行く。生まれてから約18年間を通して、この国で育ててきた。後悔は殆どない。しかし功業もない。これから創る―日本では幕は上がる。僕はどんな人になるか、誰とどこへ歩むか、最後に辿りつく場所は誰もわからない。

だから、だからこそ面白いのだよ。


繋がり

一人って怖いな。分からなくなってしまった、本当に。そして知人との関係を断つとは逃げるんだけじゃないかな。どこに逃げたっていつも同じ嫌な僕と遭う。省みると、中学校の卒業後から逃げてばかりいる。日本に行くのもその逃避的な性癖の一つの行為だろう。アメリカとの繋がりを抱えずに、生まれ変わるように日本に避難して新しく行き始まるつもりだった。大学に入学して、いろいろ友達を作って、その計画と対立している。友達って必ず嫌なわけではないけど、なんとなく決心が緩まって誤った気がする。


どうすりゃいいか全く分からない。

本性

僕は若い。若くて馬鹿で、他人を傷付ける。わがままでそれしかできない。この僕は他人に何も上げられなくて、何も与えられない。でも自分自身それが分かっても人々を傷付け続ける。傷付けて傷付けて、空しい人生に何か意義をつけようとする。しかしその意義とはいつも自ら作り出す虚偽のものだ。どんなにその性癖を変えようにも変えられなくて、反省しようとしても止むを得ない。それは、僕が子どもだからだ。


「僕若くて、大人の世界には手を出すんじゃない。独りで居りゃいいんだ。それで誰も傷付けられないからだね。そしてそのまま、一歩一歩、自らこの空しい人生を送る価値を作るんだ。」時々僕はそう思う。しかしそれは意外と難しくて、その代わりに友達や恋人との関係やら勉強に没頭して、精神的な欠点を忘れようとして繕おうとする。しかし誰かを傷付けてしまうとその欠点が明らかになる。


先日もう一度自分を変えようとした。一生の前例に反して、その一つの欠点を改良しようとした。


でも失敗した。今更無駄だったと気付いた。本性はほんの少しでも変わらなかった気がする。そして、また誰かを傷付けてしまった。


疲れている。もう誰も傷付けたくない、例え知り合いの皆との関係を断たなければいけなくても。唯この空しい人生を一人ぼっちで潰したい。