「はじめに〜このブログについて」
私(うえだみゆき)のお友達の理栄(りえ)ちゃんご夫妻の
娘いとちゃん(2歳)の旅立ちを
ご両親の了承のもと、書いています。
(*この記事は、2017年9月10日に書いた文章を加筆しています)
すこし長くなりますが読んでください。
(vol.6 が最終章です。*vol.7 追記あります)
たくさんの愛と感謝をわたしたちに遺して
生涯を生ききったいとちゃんとその命に寄り添ったご家族のお話です。
『ちっちゃなカラダに、おおきな魂のいとちゃんの旅立ち』
2017年9月6日(水)朝5時17分、
いとちゃんは息をひきとり、天の神様の元に還って逝きました。
この世に生まれてから、
二年と二十日目(749日)の旅立ちでした。
いとちゃんは、2015年8月18日広島県で
お母さんの理栄ちゃんとお父さん善晃君の次女として生まれてきました。
(お二人は東日本大震災後の宮城県で出逢いました)
彼女は産まれながらに、
心臓、目、脳などに4つの疾患と障がいがありました。
長女のゆめかちゃん(4歳)は、とっても元気な女の子で生まれ、
若いご両親は、次女いとちゃんのすべてを受け入れて育てました。
子どもに病があると、母親はとても苦悩します。
どの選択が、正しいのか・・・
それはこの子にとっていいことなのか・・・
ベストなのか・・・
そして、どの選択をしても自分のことを責めます。迷います。
一瞬、一瞬の選択が、いのちにかかわるから。
子どもを取り巻く情報はやまのようにあり、
子育ては、親だからこその苦悩があります。
そのすべてを背負いながら、
若いご夫婦は、子どもたちに寄り添いました。
子どもたちに、自分たちも育ててもらいながら。
(大好きお母ちゃんとお姉ちゃん♪)
いとちゃんは、
たくさんの人たちに囲まれて、関わってもらいながら
愛されること、助け合うこと、
支え合うこと、
寄り添い合うこと、
微笑み合うこと つながること、
許し合うことを、
その小さなカラダで伝えてくれていました。
(大好きなお父ちゃん♪)
岐阜県で暮らしていたりえちゃんは、
2017年夏に3人目の出産を控えて、
長女のゆめかちゃんといとちゃんと一緒に
その年の2月に、北海道のご両親のもとへ里帰りしてきました。
そこが、「ほっとハウス」。
かよちゃん(りえちゃん母)と誠さん(父)と、
ともちゃん(妹)が暮らす実家であり、天理教の分教会です。
ほっとハウスは、様々な支援を地域で実践していて、ひとが集い、
その名のとおり、あたたかな場づくりをしていました。
(おじいちゃんとおばあちゃんと)
りえちゃんが里帰りしてくれたことで、
私は、りえちゃんと可愛い子どもたちと出逢うことができました。
(りえちゃんと私は、りえちゃんが嫁ぐ前に「ほっとハウス」で知り合っていました。)
帰ってきたとき、いとちゃんは自力ではイスにお座りはできなく、
言葉もあまり出なかったけれど、
ここではたくさんの手と支えがあり、いとちゃんもお母さんも元気になってきました。
(ともちゃんのお膝で)
北海道にも春がきて、奈良県で小学校教師をしていた長男家族も札幌に引っ越してきて、
ひととき、ほっとハウスは、小さなこどもたちが5人もいて!
まるで保育所のような賑わいでした。
(4歳、2歳女の子4人、男の子赤ちゃん1人、妊婦さん1人♪)
(従姉妹たちと)
おばあちゃんのかよちゃんも、
大忙しだったけれど、
かわいい孫たちにパワーをもらって、とっても幸せそうでした。
ほっとハウスに集う大勢のひとのなかで
いとちゃん達は、すくすくと育っていました。
(宮城県から軽トラで来た叔父さんと)
春が過ぎて、
椅子にも、いとちゃんはひとりで座っていられるようになり、
りえちゃんのお腹のなかの子もすくすくと大きくなって、
みんなの笑顔が輝いていました。
*次のページへ続きます(towani vol.2)