何かのご縁で

「虹のいとちゃん」

読んでくださる方々へ

 

 

ご訪問いただきありがとうございます

 

 

 

虹このブログについて

 

この文章は

私(うえだみゆき)のお友達

理栄(りえ)ちゃん善晃君ご夫妻

娘いとちゃん(2歳)の旅立ち

ご両親の了承のもと、綴っています。

 

 

(2017年9月10日に書いた文章に

加筆しています。)

 

 


 

どうぞ

縁ある皆様

 

温かな眼差しで

いとちゃんのお話を

読んでくださると幸いです。

 

 

 

「vol.1虹の光のいとちゃんの旅立ち~永遠に」

 

「vol.2虹の光のいとちゃんの旅立ち~永遠に」

 

「vol.3虹の光のいとちゃんの旅立ち~永遠に」

 

「vol.4虹の光のいとちゃんの旅立ち~永遠に」

 

「vol.5虹の光のいとちゃんの旅立ち~永遠に」

 

「vol.6虹の光のいとちゃんの旅立ち~永遠に」

 

「vol.7虹の光のいとちゃんの旅立ち~終わりに」

 

 

 

「虹のいとちゃんの物語」

ちっちゃなカラダに大きな魂

虹の光のいとちゃんの旅立ち

https://ameblo.jp/itotokuyama

 
 
 
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愛と感謝を込めて

 

〜towani vol.7〜

追記
 

虹

 

お父さんの善晃君が、

思い出を添えて

美しい虹の写真を送ってくれました。

 

 

「いとの50日祭も終え、

家族みんなが当時住んでた岐阜に揃って、

出直し後、

はじめて天理の本部に

参拝しました。

 

その時はグチ、文句、疑問、感謝が

自分のなかで入り混じる

カオスな状態での参拝でした。

 

帰る道中、

なぜか導かれるように、

普段通らない道へと

ハンドルをきっていました。

 

するとすぐに

虹の卵みたいなやつが

走ってるすぐ横に現れたんです。

 

しばらく走ってると

どんどん虹が成長して、

立派な見事なアーチになりました。

 

しかもダブルで。

 

最終的に走らせてる一本道の先に

虹が迎えてくれてるような

ファンタジーな光景になりました。。

 

いとの溢れ出る声にならないメッセージを

目の当たりにしたような

不思議な時間でした。

『ありがとうって言いたかったのかな』と

今では思っています。」

 

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虹虹虹

 

50日祭とは、

仏教でいう四十九日法要のことです。

遺族にとっては節目にもなるけれど、

日々の日常に戻り、

 

哀しみや様々な想いが

自分のなかに

こみ上げてくる時でもあると思います。

 
そんな想いを感じて

いとちゃんが

お父さんに(家族に)

大きな虹に見せてくれたのでしょう。

 

 
 

虹

 

 

2021年

とくやまファミリーは

みんな元気ですキラキラ

 

 

由芽加ちゃんも晃誠君も
大きくなりましたラブラブ
 
子ども達の成長が早い!ラブ

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わたし
感動してしまいます笑い泣き

虹

 

 

 

 

お母さんの理栄ちゃんは

ブログを書き始めています。

下矢印

こちら

 

人に寄り添うことをしたかった理栄ちゃんは

バースカフェガイドや

数秘カウンセラーとしてお仕事を始めていますドキドキ

 

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虹りえちゃんのFacebookページ

 

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大切な家族を失った深い哀しみは

すぐに癒ることはないけれど、

 

 

りえちゃんも善晃君も

家族みんなで

たくさんの友人に支えられながら、

大切な体験を分かち合い

寄り添い、

歩き始めています。 

 

子どもたちを愛しながら。

 

 

 

出逢ってくれて

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

虹糸 

by徳山ファミリーで歌っています

 

お友達のライブでファミリーで歌った曲です

 

 

黄色い花「ハローマイマム」 

りえちゃんが唄ってゆめちゃんが踊っています

 

 

 

 

虹終わりに虹

ここまで読んでいただき

本当にありがとうございます。

 

