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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

今日はずっとイライラしています。

仕事がなかなか前に進んでいないからでしょう。
普段はSEという仕事の中で、自分で成果物を生み出し、それを同僚に投げます。

つまり上流から下流です。
しかし今回、新しい開発スタイルの一環として、ペアプログラミングならぬペアエンジニアリング―共同開発をおこなっています。

これが、なかなか上手くいきません。



仕事を1人でするのと違い、2人一緒にするということは、1+1=1にも3にもなるということが良く解ります。

自分のペースで進めようとすれば、相手が早いと思ってしまう。
逆に相手のペースに合わせようとすれば、僕が遅いと思ってしまう。

僕はSEの卵として、ドキュメント作成には長けている自負がありますが、コーディングは弱いです。
しかし、相手はコーディングには強いです。ただ、ドキュメント作成能力は弱いです。

つまりお互いの強みと弱みを補完しあうことで、互いの能力を高めることが目標ということは分かっています。
しかし、それが今は出来ていません。


正直、戸惑っています。
自分らしい仕事の進め方が出来ないのではなく、また相手の進め方に合わせるでもない。

お互いがお互いを尊重し、新しい仕事のペースを生み出すことは本当に難しいです。



ただ、人間というのは1人で生きているようで、協労していることは事実です。
対立しあっているようでいて、協力関係にある。

まるで世界の覇権国であるがために、対立し合っていたソ連とアメリカのように。



対立よりも競い合うことが大切なのかも知れません。

事実、一緒にすることで、今まで見えていなかったことが見えるようになりました。
このことは間違いなく、今後の仕事に生きてくるでしょう。

相手の愚痴、不満を漏らさず聞くことで、現状のワークフローを改善する最高の機会です。
そう思えば、この苦労もイライラも、「それもまた良し」と思えば良いかも知れません。



そもそも、思えば成長するに当たって、その原動力となるのは「やりたいという熱意とやらなければいけないという使命感」と「負けたくないという気負と負けられないという危機感」だと僕は思っています。

根性論になってしまいがちですが、どれだけ精巧な勝利理論も、当事者の魂に炎が宿らなければ勝ち足り得ないと思います。
逆に、どれほど無様で杜撰な計画でも、当事者が夢中で情熱の焔を宿していれば奇跡は起こるのではないかとも思っています。

だからこそ、世間巷に溢れんばかりの「奇跡のような本当の話」が出回っているのではないでしょうか。



僕自身のことを言わせて貰えれば、今の僕自身を突き動かしているのは「俺の事業部は俺が下支えしている」という熱意と使命感、そして「この事業部だけでなく、会社全体を見て後輩が育っている」という気負と危機感です。

僕自身、ドキュメントの整備力とテスト実施の精巧度合いは、社内で1、2番だと思っています。


しかしそれはしょせん、井の中の蛙。
世界トータルで見ると、僕は下の下の中の下くらいでしょう。

こんなんじゃダメなんです。
もっと頑張らないといけないんです。



今まで、先輩の背中ばかり追い掛けていました。

あの背中を追い越したい。
あの背中を追い抜けたい。

あの大きな、壁。

顔を正面から見たい。
後ろを振り返れば、先輩がいる―それが理想だ。

そう思っていました。



しかし、いつの間にか、僕の後ろにいた後輩が、猛烈な勢いで僕を追い抜こうと猛ダッシュをしているではありませんか。



負けてはいられません。

僕は何としても、今日のイライラを明日のスッキリに切り替える必要があります。
どんなマイナスの現象も、明日への投資だと思えば、人生のバランスシートはいつだって、未来に対して明るいはずです。

さぁ、明日も頑張りますぞ。
今日は気付いたら1日が終わっていました。
仕事をしたなぁ! 結果を出せたなぁ! という実感もあまり持てませんでした。

ちゃんと1日の時間配分をしていない証拠です。
最近は片道25分掛けて、徒歩で通勤していますし、行きの時間を利用して「今日1日、何をするか」という献立を立てたいと思います。


やはり新卒1年目だから、とか、まだ入社して間もないから、というのは言い訳だと思います。
こればかりは「それも良し」と言えません。

それじゃ、単なる妥協です。
包容ではありません。

新人に入社10年目でしか解決出来ない仕事を割り振るのは、それは上長が悪いですし、新卒1年目にはそれに見合った、或いは実力に見合った仕事が割り振られる筈です。

それを解決し、成果を出し、結果として残し、ステップアップしていく。
そのフィールドとして職場があるのでは、と考えています。



そう考えると、学生生活と何ら変わらないのではないか、と思います。

小学校~高校まで、時間割があり、それに基づいて授業を受けます。
授業を受けて、問題を解決し、答えという成果を出し、テストという結果を残し、クラスが上がります。

大学の場合、少しだけ難関が上がっており、テストで結果が残せなければ、クラスを上げることが出来ません。
それでも幸運なのは自分で時間割を作成し、何を解決するか選択出来ることです。


