long island sound -17ページ目

almost sunday

通勤がてらの読書は楽しくて目が覚める。静かに眠っている街の下を通り抜ける浦和美園行きの中で、ページを捲り続ける。最初は半分義務的な気持ちで読んでいた日本の小説は、最近どんどん面白くなり、電車の中であろうが昼休みであろうが読む気が自然と湧いてくる。読んでいるうちに眠くなる頃に引き換え、一晩中ホールを巡回して疲れていても降りる駅に近づくことが惜しくなるほど次の章、次のページ、次の段落を読みたがっている自分に、正直驚くのだ。来週引越しをすると、通勤が長くなるのを楽しみにしているぐらいだ。


最近俺は、自分がなりたい人になりかかっているような気がする。まだまだこれからだけど、少なくとも行きたいところを、遠くからだとしても、確実に見つめていると思う。夢でしか見たことのない光景を水彩画のカンバスに再現しようとしている画家のように。理想があることだけが確かだが、それを貫こうとすると筆を握る手の指の間からなにか大事なものがぽろぽろ零れ落ちてしまう。何度も何度も挫折してはカンバスを棄ててしまい、再び一からやり直す。俺は頭の中で漠然としたイメージを描いて見せようと、今までそのように繰り返して振り出しに戻り続けてきた。恐る恐る白紙に色彩を加え、望み通りに行かなかったら二度と振り返らずにその絵を投げ出し続けた。しかし今は違う。カンバスと向き合い、俺は自分の理想を描いてみせる。多少間違えたりはするかもしれないが、人生には「完成品」もなければ「失敗作」もない。ただ何かを目掛けて描き続けるしかないのだ。

月経

相変わらずアルバイトから大通りに出て、六本木一丁目駅を目掛けて歩き出した。あの人が出てくるんじゃないかと思って参加した飲み会から六本木に直行したので、愛用している厚いコートではなく、薄いジャケットだけを着ていて、風から回復したばかりの身体を酷寒に晒してしまった。帰る前にはまず四ッ谷に寄って家庭教師に会う予定だった。遠い地平線から堂々と聳える東京タワーをいつものように見上げたら、明かりが点いていなくて赤い灯りだけが所々点滅していた。ネオンの電飾と街頭が放った光以外、夜明け前だったあの時の六本木は真っ暗だったと感じた。


今週はついていない。これからもバイトだからそう決め付けてはいけないかもしれないが、本当にもう駄目だ。火曜日の辺りからそう決め込み、寝坊して授業で眠ったり、欠席したりしてしまった。毎日気合を入れ直して頑張ろうとやってみたが、目覚まし時計が鳴らなかったり忘れ物をしたりといったなんだかの事情で失敗の連続だった。アルバイトにもへたへたになり、いつも通りの作業に非常に疲れていた。日本語も普段より下手で、自信がない。大体口は思う通り動いてはくれないのだ。


授業だけで十分大変なのにアルバイトまでして無理だとか、必ずしもそういうわけではない。俺は大抵木金土しか働かないし、その日は寝る時間がちゃんと用意されている。問題は平日でも夜遅くまでパソコンで映画を観たり色々なことを書いたりし、授業で目を開けていられなくなってしまうのだ。


とにかく明日一日はなんの予定もない完全な休日だから、少し身体を休めてリラックスしよう。

結晶


12.09 王子駅が輝く

俺の近所は美しくてたまらない。火曜日から深夜のジョギングを再開し、今までと違う方向に走ってみた。巨大な架道橋を辿り、街頭が放つオレンジ色の光に染められた、手入れの行き届いた広い歩道を走る。人が少なく、滑走路のように広すぎる道の上を踏み鳴らし、気持ちが舞い上がる。素敵な夜景ばかりか、今日バイト帰りに俺を迎えてくれた、王子駅を照らし出した日の出も素晴らしかった。何故俺がこんな素敵なところから離れなければいけないのに、見渡す限り堂々と広がっている街を見下ろす窓よりテレビのニュースに目を傾けてばかりいるホストファミリーが市民権を与えられたのか?