 私(うえだみゆき)は、

2011年から

ほっとハウスとご縁があって、

いとちゃんファミリーともご縁を

いただきました。

 

まるで私にも

孫がたくさん出来たみたいでした💕

 

2017年9月

いとちゃんが旅立ち葬儀が終わって、

時が瞬く間に流れてしまうなかで

 

『書かなくては…』と感じて、

書きあげた文章に写真を添えて

すぐにプリントして、

ご家族へ差し上げました。

 

(その後たくさんの方に読まれたそうです)

 

出棺の時に、

自分が下手なのを忘れてあせる

歌えたのも、

 

文章が書けたのも、

いとちゃんのおかげと感じています。

(今思い返せば、歌はとても恥ずかしいあせるショック!

 

 

当時この文章を

私のブログにも掲載していたのですが

 

2021年風の時代、

「いとちゃんのブログ」にしようと思い

ご両親に承諾してもらい

この流れになりました。

 

加筆していた時間・・

いとちゃんとご家族から

またたくさんの愛と光を

私が受けとらせてもらいました。

 

 

虹

 

理栄ちゃん善晃君ファミリー

そして、

ほっとハウスのご家族に

たくさんの出愛と

幸せが降り注ぎますようにキラキラ

 

 

ご家族を亡くされた方々にも

幸せが降り注ぎますようにキラキラキラキラ

 

 

 

最後になりますが、

読んでくださった皆さんにも

愛と感謝と祈りを込めてキラキラ

 

〜ありがとうございました〜

 

風の時代

2021年6月3日

うえだみゆき

虹うえだみゆきFacebookページ

 

by MIYUKI

 

 

 

子どもたちはすべて

自分で選んで生まれ来ると

言われています

 

                 

黄色い花いのちの理由

 

 

 

2019年岐阜にて再会💕

とくやまファミリーとりんりんとワタシ(右端)

 

 

(最終章)

 

 

私達は子どもたちへ
「してあげていること」よりも、

 

実は、

「してもらっていること」

ほうが

ずっとずっと多い

 

 

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いとちゃん達をみてて

 

子ども達の笑顔と

親への無条件の愛を

感じて

 

そう再認識しました。

 

(自分が子育てしている時は余裕なくて

気づけなかったけれど・・)  

 

 

子ども達は

お父さんとお母さんが

無条件で大好きです

 

 

 

 

いとちゃんが選んだご両親

 

 

 

お父さん(善晃さん)は、

とっても正直でまっすぐで心温かい人です。

その器がまたひとつ大きくなりました。

 

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(今もさらに逞しく家族を支えています)

 

 

 

お母さんの理栄ちゃんは、

いつも感謝が心にある

おっとりとした柔らかいエネルギーの人。

 

自分と向き合い、

たくさんのことを体験しながら、

逞しいかあちゃんになっています。

 

お姉ちゃんの由芽加ちゃんも

やさしい女の子ですラブラブ


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虹

いとちゃんは
みんなの心のなかで 

それぞれのあったかい光になって
ずっと永遠(とわ)に、

生きています

 

 


そして、

いとちゃんから

うけとったこと

 

 

自分らしく生ききること
どんなことも受けいれて許すこと
つながっていることを信じること

自分を信じること

 

 

(お得意のペコちゃんポーズ♪)

 

 


お花に、空に、

ひかりを見つけたら
いつでもそこに、

 

いとちゃんを見つける

 

そして、

いとちゃんを感じるよ

 

 
 
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みんなが輝いて
生きていけるように

生きていくよ

 

 

ちっちゃなカラダに大っきな魂
みんなをつなぐ

虹の光のいとちゃんへ

ありがとうね」

 

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お空から、神様とみんなを
ずっと守っていてね

 

「また逢おうね」

 

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理栄ちゃん&善晃さん
いとちゃんに出逢わせてくれ

ありがとう。


ゆめかちゃん、ありがとう。

 

みなさんに、

心から心から感謝します。
ありがとうございます。

 

 

