指輪 上
お馴染みの中央線のオレンジ色の列車に乗り、学校からいつもと違う方向へ、東京へ向かった。西洋政治史の期末試験に出る唯一の問の解答を書くべく上智の図書館に行ったが、パソコンを机の上で乗っけて起動してから何を書けばいいか分からずに途方に暮れた。暫く画面を睨み続けてから、また立ち上がって参考文献を買いに丸善に行くことにした。新宿の紀伊国屋の方は近いけど、教科書なら丸善の方はセレクションが良い。実際に書くことを出来るだけ避けたかったのも遠い方を選んだ一つの理由だったことは否めない。
「幸福ロケット」はそろそろ読み終わったので、次の小説を買っておいた。今度読むのは糸山明子の最新作「ニート」という短編小説である。ベストセラーでこの間紀伊国屋のウインドウを眺めていた時もそこに陳列されていたが、タイトルに興ざめしてしまった。最近日本の時事問題として取り上げられているニートという言葉を本題にしたことで、なんとなく安っぽく見えてきた。ニート問題が話題になったが早いかその波に乗ろうと、著者が幾つかの物語をいい加減に作り上げて著したような、そういう感じがした。そうではないかも知れないけど、多分その問題に関する自分なりの意見、何かのメッセージを伝えるように書いているに違いないと思って、結局その時は買わなかった。執筆者であれ絵描きであれ、作者が作品を作成する際に何かを伝えようとしているのは当然だろうが、僕はそれを考えると嫌気が差す。僕の考えでは作品の解釈は自由で、作者がそれを事前に作り立てるとその自由を奪ってしまうことになる。献身的な母親の姿を描く「東京タワー」にしてもリリー・フランキーがきっと親孝行か家族の掛け替えのなさを主張していたのだろうが、でもやはり違う。「親」というのは決して新しい話題ではない。親の死には対策のようなものなんて存在しないのだ。むしろニート問題にきたら議論を煮詰め、その人達は社会に許されるべきか許されるべきではないか、結局その二つの結論を選ばざるを得ないのだと思った。どちらにしても、自分の選んだ選択を勧めるように、著者が計算して書いた本を僕は読みたくなかった。ニートならば尚更だ。自称の一番ニートになりそうな男の僕のことだから。
バイトも土曜日、辞めたし。
来学期勤務時間を考えて授業を選び、またアルバイトをするかも知れないが、しないかも知れない。働く気はないし、勉強時間が少なくなってしまうし。六本木のバイトを始めてから漢検の勉強どころか、授業の予習さえ出来なくなってしまった。クリスマスと忘年会シーズンを乗り越えさえすれば、何とかなると思っていたが、来月のシフト表を見たら僕が週に4、5回の程度で出勤することになっていた。それでは勉強はできなくなる、今月は無理をして何とか頑張っているけど、来月は日数を減らして貰えないと、金曜日に店長にお願いしたが、遠回しに断られて帰ってしまった。仕様がないから頑張ろうと思いきや、寮に戻ったらすぐさまに爆睡して、目をこすりながら起きたのは出勤の支度を始めなければならない時間だった。ずっと寝ていたのにまだ眠かった。学校が休みだったにも拘らず睡眠時間が合計8時間しかなかった。勉強なんて、到底無理だと痛感させられた。今日は絶対に日数を減らし貰うんだと考えながら電車に乗った。遅刻しそうだった。
揺れていた列車の中でバイトのことで頭が一杯だった。
「新人が入れば皆の負担は楽になる。その間は頑張れ」
「あのさあ、新人はなかなか来ないよ。学校から遠いし、うち厳しいし」
「新人は必ず入る。皆も苦労してるからオマエにも頑張ってほしい」
「俺らバイトはさ… 店のこと、考えなくていいんだよ。」
「来月は一杯稼ごうな」
「オマエ、将来がかかってんだろう?」
店に着いたら次長がフロントに立っていた。
また逃げてしまった。逃げてしまえば、親しかった人も嫌いだった人も、全部オモイデになる。迷惑をかけたこともお世話になったことも、アップ台も便掃もTCも焦げ落ち君もナシゴレンも派遣の鈴木さんも、何もかもが唯のオモイデになってしまう。クリスマスイブに辞めた僕が、一晩中働き続けていった人達を後にした。金さえあればいつまでも逃げ続けられるのだ。新幹線の中で、品川周辺の夜景に自分の顔が重ねて映っていた窓を眺めながらそう思った。