「既読無視」に見るリアルとネットの温度感 | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

先日電車に乗っていたら、後ろの方で若い子達が「LINE送って既読になってんのに無視された」って騒いでいました。

ひどいとかぎゃーぎゃー騒いでたんですが、まぁ確かに自分もいい気はしないけど返事を求めてない場合もあるし、求めてたとしても相手の都合もあるだろうし、返事しないならしないで勝手にこっちで進めちまえばいいやーみたいな感覚だったりもするんですが、子供の頃からコミュニケーション手段としてネットが当たり前に使われている世代にとっては、「届いているはずなのに返事しない」って言うのはリアルに会っていて挨拶したのに無視されているような感覚を持っているのかなとも思ったりしました。



届いたという感覚が生み出すジレンマ


情報機器の発達とともに当たり前につながる手段を誰しもが手に入れている状況下では、相手に届けたメッセージが届いているとわかるとともに誰しもがどんな場所でも返答できる環境を作り出しています。

これは利便性を高めるとともにSNS疲れのような弊害も生み出しているわけですが、多くの人がそれを読める環境にいる(またはすぐに読め無くても数時間のうちに読めるだろう)場合、返事をよこさないことに不信感や不満を持つケースというのはあると思います。


「読んだ」という行為ができれば「書く」という行為もできるだろうという感覚を持つことは自然なことかもしれません。

ただ、実際には読むと書くとではコストが全然違ってくるわけで、読むのは何も考えずに少しのアクションで読めるのに対して、書くのは状況を把握したり考えたりした上で多くの文字を打ち込むという行為が必要になります。

会議中にメッセージを読むことはできても書くことは難しかったりもするわけです。


一方で、いくらネットでの情報伝達が容易になったとはいえ、私たちが住むリアルな世界でも様々なことが起きているわけで、ネットの文章だけを通してみるとそれはネットの中で起きているかのように錯覚してしまうんですけど、きちんと相手がいることなので当然リアルな世界で起きていることばかりなわけです。

データを通してやり取りするデジタルの世界に文章を放り投げるとあたかもそれは相手の頭の中に届くような感覚を持ちますが、リアルで話す言葉よりもずっと弱いものだったりもします。

現実世界での行為というものに時間をとられるだけでなく、その世界にいる人たちとの今のつながりを大事にしている人も多くいるわけで、それを押しのけて差し込んでくるデジタルの世界からのメッセージの優先度ばかりが高となるわけではないわけです。


まぁ、優先度は低くてもいいから時間のあるときに返事が欲しいというのは思うところですが、よっぽど返事が無いのであれば、文章がわかりづらいか、返事しづらい内容なのか、絶え間なくそっちのけで優先度を高いことを生み出している忙しい人か、はたまた嫌われているのか、何れにせよ本当に大事なことであれば電話するか直接会って話すかをした方がよいとは思います。

リアルに会う、話すという手続きを簡略化できるのがメールであったりTwitterやLINEのようなショートメッセージサービスではあるのですが、その分多くの情報にさらされているわけで、届く情報量というのはデータの中にある文章より断然小さくなってしまうのではないかと感じているところです。



情報スピードについていけない現実


先ほど書いたように、LINEとか親しいグループの中でやり取りする情報というのは数が多かったりしますしますので、そこで流れていく情報に自分が送ったメッセージがどんどん押し流されていくことがあったりします。

いろんな人とやり取りしていると返事を求めたメッセージが読み飛ばされたり、後で返事しようと思っていても次々に流れてくる新しい情報に脳内のメモリは埋め尽くされてしまいます。


そんな状況の中で、「じゃあ何時返事くれるの?」って言われても、さっき書いたように書くというコストが高い分なかなか「今でしょ!」っていえない現実があったりして、並列処理としてうまく情報をコントロールできない人は多いと思います。

以前に読んだ「ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 」という本の中で、これからは今よりももっと多くの情報が飛び交い時間に追われ続ける未来を予想してたりもするのですが、現在の状況でもスピード感についていけないと感じている人は多いのではないでしょうか。


ブログでは長文が流れてきて読む気がしないし、TwitterやFacebookではリアルな今が伝えられて今の自分とのギャップに思い悩み、LINEでは感情を変わりに表現してくれるスタンプの応酬で会話が無いという状況が刻々と進んでは変化していったりするわけです。

その全てを真っ向から受けて制御していくだけでも大変なわけで、これから生まれてくる新たなサービスや流行についていくとなるといつかは自身の頭と体が破綻するでしょう。


自分自身も、Twitterなんかで次から次へと流れてくる情報に面白みを感じていた時期がありましたが、追えば追うほどキリが無いという感覚をあるときから感じ出して、自分に降りかかる情報量をコントロールするようになって来ました。

時間があれば、ひっきりなしに情報を浴びるのも悪くないと思うのですが、常にそんな情報を浴びているのは仕事をしていたり現実の世界の中で両立させるのは無理だと感じているからです。

ネットの世界に生きている人はそれに押し流されること無くその流量の中でコントロールできていたりするのですごいな、と感じるわけですが自分には無理なので「基本的にTwitterは読まずに書くだけにする」とか「常に情報が更新されるSNSよりは好きなときに好きなだけ読めるブログの方がいいよなぁ」とか思ってたりもします。


きっと「既読無視とかひどい」っていってた子もそんな情報を絶え間なくあびる環境にいたら無視することも出てくるでしょうし、無視した相手もそんな世界に疲れているのかもしれませんし、まぁそんなことをつながっていることを理由にいちいち考えなくても神経すり減らすだけなので、もっとゆるく考えて自分にあったコミュニケーション手段と情報量というのをキープしてネットにつながっていたほうが楽しいんじゃないのって思う今日この頃です。