たくさんの感謝を込めて

2017年9月10日

秋晴れの日に
うえだみゆき

 

 

*次ページへ 追記(vol.7)
 
虹虹虹

 

 

 

 

いとちゃんの葬儀は、

哀しみのなかでも、・・穏やかであたたかでした。

 


空が大好きだったいとちゃんの出棺は、

爽やかな秋晴れの中でおこなわれました。
 

 

 

 

出棺の時、

りえちゃんも大好きなAKIRAさんの歌「ハローマイマム」

歌わせてもらいました。みんなで歌いました。

 

 

いとちゃんの旅立ちの連絡をもらった朝から

ずっとわたしの耳にリフレインしていた曲でした。



産まれる前に神様と天国で、

ママとパパの結婚式をみていたよ


ママの子になろうって決めたんだ
ママのこどもでよかった ママに逢えてよかった

 

ハローハローマイマム あ り が と う

(*vol.7に、りえちゃんとゆめちゃんが歌った動画があります)

 

 

『きっと、いとちゃんが大好きな母ちゃんへ、

伝えたいことなのかも!』
だから伝えなきゃって、強く感じたのです。


そしてお父さんの善晃君が、
お義兄さんの奏でるバイオリンで、
中島みゆきの「糸」を歌いました。


 

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(いとちゃんが眠っている時のポーズ)

哀しいけれど、あたたかく 澄んだやさしい声で・・
きっときっと、いとちゃんが大好きなお父さんの声。。。

 

 

後日、

いとちゃんの名前の由来を善晃君が話してくれました。

 

中島みゆきの「糸」が好きだからです

 

あれは結婚のお祝いに創られた曲なので、夫婦に向けての唄なのですが、

 

僕は「糸」の意味を考えた時に、その人が糸のような存在だったら、

人の傷を庇うこともでき、

人をあたためることもできるような布をつくることができ、

また縁を紡ぐこともできると感じ、

そのような人になってほしいという想いで、「いと」と名付けました。

 

いとが生まれた日は立ち会えなかったですが、

やっぱ顔を見るとこの子は

「いとちゃんやなって、いとって名前を持って生まれてきたんやな」って思いました。

 

 

その名のとおりのいとちゃんです。

 

 

葬儀の日私は、花作家の森直子さん(札幌在住)に、

供花をお願いしていたのですが
・・・お花の到着が遅れて、出棺のあとになりました。

 

葬儀に、間に合わなかったことを

私は少し残念に感じていたのですが・・・

 

遅れて届いた事にも意味があったと

箱を開けてわかりました。

 


届いた供花は、

まるで、いとちゃんの様だったのです。

 


直子さんが花を生けながら

感じたのが「虹と鳳凰」のイメージだったそうです。

 

直子さんは、その日市場にあったすべての色の胡蝶蘭を手にとっていて

『この子は、虹だわ!と感じたそうです。

(直子さんは、その人の魂を感じながら、お花を生けれる稀有な方です)

 

 

 

火葬場から、小さなお骨とご家族が帰ってきたとき、祭壇の横に、

このお花たちがありました。

 


まるで、いとちゃんがそこで輝いているかのように

 

 

「わぁ!いとちゃんだ!」
家族からそんな言葉がでるくらいに、

いとちゃんのイメージだったのです。

 

 

この花達は、
おうちで家族の帰りを待っている必要があったのです。

 

いとちゃんは、

キレイなお花たちになって、家族を迎えたのです。



『ちいさな箱(からだ)に入りきらない大きな魂だったよ』
(と、直子さんからメールが届きました)



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いとちゃんの出直しの日は満月。


私がいとちゃんに逢いに行った日も
月光が眩しい夜でした。
 

 

葬儀の間もずっとお天気が良くて、
空には陽のひかり、夜空には月のひかりが満ちていて
 

 

いとちゃんの肉体はなくなったけれど、
いとちゃんの魂のように輝くお花たちがありました。

 

 

 

 

