何が無いかを知るという強み | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

業界の違う人と話したりすると色んな視点の話が聞けて面白かったりします。

一方で、その話から自分の能力の無さややっていることのスケールの違いを感じたりすることもしばしば。

ですが、そういう自分に無いものを知るということは強みにもつながるのかなと思ったり。



無いものを理解するという強み


以前に読んだ「小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ) 」の中で、こんなフレーズがあったことを思い出しました。


たぶん僕の強みは、何が無いのかがわかることだと思うんですよ。何があるって言うのは普通の人でもよくわかる。でも僕は、何がないかがわかるんですよ。この本には何が書いていません、がわかるんですよ。たぶん、それが僕の一番の強みです。

無いものを理解するというのは、あるべき姿というものが想像できないとわかりませんし、無いものを無いとして受け入れる強さというものも必要になってきます。

私たちはしばしば、それを「あの人と自分は違う」とか「それは環境が良かったから」とか、逃げたりもするんですが、無いものを理解するというのは、自分の無力な部分をきちんと整理するということにもなります。


それは、何が無いかわかるからこそ、それをどう補うかということがわかったりしますし、目的をクリアするために何を足せば良いのかということを理解することにもつながります。

無いものを整理するということは、精神的に強くなければならなかったりもしますが、それを乗り切ることで見えるものというものは大きいんじゃないかなと。



無いのであれば補うという考え


無いのであれば無いなりに対策というものも打てるでしょう。

自分で能力を磨くこともできますし、それが著しく難しいのであれば他から補うということも考えられます。

別の専門の業者に依頼することもできるでしょうし、その能力を持った人を活用することも手段として選択ができます。


諦めて何もしないよりは、無いものをきちんと整理した方が次につながる考え方なのかなと。

人間誰しも万能ではないので、得て不得手はあるものでしょうから、その不得意な部分または専門としない部分というものをどうやって上手く補うか、ということを割り切ってしまう方が賢いのかなと思ったりします。


ただ、無いのがわかるというのは凄く難しい。

全体感が見えてないと足りない部分というものもが出てきませんし、これでいけると思って踏み出しても怪我をすることになります。

怪我をして足りないものがわかるというのも一つの経験ですが、無いものを予め考えておけば怪我の程度も低く済むかもしれません。


それを補うのもまた他の人の視点なのかなとも思ったりします。

自分の中の世界というのは結構小さいもので、他人の考えを聞くとそれを痛感したりもします。

そもそも自分にその考えが無いのであれば他からまかなうしか方法が無いですしね。


他人と比べることを嫌う人は多かったりしますが、劣等感に浸ったりするのではなく、冷静に自分の成しえる目的のためにあと何が無いのか、どうやって補えばよいのかと考えてみる価値って凄くあるんだなと感じたりします。