だらだらの車旅 松山から久万高原へ
だらだら車旅から帰って、5日目ですが、ブログの更新もだらだら(笑)携帯の画像を見ながらでないと、思い出せなくなってしまいそうで怖い。教室のお休みも長くなると、そろそろ、帰ってられますか~の、遠慮がちな問い合わせもあって、申し訳ありません~m(__)mn12月1日~ フルで稼働いたします。松山2日目ニット工房の開店時間を確認して、ほぼ1番乗りで伺いました。コロナ禍でほぼ2年ぶりの来店でしたが、いつもと変わらず、ほぼ倉庫のお店に、手前からめぼしい生地を探しながら、反物をピックアップ。物差しを借りて、生地幅を確認しながら、セイゼイ同じ生地3着分のメーターを購入。中には素材が不明のものもありで、お店の方が繊維を焼いて見ながら、大体の混合物を判断、あとは触れた感じ、洗濯可否を見極めるのが通常の方法。運転手の夫さんに1時間ほど待っていただき、おおいそぎで書き出していた必要なものを購入、あとは宅急便で送っていただけるよう手配を済ませて、とりあえず必要な教材の調達をすませて、次の予定場所へ。本当は半日でもウロウロしたい場所ですが、そいうわけにはいきません。そして今日のメインは、夫さんの朋友に会いに、愛媛県上浮穴郡久万町へ。久万高原ホームぺージより抜粋観光 四国の軽井沢と呼ばれる久万高原町は、平均標高800mの冷涼な気候に恵まれ、面河渓、石鎚山、御三戸、四国カルスト、皿ヶ嶺など従来より避暑地・行楽地として沢山のひとが訪れます松山市内から、車で1時間ほどの標高800メートル近い高原の町で、すでにこの時期には雪が積もり、愛媛県でもスキーが楽しめるほどの寒い地域になります。朋友さんは、この地域で、40年ほどシクラメンをはじめとする花き栽培をされている方で、まだ私が30代のころ、この時期には立派な高価なシクラメンをハウス,栽培されていました。今と違って、シクラメンの価格も高騰で、中々手に入れることが厳しい時代でしたが、毎年りっぱなシクラメンが届いており、そのころは、夫さんも何時でも会えると思っていたのでしょうね。10年前に、この地に転居した時期が2月でしたので、雪深い久万町までは行くことが出来ずに、転居後の報告になってしまったのですが、丁度コロナ禍に入る前に、病気でこの世を去ったことを、年賀状のお返しで知りました( ;∀;)亡くなられる前に、奥様が夫さんに知らせようか言ってくださったそうですが、連絡したら、あいつは遠いところを絶対に来るからと、首を縦に振らなかったと( ;∀;)訃報を受けてからの夫さんの悲しみは辛く、しかしコロナ禍では動けず、今回やっとその念願がかないました。高校からの朋友の早すぎる死、コロナ禍から解放されたら1番に会いに行きたい。朋友には会えなくても、彼が築いた仕事場、いつもニコニコしたお顔の遺影に手を合わせながら、ご主人様 の残した仕事場で、パートの方々の手助けをいただいて頑張っておられる奥様とお会いでき、懐かしいお話、例の宮崎神宮の野宿の昔話をしながら、時期的に忙しい時期、大切な時間を割いてくださり、夫さんも少しだけ肩の荷が下りた感じでした。ハウスの中には、たくさんのシクラメン、色んな種類のすみれや、ビオラ、パンジー、多肉植物が所せましと栽培されていました。見るだけの人には、素敵~で済まされますが、この燃料高騰の時期、これからの積雪対策、女一人で維持管理していくのは考えるだけでも大変です。好きなもの持って帰って~って言ってくださったのですが、まだまだ道中は長いし、苦労されて育てているものには、手が出ませんでした。でも記念に何か一ついただきたいと思い、蜘蛛の巣万代草の多肉植物を1鉢 記念にいただいて帰りました。ハウスそばの、雑草の中に、私を連れて行って~と言わんばかりに、不釣り合いな紫の可憐な花を見つけました。紫、ほうずきだそうですが、初めて見た花。来年その時期になったら、私も植えてみたいとおもいます。あすは、四国を離れ、再度九州へ、そして次男君家に、孫ちゃんと3回目のご対面になります。覚えていてくれるかな?