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信条って言えば

何かがオモイデになったら、存在しなかったことと同然だ。疚しいことや悲しいこと、それを思い出すことがなくなる時点ではその気持ちから開放され得る。ポイ捨てみたいなものだ。溝の中に放り込むゴミは、その場で自分の人生から突き放す。一日も経っていないうちに簡単に忘れられるゴミ。


世界の一隅で起きたことは、他の一隅では知られざるオモイデでしかない。後にした人々は、僕が思い出さなかったら存在していたこと自体を否定できる。彼らを泣かせたことも怒らせたことも当然オモイデになる。


新しい人生を始めることは、ごく簡単なものだ。どうもはじめまして。そこからは全く自由だ。勿論人を困らせることや欺くことも自由だ。ヤバくなったら逃げるが良い。

煙が出たぞ

門限の寸前に寮を出かけて近くの漫画喫茶店に行った。今度はきちんと外泊届けを出した。まあ、僕にとっては「きちん」って感じがしたけど。


住所といった欄に「この辺のお店。住所は知りません。」と書いてやった。電話番号の欄の真ん中にはただ「?」と。部活動でもなければ友達の家で泊まるわけでもなかったので、「その他」に丸をつけて「娯楽」と書いた。適当に記入したように見えるけど僕にしては結構気を遣ったもんだ、と片腕で額に滲んだ汗を拭きながら自分に言い聞かせた。


最近は出来るだけ沢山のメディアに触れようとしている。小説、漫画、映画、音楽、凄まじい勢いで手に入れられるもの全部を吸収している。寮の食堂で食事をする間はずっとテレビを見張っている。


若い間は面白がるけど吸収し続けたらいつかは飽和点に至り、何でもかんでも同じように見えてくると、親父がこの間メールで言った。親父は若い頃よくおふくろと一緒に映画祭に行ったりしていたらしい。


つい最近まで本や映画には全然興味がなかった僕はまだまだ始まってもいないような気がするからいつかは飽きてしまうことはないだろうと思う。本なら最初は多少勉強の為に読んでいたが最近は趣味のようになってきた。音読とかはしないからいくら読んでも多分何の役には立ってないだろうな。


ただ読む速度が確実に上がったことは瞭然だ。本に出てくる本好きな人物はいつも「二日に一冊」とか、大体その程度の速さで読んでいると書かれているが、僕はまだそこまでではないにせよ、少なくとも一週間に一冊というペースぐらいだろう。一応「ニート」は今日読み終えるつもりだ。


昨日丸善で本棚の間を歩きながらもう少し自分の趣味を分析してみた。単純な僕は、主人公と共感できなければ話にはあまり乗らないから、本を選ぶ際にはまずそれをチェックするのがポイントだ。男女を問わず、とにかく主人公が自分の年齢に近ければ近いほどいいが、短編だと様々な語り手があって厄介なものだ。短編はできるだけ避けたほうがいいと思いきや、結局「ニート」を選んだのだ。実は買ったときはこれは短編小説だということは知らなかった。今まで読んできたところ相当面白いから大丈夫だけど、これからは少し注意をするべきかもしれない。

指輪   下

近所のドトールに入り、「ニート」を読み始めた。この本を買ったのは、表紙に書かれていた抜粋に惹かれたからである。紀伊国屋の窓でそれを読んだ時は何とも思わなかったけど、月曜日は何度もその台詞を思い出した。


「どうでもいいって言ったら、この世の中本当に何もかもどうでもいいわけで、それがキミの思想そのものでもあった。」


僕は四年前、漫画で東京大学の時計台の絵を見てからというもの、いつかはあの時計台の下に行くのだと決めていた。それは日本語を勉強し始めた理由の一つでもあり、今まで上手になる気を起こさせ続けた刺激でもある。


上智ではもう、僕の居場所がない。


何かを期待しては必ず失望してしまう。

大学に入れば。

彼女がいてくれれば。

日本に行けば。

上京すれば。

オトナになったら。

言い訳を作り続けた18年間の人生。


東大に行けば。


本当はどうでもいいことのはずなのに。

指輪   上

お馴染みの中央線のオレンジ色の列車に乗り、学校からいつもと違う方向へ、東京へ向かった。西洋政治史の期末試験に出る唯一の問の解答を書くべく上智の図書館に行ったが、パソコンを机の上で乗っけて起動してから何を書けばいいか分からずに途方に暮れた。暫く画面を睨み続けてから、また立ち上がって参考文献を買いに丸善に行くことにした。新宿の紀伊国屋の方は近いけど、教科書なら丸善の方はセレクションが良い。実際に書くことを出来るだけ避けたかったのも遠い方を選んだ一つの理由だったことは否めない。