かよちゃんが、こんなふうに話してくれました。

「そうおもえば、いとは、生まれてからずっと虹だった。
 そんな光をわたしたちに与えてくれた。


 旅立ちの前の時間は、鳳凰だった。
 本物しか、絶対にうけつけなかったから。

 イヤなモノは絶対受けつけず、本物だけを受けいれていたから」


そんな生き様を、
いとちゃんは、わたしたちへ見せてくれたのです。

 

 

 



いとちゃんが与えてくれたものは大きくて・・・
 

 

いとちゃんが、

すべてを意図してくれたみたいでした。
 

 

私たちは、いとちゃんファミリーに出逢うことができて
たくさんの幸せをもらいました。

 

 

 

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*次ページへ続きます。(towani vol.6 最終章)

 

 

 

『いとが旅立ちました』と、

かよちゃんが連絡をくれたとき、

 


「みゆきちゃん まだね、いとね、、あたたかいんだよ」と伝えてくれた言葉に、

ほっと安心したのをおぼえています。

(あたたかさは、いとちゃんの生命のエネルギーだから)

 

 


そして泣きました。

ただ・・・泣きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が仕事を終えて

午後3過ぎ、ほっとハウスに伺った時


お家の空気は澄んでいて、

いとちゃんはベットに可愛いお顔で眠っていて、

りえちゃんは、いとちゃんと添い寝をしていました。


 

夜は授乳があったから、いとちゃんと添い寝ができなかったのです。


そして夕方、本州からお父さんとおじいちゃんが到着しました。
(お二人は、乗ったJRが偶然一緒だったそうです)
 

 

お父さんは、
いとちゃんを抱いて泣きました。

 

 

声をあげて泣きました。
大きな声で泣きました。。

(その声を部屋のそとで聴きながら、私たちも泣きました。)

 

 

我が子の誕生と別れ・・喜びと哀しみを・・

こんな短い間に体験しなければならないなんて・・・・

 

(大好きなお父ちゃんとお姉ちゃんと)

 




りえちゃんが、赤ちゃんの晃誠君を抱き

お父さんが愛おしそうに、いとちゃんを抱き、

 

夫婦が寄り添うその姿は、哀しみと同時に・・・、
愛しみと慈しみに満ちていました。


 

(かける言葉などないほどに・・・)

 


いとちゃんは、本当にすやすやと眠っているようで
その姿は、寝息が聞こえるようでした。


いとちゃんが眠るお部屋は、輝くように澄んだ空気で、
そこいるだけで、わたしたちも浄化されていくようだったのです。



 

(ゆめちゃんは、いとちゃんが大好きです)



長男さんのお嫁さんが、ゆめちゃんと子ども達を連れて来てくれて、
理栄ちゃんの弟さん妹さんも本州から、
善晃君のご両親、弟妹さんも広島県から駆けつけて、


お通夜の夜には、

ご家族全員がいとちゃんに逢うことができました。


いとちゃんは
どんどん綺麗に可愛くなって、

だれが見ても、

その可愛いお顔に 思わず微笑んでしまうのです。
(愛しさと哀しさと寂しさもともに・・・)

 

 

 

この世に生をうけて、749日。

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天理教さんでは、

命の旅立ちを「出直し」と表現するそうです。

 


いのちが出直す。神様の元に還り
またこの世に生まれてくる。だから「出直し」


だから亡くなった日は、いのちの「出直しの日」

 

 

 

いとちゃんが生きた日々は、
いとちゃんが決めてきた寿命であり、

この世での命の時間。


(「寿命」とは、寿の命と現します。

 寿命は、尊いこの世での時間。)

 



その時間を、

いとちゃんは見事に生き切ったように感じました。

 

 


   

 

 

いとちゃんが、障がいや病をもって生まれてきたからこそ、
ご両親は、たくさんの人たちに助けてもらうことができました。

 

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いとちゃんは、その名の通りの子です。

(お父さんが、「いと」と名付けました)


いとちゃんは、皆をつないでくれました。

 

 

 


いとちゃんの成長としぐさ、声や表情に、
まわりにいる人たちが愛をもらい癒され、勇気をもらいました。

 


