沿岸
彦根に着いたのは10時過ぎだった。太陽が眩しくて、一昔歩いていた、白く輝いていた駅前の道に目を細めさせられ、まるで蜃気楼みたいだなと思った。捨てたはずのオモイデのあの街に、僕は帰ってしまった。
ホストファミリーの家から逃げてから当時通っていた日本語学校の寮に引っ越した。それは仮の住まいで来週は他の学生が入ってくるから、それからはどうなるかは後で決めることになっていた。学校側にそう言われたが、実は僕は二泊しか泊まるつもりはなかった。先生方に告げておいたが、学校の事務所にちゃんと報告せずに7月27日、つまり18歳の誕生日の朝早く僕は東京に発ったのだ。彦根市から出た時は台風が接近しつつあり、早朝の空は雲で覆われていて木々が凄い勢いで吹き動かされていた。彦根駅でJRの快速に乗り、米原で新幹線に乗り換え、東京に向かった。
そこで色々な経験をし、沢山の人に出会った。
今あの日々を振り返ってみると、現実感がない。時間が縮んだりゆっくり流れたりした、夢のような日々の中、変なことや自分でもあまり信じられないほどとんでもないことが多くあったのだ。
そして9月に深い憂鬱に襲われつつ、再び彦根に戻ることにした。あそこの駅の近くにあった駐車所に預かってもらっていたママチャリに跨り、京都まで漕いていこうと決心した。上京した時に取り残した自転車を京都に留学している友達に上げる。相当簡単な理由で旅立ったが、自分の為にやらなきゃいけないことだという、なんとなくそういう気がした。
昨夜は1時まで部屋を掃除したり、地図を用意したり、旅の間聴く曲を一つのプレイリストに整理したりしていた。寝ておかないと駄目だと分っていたが、興奮のあまりなかなか寝付けなかった。眠りが浅くて、午前4時目覚まし時計が鳴った瞬間にベッドから飛び出し服を着た。洗濯したばかりのジーンズがまだ濡れていたが、すぐ乾くだろうと思ってその気色悪さに耐えながら履いた。グレイのジーンズに黒の袖なしのTシャツと、その上にベージュ色の襟のついたシャツという恰好でアパートを出かけた。
亀有。西日暮里。東京。新幹線までは緊張していて手に持っていた本が読めないぐらいだった。字に目を通しても意味が伝わらなかった。頭がほかのことでいっぱいだったのか、とにかくただじっと窓を眺め続けた。薄暗く照らされていた川や住宅地や鉄の橋や、窓に映って見えた自分の顔。新幹線に乗ってからも、写真を撮りながら車窓を見ていた。朝日を反射して煌いていた東京がとても美しくて、途切れなくシャッターを押し続けた。
米原に着いてから駅を出て、近鉄に乗った。東京の電車と違ってゆったりとした感じで、車両の中はがらんとしていた。9月にしては随分蒸し暑いなと思ったが、電車の中は風通しがよくて気持ちよかった。
2ヶ月ずっとほったらかしにしてしまっていたが、駐車所で輪に空気を入れたら自転車が滑るように走ってまるで新品のようだった。座り心地が良くて、肌に感じた風がとても懐かしかった。街を通り抜けて、湖岸の方に自転車を走らせた。岸辺に着いてからシャツを脱いで鞄の中に押し込み、iPodを取り出して昨夜作っておいたプレイリスト、「琵琶湖」を再生して漕ぎ出した。
花火
愈々新年だ。去年の大晦日は別荘の近くの浜辺に行き、ロング・アイランド湾を前にべそをかいた。今年も似たようなもので行こうかなと思っていたが、海といえば東京湾しかなくて、お台場か羽田空港まで行かなければならない。去年は泣き止んでから歩いて5分以内に家に帰って、一晩中勉強した。東京湾に行くんだったら終電に間に合うはずもなくて、非常に面倒臭い。
それから初詣に行こうかと思ったが、結局これもやめた。初詣なら、僕と深い歴史がある明治神宮に行きたい。しかし調べたところ、警察庁によると2004年の初詣者数上位1社寺は明治神宮だそうだ。人混みに紛れると酷く悲しい気分になるので、今年はどこにも行かないことにした。
その代わり、忘年会を開くことにした。近くのセブンイレブンに寄って、お煎餅やポテトチップス、飴やお菓子やオレンジジュースなど、いろんなもの買い込んできた。エロ雑誌も二冊用意したので、この一年を派手に終わらせよう。
墜落
ファミレスに入って窓際のテーブルに座ると、呼び鈴がないことに気づいた。隣のテーブルに乗っていたのを押して、その失踪をウェートレスに告げると、彼女がまるで小さな悲鳴のような声を挙げて、小走りで隣のテーブルの呼び鈴を持ってきて、幾度も謝り続けた。
物は言いよう。日本のサービス業界では、お客様に何らかの迷惑をかけてしまう時は、車で児童を轢いてしまったような、悲嘆に暮れている表情で慌しく謝るのは基本。ソフトドリンクにストローを入れるのを忘れたことで世界の終わりを招いてしまったように、「申し訳ございません!」と泣きそうになりながら繰り返す姿をうまく見せかけるのがポイントだ。それに対して、ミスを避けるのは二の次だ。見せかけさえよければ問題なし、実際の気持ちはどうのこうのというのは関係ない。
そう考えながら和風テリヤキピザを食べてしまい、デザートでも注文しようと、また呼び鈴を押した。奥の方から「ただいまお伺いしま~す」と、先のウェートレスの声が聞こえた。デザートを注文し、先のピザのお皿をさげるように頼んだ。彼女がそれを手に取ると、斜めになったお皿からフォークが滑り落ちてしまった。「ごめんなさい!」ベテランのように店の中を歩き回る彼女は意外と不器用なのかな?