社会に出ると、まず時間割が無くなります。
入社して暫くは研修と称して、時間割もどきを与えられますが、長くて1年。

その先は自分で時間割を組み立てる必要があります。
つまり自分で問題を発見し、それを解決し、結果を出す。

そして「クラス」という階級を昇格していく。
係長、課長、部長、役員、社長……役職に応じた問題が散らばっていますが、あくまでも問題は自分で発見し、自分で組み立てて解決する必要があると思います。



そもそも考えてみれば、自分の人生だって時間割を作成しないと無法地帯です。

ある意味で大人とは時間という概念と欲望という欲求を自制出来る生物です。

同性を威嚇しながら、異性とセックスすることは出来ますが、それを抑えることは出来ます。
また、24時間という平等な時間を与えられながら、ある人物は堕落し、ある人物は成功をおさめることが出来ます。


言わば、「時間の使い方」と「欲望」をコントロール出来る生物こそ、人間なのかも知れません。
そしてコントロール出来るからこそ、時間割のように、限られた時間内で最大最高の成果を出すことが目的の「欲望」を生み出すことが大切なのではないでしょうか。



坂口安吾は堕落論の中で「生きよ、堕ちよ」と書きました。

戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

これだけ読むと、結局は「欲望に負けても仕方が無いんだよ」「道徳と堕落は対義語」と思われるかもしれません。しかし決してそうでは無いのです。

堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

つまり堕ちて堕ちて、底抜けに落ち切って、その底でプライドや欲望に塗れた自分自身を発見し、そして、その自分自身を救わなければいけないのではないか、と思うのです。


この本が書かれて居た頃は、終戦直後であり、皆の目の前にいた現人神―天皇であり、実は人間であったという事実とマッチすると思うのですが、今の時代も似たようなものですね。



つまり、難関・難問が目の前に登場した瞬間に、さっと現れる白馬の王子様はいません。
また、いきなり神様が登場して魔法の杖を使い、強力なリーダーシップを授けてはくれません。
そして、天空から稲妻が落ちて、脳に刺激を与えて、どんな問題も一瞬で解決するスーパーマンには変身出来ません。

鏡を見るべき、なのかもしれません。


問題を解決するのは自分。
その手で縺れた糸を解きほぐし、その足で糸を持つ人の元へ通い、その口で説得させ、その全身で全ての物事を受け止める。


プライドを捨てるのではありません。

自分自身を知ることが大切。
最近、そう思っています。

自分自身を知れば、欲望や時間だけでなく、自分自身すら自分自身でコントロール出来るのではないでしょうか。
さぁ、1週間が始まりました。
今週も結果を出し続けましょう!

どんな小さな結果でも、出し続けることが大切です。

100点満点のテストを、1カ月かけて100点にするよりも、毎日60点取り続ければ、それは100点対60点×30日=1800点で1700点の差です。


やっぱり結果を出し続けること。
小出しでも良いので、何か成果を生み出すこと。

毎日60点でも良いと思います。何なら10点も良いのではないでしょうか。
1年かけて100点になれば良いでしょうし、それが1か月に短縮することが出来るのであれば最高です。


