山形米沢市 上杉神社がすばらしい
ということでGW山形の旅、1日目は小野川温泉旅館旭屋へ宿泊し源泉掛け流しと米沢牛を堪能後は、2日目は朝から米沢へ向かい上杉神社へ行ってきました。
場所はこちら。
https://maps.app.goo.gl/NXS8DEjdw4u5e6QMA
上杉神社は、上杉謙信と困窮した米沢藩を再興した上杉鷹山を祀っており、米沢城跡に明治になってから建立されました。米沢駅からは歩いて30分ぐらいでしょうか。
こちらは能舞台でしょうか。
上杉家の遺品を中心に多数の重要文化財を展示する上杉神社稽照殿。
米沢の歴史を振り返ると、米沢城は鎌倉時代に大江広元の次男である長井時広が築城したと言われています。その後長井氏が治め、室町時代に伊達氏の侵略にあい伊達氏が治めました。伊達政宗は米沢出身なんですね。
その後伊達政宗は豊臣秀吉の命により岩出山城に移り、会津から蒲生氏郷が米沢へ入り、重臣の蒲生郷安が米沢城主になりました。その後氏郷の子秀行が移封され、会津に上杉景勝が入ることになり、景勝は米沢城主に直江兼続を置きました。
関ケ原の戦いで西軍についた上杉景勝は減封で会津は没収されて米沢30万石だけ残ることになりました。ここから米沢藩は上杉家が治めることとなり、1700年代後半15万石まで困窮した藩を上杉鷹山が再興することとなりました。
上杉鷹山は、1751年に日向高鍋藩主秋月種美の次男として生まれ、1760年10歳で米沢藩8代藩主重定の娘幸姫の婿養子となり、上杉家へ入り米沢藩主になりました。
直江兼続の大きな人形?が。
上杉景勝と直江兼続。
上杉鷹山。
上杉鷹山の名句、「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」
上杉鷹山は、藩主自ら荒れ地を鍬で耕し新田開発を進め、漆の実を植えて十年先の産業振興を図ったり、田んぼに鯉を飼うようにすすめて緊急の場合の食料源としたそうです。さらに、荒れ地に桑を植えさせ養蚕業を盛んにし、後に米沢織として大きな収入源となりました。天明の大飢饉の時も、飢餓に備えて米を備蓄していたので、一人も餓死者を出さなかったとも言われています。
このように、米沢藩を救った上杉鷹山と、上杉景勝が上杉謙信を遺骸を持って御堂に祀ったことを合祀して上杉神社としたそうです。米沢に上杉家が入った時からある神社だと思っていましたが、歴史は明治からと意外と新しい神社です。しかしその歴史は謙信に遡り、米沢の歴史が全て詰め込まれたものでした。そういった歴史をその場で感じることも重要ですね。
ということで、みなさんも米沢の歴史が詰まった上杉神社へ行かれてみてはいかがでしょうかぁ。
続く・・・。
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