働いていく上でそれぞれに何らかのミッションが与えられ、その達成度合いで評価が決まったりします。
小さい組織であればミッションと言うものがわかりやすかったりもしますが、大きくなってくると与えられるミッションも多岐にわたり、自分がその一部として何を担っているのかがはっきりしなくなってきたりもします。
それ故に目標管理制度なんかを導入して、組織のミッションの一部を担う上で自分の役割は何なのか、達成すべき指標は何かをはっきりさせた上で仕事をさせていたりもします。
また、不公平感をなくすために目標を定め、その結果に応じて評価されていたりするわけです。
ただ、その目標管理という仕組みは「上が下を管理する」という意味では都合のいいものなんでしょうけど、弊害も多い仕組みだなと感じることも多々あります。
なんにでも目標に結びつける弊害
一つは、評価が目標に結び付けられることによって、行うべき仕事が全て目標ありきになってしまうことです。
例を挙げると
・ 目標だけを達成すればよいと言う考えが蔓延する
・ 仕事を割り振ってもそれは自分の目標とは関係の無いという意識が働く
・ 設定した目標に固執し仕事の柔軟性がもてなくなる
など。
1年や半年で設定した目標によってその仕事の基準や自分が行うべきことの意識が固定化されてしまいます。
「私の目標はこれです」とばかりに固執する人もいれば、その他の仕事に関心を持たなくなる人もいます。
目標と言うのが自分の仕事であり、その目標達成の基準が自分の評価につながるとなれば、そういう考えが生まれるのも不思議じゃないかもしれません。
それは、仕事のやり方という個人の考えではなく、仕組みよる弊害が大きい気もするわけです。
前職の評価が社内の評価を凌駕するシステム
如何に目標管理の仕組みが整っていて、そのルールの上で個人個人が評価されていっても、転職組みによってそれを上回る評価を受けて地位が奪われることは良くあることです。
現状、それは多くの企業では通例となっていることなので、その仕組みを逆手にとって前職での経験を活かし、転職を繰り返してステップアップしていくと言うやり方もありだとは個人的に思います。
が、もちろんその企業に愛着やこだわりがある人もいて、そこでの積み上げた評価を飛び越える人が採用されることでモチベーションが一気に下がる人もいるでしょう。
多くの現場では、社内で積み上げた評価が前職の評価より上回ることは少ない気がします。
誰しも転職する際に収入が下がることにOKを出す人はいないでしょうしね。
その道で名を馳せた人ならまだしても、多くの場合は履歴書だけではその人の経験や能力を推し量ることはかなり難しかったりもします。
採用担当者が受けた期待値の大きさだけで採用が進められている気もしたり。
日本の企業ではヘッドハントがされると言うことが少ないですが、そういうところも社内の評価制度を阻害している要因の一つではないかなと思ったりもします。
社員が名前を出すことが少なく他社にまで評価が響かず、それ故に期待値の大きさだけで採用されたり、優秀な人がヘッドハントされるリスクが少ない分、社内での評価もおろそかになったりと。
繰り返しますが、転職によってステップアップしていくことが悪いことだとは個人的に思ってはいません。
ただ、それだと社内の評価の意味は果たして何なのか?ということも言えるわけです。
目標を達成する以外に働く意義
仕事をしていく上で、社内の評価と言うのは個人個人に大きな意味を持ちます。
しかし、それだけが働くことの意味ではありません。
働く環境や、仕事の内容、与えられる権限の大きさなどなど様々な要因によって社員のモチベーションや働くことの意義を見出すことは可能です。
エンジニアであれば、作る喜びを感じられる現場であれば給与などさほど考えないという人もいたりします。
そういう環境作りをすると言うこともマネジメントする立場の人であれば重要な意味を持ってきますが、その目標管理と言う精度によってひどく阻害されないようにする注意も必要です。
常に目標の達成度合いというものが管理されている現場では、働くことの楽しさも見いだせなかったりします。
先に書いたように、目標を管理すると言うのはマネジメントする立場にある人にとって都合のいいものです。
働かせるにあたって、その基準を明確にさせることで個々がその目的をはっきりさせることができます。
しかし、働く側にとっては目標をクリアすることが仕事の楽しさにつながるのでしょうか?
その目標に固執していく環境の中で働くことの楽しさも意義も見失ったりしないでしょうか?
目標至上主義のマニュアル化された社員を生み出すのではなく、個々がミッションを意識して自立して動いていくための仕組みと言うものが本当に必要なんじゃないでしょうか。
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