子どもたちはそのままで、いのちを表現している。

 

 

 

 

その命の輝きを
若い両親がうけとめて、
ご家族がささええていました。

 

 

 

(おばさんとお姉ちゃんとお昼寝)

 

 

*次ページへ続きます。(towani vol.5へ)

 

 

 

 

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ゆっくりと皆で過ごしたその翌朝4時過ぎ、

かよちゃんから着信が入っていて、


目が覚めた5時過ぎにその着信に気づいた私は、

『どうしたのかしら?まさか。。』と思いながら返信したところ、

 

 

いとちゃんの容態がかわり、救急車で病院に向かっているところでした。

 

 

私はドキドキしました。。

(いろんなことが頭をめぐり、祈りました)

 

 

 

救急車には

お母さんのりえちゃんが、いとちゃんに寄り添いました。



かよちゃんは車で、孫たちを乗せて救急車のあと追い、
途中でゆめちゃんを長男さんのお嫁さんに託し、

かよちゃんはこうせい君と一緒に病院まで急ぎました。
(お父さんはお仕事で岐阜県へ、おじちゃんも本州へ出かけていて留守でした)

 

 

 

 

いとちゃんが旅立つ前の数日の夜は
いとちゃんは、かよちゃんと寝ていたそうです。
 

 

この夜、夜中にうんちをして
とっても健康そうなうんちが出て、

 

かよちゃんは、そのうんちを見てうれしくなって、
『あとで、理栄に見せてあげよう!』と思うくらいに、いい便だったそうです。 

 


朝方2回目のうんちのあと、
「いとちゃん、ちゃちゃ のむ?」ときくと、お口をあけて

 


いとちゃんはかよちゃんの腕の中で、
大好きだったあずき茶を一口飲んで、

 

 

眠るように首がコトリ・・となり、

その様子がなんだかいつもと違うので、

 


かよちゃんは、急いでりえちゃんに伝えて
救急車の手配をしました。


 

 

(お姉ちゃんとクマちゃんと)

 

 

救急の方も、病院の方も、

あたたかく対応してくれたそうです。


私は救急搬送されたと聞いたとき
これ以上、家族の哀しみが深くならないようにとも、祈っていました。

 

 

医療の場での対応で、再度傷つくこともあるから。

でも、そんな心配は必要なかった。。



救急車のなかで救急隊員の方が、いとちゃんに寄り添う理栄ちゃんに、
「お母さん、気をおとさないでください。

娘さんも頑張っているので、一緒にがんばりましょうと声をかけてくれて、

 

いとちゃんの死亡が確認されて、

りえちゃんが病室のそとで待っていた時、

 

 


救急隊員の方がそばにきてくれて、涙ぐみながら
「お伝えする言葉がみつかりませんが・・、私達は絶対にわすれません・・・。
私たちはこれでひきあげさせていただきます・・」と、目を真っ赤にして伝えてくれて・・

 

 

救急車が病院へ着いてからずいぶん時間が経っていたので、

 

救急隊員のかたが待っていてくれたこと、
わざわざ声をかけにきてくれたことに驚き、

りえちゃんは心があつくなり、感謝したそうです。

 

 

そして、
早朝にかかわらず、主治医の先生がいてくれたこと。

 

治療を拒否した経緯があるのに関わらず、

医師は外まで出てきてくれて、

車が見えなくなるまで見送ってくれたこと。



それは、

哀しみのなかにいたりえちゃんにとっても、かよちゃんにとっても

心あたたかく有難いことでした。

 

 

最期のとき、医療現場のみなさんのあたたかい心配りに、
いとちゃんの家族と医療との関りが救われました。

 

 

 

そのことにご家族は、

心から感謝をしていました。

 

 

 

 

2017年9月6日(水)朝517分、
いとちゃんは天の神様の元に還って逝きました


この世に生まれてから、

二年と二十日目(749日)の旅立ちでした。

 


「ほんとうに、コト・・って、心臓の音がとまり、ねむったみたいだったの
かよちゃんはあとで、そう話してくれました。

 

