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それもまた良し

関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

今日一日も、定時帰社でした。

一生懸命仕事して、一生懸命結果残して。
今日も、決められた時間内で、決められた成果を出しました。

満足でした。



そう言えば、最近、定時に帰ってリズム良い生活を送っていたら、それだけで4キロ痩せました。

12時に寝て、7時30分に目が覚めて。
8時10分に家を出て、8時40分に会社に着いて。
18時30分に会社を出て、19時に家に着いて。
20時から23時までは、自分のセカンドライフ(資格、勉強、このブログ)に費やして。

うーん、凄く規則正しい生活ですね。
良い感じです。

無駄な生活を省いて、本当に必要な意味のある生活を送ることで、心身共に無駄が省けているようです。



会社で頑張っている他の人は、残業をされていて、大変だな、頑張って欲しいなと思う反面、

「遅くまで仕事をしている = 頑張っている人」

という風土が残っているので、最近は凄く居心地が悪いですね。
うちの会社の偉い人も「若いうちは仕事は質も大事やけど、量も大事」なんて言うもので、きっと組織風土になっているみたいですね。

最近、特に2009年になってから、利益の出る残業は善だが、利益の出ない残業は悪だと思うようになりました。

つまり残業というのは、仕事という決められた枠の中で、結果という中身を詰める時、時間が足りないからやるものだと思うのです。


お弁当箱に、おかずを詰めるときを想像して下さい。

遠足のとき、自分の母親がなぜいつもより早起きしていたのか。
それは遠足用に、いつもより大きめのお弁当を用意したり、内容を豪華にしたからでしょう。


残業だって、同じことだと思うのです。
仕事の枠がいつもより大きい、或いは結果がもっと欲しい、そういうときにするものではないでしょうか?

しかし、そこに利益が結び付かないのであれば、する意味が無いと思うのです。



お母さんが早起きして作ったお弁当でも、中身が不味くて、或いは中身がスカスカで、おかず交換した友達に馬鹿にされて、しばらく学校でいじめられたら、結局は「いつもの時間に起きて作るお弁当」の方が良かったわけで、早起きしただけ無意味だと思うのです。


悲惨なのは、残業をしなければ、利益を確保出来ない場合です。
もうこれは、仕組みを変えた方が早いに決まっています。



しかし、仕組みを変えるということは、その仕組みで働く人間を変えるということです。
なかなか難しい、ということが最近、解ってきました。

「このやり方で、今までやってきた」
「このやり方しか無い」
「このままで良いんじゃないかな」

という言葉を、今の会社で何万回聞いたことか。


皆さんも、自身の職場で何万回も聞いたでしょう?
そして、何万回も言ってきたでしょう?



1日の仕事が9時に始まって6時に終わらない、しかもそれでも営業赤字、経常赤字。
どういうこっちゃ? と首を傾げたくなります。

自分自身の肉体を見てもそうですが、無駄は必ずあります。



今日、こんなことがありました。
社内には備品購入係があるのですが、その係が備品としてコート掛けを購入しました。

2つ。
8000~10000円と記憶しています。

僕は、即座に無駄だと思いました。
今のコート掛けだけで、十分に事足りています。

しかもコートを買った理由は「4月に新入社員が入社するから」だそうです。
なぜ係に、誰も「新入社員が入社する4月に、コート掛けは必要ない」と言わなかったんでしょうかね。

僕がそのことを上長に「無駄ですよね」と言ったら、「そんなん些細なこと」と言われました。
僕が10000円の無駄な買い物をしたことを無駄と言ったと、上長は思ったようですが、真意は違います。


4月に新入社員が入社する頃には、コート掛けはいらないという思考が出来ないことが馬鹿らしいのであり、そういう思考が出来ない人が「備品購入係」という会社の出費を授かる部署にいることが「無駄」だと思うのです。

素晴らしい人ではあると思うので、配置転換させてあげれば良いのに、と思うのですが……。



無駄の無い人生は、面白くないかもしれません。

しかし、会社は別です。
無駄・無理・ムラが利益を食い、売上を減らし、社内のイノベーション機会を奪っていきます。

ドラッカーは、

「儲かってない活動を、儲かる活動に作り変えること」

をイノベーションと言いました。
ここで大事だと思うのは、儲かっていない活動を儲かる活動に変えるに当たって、自身の活動が儲かっていないか気付くことだと思うのですが、果たして……。

無駄があると、案外、見えるべきものが見えなくなりますから、困りますね。



定時に帰るダイエット。

お勧めですよ。
仕事の脂肪、贅肉を減らしたい貴方に。
今日は何もありません。
お休みです。


色々と考えたいこと、アウトプットしなければいけないことがあるのですが、それを上手く言葉に出来ていません。
アウトプットが出来ていないということは、今日1日の経験が自分の中でまだ咀嚼出来ていない、ということですね。

情けない、というか勿体ないですね。



会社で、いったい今日1日何をしているのか……。

足を運んで、与えられた仕事をして、こなして、会社に帰るだけ。
それでは、チャップリンの映画のワンシーンと一緒ではないですか。

利益を出すために、何をするべきか。
何をインプットして、何をアウトプットするか。

そこまで考えて、初めて考えているな、と自分自身で実感出来ますし、生きているな、と思えます。



とりあえず、今考えないといけないのは、

1.組織は優れたリーダーのいる組織でなければいけないのか?
2.人材を育成するとは何なのか?