「幸福ロケット」はそろそろ読み終わったので、次の小説を買っておいた。今度読むのは糸山明子の最新作「ニート」という短編小説である。ベストセラーでこの間紀伊国屋のウインドウを眺めていた時もそこに陳列されていたが、タイトルに興ざめしてしまった。最近日本の時事問題として取り上げられているニートという言葉を本題にしたことで、なんとなく安っぽく見えてきた。ニート問題が話題になったが早いかその波に乗ろうと、著者が幾つかの物語をいい加減に作り上げて著したような、そういう感じがした。そうではないかも知れないけど、多分その問題に関する自分なりの意見、何かのメッセージを伝えるように書いているに違いないと思って、結局その時は買わなかった。執筆者であれ絵描きであれ、作者が作品を作成する際に何かを伝えようとしているのは当然だろうが、僕はそれを考えると嫌気が差す。僕の考えでは作品の解釈は自由で、作者がそれを事前に作り立てるとその自由を奪ってしまうことになる。献身的な母親の姿を描く「東京タワー」にしてもリリー・フランキーがきっと親孝行か家族の掛け替えのなさを主張していたのだろうが、でもやはり違う。「親」というのは決して新しい話題ではない。親の死には対策のようなものなんて存在しないのだ。むしろニート問題にきたら議論を煮詰め、その人達は社会に許されるべきか許されるべきではないか、結局その二つの結論を選ばざるを得ないのだと思った。どちらにしても、自分の選んだ選択を勧めるように、著者が計算して書いた本を僕は読みたくなかった。ニートならば尚更だ。自称の一番ニートになりそうな男の僕のことだから。


バイトも土曜日、辞めたし。


来学期勤務時間を考えて授業を選び、またアルバイトをするかも知れないが、しないかも知れない。働く気はないし、勉強時間が少なくなってしまうし。六本木のバイトを始めてから漢検の勉強どころか、授業の予習さえ出来なくなってしまった。クリスマスと忘年会シーズンを乗り越えさえすれば、何とかなると思っていたが、来月のシフト表を見たら僕が週に4、5回の程度で出勤することになっていた。それでは勉強はできなくなる、今月は無理をして何とか頑張っているけど、来月は日数を減らして貰えないと、金曜日に店長にお願いしたが、遠回しに断られて帰ってしまった。仕様がないから頑張ろうと思いきや、寮に戻ったらすぐさまに爆睡して、目をこすりながら起きたのは出勤の支度を始めなければならない時間だった。ずっと寝ていたのにまだ眠かった。学校が休みだったにも拘らず睡眠時間が合計8時間しかなかった。勉強なんて、到底無理だと痛感させられた。今日は絶対に日数を減らし貰うんだと考えながら電車に乗った。遅刻しそうだった。


揺れていた列車の中でバイトのことで頭が一杯だった。


「新人が入れば皆の負担は楽になる。その間は頑張れ」

「あのさあ、新人はなかなか来ないよ。学校から遠いし、うち厳しいし」

「新人は必ず入る。皆も苦労してるからオマエにも頑張ってほしい」

「俺らバイトはさ… 店のこと、考えなくていいんだよ。」

「来月は一杯稼ごうな」
「オマエ、将来がかかってんだろう?」


店に着いたら次長がフロントに立っていた。


また逃げてしまった。逃げてしまえば、親しかった人も嫌いだった人も、全部オモイデになる。迷惑をかけたこともお世話になったことも、アップ台も便掃もTCも焦げ落ち君もナシゴレンも派遣の鈴木さんも、何もかもが唯のオモイデになってしまう。クリスマスイブに辞めた僕が、一晩中働き続けていった人達を後にした。金さえあればいつまでも逃げ続けられるのだ。新幹線の中で、品川周辺の夜景に自分の顔が重ねて映っていた窓を眺めながらそう思った。

人に好かれる話し方

東京に着いてからお馴染みの中央線に乗り、新宿まで行った。無印良品がまだ開店していなかったので、時間潰しに紀伊国屋まで歩いてみた。そこも開いていなかったが、窓に陳列されていた本を眺めた。暫くすると店員がドアを開けて僕と他の数人のお客様を入らせてくれた。今日から熟読する小説を探したが、意外にも長い時間がかかった。


僕は実に単純な人間で、著者にとっては多分最低の読者である。この間書いたように、書式なんて本当はどうでもいいことばっかりにこだわるのはとにかく、今日本を探していた自分には少し驚いた。


新幹線で読んでいた文藝春秋で村上春樹が絶賛され、もう一度彼の本を読んでみようかと思っていたが、どれも余りにも非現実的で読む気にはならなかった。勿論フィクションだと非現実的な要素が多少あることは当然かもしれないが、「海辺のカフカ」を読んだ時はうんざりして、結局下巻の途中に飽きてしまった。読み終えるまで後100頁程度しか残っていなかったが、カーネル・サンダーズが登場した時はさすがに呆れたぜ。しかも下巻の300頁ぐらい読んでもプロット展開ナッスィング!馬鹿馬鹿しくて読むに耐えられなかった。「風の歌を聴け」や「パンや再襲撃」があんなによかったのに、村上の作品には少し絶望してしまった。「東京奇譚集」は部屋の本棚の上で並んでいるけど、今奇譚よりもっと現実的な物語を読みたい気分だ。それだけだったら別に問題はあるまいが、数冊を手に取っては本棚に戻し続けると分かった。僕が読みたいのは、もっと正確に言うと、ハッピーな現実の物語。当然ながら基本的にストーリーというものは何かの問題とその解決を語るのだが、その問題ができるだけ小っちゃくて簡単なものだといいなと考えていた自分が駄目だと思った。でも、まあ、好きな物を読まないと意味がないから。


ええと、実はもっと書きたいことがあるけど、余りにも眠くて書けない。よくある話だが、これからはもっと楽になるだろう。