とにかく僕は微笑み続ける。僕がアルバイトをして以来、客の側に回されるとどんなことがあっても必ず「どんまい」と言わんばかりに温かい態度を執る。実際に口にする場合も少なくはない。
例のウェートレスが戻ってくる。僕が頼んだのは、マウンテンチョコバナナパフェ。巨大なサンデーの上に、チョコケーキの一切れが綺麗に乗っているモノリス。或いは少なくとも、本来ケーキは上に乗ることになっているが、ウェートレスがパフェをテーブルに置くとケーキは揺れ、ピシャっと落ちてしまった。
「あっ、ごめんなさい!」
「はは、どんまいどんまい。」出た。しかもなんと2回連発。
「すぐに新しいのを持ってまいりますので」
「いや、別にいいけど」
「いいえ、あまりよろしくないと思います。」
親切のつもりだったが、食卓に衝突して崩壊したケーキを見て口をつぐんだ。跳ね上がったチョコがいかにも不潔に見えたので、呑気にそれを食べようとした自分をみすぼらしくさえ思った。当然お客様にそれを食べさせるわけにも行かず、僕が不意に発言したことでむしろウェートレスの人を困らせてしまったと判った。新しい一切れが運ばれてきた時は深々と反省していた。
絢爛たるリミックス
朝起きて寮が出す給食を食べてからまた寝て、午後1時に目が覚めた。風邪を引いているからこうして沢山寝といた方が良いって、昼間は思っていたものの今になるとなんとなく損した気分。仕方がないと言って、何度もやりたいことに諦めた。これからその仕方を見つけ出すことが勝負だ。
久々だった所為か、具合が悪かった所為か、恒例の書き繰り返し練習をしていると普段より早く疲れてしまった。一応今日のノルマを果たしたが、漢検が迫って来ているこの時期、準1級を目指すかどうかはやはり疑問だ。10月の試験では後10点で2級が獲れたが、それから勉強は全くしていない。次の受験まで1ヶ月しか残っていないのに、辛うじて受からなかった2級も、この3ヶ月ずっと勉強していたら打つ手はあるかもしれないと見通した準1級を両方目指しては虻蜂取らずに終わってしまう可能性は非常に高い。勉強を継続し、ペースを保つことがまるでできない僕みたいなガキには到底無理だ、というのは正論だが、やはりやってみないと分からない。今度の漢検が終わってからは暫く勉強を新たな方針に向ける予定だから、力を集中して漢字能力を究めるのはこの機会が最後かもしれないと言っても過言ではない。やれるだけはやってみたい。
流星
18年間オモイデを棄て続けてきた。過去の過ちを忘れようとしているその僕には、いい思い出も数え切れないほどあるのだ。このブログで記録されている日々の中、涙をしたことも多少あるけど、そのほかに僕は笑ったり楽しんだり、感動したりしている。
服とパソコン以外に、僕は一つの小さな箱を荷物に詰め込んで日本に出発した。それは、大切な人から貰った物が入っている箱だ。寮のRAがくれた年賀状や人生最初と最後に貰ったバレンタイン・カードや貴重な写真。元々お菓子が入っていたあの箱もプレゼントとして貰ったのだ。そして、日本に来て更に色々な物で一杯になった。手紙と目覚まし時計と名刺。この間アルバイト先で使っていた名札をあの箱に入れた。
日本に来てから僕は引越しを繰り返し、そしてその度にあの箱を持って行く。
時折、その中身を取り出し、眺めてみる。
その中には、とっても大切な人がくれたお手紙がある。6月にそれを貰って凄く喜んでいたものの、封筒を開けてから字が読めなくて酷く挫折してしまった。相手が気持ちを伝えようとしていたのに僕はそれを理解して上げられず、深く落ち込んでしまった。手紙をもう一度封筒の中に納めたが最後、それを読むのを諦めてしまった。
今晩まではそうだった。しかし、先程あの手紙のことを思い出し、思い出の箱を開けて、手紙を取り出してみた。手紙は箱の中に綺麗に保存されていて、皺も変色もまるでなかった。字に目を通してみた。決して楽ではなかったが、努力して普通のペースの十分に一でその紙で並んでいた字を、一つひとつ声に出して読んでいった。
そこで書かれていた、6月の相手の気持ちを、僕は今度こそちゃんと理解して上げられた。不安と心配、そして希望。何故もっと早く読んであげられなかったのだろう。 何故そう簡単に諦めてしまったのだろう。