12.09 大木

ホストファミリーが出す料理は、日毎に不味くなっていく。

メープル夕日

火曜日授業から抜け出し、新宿の紀伊国屋に行った。通学しながら読んでいた村上龍の「ストレンジ・デイズ」をやっと読み終えてしまったので、文庫本を買いに行ってきた。実は部屋の本棚に、まだ読んでいない本が数冊並んでいるが、どれも友達に勧めてもらったものとか、元彼女が好きだったものとか、随分軽い気持ちで買ったもので、読む気にはならない。一冊を読み終えるだけで1、2週間もかかることが多い俺には、何かを読みかけて興味を失って止めることだって少なくない。一方、気に入ったら2、3日で最後まで読んでしまう本もある。


では、一ヶ月にわたってのろのろと読む本と、電車から降りてもホームで立ち読みする、俺を魅了する本とはどう違うか。勿論ストーリーと作家の執筆によるが、本そのものの工夫が意外と重要であると、この間気づいた。ページの枚数、フォントと段落の間隔、各ページにおける余白の面積とかによって本の与える印象が大部違ってくると思う。「ストレンジ・デイズ」を手に取り、太い活字がびっしり詰まったページを捲ってみると、やる気がなくなってまたコートのポケットに突っ込んでしまったことが多かったのに対して、華奢な細字と広々とした余白からなる村山由佳の「天使の卵」は、なんとなく落ち着いた感じがして、とても読みやすいと思った。この二冊が内容的に極端に違うからそんなのは当たり前かもしれないし、例外的なケースは数多くあるけど、俺は出版社と編集者によって好き嫌いを決める傾向が多少あるに違いない。


あれ?もしかしてそれは、俺が浅い人間だということを指しているのでは?

雪と水仙

明日近所の映画館で「ALWAYS 三丁目の夕日」を観てから、帰っている最中に涙を拭き取るように眼鏡を外そうとしたら、手袋をはめていたのでグリップがなくて、つい落としてしまった。拾い上げて泥を払うと、左のレンズに罅が入っていたことに気づいた。


また引っ越さなければいけないようだ。19日まで荷物を纏めて家を出るように言われた。国際交流センターの先生によると、オカアサンが暫く入院するから俺の世話をすることが無理だそうだ。日本に来てから、引っ越すのはこれで6回目だ。


ホストファミリーからまだ何も聞いていない。オカアサンが病気で、そして胃に発生した腫瘍がその原因であることは前から知っていた。数週間前CTスキャンを受けに病院に行ったが、その結果については俺に教えてくれなかった。俺だって自分の病気について話させたくなかったが、病院から戻ったあの夜のオカアサンの顔を見たら、彼女に死刑が渡されたことがすぐに分かった。あの日から彼女の顔色がどんどん悪くなり、虚ろな目には元気がなくなった。それから朝ご飯はオトウサンが代わりに作ってくれるようになった。そのオトウサンから、朝目覚める時は胸が苦しくて起きられないオカアサンの話を何度も聴いた。彼は、同じ話を何度も繰り返す癖がある。


昨日オカアサンが、腫瘍の検査を受けにもう一度病院に出かけた。そしてその夜、俺が帰ったら、国際交流センターの先生に相談してと、彼女に言われた。あの時大体のことを把握していたが、その先生に会って話したら、リョウシンが具体的な日付を締め切りとして指摘したと初めて聴いた。そんなことは言いづらいのが分かっているけど、直接に教えてくれなかったことで傷づいた。先程の夕飯では、俺が家からでなければいけないことが話題に浮かばなかった。


これから寮に住むようになるか、それとも上智が提供してくれる、別のホストファミリーの家に引っ越すかの選択があったが、俺は寮生活を選んだ。それを聞いたら先生が少し驚いた。しかし、ホームステイ生活に失望したことをさておいても、深夜六本木でアルバイトをしていることを考えると、それを認めてくれるようなホストファミリーはまずいない。つまり、アルバイトを辞めない限り、本当は寮を選ばざるを得ないということだ。


一応この人たちとうまくやっていくように努力するつもりだったので、それができなくて残念だと思う。