Twitterはブログよりも残酷かもしれないね | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

数日前にワールドビジネスサテライト (WBS)にて紹介され、それをきっかけにTwitterを始めた人も多いようですね。

そんな、徐々に浸透しだしているTwitterですが、マイクロブログという言葉の響きだけから連想されるものとしてTwitterをやってみると、少し印象が異なってきてしまうかもしれません。

そして、ブログの感覚でやりだすとその面白さに気付く前にTwitterの残酷さの方が目立ってきてしまうような気がします。

私が思うTwitterの残酷なところは、下記の3点であるかなと思います。


1. Twitterの反応は見えにくい

2. 反応を求めるために必要になる能動的な行動

3. Twitterには共有できるつながりが必要



1. Twitterの反応は見えにくい


Twitterの反応というのは、ブログに比べて見えにくいところがあります。

アクセス数なんてものはありませんから、なかなか自分の発言がどこまで見られているのかわかりませんし、フォロワーの数はあくまでその人のタイムラインに流れる可能性であって、「Twitterで大事なのってタイミングだよね 」に書いたように膨大に流れるつぶやきの中で、自分の発言が目に入るのはある種、偶然だったりもします。


一番単純な反応の見方としては、replyを見てみるのがありますけど、これは何かつぶやいたことに対する反応であって、逆にそれ以外のつぶやきの多くはスルーされている、というのがわかったりもします。

この反応というものは、そのつぶやきの内容に左右されたり、Twitter上で築き上げた関係によったりもします。

面白かったり他の人にとって興味をそそる発言であった場合に反応が得られたり、くだらないことでも仲の良い関係にある人なら気軽な突込みが得られるかもしれません。

その他にも、ふぁぼったー 、発言に対してはてブする人も多かったりしますが、その存在を知らなければなかなか反応というものはつかめません。

ブログの場合は、とりあえずエントリを書いてみれば少なからずのアクセス数を得られて、そしてアクセスログ解析機能(または外部サービス)を通して、その反応を目にすることができます。

しかし、Twitterはその反応自体が気軽に見えず、自分の発言した内容による反応が全てであり、それが変動要素となるなど、ブログほど書いていくことのメリットやモチベーションを見つけにくいという可能性もあるのかな、と思ったりします。



2. 反応を求めるために必要な能動的な行動


1人でつぶやき続けても、ライフログのような活用方法があるかもしれません。
(この場合、普通のブログよりもTwitterの方がより気軽で向いているかも)

しかし、Twitterの最大の魅力は、その上で生まれるゆるいつながりだったりもしますので、Twitter上での他の人との気軽に交流することが面白かったりします。


ブログのように淡々と自分のためだけに書くなんて使い方は、あまり一般的でもなかったりしますので、つながりありきなところで毛嫌いする人も出てくるかもしれません。

また、先に書いた反応を知るためには、そのつながりによる要素が大きかったりもしますので、Twitter上で交流を深めていくことが必要になってきたりもします。


そのつながりというのも、誰かから声をかけてもらうのを待つというやり方では、非常に時間がかかるため、フォローするという行動だけでなく、その中でつながりを求めていくための能動的な行動というものが必要になってきたりもします。


ブログは書くことで直接的にそのエントリにコメントが無くても、反応を見ることができるサービスですが、Twitterは先に書いたように自分が発したことに対するreplyをもってしか、反応を知ることができません

挨拶など気軽なところでも声を掛け合うと自然に反応が得られるようになったりしますが、やはり交流を深めていくためには、自らの積極的な返答など、行動が必要になってくるサービスかなと感じます。



3. Twitterには共有できるつながりが必要


挨拶程度から気軽にコミュニケーションをとることはできるものの、もう一歩進んだつながりというものも必要になってきます。

WBSの中のシーンでもありましたが、例えば主婦の人が子育ての苦悩をPOSTしてみて、その反応に慰められるといった、フォロワーとの共有できる内容が必要になったりします。


あまりにも反応を意識的に行って発言することは、ある意味Twitter疲れのようなものを起こすかもしれません。

どちらかというと、自分の何気ない発言に誰かが食いついてくれるのを待つという釣りのようなところがあったりもします。

ですが、その発言というのはわかる人にはわかる、という共有できそうな話題というものが必要になってくるでしょう。


これは、あまり難しく考える必要も無かったりします。

趣味のことでも仕事のことでも日常のことでも、何かしら人と話題を共有できることはあると思います。

そういうものを発言していくことが反応を得られたり、新たなつながりが生まれたりする要素となったりしますが、少なからずその共有できるネタというものが必要になってきたりします。



まとめ


Twitterはそのリアルタイム性からその裏にいる個をいうものが表に出てきやすいサービスなのかな、と感じます。

それ故にブログと違った観点で使わないと、「思ったものと違う」というような印象を受けるのではないでしょうか。

まぁ、難しく考えるよりあれこれとつぶやいたりタイムラインに流れている他の人のつぶやきを見てたら、こういうことをやり取りすればいいのかとわかってくるかと思います。


反応がもらえるのは確かにうれしいですが、そればっかり考えていると疲れてくるでしょう。

どちらかというと何気ないにつぶやきに誰かが反応してくれることによる、偶然のつながりというものを楽しんだ方が面白いと思います。

フォロー数をある程度増やしていけば、自分と共通の話題を持つ人というものも現れるでしょう。

仕事のことや趣味のことなどなど、共通の話題を通しTwitterの気軽なコミュニケーションの流れに身を任せてつぶやいてみるのが一番いいのだろうと思ったりしています。