[Twitter] タイムラインってコントロール可能だろうか? | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

日本語設定のWeb画面上にも公式RTが実装され、その前後からRTに関する問題などが活発に議論されています。

非公式の場合は、140文字と言う制限から元の発言(または発言者)がわからなくなると言う問題があり、公式RTの場合は、奇妙な仕様により自分がフォローしていない人の発言がタイムライン上に流れてくる(自分のフォローしているの誰かが、その人のフォローしている別の人のつぶやきを公式RTした場合)という問題があったりするようです。


ただ、自分としてはそういうことはあまり気にならなかったり。

Twitterのタイムライン(ブログをRSSで購読する場合も同様でしょうけど)を考えたら、タイムラインそのものは自分のオリジナルであっても、その元の発言は発言者自信のものであるから、というところがあったりするからです。



タイムラインはコントロール可能なものか


Twitterを始めた頃は、タイムライン上の発言を大体隅から隅まで読んでいました。

その中に面白いつぶやきが無いかとても気になりましたし、何よりも情報をそこから集めだそうとする意欲がとても高かったように思えます。


しかし、ある程度フォローする人の数が増えてくるととてもそれが無理になりました。(私の場合300人超えぐらいから)

そこで、タイムラインから情報を拾うのはある種偶発的なものだと割り切るような考えを持ち出しました。

ある時に見たタイムラインを見て、その時の情報だけを拾うように。


逆に全てを追い出すと時間が幾らあっても足りませんし、それでも面白いつぶやきは何回もRTされて情報があがってきましたし、ばずったーやタグやリストによって気になる人のつぶやきを拾うことは十分可能だったので、それで満足をしていたりします。

誰が何をしているかは、自分にとってわからないものですから、POSTした偶然と自分が見た偶然が重なりあった楽しさと言うものもあるのかなと思ったりしています。


なので、素のタイムラインだけでは自分としてはとてもコントロール不可能な存在のため、その他の機能やサービスを使ってうまくフォローしていくと言うような使い方をしています。

もちろんコントロール可能なまでにフォローする人を絞っておくと言うことでも実現可能です。


しかし、Twitter上に流れるつぶやきは発言者の日常に絡むもので、自分が満足するだけの情報量を常に与えてくれるとも限りません。

仕事が忙しい人はつぶやきも減るでしょうし、常に質の高い情報だけをつぶやいているわけでもありません。

タイムラインを何回も眺めてみても情報が全く流れていないより、何らかの情報が流れていた方が自分では楽しいと考えたから、フォローする人を増やす行為をしてみたりしました。


自分にとって、Twitterのタイムラインのイメージは町並みを鳥瞰しているようなもので、フォローしている人たちがその町の中で議論していたり、ぶつぶつ一人でつぶやいていたりするものだったりします。

なので公式RTの機能にあるような、自分のフォローしている人がフォローしている(自分からみたらフォローしていない人)の情報を出してくれるような仕様にしてくれても、あまり気になったりしません。

それは、町がそれだけにぎやかな方が自分も眺めている楽しさが生まれるからだったりします。



タイムラインは誰のもの?


Twitterのタイムラインは、自分にとって何らかの得になりそうな人をフォローして形成します。

知り合いであれば、その人の日常が知れますし気軽に情報を送りあうことができます。

知らない人であれば、自分と趣味・思考が近い人から有益な情報を得ようとしますし、気軽に意見交換することでコミュニティを生み出すこともできます。


ただ、その作り上げたタイムラインと言うのは自分のオリジナルであっても、その一つ一つのつぶやきは発言者自身のものであって、それを強制することはできません。

なので、そのフォローしている人が別の人の発言が気に入ったから公式RTでフォローしていない人のタイムライン上に出したとしても、仕様としては気持ち悪くともそれさえも発言の一部と考えれば、当然コントロール不可能なものだったりします。


これは非公式RTでも同様にできることです。

非公式RTの場合は、RTされすぎると元の発言(または発言者)がわからなくなることがありますから、ソースを明確にすると言う意味で意図的に使っている人もいるのかもしれません。


どういう理由で公式RTのような仕様が生まれたかわかりませんが、自分がフォローしている人が気になっている人は、自分から見ても気になるものだろう、という考えかもしれません。

そこから新たな発見もあるでしょうし、それさえもつぶやきの一部と考えればあまり気にせずに読むかスルーするかでよいのではないかなと思ったり。


もちろん140字という短い文章ですので、目に入った瞬間に大体読みきってしまうことからつぶやきをスルーすることが難しかったりもします。

それ故に関係ないつぶやきは表示したくないという人もいるかもしれません。


しかし、発言者も人でありTwitterの使い方はそれぞれです。

機械的に自分にとって有益になることだけをつぶやくわけでもありません。

当たり前のことになったりしますが、タイムラインを彩る人々は自由につぶやき、それをフォローする自分もフォローする自由があったりします。

Twitterの面白さは整形化した情報をPOSTするのではなく、まとまりが無くても脳内の考えを簡単につぶやけ、それを見ることができるところではないかと思ったりします。

自分としては、タイムラインはコントロールするんじゃ無く、その中に身をそっとゆだねてみた方が合っているのではないかと思うわけです。