ですね。
じっくり考えます。
一晩考えて、新しい教育制度・人事考課制度の大枠が生まれました。

一時は本当に何も出てこなくて、役員の期待を裏切ることになるかなとビクビクしていた反面、そもそも俺は平社員なんだから、俺がするべき仕事じゃないからね、と自分自身を慰めていました。



そんな時に、本屋で松下幸之助氏の「道をひらく」という本を見た瞬間、全身を稲妻のような衝撃が突き抜けました。

これだ。
教育制度の根底を成す思想は、これだ!!

全身を震えというか、興奮が包み込んでいました。



自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない自分だけしか歩めない、
二度と歩めないかけがえのない道。




このフレーズで始まる、道という説法。


誰だって、道を歩く途中。

自分で見つけた道。
自分の足で歩く道。
自分が決めた、この道。


スキルアップとは、この道を歩く人を救うことでは?


苦しい時、辛い時。
会社が手を差し伸べて、道を歩んで貰える。

とりあえず、昨日から徹夜で骨組みを書いています。
このペースなら、月曜日にお渡しできるかな。
人間が3人集まれば出来るのは、派閥だそうです。

あいつが好きとか嫌いとか、合うとか合わないとか、そんな理由で派閥が出来ます。
では10人集まれば、組織が出来るのでしょうか。

いや、恐らく違うでしょう。
9つの派閥が出来るのではないでしょうか。



最近、組織とは何のためにあるか考えます。

教育制度の一環で、誰が何を教え、どう導き、どのような結果を出すか。
そこに、組織がどうコミットされるべきなのか?

それをずっと考えているのですが、組織のコミットの必要性を全く感じないのです。


そもそも、企業運営に当たって、なぜ組織は必要とされているのか?
この点を考える必要があるのかもしれません。

昔、踊る大捜査線THE MOVIE2で、青島が「リーダーが優秀なら、組織も悪くない」と言っていました。
このセリフは逆に言えば、「リーダーが脳無しなら、組織は悪い」ということになりますよね。

つまり、組織の良し悪しは、リーダーに委ねられている。
上に立つ人人間の能力如何によっては、成否が決まるという訳です。


でも、組織の必要性、これを明確に、有意性・有利性、根拠を述べることが今の自分に出来ていない……。

今日1日考えてみます。
今日、役員から呼び出しを受けました。

昨今のご時世なので、もしかしたらリストラかな……と思ったのですが、何と「新しい教育制度を考えるプロジェクトのお手伝いをして下さい」とのお達し。
この役員の方は、僕を買って下さっていて、信頼して仕事を任せて下さっているのかなと思うと、その信頼に応えないといけないなぁ、と思います。

教育制度を設ける理由として、役員の方が口を酸っぱく言っていたのは、



「うちの会社は、商品を売っているけど、その商品を作っているのは社員や。社員の技量が上がらなければ、商品力は上がらない。せやったら、うちの会社は商品を作る前に、社員を教育する必要があるんとちゃうか?」

「うちの会社がまだ正常を保ててるのは、たまたまや。事業をやった、利益が出た、それだけや。社員に技量の欠片も感じひん。たまたまウェブに強い社員がいた、たまたま運用に強い社員が入社した、それでここまできた。しかし、これからはそうはいかへん。たまたまの神通力に、3回目はあらへんからな」

「やから教育制度を一新する。会社のための教育制度やない、社員のための教育制度や。社員のためが、しいては会社のためになる」



この3点でした。

松下幸之助氏も、「松下電器は、人を作っています。合わせて、家電も作っています」と言っています。

人間を育成することが、しいては商品を創ることになる。
そして商品を創ることが、社会生活の向上に繋がり、その恩恵として社会と会社に利益が齎される。

そういうことだと思います。
この関係こそ、「経営」だと最近思っています。



経営には、人間が在り、商品が在り、社会が在り、利益が在る。
その何れかが欠けても、経営は成り立たないのかもしれない―そう今日は思いました。

社会には人間がいる。
商品を生むのも、買うのも人間。
そして金を払い、金を貰うのは人間。

全て、人間。



いろんな人間がいます。
それを受け入れてこそ、経営になるのではないでしょうか。

ローマ帝国も、敗者との同化を経て、繁栄を築いたそうです。

いろんな人間を受け入れることこそ、繁栄に繋がるのかもしれません。
なぜなら全ての根幹にあるのは、人間だから―。



月曜日までに新しい教育制度を提出しよ、とのことですので今日はここまで。