 

 

いとちゃんは苦しむことなく、

本当に・・自然におだやかに旅立ったのです

 

(なんて、、なんて・・、おばあちゃん孝行だったことでしょう)

 

 

 

 

いとちゃんは、

お母さんにしっかり抱かれて、おばあちゃんの車で

ほっとハウスにかえってきました。

 

 

 

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(大好きなおばちゃんと)

 

 

*次ページへ続きます。(towani vol.4へ)

 

夏になり8月2日、

男の子(晃誠君)が、無事に誕生しましたラブラブ

 

 

 


本州から善晃さんが出産前に来てくれて

長女ゆめかちゃんも立ち会っての出産。りえちゃんは安産でしたキラキラ

 

(助産院にて出産後 5人家族みんなでキラキラ)

 

 

 

 

 

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弟君の誕生を待っていたかのように

そのあと、いとちゃんの体調が少しづつ悪くなっていきました。

 

 

 

 

北海道に来てからは、札幌私立病院に定期受診していたのですが、


いとちゃんは病院に行くと機嫌が悪くなり、

体調もさらに悪くなるのです。。

 


若い両親は話し合い、一つの決断をしました。
『医療から離れて、いとちゃんの治癒力に委ねよう』


この決断は二人にとって とても大きなことだったと思います。

 

医師からはすでに、
「医療的にしてあげられることはないです」と告げられていました。

 

 

『いとに まかせる』
ご両親はそう決めて、主治医にその想いを手紙で伝えたそうです。

 

 

 

 


私が、晃誠くんの誕生をきいて、お祝いに行ったときは
いとちゃんは、すこし調子が悪いかなぁ、というくらいの感じでした。


その後数日、いとちゃんは少しむくみが出てきて、
ご家族は出来る限りの手当てをしながら、いとちゃんに寄り添っていました。

 

 

 

 

久しぶりに、

りえちゃん達に会いに行ったのは、9月5日の夕方。

 

私がJRを降りて、ほっとハウスに向かい歩いていると

偶然、りえちゃん親子に会えましたラブラブ

 

 

りえちゃんは、ベビーカーに乗ったいとちゃんと

ゆめかちゃんとお散歩に行くところでした。
 

 

 ゆめかちゃんは、
「ゆめか、うちにいる♪♪と言いながら、可愛い手を私とつないでお家にもどり、

 

お母さんいとちゃんは、郵便局までお散歩に行きました。

 

 

 

 

 

 

いとちゃんは、お散歩が大好きだったそうです。

お空も大好きです。

 

 

 




お散歩から戻ってきたいとちゃんを囲んで、

みんなで話をしたり


私は、ひさしぶりにいとちゃんを抱っこさせてもらったり、

 

生後一か月の晃誠君も抱っこさせてもらって、
小さくてあたたかい温もりを感じさせてもらい、

しあわせをたくさん、たくさん、分けてもらいました。

(こうせい君も抱かせてもらいましたラブラブ)

 


その夜、いとちゃんは久しぶりにご飯も食べることができて、
好きなあずき茶も飲んで、
りえちゃんもかよちゃんも、すこし安心してました。

 

私は、ひさしぶりにほっとハウスで夕飯まで皆さんと過ごし、


仕事を終えて帰ってきたともちゃん(りえちゃんの妹さん)にも、
ひさしぶりで逢えて、嬉しい再会ハグをして、

ゆっくりと話もできて、

穏やかで楽しい時間を過ごさせてもらって帰りました。


  

(大好きなお姉ちゃんと)

 

 

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(おじいちゃんと)

 

 

*次ページへ続きます。(towani vol.3)

 

 

 

「はじめに〜このブログについて」

 

私(うえだみゆき)のお友達の理栄(りえ)ちゃんご夫妻

娘いとちゃん(2歳)の旅立ちを

ご両親の了承のもと、書いています。

(*この記事は、2017年9月10日に書いた文章を加筆しています)

 

 

すこし長くなりますが読んでください。

(vol.6 が最終章です。*vol.7 追記あります)