とにかく、何かをアウトプットすること。
そしてそれを形にすること。

そうしないと、何も変化しません。



最近、良い本を読みました。
「王の道」という本です。

王貞治氏に関して書かれた本です。

読売巨人軍の選手としての王貞治氏。
読売巨人軍の監督としての王貞治氏。
ホークスの監督としての王貞治氏。

それぞれが描かれています。



特に異質というか、強烈なインパクトを放っているのがホークス監督時代です。

当初は期待の監督としてダイエーホークスに就任するのですが、南海ホークス時代の負け癖が身に付いているため惨敗に次ぐ惨敗。

果てには、生卵事件で有名な「ファンに生卵をぶつけられる」事件まで勃発。


「俺はこんな仕打ちをうけるために、福岡に来たんじゃない」
「我々が卵を投げ返すのは簡単だが、これをファンの意見と取るならば、勝つ事しかないんだよ」


という言葉をしたことは有名です。



では、なぜダイエーホークスは弱小から常勝に変わったのか。
それは王貞治氏が「世界の王」から「ダイエー監督の王」に変化したからだと本には書かれています。



「世界の王」として、練習することはプロとして当然のことでした。
練習に次ぐ練習を重ねて、結果を残すことこそがプロであり、またその証。

だから練習をしない選手には叱責し、結果を残せない選手を罵倒しました。
初めのうちは潮らしく聞いていた選手も、そのうち諦めの境地に達してしまいます。

「どうせ、おれたちはダメだよ」
「どうせ、世界の王には敵わないよ」

これが組織文化として定着している会社に根付くと、最悪です。



選手は結果が出せない→監督が罵倒する→選手は諦め、練習をしなくなる→監督が叱責する→モチベーションスパイラル



こうなると、どうしようもありません。

勝ちに拘れば拘るほど、負けてしまう環境をして、王監督はそれでも、

「俺は辞めない」
「我々は勝つしかないんだ」

と言い続けました。


自分は勝ちたい。
しかし、選手には勝ちたいという気迫に欠ける。

選手は勝ちたくないのか?
いや、そうではない。
本当は、きっと本心では勝ちたいと思っている筈だ。

ただ勝ちの喜び、楽しみを味わっていないから「何としても勝ちたい !!」という執念でなく「勝てたら良いなぁ !!」という希望しか持てないのだ。

勝ちの喜びを味わって欲しい。
しかし、それを知るためには、今の環境から抜け出さないと無理だ。

だが、選手は今の環境に満足し、ぬるま湯から抜け出せないでいる―。



王監督がしたことは何か?

選手をぬるま湯から熱湯に放り込み、急激な変化を促したのではありません。
王監督自ら「ぬるま湯」という組織に浸かったのです。

「ぬるま湯」を沸かす薪を手にもって。



つまり、「世界の王」から「監督の王」に自らが変化したのです。

気軽に選手に触れ合い、話し掛けた。
選手の息遣いを感じ、選手の悩み、汗、涙を全身で受け止めた。

もちろん、1日1日と「ぬるま湯」に薪を入れることを怠らずに。



熱湯経営という本が、一時期、ブームになりました。
それもありだとは思います。

しかし、TPOがあります。


熱湯経営を行えるほど全社的に危機感を共有し、それを行える大義名分が存在し、それが実行出来る責任ある人間でないと、間違いなく失敗します。



王貞治氏は、一番大切な「危機感」を共有できていなかった。

どうすれば良いか?
少しづつ、改善していくしかないのです。


そして彼は真っ先に変えるものとして「自分」を選択した。

組織でも、部下でもなく、自分です。
自分が変わらなければ、部下は変わらない。

ましてや、自分がいる「組織」も。



変わらなければ、昨今の変化に間違いなくついていけません。

「変化に対応していこう!」

ではなく、

「変化を促そう!」

という方向性は解ります。
しかし、その変化に「自分」は入っていますか。


自分だけは変わらなくてもよい。
そう思っていたら、部下全員が「自分は良いやろ」と思うに決まっています。


変わるときは、まず自分から。


「ぬるま湯だから、そこに入るのは迎合だ!」


というのは正論です。
しかし、正論がすべての良い結果を生むとは限りません。



ぬるま湯に浸かるのなら、湯を沸かす薪を持てば良いのではないでしょうか。



一番最初に言った、毎日結果を出し続けるということは、出し続けることで「何か1週間前と変わったことはないか」変化に気付くことです。

1日10センチでも、10日建てば1メートルです。



ちょっとずつの変化でも良いではありませんか。
さぁ、まずは自分から変わりましょう!!
王貞治氏という人間を、長嶋茂雄と比較して「孤高の天才」「暗い真面目」と評する人が多いようです。

確かに何百本ものホームランを打っていますし、本数はプロ野球で一番多いです。
誰が見ても、天才だと言うかもしれません。



しかし王貞治の同僚は、彼を「努力の人」と言って惜しみません。
努力、努力、努力、そしてさらに努力。

そこまで努力したからこそ、彼はホームラン王になれた。
これはホームラン本数が王貞治氏の次に多い、野村克也氏が言っていました。



常人では考えられないほどの努力をすると、大抵の人間は「彼は努力の天才だからね」と決め付けます。

あたかも天才と決めれば、惜しみない尋常ではない量の努力は「彼が特別だから」出来るのであって、自分には出来ないよと決めつけるかのような口調で。



努力が出来ない理由を正当化するために、最も大切なことは何だろう?

そう考えた時に、自分ではとても追い付けないという言い訳が成り立つ大きな壁を、自分より少しだけ優れた人の前に置くことだと思います。


「彼は天才だからね!」


その一言は自分を卑下するわけでもなく、また相手を尊敬していない訳では無いでしょう。
しかし彼に努力して近付こう、或いは彼を追い越そうという努力は諦めています。



自分の身の回りを見て下さい。

凄い人、いませんか?
頑張っている人、いませんか?
成果を出している人、いませんか?


近付きたいと思いませんか?
追い越したいと思いませんか?

その人を思って下さい。
彼は「天才」ですか?