 

 

たくさんの愛と感謝をわたしたちに遺して

生涯を生ききったいとちゃんとその命に寄り添ったご家族のお話です。  

 

 

 

 

『ちっちゃなカラダに、おおきな魂のいとちゃんの旅立ち』

 

                       


 

 

2017年9月6日(水)朝517分、
いとちゃんは息をひきとり、天の神様の元に還って逝きました

 

この世に生まれてから、

二年と二十日目(749日)の旅立ちでした。





いとちゃんは、2015年8月18日広島県で
お母さんの理栄ちゃんとお父さん善晃君の次女として生まれてきました。

(お二人は東日本大震災後の宮城県で出逢いました)

 

 

 

 


彼女は産まれながらに、

心臓、目、脳などに4つの疾患と障がいがありました。

 

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長女のゆめかちゃん(4歳)は、とっても元気な女の子で生まれ、

若いご両親は、次女いとちゃんのすべてを受け入れて育てました。


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子どもに病があると、母親はとても苦悩します。

どの選択が、正しいのか・・・
それはこの子にとっていいことなのか・・・
ベストなのか・・・

そして、どの選択をしても自分のことを責めます。迷います。
一瞬、一瞬の選択が、いのちにかかわるから。

 

 

 

 

子どもを取り巻く情報はやまのようにあり、

子育ては、親だからこその苦悩があります。



そのすべてを背負いながら、
若いご夫婦は、子どもたちに寄り添いました。

 


子どもたちに、自分たちも育ててもらいながら。
 

(大好きお母ちゃんとお姉ちゃん♪)

 

 

いとちゃんは、
たくさんの人たちに囲まれて、関わってもらいながら

愛されること、助け合うこと、

支え合うこと、
寄り添い合うこと、
微笑み合うこと つながること、

許し合うことを、


その小さなカラダで伝えてくれていました。
 

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(大好きなお父ちゃん♪)

 

 

 

岐阜県で暮らしていたりえちゃんは、

2017年夏に3人目の出産を控えて、


長女のゆめかちゃんいとちゃんと一緒
その年の2月に、北海道のご両親のもとへ里帰りしてきました。


そこが、「ほっとハウス」。

かよちゃん(りえちゃん母)と誠さん(父)と、

ともちゃん(妹)が暮らす実家であり、天理教の分教会です。

 

 


 ほっとハウスは、様々な支援を地域で実践していて、ひとが集い、

その名のとおり、あたたかな場づくりをしていました。

 

(おじいちゃんとおばあちゃんと)
 

 

りえちゃんが里帰りしてくれたことで、
私は、りえちゃんと可愛い子どもたちと出逢うことができました。

(りえちゃんと私は、りえちゃんが嫁ぐ前に「ほっとハウス」で知り合っていました。)

 

 

帰ってきたとき、いとちゃんは自力ではイスにお座りはできなく、

言葉もあまり出なかったけれど、

ここではたくさんの手と支えがあり、いとちゃんもお母さんも元気になってきました。

 

(ともちゃんのお膝で)

 

 

北海道にも春がきて、奈良県で小学校教師をしていた長男家族も札幌に引っ越してきて、

 

ひととき、ほっとハウスは、小さなこどもたちが5人もいて!

まるで保育所のような賑わいでした。
(4歳、2歳女の子4人、男の子赤ちゃん1人、妊婦さん1人♪)

 

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(従姉妹たちと)

 

 

おばあちゃんのかよちゃんも、
大忙しだったけれど、

かわいい孫たちにパワーをもらって、とっても幸せそうでした。

 

 

 

 

 


 
 
ほっとハウスに集う大勢のひとのなかで
いとちゃん達は、すくすくと育っていました。

 

(宮城県から軽トラで来た叔父さんと)

 

 

 

春が過ぎて、

椅子にも、いとちゃんはひとりで座っていられるようになり、

 

 

 

りえちゃんのお腹のなかの子もすくすくと大きくなって、

みんなの笑顔が輝いていました。

*次のページへ続きます(towani vol.2)