努力し、実力を身に付け、結果を出している人ではないですか。



どんなに絶望的で、圧倒的な差のある壁でも。
どんなに距離が離れていても。

その人は、その道を歩き、その足で遠く離れ、その手を壁を乗り越えてきたと思うのです。
出来ます。絶対に、出来ます。


同じ人間です。
諦めずに、出来るという気持ちこそが、努力し続ける気持になる。

最近、そう思います。
人を育てる。

これって、難しいですよね。

優れた名経営者が絶対に行き着く先が「人材育成」だと思うのですが―松下幸之助しかり、中山素平しかり―、人を育てることは事業を育てることよりも難しいのではないかと思います。


事業の育成は究極的に言ってしまえば、利益を出せば10人中7人は「成功」と言ってくれると思います。そして残りの3人は「失敗や」とは言わないでしょう。
では人材の育成は、何を出せば「成功」と言ってくれるのか。

『利益を出す事業を育成した人間』にまで成長すれば「成功」なのでしょうか。
しかし人材の育成の「成功」が、利益を出す事業を育成した人間だけに限定するというのは、何だか悲しいです。


じゃあ、世界で活躍する?
或いは、みんなに元気を与える?
それとも、歴史に名を残す?


色々とあるかと思います。
禅問答かもしれませんが、人材の育成の「成功」とは、10人中1人でも「こいつぁ凄いや!」と思ったら成功でしょうし、残りの9人が「こいつぁダメだ!」と思えば失敗なんだと思います。

つまり「人材の価値は、人によって捉え方が違う」からこそ、「失敗」も「成功」も人によって違う―だから人材育成は面白いし、名経営者も面白みを感じて『行き着く』のではないでしょうか。



例えば、阪神から南海に移籍した江夏。
阪神タイガースのエースとして活躍したのに、一匹狼的な行動が目に余り「失敗」の烙印―つまり阪神タイガースにはいらない、という意味を込めて「放出」されています。

しかし南海では大活躍しました。
その後、広島、日本ハム、西武でも活躍して「優勝請負人」という、阪神にいては絶対に背負えなかった名前まで背負われました。


江夏にはスピードボールと絶妙なコントロール、そしてキレを持っていました。
そして野球に強い拘りと、それを理解して貰えないならどんな人間も受け付けないという度胸も持っていました。

江夏を「操縦」出来ない奴は「なんだ、こいつは! ダメだね」と言うでしょうし、江夏を理解し「操縦」出来る奴は「野球に拘れる、素晴らしいプロフェッショナルだ」と言うでしょう。


確かに江夏にはダメなところもあったと思います。
しかし、凄いところもあった。


つまり、ダメなところを見てしまえば「失格」だし、良いところを見てしまえば「成功」なんだと思います。

正解や基準値のある問題ではなく、数値で測れない「人間」だからこそ、失格も成功も人にとっては見えると思います。
むしろ失敗も成功も持っているから、人間なんだと思います。



究極的なことを言ってしまえば、最近は「人材育成」というのはその人の持っている所を技術的に伸ばすことが出来れば良いのかな、とも思うようになってきました。

心を入れ替えて、「それも、また良いじゃないか」と受け入れる器を持つようになってから、出来るだけ相手の良いところを見るようにしています。



提出資料を確認しない、チェックをしない、ホウレンソウが出来ない、すぐに手を抜く。
けど、仕事を捌くスピードは誰よりも早い、飲み込みは誰よりも早い、素直な心を持ちミスは直ぐに訂正出来る。


良い所を見ますか。
悪い所を見ますか。


人によっては悪い点は直すように指示し、良い点は褒めるかと思います。

でも、どうでしょう。
本当にそれが出来ますか。

お客様に提出する大事な見積もりを、間違えて下一桁多く0を付けてしまい、仕事を失注してしまった。
そんな時、思わず叫んでしまいませんか?

「なんで、こんなことをしてしまったんだ!」
「いい加減に、そのチェックをしない、手を抜く癖を直したらどうだ!」
「どれだけ早く出来たとしても、ミスがあったら価値無いんだぞ!」



もし、彼の上司だったとしたら、彼の相棒にどんな人材を選びますか。

僕ならば、用心深く、何度もチェックを行い、直ぐにホウレンソウを行って、なかなか手を抜かなくて、でも用心深いから頑固で、何度もチェックを行うから仕事のスピードが遅く、何度もホウレンソウを行うから自分の頭で考えない癖が付いて飲み込みが遅い人を選びます。



お互いが、お互いから学び、2人でやる仕事が3人分にも4人分にもなる。
これが『人材育成』だと、最近は思うようになりました。



えぇのではないでしょうか。
悪いところがあっても、良いトコだけ見てやれれば。